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第30話 暗闇





「……さて、どうやって入るかナ〜」


 閑静かんせいな住宅街に、騒がしいバイクのエンジン音が鳴り響く。暴走族かと勘違いしてしまうかのようなその轟音は、正義の味方が来る合図だ。狐彌神社の前に到着した杏樹は、敷地に入る手前でバイクを駐車する。バイクも武器になる可能性を秘めているとはいえ、目の前の階段をバイクと共に上がっていくのは面倒。

 少しだけ悩んだ上で、杏樹はそれを駐車したまま進んでいくことにした。階段を1段ずつ上っていく度に感じる、薄暗く不気味な雰囲気。心霊スポットと言われても差し支えないその雰囲気に包まれつつ、杏樹は神社の目の前へと足を運ぶ。


「写真で見た光景と全く同じ。……突入シちゃおっか」


 ホルスターから高周波ブレードを取り出し、住居の中へと強行突破しようとする杏樹。彼女が動こうとしたその時、背後から人の気配がして、杏樹は取り出した高周波ブレードを影に隠しつつ、後ろ側へ振り向いた。


「……あ、やっぱり……! 朽内さん、こんな所で何してるんですか!」


 そこに居たのは、懐中電灯を手にした1人の警察官。黒音だった。岬と仲が良く、他の警察官よりかは信頼できる彼女。もしこの神社の関係者だったら、めるについて知らないか尋問する所だったが……。知らない警察官や近隣住民に出会うよりかはマシかと思いながら、杏樹は口を開く。


「誰かと思えば黒音ちゃン。ここに用があッて居るンだけど……そういう黒音ちゃンはなんでわざわざこンな所に?」


「今日はパトロールだったんですけど……見覚えのあるバイクが路駐してたので」


「ァ〜……なるほど」


 確かに、先程杏樹がバイクを駐車した場所は、交通の邪魔になる可能性があるため本来駐車してはいけない場所。法律を無視して生きていると言っても過言ではない杏樹は、黒音に注意されて初めて気がついた。

 とはいえ、今から階段を下ってバイクを駐車場まで移動させて〜……というのも手間がかかる。杏樹は、適当に誤魔化すことにした。


「いや〜、実はァ〜……この近くで事件が起こッてるらしくてサ」


「……え? 朽内さんもそれ、知ってるんですか?」


「……ンぇ」


 予想外な黒音の返答に、杏樹は顔を曇らせる。


「この神社の近くを通った人が忽然と姿を消す、って警察庁の中で話題になってて……。だから最近はここら辺のパトロールを強化してるんですよ」


 杏樹の中に密かにあった、狐彌神社を犯人グループだと決めつけきれない心。それが今、黒音の言葉によって無くなった。めるが居なくなったこの状況と、酷似していたからだ。この狐彌神社の近くを通った人間が、音沙汰もなく姿を消す事件が数件。そんな偶然、有り得るだろうか?


「大きな声では言えないんですけど…………、この神社が目をつけられてて。何回も調査してるみたいですけど、特にこれといった証拠も出ず……」


「いや、充分だヨ。その言葉で確信に変わッた」


 困り眉で語る黒音に背を向けて、杏樹はそう呟いた。何かを起こそうと不審な動きを見せる杏樹に、黒音は忠告をする。しかし、それは杏樹の行動を制止するための忠告ではない。事態がより良い方向へ進むための忠告だ。


「1人だと危ないですし、今からでも増援を呼んだ方が……」


「ンや、いらないかナ。居ても邪魔になるだけだシ。死体処理の車なら大量に手配シてほしいケド」


「……承知、しました」


 杏樹が出した強烈な緊迫感に、黒音は思わず息を飲んでしまいながら返答する。いつもは親しみやすく、笑顔で接してくれる杏樹。そんな彼女の顔からは笑みが消え、すっかり仕事モードの顔へと切り替わる。それだけで、黒音の緊張感はとてつもなく増加するのだった。

