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第28話 死合い





「…………、……」


 杏樹が次に目を覚ましたのは、薄暗い木造建築の部屋の中だった。飛び起きてみようかと思ったが、腕も脚も麻縄か何かでキツく縛られている。何とかできないかと腕や脚を動かしつつ、暗闇を杏樹は見つめ続ける。薄暗い中、段々と目が慣れてきて、そんな杏樹の目に映った光景。その光景には、見覚えがある。つい最近訪れた、九十九道場であった。

 道場の中心に位置する場所には、道着を着た男が1人立ち尽くしていた。杏樹をここへと連れてきた、陸斗である。そして、そんな陸斗の足元に寝転がる女性がもう1人。杏樹と違って拘束されたりしてはいない、桜李だった。


「起きなよ、桜李」


 寝転がる彼女の体には決して触らず、陸斗は静かにそう呟く。いつもの色んな子供の色んな声が響き渡っている道場じゃ、そんな呟きは耳にすら入ってこないだろう。だが、誰も声を発していないこの道場ならば、その呟きの声1つで人が起きるなんてことは容易だった。

 う〜ん……なんて唸り声を上げながら、目を覚まし始める桜李。完全に目を覚ました桜李は、真っ先に陸斗へと襲いかかるだろう。それを理解していた陸斗は、桜李の目前に短刀の先端を向けて話を始める。


「無駄な争い事は避けよう。話を聞いてくれ」


 口を開かせる気なんて、ハナからない。桜李を刃物という武力で黙らせながら、陸斗は話を進めていく。敵意はあるが、殺意ではない。拘束されつつも壁に寄りかかって、杏樹は陸斗のそんな気を読み取った。


「……館長を殺したのは僕だ。アリバイに嘘を吐いてはいないよ、僕が起こした完璧な作戦だからね」


 それは、ここに無理やり連れてこられた時点で、ある程度察することができる事実だった。父の命を奪った憎い仇が、今目の前にいる。杏樹によって諭された復讐の対象が、今目の前にいる。桜李は、目を血走らせて陸斗を睨む。

 遠くから見ていてもわかる程の、桜李から発せられる強烈な殺気。一般人が発せる殺気の量を、彼女は軽々と凌駕している。素晴らしい才能だ。どれだけの努力を積んでも、凡人が努力を積んだ天才に勝てないように。桜李の持つ殺気は、剣の道によって鍛えられ、父の仇という存在によって研ぎ澄まされ────。誰にも真似することができない、境地へと達していた。


「…………跡継ぎに納得がいかねェから、親父を殺してオレも殺そうって事かよ」


 今にも奴に飛びかかりたいという気持ちを何とか抑えつつ、桜李は陸斗に問いを投げかける。その問いを聞いた陸斗は、思わず吹き出してしまった。


「はは、もしそれが目的ならもう殺してるよ」


 桜李に向けていた刃物を自身の懐にしまって、陸斗はおもむろに立ち上がる。そして、標的であろう桜李に背を向けて、道場の壁の方へと歩いていった。何故こんなあからさまに隙を見せるのか、なんて思いつつ、桜李は急いでその場に立ち上がる。


「桜李。ずっと前から、君としてみたかったんだ。ルールの範疇はんちゅうで戦う試合なんかじゃなくて、もっと高貴な血で血を洗う戦いを。本当の死合しあいを」


 床に置かれていた棒状のものを手に取ると、陸斗はその手に取ったものを桜李に投げ渡した。機嫌の悪い顔を浮かべながら、投げられたそれを片手で取って握る桜李。

 本来剣道で用いられる道具は、竹で作られた刀、竹刀。しかし、今陸斗が桜李へ渡したものは、棒状ではあるものの竹刀ではなかった。玉鋼と呼ばれる鋼によって作られた、手に持つと重みを感じるソレ。俗に言う真剣────、日本刀である。


