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第23話 代表





 京から確信を得たような連絡は来ずに、刻一刻と期日である4月1日が近づいてくる。めるの体調は、時間が経つにつれて少しずつ治ってきていた。一方、今回の怪文書を受け取った上層部は、もし杏樹が提案したという策が失敗したら、3月31日の正午に国民へ発表するという事を決定したらしい。

 国民を見殺しにするという事は、ハナから上層部の選択肢にはない。正義執行人の存在を国民に知られるか知られないかは、百鬼の手に委ねられているという状況なのだ。


「……う〜ン、やっぱり難しい?」


「せやなぁ、やっぱその怪文書送った奴らまでは簡単に特定出来へんわ……」


 3月28日。杏樹は、都内にあるひっそりとした雰囲気の喫茶店にて、京と話をしていた。この喫茶店は、百鬼の息がかかっている店。彼女達以外の客も、百鬼の構成員やその筋の連中という客が多い。こういう話でも、普通に出来るという訳だ。

 それでも百鬼はこの3週間の間、なんの証拠を掴めなかったという訳ではない。裏社会の研究組織は洗いざらい探し出したが、その中でも1番可能性がありそうな組織を百鬼は見つけた。というか、それ以外の組織を選ぶという選択肢はほとんどなかった。裏社会の研究組織を全て束ねる事が出来る程の権力を持っている組織、「SPJT:O」という組織があるからだ。


「ェ〜ッと、なンだっけ? シークレット……」


「シークレットプロジェクト:オミクロン。長すぎて正直覚えられへんけど……2週間前くらいからずっと聞いとる名前やから覚えてもうた」


 実は、百鬼は捜索を始めて1週間の時点で、既に「SPJT:O」へとある程度目星を付けていた。国全体にペストを改良したウイルスを流すという、とても大規模なその計画。そんな計画を遂行出来る組織は、裏社会の研究組織じゃこの組織しか思い浮かばないからだ。

 勿論、違う可能性だって大幅にある。だが、一度でも標準を定めない限りは、怪文書を送ってきた組織を特定するなんてことは不可能。思い切って、百鬼は「SPJT:O」についての資料を集めたりしていた。だが、それっきりで捜索の進展は止まってしまう。


「……まぁ、流石に限界はあるわな。天下のダークウェブと言えど、奴らの研究資料全部を公開しとるサイトなんて当然見つけられへんかったわ」


 裏社会で最大級の権力を持っている研究組織と、裏社会で最大級の権力を持っているマフィア。そんな両組織がぶつかれば、流石に百鬼が最終的には勝つのかもしれないが、甚大な被害が及ぶということは確実。それを避け、あくまでもバレなさそうなルートで資料を探していたが、流石に限度はある。血眼になって手がかりを探している百鬼でさえ、限界だった。


「イヤ、充分だよ。百鬼さンに犯人を特定してもらえれば、ソレはソレで楽だったケド……」


「充分……? 犯人がその組織って決まった訳でもないのに、ほんまに充分かいな」


 杏樹が薄ら笑いを浮かべながら放った、充分という言葉。全くそんなことはないのは、誰の目から見ても明らかだった。発表まであと3日と差し掛かってきているのに、確実な証拠1つすら掴めていない。充分の真逆、万事休すという状況だ。


「その『SPJT:O』の場所とかは分かッたりシないの?」


「……規模が規模やから、出回っとる情報とかを集めれば……って感じやろな。…………、まさか」


 なにか企んでいるような杏樹。京は、そんな彼女の顔を見て、なんとなく杏樹が考えていることを察した。


「そのまさか♡」











 百鬼と「SPJT:O」の衝突を避けたいのなら、百鬼以外の人間が直接聞けばいい。翌日、杏樹は単身で組織が運営する研究所へと足を運んだ。研究所の場所は、とあるビルの地下、奥深く。決められた順番でエレベーターの階層ボタンを押せば、地下の研究所へとエレベーターが動くという仕組みだ。