 黒音を置いて、神社の方へと向かう杏樹。参拝する時に訪れるような拝殿ではなく、普通の住居に近しい木造の扉の方向へ。チャイムを鳴らしたり、戸締まりがきちんとされているか確認する訳でもなく、杏樹はいきなり容赦なく木造の扉を蹴り飛ばした。


「……やッぱり木造はこういうトコが駄目だよネ」


 最近建設された住宅の扉は、何度蹴られても破れることのないような金属製の扉が多い。しかし、この狐彌神社は古くから建設されているため、その分隣にあるこの施設の構造もかなり古く、現に扉は木材と一部の留め具に使用されている金属で作られていた。そんな古臭い扉じゃ、たとえ鍵をかけていたとしても、杏樹の蹴りたった一発で破られてしまう……という訳だ。

 何かが倒れる大きな音を聞きつけて駆けつけた、そこに住む住民達。男数人、女数人、全員が白装束のような服装を着ている。杏樹は、玄関へと向かってきたその者達の生気の無いような顔を一目見ただけで察した。ただ神を崇める宗教ではない、絶対になにか裏がある……と。


「……ァ、土足で入ッちゃった」


 蹴破った扉を踏みにじって、そのまま施設の中へと足を踏み入れて。靴を履いたまま床に立つという慣れない感覚に気づき、杏樹は呟く。信者達は、唖然としたままだった。当然だ。扉を蹴破って侵入してきた無礼極まりない人間が、土足なんかを気にしているという意味不明な光景が目の前に広がっているのだから。


「……ま、そンなしきたりはどうでもいッか。今からココじゃ、法すら効かなくなるンだから」


 背に隠していた高周波ブレードに電源を入れて、舌なめずりをするように信者達を見回す杏樹。危険信号を感じた彼らは、自分の身を守りたいという動物の本能から、1歩だけ杏樹から遠ざかってしまう。

 1歩なんかじゃ、杏樹の攻撃は避けられない。……というか、彼女に目をつけられた時点で、逃げられる人間は居ない。詰み、ってやつだ。


「ッ、がッ……!!」


 とりあえず1番距離が近かった男を、杏樹は音も無しに斬りつける。いつもの杏樹ならば気絶で済ませそうなこの場面だが、今日の杏樹は違った。同居人という唯一無二の存在が誘拐されて、怒り心頭なのだ。杏樹がブレードで男の頸動脈を切断した瞬間、玄関に赤色の噴水というなんとも奇妙なオブジェクトが設置された。

 自分の着ている白装束に血がついた瞬間、他の信者達はようやく自分達の置かれた状況に気づく。悲鳴をあげる者、目の前のグロテスクな光景に嘔吐する者、落涙する者。バリュエーションは豊かだったが、一瞬でその全員が杏樹の前に斬り伏せられてしまう。老若男女関係なく。


「……洗脳されてそうな顔だッたケド、向かッては来なかったナ。単純に信仰心が強すぎるだけ、とかも有り得そォ」


 靴が汚れるから……と死体は踏まずに進んで、杏樹は施設の中を練り歩く。視界に入った人間は、悲鳴をあげさせる暇もなく殺害した。余程好みの女が居るなら……もしくは、信仰に染まりきっていなさそうな人間が居たのなら、杏樹もそいつを生かしてやるつもりだった。流石に全員を殺しては、警察に事情聴取をされるべき人間が居なくなってしまう。別に協力したい訳じゃないが、後から警察にグチグチ言われるくらいなら協力の道を杏樹は選択したのだ。

 しかし、そんな人間は1人も見当たらなかった。全員が全員、本当に生きているとは思えないような空虚な瞳を浮かべて……。年齢層も、三十代後半から六十代前半くらいと幅広く、杏樹の好みにどストライクを決めれる人間は存在しなかった。