「…………、そんな下らねぇ理由で、親父を殺したのか」


「あぁ。桜李がその気になれば、何でもよかったんだけどさ。一番手っ取り早い方法は、君と仲が悪いようで仲が良い館長を殺すことだと思って」


 さも当然のように、桜李へそう伝える陸斗。それを聞いた桜李の殺気が、更に高まっていく。こんなにも殺気立っているのに、陸斗に襲いかかるということはしない桜李。

 殺気立った人間は、普通は怒りや興奮が収まらず、感情のまま行動に移してしまう。だが、あまりにも純度の高い殺気を帯びているせいか、桜李はむしろ冷静になりつつあった。今ここで興奮なんかしていては、絶対に奴には勝てない。鋭い瞳で陸斗を睨みながら、桜李は口を開く。


「上等だ、やってやるよ。これまで親父に習った全ての技術をもって、オレはお前を叩き潰す」


 鋼を包む鞘を抜いて、両腕で持った刀の先を陸斗に向けて────。桜李は、冷ややかで静かな道場にその声を響かせた。


「君が負けたら、そこに居る彼女も死ぬことになる。最初から君に『やらない』なんて選択肢は無い」


「……エ、聞いてないンですケドぉ」


 縛られてまともに動けなくなっている杏樹の方を向きながら、陸斗は桜李に向けてそう告げる。自分の命を自分で守れる状況ならそんなに焦ったりはしないが、誰かが勝たなきゃ自分が死ぬというのは初めての経験だ。不機嫌そうな顔と声で、杏樹は道場に声を響かせた。

 その経験がないのは、桜李だって同じ。自分が勝たなければ、誰かが死ぬ。誰かを守るために戦うなんて、普通の人生を送っている人間にとっては絶対に遭遇しないシチュエーション。さっきまでは陸斗を殺す気満々だった桜李もそれを聞いてしまえば、少しだけ自分の腕を信じられなくなってしまう。


「……ま、いいや。好きなだけヤりなよ、どうせなら勝ッてほしいケド」


 杏樹の言葉を聞き終えた陸斗は、再度桜李の方へと視線を交わす。そして、自身の分も手に取っていた日本刀の鞘を、ゆっくりと引き抜いた。今から、始まる。死合いが。抜いた鞘を陸斗が道場の端の方へと投げた時、そんなピリピリとした予感が道場内へと流れ込んでくる。

 戦いが始まるからといって、いきなり距離を詰める訳ではない。両者、相手の左目に剣先を向ける青眼の構えになり……。ジリジリと、間合いを計るかのように近づいたり遠ざかったり。そんな中で先に動いたのは、桜李だった。


「……はァっ……!!」


 雷のような凄まじい踏み込みで近づいたかと思えば、大きな声を張り上げて陸斗に刀を振り下ろす桜李。その動きは、さながら剣道だった。だが、そんな攻撃を易々とくらう程陸斗は甘くない。すぐさま刀でその攻撃を防ぐ陸斗。力はほぼ互角なのか、押し切ろうとする桜李と押し返そうとする陸斗の間には硬直が生まれていた。

 だが、技術では幾分か陸斗の方が上。刀で刀を滑らせるように扱い、陸斗は桜李の攻撃から身を守ることに成功した。


「体の使い方が下手だね」


 もし手に持っているのが竹刀ならば、受け流されるのにも慣れているから体勢を崩すことなんてなかっただろう。だが、今桜李が持っているのは日本刀。竹刀よりも重いそれを受け流されてしまっては、少しだけ受け流された方向へと体ごと流れてしまう。

 日本刀の重みにまだ慣れていなかった桜李を、そのまま狙う陸斗。剣道ならばありえないシチュエーションだが、今この場は競技シーンではない。容赦なく、桜李に対して陸斗は刀を振り下ろした。


「ッ、ぶねっ……! テメ、反則じゃッ」


 紙一重で陸斗の斬撃を躱す桜李。単純な身体能力が高いから避けれただけで、並の人なら確実にそんな攻撃は避けれない。


「反則? 戦場に反則なんてないよ」


 だが、斬撃を避けられても陸斗の攻撃は止まなかった。反則だと訴えようとする桜李の腹部へ、思いっきり膝蹴りを入れる陸斗。ボディビルレベルなら話は違うのかもしれないが、スポーツのレベルの鍛え方ならば、攻撃を外した後は腹筋が少しだけ緩んでしまう。

