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第24話 失敗





 3月30日。警視庁が国民に正義執行人の存在を発表する、1日前のこと。杏樹は、京と一緒に「RAT」の本拠地へと向かっていた。「RAT」の研究所がある場所は都内でも郊外の方で、人目につかないような廃ビルの地下に配置されていると資料には書いてあった。

 辺りが少し薄暗くなってきた頃にバイクで付近へと到着した2人は、廃ビルへと歩いて向かう。止めた駐車場からは5分程度の距離だった。


「……本当にウチもついてきてよかったんやろか……」


「いいじゃン、代表の人も潰してほしいッて言ってたシ。それに、居てくれた方が助かるからサ」


 百鬼と「SPJT:O」の抗争を避けて、直接聞きに行ったりするということはしなかった京。そんな京が、その下部組織である「RAT」を潰そうと一緒に行動する。若干矛盾じみたその行動にも、しっかりとした理由はあった。

 職員を処理している間に存在が犯人にバレたりして、研究所全体へとウイルスを撒かれたりしたら、ガスマスクを携帯するくらいしか対策の仕様がない。戦闘をするにあたって、視界が大きく遮られるガスマスクは邪魔でしかない。それなら、杏樹1人で乗り込むよりも、職員を処理してくれる仲間をもう1人連れていく方が安定的に解決出来るだろう。


「まぁそれならええんやけど……。ウチのせいで抗争起きるんとかごめんやで」


「ァは、大丈夫大丈夫。その時はあたしが責任持ッて潰してあげるから」


「笑顔でとんでもない事言うやんか……」


 歩きながら会話をしていると、2人はある廃ビルに到着する。杏樹が渡された資料によれば、玄関は封鎖されているが裏口から入れるようになっているとの事らしい。

 その説明通りに廃ビルの裏へと歩いていくと、封鎖が施されていない扉があった。その扉を開けて、2人は廃ビルの中へと進んでいく。


「……ぅえ、埃臭ぁ〜……嫌んなるわ」


「逆にリアル、ッて感じでしョ。こンな廃ビルには人が寄り付こうともしないワケだ」


 鼻を摘みながら歩く京と、そんな京を見て笑いながら歩く杏樹。エレベーターを使って地下へと行くという手法を使ったメインラボとは違い、この廃ビルには直接扉へと繋がる階段があると資料には書いてあった。


「……ここだネ」


 いかにも怪しそうな、地下へと続く謎の階段。その階段を2人で下っていく度に、緊張感が増していく。いよいよ、時が来る。日本という1つの国が荒れるか荒れないかは、この2人にかかっているのだから。

 階段を下りた先には、黒い頑丈そうな扉に加えて、すぐ近くの壁にカードキーを読み取るリーダーがあった。そこで使うのは、オリビアから貰った非常用のカードキーだ。リーダーにカードキーを読み取らせる前に、杏樹は京の耳元で囁きかけるように話しかける。


「……あたしはこの研究所の責任者の部屋まで一気に抜けちゃうから、京ちゃンは死なないように耐え続けてネ」


「分かっとる。思う存分に暴れてきぃや」


 流石は百鬼の幹部だ。こんな状況にも、場馴れしきっている。まだまだ経験が浅く、人を殺すことも躊躇しそうな夏怜とは違う。それが今回、夏怜ではなく京をバディとして選んだ理由だ。

 勿論、夏怜にもこういうシチュエーションには慣れてもらわなきゃいけない。けれど、今回に限っては、国の命運がかかっている事態。ぶっつけ本番でこなせるほどの仕事ではない。そう判断して、夏怜は招集しなかったのである。


「……開けるヨ」


 カードリーダーにカードキーをかざせば、ピッという音が鳴って、扉の鍵が開かれる。ゆっくりと扉を開いて、中の様子を伺う杏樹。メインラボよりも規模が小さいからか、少し廊下が続いた後にロビーのような部屋がある様子だった。

 監視カメラがある可能性がある以上、ちんたらしちゃいられない。2人は、合図と同時に急いでロビーの方へと走り抜けた。


「そンじゃ、また後でネ」


「ん、任せとき」


 ロビーには、メインラボ程ではないが、3人程度の職員が居た。ウイルスの研究をしているからか、帽子にマスクと対策がバッチリの職員の姿。そいつらの処理は任せた、と杏樹は一気に走り抜ける。