「…………ン、……あぁ。……分かりやすい」


 各部屋を回って、目についた人間は殺戮。廊下を歩き回って、逃げようとしている人間も殺戮。そんな感じで施設の中を練り歩いていると……、杏樹はある1つの部屋の存在に気づく。廊下を挟むことで施設から隔離しているような、その部屋。

 その部屋からは、なんだか嫌な気を感じる。殺気と言うよりかは、人物や物に染み付いた死の匂いに似たようなその禍々しい雰囲気。アウシュビッツの強制収容所のような雰囲気だ。そんな怪しい場所を見逃す訳もなく、杏樹は廊下を歩いてその部屋の中を目指す。


「…………」


 部屋の扉の前に到達すると、杏樹は静かにそっと耳を澄ませた。部屋の中からは、喋っているのか喋っていないのか分からないような声と、一定間隔で繰り返される鈴の音が聞こえてくる。何かをしている最中だろうか?

 気配を消したまま、その扉を開けようとする杏樹。玄関や施設の扉は、木で作られた脆い扉……もしくは襖だった。誰でも開くことができるような施設内のそういう扉とは違って、今杏樹の目の前にある扉は、専用の鍵が無ければ開くことが出来なさそうな金属製の扉。杏樹が開けようとしてみても、その扉はビクともしなかった。


「少し面倒だけど……、仕方なイ」


 べっとりと血がついた高周波ブレード。ボタンを強く押せば電源が入り、ブレードが超振動して刃物の切断力を強めるという仕組みの武器。この武器には、あまり杏樹が使うことがないもう1つのボタンがある。

 杏樹がそのボタンを押すと、ブレードがもう1段階ギアを上げるように強く震え始める。そして……、30秒も経たぬ内に、ブレードが熱を帯び始めた。全域についていた血が、その熱によって蒸発し始める。


「……もう充分かナ」


 このボタンを押すことで、ブレードは金属すら簡単に切断できるくらいの切断力になる。普段からこの調子でブレードを稼働させていれば、いずれ不具合なんかが生じてしまう可能性が高い。そのもしもの不具合を起こさぬために、杏樹はいつも通常のブレードを使用しているのである。

 ブレードが充分熱されたのを感じると、杏樹は扉の鍵穴がある周辺にソレを触れさせる。通常の状態なら刃が止まってもおかしくないが、超振動に熱まで加わったブレードはそんなこともなく、すんなりと金属製の扉に通っていった。


「よし。……お邪魔しま〜ス」


 扉を閉じている鍵そのものが切断できたような感覚を確認すると、杏樹は扉から高周波ブレードを引き抜く。そして、電源を切り片手でブレードを持ちつつ、もう片方の手で重い扉を開いていった。

 部屋はとても薄暗く、灯籠らしき器具だけが部屋の中を照らす照明となっている。そんな暗闇にすら近しい空間で、杏樹は目を凝らした。その空間の中心には、白色の着物を着た女性が4人。ただの信者とは少し違う着物を見るに、少し偉そうな幹部という立場が予想される。そして────、その4人に囲まれた、裸で横たわっている女性が居た。薄暗くても、杏樹にはわかる。それはめるだった。


「……貴様、何をしている」


「今は儀式中だぞ」


 自分達の声や鳴らす鈴の音ではない、誰かの声。それを認識した幹部達は、儀式を中断して杏樹の方を向きながら注意をする。


「……いいじゃン、さッきの奴らよりは可愛い顔してるコばっかで」


 顔はよく見えないが、雰囲気からして目の前の彼女達は美しい。言葉こそ冗談混じりだが、杏樹の顔は全く笑っていなかった。めるが居なくなった原因が奴らにあるということが、明確になったからだ。


「天狐様、どうなさいますか?」


「儀式を中断してこの女を確保とか……」


 さっき杏樹に注意をした2人とはまた別の幹部が、杏樹とは別の方向を向いて言葉を放つ。どうやら、彼女らよりもっと上の立場の人間がこの部屋には居るようだ。狐彌神社をネットで検索した時に出てきた神、天狐とやら。1人の幹部は、確かに「天狐様」と発言していた。