 膝によって破壊された腹筋を片手で抑えつつ、桜李は陸斗から離れていく。今は絶対にチャンスのはずなのだが、そんな離れていく桜李を陸斗は追いかけず、ただ冷ややかな視線で見つめるのみだった。


「…………クレバーさが足りないナぁ」


 そんな様子を傍から見ていた杏樹は、退屈そうに呟く。杏樹が発した、クレバーという英単語。抜け目がないとか、ずる賢いとか、そういう意味の言葉。それが、桜李には圧倒的に足りなかった。

 戦場で生き残る上において、ずる賢さは最も重要視されるもの。降伏したと見せかけておいての騙し討ち。会話の途中で、タイミングを外しての攻撃。これまで仕えてきた人間を裏切る行為。生き残るためには、ずる賢くあるべきだ。一直線に生きてきた桜李には、ずる賢さを使って戦うということができなかった。今まで自分が教わってきた、剣の道。彼女が信じられるのは、それだけだった。


「彼女の言う通りだ。……クレバーさで戦えとは言わないが、忠告しておくよ。これまで教わってきたものは捨てて、本気で生きるために僕と相対しろ。……次はないよ」


 冷や汗を浮かべて必死に息を整える桜李に、そう忠告する陸斗。今彼女が動きを止めている間に叩き斬るなんてことは容易だが、彼はそれをしなかった。本気の死合いを望んでいたからだ。この言葉をかけても本当に彼女がそれをできないのなら、次は殺すだけ。

 そんな陸斗の良心とも言えるような言葉を受けた桜李は、もう一度剣を構え直す。……ただし、今度はさっきのような青眼の構えではない。刀を床と平行になるように握り、それを自身の頭の右横に持ってきて、相手に刀の先を見せる構え。陸斗に捨てろと忠告された剣道の、かすみの構えだ。


「……生きるためだァ? ……そんなの考えてねぇよ。オレが考えているのは、お前を殺すことだけだ。クソ野郎」


 さっきまで劣勢だったとは思えないような目付きだけで陸斗を睨みながら、桜李はそう呟く。霞の構えなんて、桜李が使っている場面は見たこともないし聞いたこともない。……ただ1つ重なるのは、陸斗がどれだけの本気を出しても一本すら取ることができなかった、九十九の姿。

 自身が殺した男の姿が、妙に桜李と被って見える。ただの真似事に違いないのに、遺伝子からかその姿はまるで本人さながら。とはいえ、真似事は真似事。霞の構えで鍛錬を積んできたという訳ではないだろう。賭けでその構えを出したと思われる桜李に、陸斗は軽蔑の視線を向ける。


「……威勢のいい事を言うのなら、本気で向かってきてくれよ」


 いつもの彼女の竹刀を扱うような調子で来てくれたら、どれだけ楽しかったことか。若干怒りすら芽生えた声色でそう告げれば、陸斗は勝負を決めてしまおうと桜李との距離を詰める。

 防御が上手すぎるせいか、攻撃の印象がない陸斗。だとしても、同年代の人間の中じゃトップクラスを誇る攻撃力だ。その上、桜李は守りの技術が無いに等しい程に下手である。この一瞬で、全てを決めてしまおう。陸斗は刀を大きく振りかぶり、容赦なく桜李に斬撃を浴びせた。


「…………はッ、オレが戦いで手を抜くかよ」


 大きく振り下ろされたその刀。桜李はその攻撃を、半歩だけ横に動いて、最小限の動作で回避した。


「……上手い」


 それを見た杏樹は、思わずそう口にしてしまう。あの回避の仕方は、自分がよくやるやり方。かつて櫻葉と戦った時や、八尺様と戦った時なんかにもあの回避方法を使った。一歩間違えたら攻撃がクリーンヒットしてしまう、その回避方法。だが、そんなハイリスクには、勿論ハイリターンが存在する。それは、すぐさま返し技が打ちやすいという点。


「く゛、ッ……!!」


 攻撃を避けた桜李は、陸斗に向かって水平に構えた刀を横薙ぎに斬り払った。狙ったのは体ではなく、頭部。もっと詳しく言うのならば、両の視界。かけた眼鏡ごと両目を斬り払われて、陸斗は視界を失ってしまった。