 あくまでいつもの服装で、杏樹は地下へと下っていく。そしてエレベーターの扉が開いた先には……、天井や壁、床が全て白色で作られている短めの廊下が続いていた。その廊下を進んでいくと、ある扉が杏樹の行く手を阻む。カードで認証するタイプの扉だ。


「……うン、想定通り」


 この行く手を阻む扉も、杏樹にとっては想定内。この扉を抜ける方法を、杏樹は瞬時に2つ考えた。1つ目の方法は、自分と同じようにエレベーターでここへと来た職員のカードキーを奪い取って中へと入るという方法。もう1つは、エレベーターへ向かう為に扉を開いた職員を失神させて、カードキーを貰ってからそのまま中へ入るという方法。

 杏樹が考えた方法は、どちらも職員を傷つける……つまり、裏社会最大の研究組織に宣戦布告をすると同義の方法。だが、杏樹はそれを恐れてはいなかった。恐れる要素なんて、何一つなかったから。自分が負けることはありえないし、なにか被害が出る訳でもない。ある意味、失うものが無い人間。杏樹の根幹的な強さは、そこでもある。


「ハ〜イ、少しだけ眠ッててネ」


「え」


 しばらく廊下にて待っていると、エレベーターが作動し始めた。それに合わせて、杏樹は指の関節を鳴らしながら軽く体を動かす。そして、エレベーターの扉が開くと同時に、杏樹は死角から中に居た男に襲いかかる。それは鮮やかな攻撃だった。

 拳を握って、男の顎とその拳の一部分が1ミリ以下だけ掠れるように、素早く握った拳を振る。フックというボクシングの技術だ。その攻撃を受けた男は、その掠っただけのフックによって、失神してしまった。拳と顎が当たった瞬間、その拳のあまりの速さによって、脳が強烈に頭蓋内で揺れ始めたのだ。いわゆる、脳震盪という現象である。結果、男はその杏樹の攻撃によって、彼女の思惑通りに倒れてしまった……という訳だ。


「……ァ〜、これカナ? 都合が良くて助かるワ」


 いつも通りの業務が始まると思っていた男は、手にカードキーを握っていた。柄もなく真っ白で、右下の端の方に番号だけが黒い文字で書かれているというカードキー。そのカードキーを奪い取り、杏樹は扉の方へと向かっていく。

 開いた扉の向こうは、まだ長く廊下が続いているようだった。大人しくその廊下を進んでいく杏樹。真っ直ぐ進んで行った先に、同じような扉があった。杏樹は、その扉を開いて研究所の中へと侵入する。そこはロビーのような場所で、白いスーツを着た職員のような者が何人か居た。


「な、何者だっ……!?」


 職員達は、明らかに職員ではなさそうな者が入ってきたというその異常性を察して、小型の拳銃を杏樹に向ける。左、前、右……と、後ろ側以外の方位から狙われている杏樹。一般人なら絶体絶命といった状況の中、彼女は笑みを浮かべながら余裕そうに両手を挙げた。


「怪しい者じゃございませ〜ン。暴力反対で〜す」


 そこに居た杏樹以外の全体が、彼女の発言に対してツッコミを入れた。流石にお前は怪しい者すぎるだろう、と。職員全員が杏樹に銃口を向ける中────、部屋の扉を開いてロビーへと入ってくる人物が現れた。ヒールをコツコツと鳴らしながら、物怖じせずに杏樹に近づいていく女性。彼女が発するオーラは、単純な強さから来るものではない。単純なカリスマ性である。 


「……全員、銃を下ろしなさい」


 彼女が発した一言で、さっきまで杏樹に向かっていた銃口が、一斉に床へと向く。綺麗な銀の長い髪を部分的に三つ編みにしていて、長めのその目は伏していて────。杏樹に匹敵する程の良いスタイルの持ち主。洋風な花恵、といった印象だ。これまで杏樹が過ごしてきた人生の中で出会った、1番美しい人物。それがたった今、更新されてしまった。


