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第25話 成長





 未知のウイルスが、榎本にボタンを押されたことによって、国中に流れ始める。警視庁が1番最初に外した、国民を見捨てるという選択肢。その選択肢が、予期せぬ形で選択されてしまった。

 そんな危機的な状況なのにも関わらず、杏樹は笑みを浮かべたまま黙って榎本を見つめ続ける。流石に杏樹と言えども、自身の作戦が失敗して国が滅んでしまうとなれば、少なからず焦りはあるはず。そのあるはずの焦りが、杏樹には全く見受けられなかった。何も話さず表情も変えずの杏樹を見て、榎本は若干それを不可解に……同時に、不愉快に思う。


「…………責任感は皆無、か。反吐が出る」


 自分のせいで国が滅ぶというのに、愚かな人間だ。榎本は、杏樹を心の底から軽蔑していた。額に血管を浮かべて言葉を交わすが……、怒る必要もないと深呼吸して、榎本は目を閉じる。もう、復讐は完了したのだ。彼女が行動したせいで国民が苦しむのだから、警視庁内での彼女の信用は底へ落ちることだろう。それが、榎本に出来る最大限の復讐だった。


「……ン〜、責任感か。確かに、そンなこと感じながら事件を解決したことはないかもネっ」


「く゛ッ、……!」


 変わらず笑みを浮かべたまま、杏樹はホルスターから拳銃を抜いて、即座に榎本の右腿を撃ち抜く。研究をしている者が、必ずしも戦闘に長けているとは限らない。むしろ、イメージからすれば逆。バチバチに強い研究者なんて想像出来やしないだろう。榎本は、初めて受けた灼熱感を右の脚に感じながら、その場に倒れてしまう。

 銃口は榎本に向けたまま、徐々に近寄っていく杏樹。セオリー通りならば、四肢を破壊した後に捕縛し、そのまま拷問へと移る……が、ここがアウェイな戦場である以上は、そんなことをしちゃいられない。研究所というウイルスの宝庫のような場所からは、一刻も早く出ていきたい状況だ。拷問なんてせずに、早く済ませたい杏樹は、榎本を震撼させるであろう事実を伝えることにした。


「勘違いシてるみたいだけどォ……、榎本くンが押したそのボタン、作動してないヨ」


「…………、ハッタリは通じない」


 脂汗を垂らしながら、榎本は杏樹に返答する。


「ハッタリじゃないンだよネ〜、それが。電波妨害装置でこのビル中を囲んじゃッてるンだ」


 杏樹が研究所に直接訪れたことで、犯人はウイルスを無理やり撒こうとするということが考えられる。それを見越して、杏樹は警察に頼み事をした。強力な電波妨害装置を使用して、このビル内から出される電波云々を止めてほしいという頼み事を。

 今頃、ビルの周りは多数の警察と電波妨害装置に囲まれている。杏樹と京が研究所へと入った後、周囲で張っていた警察が行動を開始。これまでは杏樹と京の2人だけで遂行されていたその作戦。実は、それにプラスで警視庁全体も協力していた……という訳である。


「…………作戦は、……失敗したという訳か」


 呆然とした表情で、榎本は呟く。してやられた。娘を殺した、大罪人に。これまでずっと冷静を保っていた榎本の目に、涙が浮かぶ。娘の為ならば国家と心中する覚悟があったのに、その心中すら充分にさせてもらえなかった。復讐が叶わなかった榎本は、一筋の涙を頬から顎へ伝わせる。


「その通り、君の負け。残念でした。……さァて、ここからはお楽しみ。リークした人間を吐くまで虐めてあげる。自分の口から言うンなら今のうちだヨ」


 決意を固めた人間は、自分の口から情報を吐くということが極端に少ない。それならもう、拷問をせずに済ませるという事は不可能だろう。こんな危険な場所でしたくないし、面倒だけど……、仕方がないからやるしかない。杏樹は、榎本へと選択の余地を与える。拷問前、最後の選択の余地だ。


「…………好きにしろ。……何をされようと、私は娘の敵であるお前に情報を吐くことは無い」


 杏樹の予想通りに榎本は、たとえ拷問されようとも一切の情報を彼女に喋ることはない、という旨をきっちりと言い張った。


「みんなそう言うケド、大抵は吐いちゃうンだよネ。顔面を散々殴打シて、歯を1本ずつ時間をかけて折ッて、爪と指の間に針を刺して、その爪を剥いで。剥がれた爪があッた場所をヤスリがけしたら、皆が皆大絶叫するンだワ。でも、『情報を吐くので許してください〜』とか言ッてる内は辞めてあげなイ。叫ぶ気力すら無くなる程、心を完全にへし折るのが大事だからネ。……あァ、男限定で使える場所もあったッけ。女にゃ分からない痛みを味わうコトになるネ」