 突然の事で理解が追いつかなかった職員達は、杏樹がロビーを抜けて別の部屋に行こうとした段階でようやく緊急事態ということを察した。急いで杏樹を追いかけようとする……もしくは非常用のベルを鳴らそうとする。だが、そんな行動を起こさせぬ為に配置されたのが、この京という人間なのだ。


「そんな杏樹ちゃんばっか見られたら寂しいやん、ウチのことも見ぃや」


 まずは、ベルを鳴らすボタンを押そうとした職員の頭を正確に撃ち抜く。こめかみに銃弾が貫通した職員の頭部からは、帽子を貫通して血液が噴出していた。

 杏樹を追いかけようとしたが、大きな銃声に気を取られた職員2人。思わず銃声の方へと振り向いてしまう。そんな2人が最期に見た光景は、さっきまで話していた同期が血を吹き出しながら倒れているという凄惨な光景だった────。


「……ふぅ ~ ……。ウチも銃の腕鈍ってもうてるな。櫻葉が居ったら教えてもらえるんやけど」


 死体処理という面倒事は避けたい杏樹ならば、3人共失神で済ませているのだろうが……。失神で済ませるというのも、そんなに簡単な方法ではない。それに、ロビーで何かが起こったとなれば、自然とロビーに人が集まるのが予想できる。

 近くの部屋に居た職員は、ロビーから響いてきた花火のような音を聞きつけて、武器を持ってロビーへと集まってくる。


「ま、ええわ。乱戦は面白いから好っきゃねん、少しくらいは楽しませてぇな!」






「っと、ここら辺かナ」


 ロビーで京が敵を引き付けている間に、杏樹は研究所の中を走り回る。オリビアから事前に貰った資料に記載されているマップを完全に記憶している杏樹は、責任者の部屋まで一直線に駆け抜けることが出来た。

 他の研究所内にある自動扉とは違い、カードキーが必要な部屋。あれが責任者の部屋の扉だ。本来ならば、責任者が携帯しているカードキーを使わない限りあの部屋に入ることは出来ない。だが、杏樹が持っている非常用カードキーは、責任者の部屋の扉でも関係なく開けることが出来るカードキー。容赦なくその扉の鍵を開けて、杏樹はゆっくりと扉を開けた。


「ハロ〜! 正義執行人が直々に会いに来ましたァ」


 メインラボで入ったオリビアの部屋とは、全く違う雰囲気の室内。全体的に薄暗く、入ったと同時に目に入るのは、かなり大きなモニター。研究所内に置いてある監視カメラを、画面分けしつつ全て映し出しているようだった。

 そして、そのモニターの前の椅子に座る人間。つばが広い黒色のハットに、体全体を包めるくらいに大きい黒色のコート。杏樹の声を聞いた彼は、椅子からゆっくりと立ち上がって杏樹の方へと振り返る。


「……何やらコソコソと動いている者が居たと思えば。久しいな、朽内杏樹」


 妙にくぐもったような声で、男は喋る。それもそのはず、男は黒色のペストマスクを着用していた。肌を全く出さないその格好は、人型を保っているだけの何かにすら見えてしまう。


「……え〜……、どちら様ァ? 会った事とかあったっケ」


「いいや……。私が直接会ったことはないな」


「それなのに『久しいな』なンて、相当な変わり者と見受けられるネ」


 杏樹と向き合った男は、ゆっくりと自身が着用しているペストマスクを外す。痩せこけた頬に、杏樹を見つめる冷たい茶色の瞳。紺色の髪は肩に届く程度の長さで、センター分けにしていた。顔つきや雰囲気からして、四十代程度と推測できる。


「……私の名前は、榎本大樹えのもとだいき。……『榎本』という苗字に、聞き覚えはないか?」


 自身の名を名乗った榎本という男は、哀愁を漂わせながら杏樹にそう呟く。


「エノモト? ……ン〜、これまで関わッてきた人の中にエノモトさンなんて……。…………あぁ、そういえば。1人だけなら知ってるヨ」


 あまり聞き馴染みのない苗字に、杏樹は少し戸惑ってしまう。人と接することが極端に少ない杏樹。その分、少しでも接したことがある人物ならば、たとえ同じ時を過ごしたのが10分程度でも、かなりの頻度で覚えることが出来る。櫻葉やレナがいい例だ。