「奥で話をしましょうか。殺戮をしに来た訳ではないのでしょう?」


 その美しき彼女は、杏樹に向かってそう告げる。杏樹にとって、彼女はどちゃくそ好みの人間だった。そんな彼女からお誘いを受けた杏樹は、抑えきれなさそうな欲望を何とか隠しながらも、彼女に返答する。


「……殺戮なンて、全然そんな酷いコトしないよォ。キミ達がちゃンと協力してくれれば……ネ」






「……それで、……じゃあ、自己紹介から始めましょうか」


 別室へと案内された杏樹は、ソファに座って向かいに座る彼女の話を聞く。向こう側のソファの背後には、前に戦った櫻葉程ではないものの、中々やり手そうな男が2人立っていた。万が一の事があったとき用のボディガードだ。あわよくば2人きりになれるかも……!? なんて考えていた杏樹は、そのボディガード達が居ることを少し不満に思う。


「私はオリビア。この『SPJT:O』の代表」


 自身のことをオリビアと名乗った彼女。確かにとても美しくはあるが……、日本以外の国の血が流れているとは思えない。別称か何かだろうか? なんて考えている杏樹を、次はお前のターンだと言わんばかりにジッと無言で見つめるオリビア。5秒程度の間が空いて、ようやく杏樹は自身が自己紹介をする番だと察する。


「……ァ〜、あたしか。朽内杏樹、またの名を正義執行人。聞いた事あるでしョ?」


 サラリと自身の身分を晒す杏樹。人が思考していることを見抜ける杏樹は、オリビア達に向かって鎌を掛けていた。もしオリビアが怪文書を警視庁に送った張本人なら、杏樹の洞察力によってほんの少しの焦り等を見抜かれて、今この場で処理されるだろう。

 しかし、杏樹の言葉に対して、オリビアは眉一つ動かさずに返答をする。


「……正義執行人、ね。この現実とは程遠い世界を生きているのだから、耳に入ることは少なくないけれど」


 裏社会を生きる者……その上で、かなりの権力を持っている者。風見鳥組の花恵や、百鬼の京。それから、オリビアも。そういった偉い立場の人間になると、耳に入ってくる情報がある。この国の警察には、裏の顔がある。そんな情報。

 裏を生き続けるのだから、そんな噂を聞いたとしても、大抵の人間はその情報を表立って公表することなんてしない。裏の人間は、裏でひっそりと生きていくのだから。オリビアもその1人であった。正義執行人という意味の分からぬ単語を聞いたことはあったが、それを気にして時を過ごしたことは一度たりとも無かった。


「実はさァ、警視庁宛にこんな書面が届いてネ。ご協力願えないかと思ッてサ」


 杏樹は、ポケットから携帯を取り出して、例の警視庁に送られてきた怪文書の写真をオリビアに見せながらそう告げる。それを見たオリビアは、相も変わらず無表情な顔ながらも、少し心当たりがあるような体の動きを見せた。


「…………少なくとも、この書面を送ったのは私達ではないわ。私達メインラボの人間は、ウイルスの研究を主な研究としてないから」


 オリビアが放ったその言葉に、何か引っかかるものは感じるも、杏樹はひとまずそれを気にせずに話を進めていく。


「なら、なンか心当たりがありそうナ組織とかは?」


「思い当たる組織ならあるわ。この『SPJT:O』の下部組織に1つね」


 自身が代表となっている研究組織の、その下部組織の人間が犯人である可能性が高い。普通の人なら、不利益になるかもしれないというリスクを考えて隠したがるような事を、オリビアはなんの躊躇もなく話した。


「……随分包み隠さずに話してくれるンだネ」


「ええ。下部組織の中でも、結果を残せなかったドブネズミの集まっている組織だから。たとえ貴女1人によって潰されたとしても、私達の不利益になることはないに等しいわ」


 丁寧な口調からは想像もつかないような言葉選びで、オリビアは杏樹にそう伝える。その様は、まるでSMクラブの女王様だ。毒舌ぶりを意識して、パフォーマンスのように言葉を放った訳ではない。その下部組織に相応しい、選ぶべき言葉を選んで放っただけなのだ。