 榎本と目線を合わせようと屈んだ杏樹は、狂ったように喋り始める。普段の杏樹ならば、こんなことは言わない。別にサディストという訳じゃないから。じゃあ何故今こんなに饒舌に喋っているのかと言うと……、目の前の男によってめるが病気にかかってしまったから。

 そのあまりの圧に、思わず体を引いてしまう榎本。怯えているという訳ではない。ただ、その言葉の1つ1つが凄まじい程に生々しく、体が勝手に拒否反応を起こしていたのだ。


「……あ〜、少しお喋りシ過ぎちゃッた。じゃ、早速始めよッか」


「…………」


 もはや抵抗の意志も、戦う気力も無さそうな榎本。四肢を折ったりしておく必要はないだろう。早速拷問を始めようと、榎本へ手を伸ばす杏樹。

 ────その時。タイミングを見計らったかのように、軽めの爆発音が部屋へと鳴り響く。それと同時に、ぱた、ぱたッ……と、血飛沫ちしぶきが杏樹の顔や服に向かって勢いよく飛び散った。思わず目を閉じてしまった杏樹は、少しずつ目を開いていく。そこには、頭の上半分が爆発によって吹き飛んでしまっていたグロテスクな榎本の死体があった。辛うじて下顎は吹き飛ばずに残っていたが、それが逆にその頭部のグロテスクさを演出する形になっていた。


「……あ〜ァ、最悪だらけだ」


 顔や服が汚れてしまったことや、榎本から情報を吐き出せなかったこと。頭をガシガシと荒く掻いて、杏樹はそれらを不満げに思いつつ立ち上がる。何百何千と候補が居る、奴に情報を提供した張本人。そいつを聞き出せなかったのは、警視庁からしてみればかなりマズイこと。

 ……それに加え、杏樹は1つだけ何か違和感を覚える。頭が吹き飛ぶ直前の榎本は、死ぬ覚悟を固めた顔なんてしていなかったし、何かボタンを押したりする動きをした訳でもなかった。つまり、拷問を恐れて逃れるために自殺した訳ではない。何者かによって殺されたという、他殺の可能性がとても高い。そんな疑念を抱きつつも、杏樹は外へと向かうのであった。






「……お〜イ、終わッたよ」


「お! 意外と早かったやん、もっと暇するかと思うてた所やわ」


「いやァ、それがサ。情報を吐き出させようとシた瞬間、犯人が目の前で爆発しちゃッて……」


「え〜……どういう状況なん、それ」


 ロビーへと到着した杏樹は、呑気にソファへと腰をかけていた京へ声をかける。血の海と死体の山が広がるその光景は、百鬼というマフィアの幹部の強さを顕著に物語っていた。

 よっこいせ、なんて言葉を吐きながらソファから立ち上がり、杏樹と一緒に外へと向かう京。廃ビルに出る扉の一歩手前で、杏樹は京に話そうとしていた事を思い出して、それを口にする。


「そォだ、言おうとシてたコトあったンだ。多分、ここ出たら沢山警察居るから」


「は?」


 それは、京に知らせていなかった、今回の作戦についてのこと。京は警察が来るなんて知らなかったし、警察もマフィアの幹部が杏樹に協力しているなんて知らない。天敵が今、扉の向こうに居る。京は、大きく口を開けながら唖然としていた。

 この研究所の連中である「RAT」は勿論、協力者である京も警察も。今回の事件に関わった者は、もれなく全員杏樹の手のひらの上で転がされていたのだ。


「あたしは仕事だから良いとして……、京ちゃンはフツーに見つかッたらまずいよネ。大量殺人だから」


「え、つまり杏樹ちゃんはウチを逮捕させようとしてるっちゅう訳?? えぐいわ」


「ァは、大丈夫。恩を仇で返すコトはシないよ。全員あたしが殺したッてコトにして、京ちゃンはあたしの護衛でここに居たっていうコトにすりゃあいい。もし逮捕されるような事があれば……友達だから脱獄させてあげる」


 意地悪をしたいから、杏樹は両者に作戦の内容を詳しく伝えなかった……という訳ではない。いくら正義執行人と言えども、マフィアの幹部が作戦の仲間になるという計画を警視庁は認めてくれないだろう。それを押しのけての強行突破も杏樹にとっては可能だが、後が面倒になる。それなら余計なことを言う必要もないと思って、杏樹は両者に事実を黙っていたという訳だ。