 そんな杏樹でも、問われた榎本という苗字はパッと思いつかなかった。目の前の彼も今日会うのが初めてだし、榎本という苗字の人間と関わったことなんて……。そんな思考を思い浮かべてた時、杏樹の脳の片隅にあった記憶が蘇る。あぁ、そういえば、あの時の事件の加害者は榎本って言ったっけ……なんて。





















 杏樹が正義執行人になって、半年が立った頃の話。暑さがかなり落ち着いてくる、10月の頃だった。1件の通報が、警視庁に入る。都内にある1つの高校からだった。

 高校に不審者が入ったとか、生徒は避難済みだが避難できてない生徒も居るとか、複数の生徒が刺されたとか。その事件の状況や異常性を鑑みて、警視庁は正義執行人を投入するという判断に至る。


「……遅刻だ。だからいつもあれほど早く来いって……」


「アハハ、ごめンって遊馬さン」


 当時20才の杏樹を叱るのは、岬……ではなく、まさかの遊馬。何年か経った後には不仲になっている2人が、この時は普通に喋っている。数年後には嫌味を言い合う仲になるなんて、全く思えない光景だ。

 この頃はまだ、遊馬は警視だった。今の岬と同じ階級である。岬はと言えば、1つ下の階級である警部。当時、岬も事件の解決に来てはいるが、現場近くで気楽に喋れるほどの偉さを彼女は持っていなかった。


「ったく。……事件の概要は見たな?」


「うン、まぁ余裕かな。学校に不審者なンて……まったく、治安が悪いッたらありゃしない」


 遊馬と軽く会話を済ませた後、杏樹はゆったりと校内に足を運んでいく。ガチガチに武装を固めた特殊部隊が数人で現場に侵入するのと、同等の戦力を彼女は持っている。否、同等以上だ。悔しいが、治安を良くするためには彼女の力を借りるのが手っ取り早い。

 完全に心を許している訳ではない。だが遊馬は、杏樹の強さという概念だけは信頼していた。彼女さえ居れば、凶悪事件も減少するに違いない。そう考えていた。






 10分程度外で待っていた、遊馬が率いる警官達。そんな彼らに、校内から走って近づいてくる者が居た。警戒する者がほとんどだったが、多くの警官は近づいてくる者の様子を見て警戒を解く。泣きじゃくりながら走って近づいてくる、学生服を着た女性。きっと、避難が遅れた生徒なのだろう。遊馬もそう思う者の1人だった。


「おい、保護者を呼ぶ準備をしておけ」


 彼女を見ながら、部下にそう指示する遊馬。彼女が何かを喋っているということに気づいたのは、残り10メートルも無いくらいの距離まで近づいてきた頃だった。何を喋っているのだろうと、遊馬は耳を澄ませる。

 ようやく聞き取れた、微かな声。口の動きからも見て取れたその言葉。「た」「す」「け」「て」。それを視認した遊馬は、何か変だということに気づき、彼女の方へと駆け寄ろうとする。もしかしたら、背中に刃物が刺されている等の事態かもしれない。パニックになっている可能性が高いとはいえ、彼女の異常な程の怯えに気づいた遊馬は、動かざるを得なかった。


「…………は……?」


 足を踏み出した瞬間。1発の破裂音が鳴ると共に、目の前の彼女が力無くうつ伏せに倒れた。彼女の頭部からは、赤色の水溜まりと濃いピンク色の脳味噌が飛び出してきていた。

 目の前の事態に困惑していた遊馬は、彼女が立っていた場所の後方を見る。そこに居たのは、銃を構えた正義執行人。杏樹が彼女の頭を綺麗に撃ち抜いたのだ。


「ァ〜、危ない危ない。危うく逃す所だッたワ」


 自分が殺した彼女を視界にすら入れず、杏樹はため息をつきながら遊馬に近寄る。死体にはある程度慣れている遊馬でも、動揺は隠せなかった。一度自分が助けようとした相手が、目の前で殺されたのだから。