 陸斗にとって、桜李がそんなに上手く霞の構えを使いこなせるということは、予想外のことだった。彼女の師がそのまま蘇ったかのような回避の動きに、力が適度に抜けた完璧な攻撃。霞がかかってまともに見えなくなった視界の中、陸斗は桜李が居るであろう方向へともう一度剣を構え直す。


「……なぁ、なんでそうなっちまったんだよ」


 しかし、そこに桜李は居なかった。陸斗に斬撃を浴びせた後、桜李はすぐに彼の背後へと回り込んでいたのだ。後ろから声が聞こえてきた陸斗は、暗闇の中を振り返ろうとする。その頃には、もう遅かった。

 なんの躊躇も葛藤もなく、桜李は一直線に陸斗の胸を刀で貫いていた。いわゆる突きという攻撃方法。力強く突いた刀の先は、陸斗の肋骨を貫通して、臓器すらも貫通して。赤色ではなくもはや黒色に近しいソレを纏いながら、彼の体を完全に貫通した。


「…………っ゛、……」


 彼女に対する慣れ、油断、慢心。それが身を滅ぼしたというのだろうか。日本刀が体を貫通したとしても、陸斗の思考は冷静だった。しかし、その思考に追いつけるほど、人間の体は丈夫に作られてなんかいない。喉のすぐそこまで這い寄る、鉄臭くて生暖かい液体。塊とも言えるような血反吐を吐いて、陸斗はその場に崩れ落ちた。

 もはや、絶命は確定。そんな傷を負った陸斗。猶予を与えることなく、桜李は背後から彼の髪を鷲掴みにして、多少無理やりに顔を覗きながら口を開く。


「昔のお前が今のお前を見たら、絶対に『殺し合いなんて馬鹿馬鹿しい』なんて否定してただろ!? 何がお前をそうさせたんだよ」


 今日初めてまともに感情をさらけ出した桜李。父の仇を討った安堵感、怒り、古くからの友人をその手で殺した絶望感、悲しみ。復讐を終えた時の感情は、その全てが混ざった感情だった。泣いても怒っても笑っても、父はもう帰ってこないし、信頼をしていた友人も帰ってこない。

 どうすればいいのか分からなくなりながらも、桜李は悲痛に叫ぶ。嫌味は言ってくるし、度々喧嘩なんかもするが、陸斗は極端な悪い奴ではなかった。そんな彼が、なぜここまで狂ってしまったのか。呆然としつつも、陸斗は痛みによって震える口を静かに開く。


「………………、9年…………。…………今年でちょうど、10年目か」


「…………何がだよ」


 崩れ落ちてからは、ただ床を見つめていただけの陸斗の顔。そんな陸斗の顔が、言葉を呟くと同時に変わっていく。悪を孕んだ、強烈な笑みへと。


「…………君ももう、知ってるだろ。……あの日から、僕は………………。…………否、この国が……おかしくなったんだ」


 最後の力を振り絞って、桜李にそう伝えた陸斗。不明瞭な事を伝え終われば、陸斗の顔から無気力に笑みが消え去っていく。……そして同時に、彼の瞳孔の光までもが、完全に消え去ってしまった。彼の命の灯火が消えてしまったことを予感させるには、充分な表情だった。

 幼馴染で、ライバルで、信頼できる友人。そんな彼の最期を見届けた桜李は、父の葬式の時と同じように、しばらく何も言わぬまま陸斗を抱き抱えるだけだった。いつの間にか手足の縄を解いていた杏樹は、桜李へと近づきながら語りかける。


「復讐。完了だネ」


 杏樹の声を聞いた桜李は、徐々に体を震わせ始める。そして、抱き抱えていた陸斗の亡骸からゆっくりと手を離せば、桜李は立ち上がって杏樹の体に力強く抱きついた。

 いきなり抱きついてきた桜李を、拒みはせずに受け止める杏樹。美女からのハグというのならば、大歓迎だ。杏樹の体に顔が埋まっているせいで、少しだけくぐもったような声になりつつ、桜李は呟いた。


「……何もかも失っちまったよ。…………今夜だけは、一緒に居てくれないか」













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