「ウチが杏樹ちゃんの護衛か ~ 。杏樹ちゃんなら1人で済ませれるのが想像つくし、少し見合わんような気もするけど……」


「ま、警視庁を言いくるめられる言い訳なら別になンでもいいんだけどネ」


 そう呟いて、杏樹は出口となる扉を開く。そのまま歩いて廃ビルの外へと向かう杏樹の背に、気まずそうな顔を浮かべながらついて行く京。そんな京を気にせず、杏樹は警察が張り込んでいるであろう裏口へと容赦なく向かった。

 裏口から出た外には、ビルを囲むように配置された大勢の警察官が居た。知ってる顔はないか……と首を振る杏樹。少し遠くに岬の姿を見て、杏樹は岬の方へとズカズカ歩いていく。


「ごめんネ〜、情報だけ取り逃がしちゃッた」


 岬の元へと辿り着くと、杏樹はすぐさま彼女へと言葉を交わす。急に話しかけられた岬は、多少ビックリとしながらも、すぐに状況を察して口を開いた。


「……よくはないが、それでいい。国が滅亡の一途を辿らなかっただけで充分だ」


 榎本へと情報をリークした首謀者を割れなかったという事実は、確かにとても痛い事。だが、事件を解決できたという事実が重なるだけで、そんな事は霞んで見えてしまう。

 正義執行人という世に明かしてはいけない存在を、国民に発表する。もしくは、国全体に魔の黒死病が蔓延する。その選択しようとも選択しきれない2択を避けれただけでも、警視庁にとっては大金星なのだ。リークした首謀者なんか、これからまた楯突くようならその時に解明させれば良い。作戦が成功したという知らせに、岬は胸を撫で下ろした。


「……ところで、その後ろの方は?」


 明らかに警察ではないが、下に居た連中の1人という訳でもなさそうな、杏樹の後ろに居る女性。いったい誰だ……? なんて思いつつ、岬は杏樹に問いかける。


「この子は〜……あたしのボディガード。一応護衛役として呼んどいたノ。ね、京ちゃン」


「……せやせや、ウチは杏樹ちゃんの護衛。ほぼ何もしとらんけどな」


「ほ〜……」


 軽々と嘘を吐く杏樹、それに合わせてシラを切る京、大して疑ったりはせず適当に返事をする岬。普段は話すことはおろか、会うことすらない警察とマフィアが、正義執行人の杏樹を挟んで邂逅していた瞬間だった。


「……なぁ、ウチもう帰ってええんとちゃう? 正直いらんやろ」


 マフィアの幹部は、顔が知られている事が多い。かなりの大型マフィアである百鬼の幹部ともなれば、もっとその可能性は上がる。岬が自身の正体に気づく前に、京は早くこの場を去りたかった。


「そ〜だネ、あたしが証言できるコトがほとんどだシ……先に帰っててもいいヨ」


「そうよな! ほなウチは帰りま ~す、ばいならぁ」


「じゃあネ」


 多数の警察官を押しのけながら、せかせかと歩いていく京。凶悪な指名手配犯は顔や名前を記憶している警官がほとんどだが、裏社会の人間を記憶している警官は下の立場になればなるほど居ない。そこら辺に居る巡査クラスの警官じゃ、京を認識することなんて出来なかった。

 京が無事に駐車場の方へと抜けていくのを確認していた杏樹に、岬は声をかける。


「……私達はやるべき事があるから、今すぐに話を聞くことは出来ない。部下に命令することがあるし、お前も先に帰ってていいぞ」


 この後も、この場にいる警官達には仕事がいっぱいだ。死体の処理、研究所内の捜査、電波妨害装置の処理、エトセトラ……。正義執行人が事件を解決した後からは、警察の仕事だ。杏樹にそう告げると、岬は忙しそうな様子を見せつつ杏樹の元から離れていってしまった。

 帰っていいと言われたし、岬以外に話したい人も居ない以上、ここに残っても意味は無い。どうせなら京と一緒に帰った方がよかったかな……なんて思いながら、杏樹はバイクを止めた方へと歩いていく。

 その帰路の途中、廃ビルの敷地内を抜ける少し手前。ビルの壁に寄りかかりながら煙草を吸う男の姿を見ると、杏樹は気まぐれにその男へと声をかける。彼へと自身から声をかけるのは珍しい。