 それに加えて、遊馬と杏樹にはある思想の違いがあった。遊馬は、どんな凶悪犯罪の加害者でも、未成年である限りは更生の余地があると考えている。一方、杏樹からしてみれば、そんなの知ったこっちゃない。頼まれたなら、相手が誰であろうと殺すまで。たとえそれが好みの女でも。

 明らかに未成年の子供が、目の前で殺される。どんな状況であれ、遊馬にとっては認めたくない状況。この時、2人の間に大きな壁ができた。


「……なんで殺したんだ」


「え、ソレは勿論この子が犯人だから。捕縛しろ、なンて詳細に書いてあったッケ?」


 警視庁から杏樹へと送られてきた詳細には、そんなことは一切書かれていなかった。不審者というのは、大抵の場合大人を指すことが多い。通報にも、犯人は学生であるなんて供述はなかった。これは、起きるべくして起きた食い違いなのだ。


「…………、それでも、見てわかるだろ。相手は未成年だって」


「いやァ、一目見た時からもう分かッてたケド。頼まれてないから捕縛なンてしないヨ、面倒だシ」


 実際、今の世の中では、少年法なんて不要という声が上がっている。殺人等の凶悪な犯罪を犯した者には、相当な動機がない限り更生の余地なんてないと。遊馬も勿論、それについては知っている。だが、少年法が現時点で存在している以上、遊馬の思想はそれに従うしかないのだ。救える少年少女の命は、救うべきものである。それが遊馬の掲げる信条だった。

 杏樹の言い分を否定することは出来なかった。彼女は彼女で、正義執行人としての責務を全うしただけだから。だが、同時に彼女を認めることも出来なかった。こんなのが正義だとは到底思えないし、何より、もう少し自分が早く杏樹に気づけていたら、結末は変わったかもしれない。自分が、自分が、自分が。杏樹への態度は、そんな自己嫌悪の表れだったのだ。






 結果として、数年前に起きたこの事件は、容疑者1名のみの死亡という形で幕を下ろした。後に明かされた容疑者の動機は、中学時代に自身を虐めてきた相手への復讐ということが判明した。被害者も容疑者も、誰もが報われない事件だった。

 そして、その容疑者。彼女こそ、榎本けい。早くに母が蒸発し、長い時を父と2人で生きてきた、恵まれない子供であった。





















「娘が不可解に死んだあの日、私の人生が全て狂った。真実を隠そうとしている警察が、私は信じられなくなった」


 榎本が語る言葉は、これまで杏樹が聞いてきた容疑者の言葉の中でも、トップクラスに生々しかった。娘を失った悲しみ。娘の苦しみに気づいてやれなかったという喪失感。何かを隠そうとする警察への怒り。……そして、そんな警察に対する復讐心。復讐は、怒りと悲しみの連鎖なのだ。


「……まァ、動機はいいとしてサ。あたしの存在はどうやって知ったノ? 流れてる噂程度で警視庁を脅したりはしないよネ」


 正義執行人の存在が流出した訳を、杏樹は問う。裏社会で噂が流れているとはいえ、その噂はかなり信憑性が薄い。そんなただ1つの噂を信じて警視庁に直接文書を送ってきたのなら、榎本は相当メンタルが強い男だ。


「ある人物が私に教えてくれた。その人物を教える義理は……お前にはない」


「ならば吐かせるまでになッちゃうケド、大丈夫そォ?」


 警視庁からしてみれば、裏切り者が仲間に居るかもしれない以上、絶対に流出させた者の名前を知りたい状況。本人が言わないのなら、とっ捕まえて拷問して無理やり吐かせる……というのも1つの手だ。


「……残念だ。大人しく要求に応じていれば、国民も苦しまずに済んだものを」


 動き出そうとする杏樹の気配を察すると、榎本はコートの袖に忍ばせておいたあるボタンを取り出す。そして、否応なしに榎本はそのボタンを押した。

 榎本が発した言葉からして、そのボタンが何のボタンかはある程度察しがつく。怪文書に書いていた、ペストを改良したウイルス……それを国全体へと流すボタンなのだろう。そのボタンが押された、ということは。杏樹の作戦は、警視庁の作戦は────。たった今、失敗した。













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