「…………否、」


 幹部達が向いている方向から、女性の声がしてくる。少し低めで美しい、空間に響き渡るような声だ。

 声の主……天狐が言葉を止めた理由。自分に問いを投げかけてきた幹部の後ろに、いつの間にか杏樹が居たからだ。音も気配もなく、幹部の背後に現れた杏樹。彼女の姿を見て、天狐は思い始める。まずいタイプの客が来た、と。


「……よいしョ、っと。……ねェ、なンでめるちゃンを狙ったノ? 天狐さン」


 一部始終を見ていた天狐ですら認識できないほどの速さで、幹部4人を失神させる杏樹。足元で横たわるめるの安否を確認しつつ、杏樹は天狐に対してそう問いかける。息はあるし、体に痣なんかもない。一足遅かったら、彼女の身が危なかったかもしれない。杏樹は、眉間に皺を寄せつつ天狐が居るであろう方向を睨む。


「……理由か? 単純。われの生贄に相応しかったからよ」


 逃げることも隠れることもせず、天狐は立ち上がって杏樹とめるが居る方向へと歩き出す。よく見えなかった天狐のシルエットが、ようやく見えてきた。

 身長は杏樹より少し低いくらいで、履物すら隠れてしてしまう程に長い白色の着物を着ている。長い髪も着物と同様に白いが、毛先の方に行くにつれて灰色になっている不思議な髪色だ。

 そして、何よりも天狐の外見で気になるのは……、顔に張り付いている1枚の紙。大きな目のようなものが描いてあるその紙は、顔全体を覆い隠せるくらいのサイズだ。その紙に描かれている目を見つめながら、杏樹は口を開く。


「生贄かァ。食べるつもりだったノ?」


「左様。儀式が終わり解体が済んでから、食すつもりであった」


「そッか」


 会話をしながら、近づいてくる天狐。油断しまくりな彼女を一瞬で気絶させてしまおうと、杏樹は動き出す。半ば反則のような速度だ。この動き出しを見れる者は、動体視力が異常な程に発達している者か、戦闘の猛者くらいに限られるだろう。

 それができる程に強くは見えない天狐。不思議で不気味な雰囲気を纏っているものの、所詮はそれだけ。それだけ……のはず、なのに。幹部の背後へ辿り着いた時のような速さで、杏樹は動けなかった。何が起きたんだ、という顔をする杏樹。この時点で、杏樹は天狐の手の中で踊らされていた。


「……クク。不思議であろう」


 非常に遅い動きで、天狐に襲いかかろうとする杏樹。しかし、そんなに遅ければ指先を掠らせることすらできず、杏樹は天狐に避けられてそのまま床に倒れてしまった。


「この狐彌神社に足を踏み入れた時点で、貴様はもう吾の術中に嵌っているのだ。目には見えない大量の催眠煙さいみんえんを吸った貴様は、この目を見ただけで体が思うように動かなくなる」


 この目というのは、きっと紙に描かれている大きな目のことだろう。戦闘の天才である彼女でも気づけぬような、無味無臭無色の煙によって催眠されていた杏樹。杏樹の体に起こっている異常は、それのせいだった。

 倒れている杏樹を見下しながら、天狐は着物の中からある物を取り出す。手に持てるサイズの、紫色の鐘だった。


「……そして、催眠煙を多く吸った者がこの鐘の音色を耳に入れれば終い。体が固まって、再度鐘の音を聞くまで動かぬようになるのだ」


 過去最大級のピンチが訪れた杏樹。精神が相手に支配されてしまうという、対処しようのない攻撃方法。急いで耳を塞ごうとするが、その時にはもう遅かった。

 チリン、チリン、チリィン……。重い鐘の音が、杏樹の脳の隅々にまで響き渡る。杏樹の意識は────、暗闇の中に囚われてしまった。













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