「お疲れ様、遊馬さン」


 杏樹に声をかけられた遊馬は、彼女に冷たい視線を送りながらも、咥えていた煙草を指に挟む。そして、肺に溜めていた紫煙を口から吐き終わって、ようやく遊馬は言葉を返した。


「…………おう」


 普段なら、自分から彼女に嫌味を言う時以外は、言葉を交わすことのない杏樹。数年前とは全く違う関係になっていたそんな杏樹が、笑みを浮かべながら自身へと声をかけてきた。それを多少不気味に、そして不快に思いつつ、遊馬は二文字だけの返答をして、再度煙草を口に咥える。

 彼の隣のビルの壁へと寄りかかって、杏樹は少しの間地面一点を見つめる。お前は何をしたいんだ、早く帰れ……なんて文句の1つでも投げかけてやろうと思う遊馬。そんな彼の思考を遮るかのように、杏樹は口を開いた。


「……あの時の事件、あたしは自分が悪いなンて思ッてないヨ。遊馬さンが悪いとも思わないケド」


 それは、あの時に互いの進む道を違えてから、この2人の間では決して言及されてこなかった事件についての事だった。思わぬ事を発言した杏樹に驚いて、遊馬は眉間に皺を寄せてしまう。

 口に咥えていた煙草を再度手に取り、火がついているそれをなんの躊躇もなく握り潰せば、遊馬は拳に力を入れながら杏樹に言葉を吐く。


「……ンな事分かってるわ。お前に当たり散らしてる俺が1番惨めって事もな。……今更それを掘り返して、お前は何が言いたい?」


 口調こそかなり冷静だが、遊馬は内心まで落ち着かせることなんて出来なかった。握った拳の隙間から、散り散りになった煙草の灰がはらりと崩れ落ちる。

 自分がとても幼稚な事を、遊馬は理解していた。それでも、遊馬は杏樹を許すことが出来なかった。復讐を終えた数年前の少女には、人を殺めたとはいえ、生きる資格があった。むしろ、生きなければならなかった。人を見下しいじめた者には、いつか制裁が下るという世界の教訓になるから。幸せを手に入れることが出来なかった少女には、何とか未来で幸せになってほしかったから。杏樹がその少女を殺めたという事実は、凶悪事件の犯人を殺めたという事実よりも罪が重い。遊馬はそう考えていたのだ。


「この研究所の責任者、あの時の女の子の父親だッたよ。娘を殺したあたし……そして、何かを隠している警察への復讐だッて」


 今にも取り乱してしまいそうな遊馬に、杏樹はそう告げる。遊馬は、数年前の事件で榎本と面識があった。何が起こっているんだ、何故娘は死んだんだ。そんな当時の榎本の必死の訴えをかき消したのは、当時その事件を担当していた遊馬だった。

 誤魔化す言葉なんて、思いつかなかった。遊馬でさえ、その少女は死ぬべきではないと思っていたから。少女を殺してしまったという罪に加えて、その親に真実を伝える事ができなかったという罪。それも遊馬は背負ってきたのだ。


「別に態度を改めてほしイとか、そんなンじゃないケドさ。あたしが居る時点で、いくら遊馬さンが独自の正義を持ッていても無駄だッてコトを伝えたくてネ」


「…………」


 あれだけいがみ合っていた杏樹に、真っ当な事を言われた遊馬。言うだけ言って、杏樹は遊馬に背を向けて去っていく。煙草を強く握ったまま緩むことのなかった遊馬の拳が、するりと軽く緩んだ。


「すまなかった」


 去っていく杏樹を呼び止めるかの如く、遊馬はきちんとした態度で礼をしながら杏樹にそう呟く。

 勿論、杏樹の全てを認めた訳じゃない。許せないことだって、あるに決まってる。それでも遊馬が謝ったのは、これまで横暴な態度を取り続けた自分がこの上ないほど醜く感じて、杏樹に謝りたいと思ったからだ。

 人間は、今の遊馬のように生きるべき生き物だ。自分の主張を曲げないということは、とても大事なこと。だが、その主張を曲げて受け入れるべき事実は、しっかりと受け止めなければならない。人間社会を生きるとは、そういうことなのだ。


「謝るコトでもないヨ。仕方がないンだから。……それから、あたしを許すなンて中途半端なコトもシなくていい。事実的には無駄なのかもしれないケド、遊馬さンの正義は警察らしくて好きだから」


 振り返ることもなく、ヒラヒラと手を振りながら杏樹は去っていく。数年前の杏樹のままならば、確実にこんなことは余計だと思って言ったりしない。人間として成長しているのは遊馬だけでなく、もしかしたら杏樹もそうなのかもしれない。













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