「その組織の名前は、『RATラット』。下部組織の中でも、最下層の組織よ」


 ドブネズミが集う組織、「RAT」。名の通りの組織だ。発表2日前にして、ようやく掴んだ解決の糸口。自身が思い描いたシナリオ通りに物事が進んでいって、杏樹は隠しきれずに笑みを浮かべる。ご満悦の様子だ。


「……『RAT』、ネ。ちなみに、住所とかカードキーとかッてのは……」


 杏樹は、更に交渉を持ちかけていく。あまりにも無理がある交渉というのは明らかだ。組織名を引き出せただけでも良いというのに、住所やカードキー等、事件の解決を楽に進めるためのアイテムを杏樹は望む。

 普通なら断られるどころか、帰れと怒鳴られてもおかしくない事案。だが、オリビアはそんなことを言う様子もなく、静かに口を開く。


「……そうね。『RAT』の概要が書かれている紙と、非常用カードキー。持ってきなさい」


「はっ」


 背後に居る2人のボディガードに、オリビアは命令する。それを聞いたボディガードは、別室へと飛び出して、資料等を探しに行ってしまった。


「……意外だナァ、結構協力的な感じじゃン。断られるノを承知で聞いたつもりだッたケド」


 ここまで事が上手く進むと思っていなかった杏樹は、馬鹿正直にオリビアへそう伝える。


「……私の許可無しに計画や研究をする事を、私は認めていないの。分かるでしょう? メインラボの連中ならまだしも、ゴミ溜まりの連中が私に歯向かってきたのが気に食わないから。むしろ貴女には潰してほしいくらいなのよ? 正義執行人さん」


 怒ってるとか悲しんでいるとか、彼女はもはやそういう次元に居ない。当然の事として、今回の件を扱っている。要らなくなったゴミを廃棄する時、そんなゴミに思いを馳せる人間なんて居ない。オリビアにとって、今回の件についてはそういう解釈のものだった。

 オリビアの話が終わるのと同時に、急いで頼まれた物を探してきたボディガードが部屋に戻ってくる。そして、3枚程度の紙をホッチキスでまとめた資料と、黒色のカードキーが机に置かれた。


「……貴女が望むのはこれだけ?」


「うン、きっとこれで充分。ありがとネ」


 机に置いてある資料とカードキーを手に取って、代わりと言わんばかりに研究員から奪い取ったカードキーを机に置いて……。気軽そうな笑みを浮かべつつ、杏樹はソファから立ち上がる。これが、圧倒的な強さを持ち、対照的に弱点は持たないという杏樹のやり方。


「……貴方達、一応このお方をエレベーターまで送り届けてあげて」


「いらないヨ、どぉセ帰り道は分かるンだし」


「貴女1人で歩かれると、研究員が困惑してもおかしくないから」


 ボディガード2人が、オリビアの命令通りに杏樹の背後へと近寄る。こんな男2人なんて別に要らないのに……なんて思うが、代表が言うことならまぁ仕方がない。杏樹は部屋の扉の方へと歩き出す。


「……あぁ、そォそォ。帰る前にもう1つだけ聞いてもいい?」


「……ええ、どうぞ」


 会話の途中で、少しだけ引っかかったこと。杏樹は、それを聞くためにオリビアの方へと振り返って質問をする。


「ウイルスの研究はココでしてないッて言ってたケド、じゃあ逆にどンな研究をシてるの?」


 それは、確かにオリビアが会話の途中で言った言葉だった。今杏樹が立っているメインラボでは、ウイルスの研究を主な研究としていないと言っていたが……。研究と言えば、やはり細菌等のイメージが強く、杏樹はそれが好奇心程度で知りたくなったのだ。


「……知りたいのなら、ご案内してあげてもいいけど」


 あくまで自分の口からは語らないというスタイルで、オリビアは回答する。ペストの研究というのもそうだが……こちらはこちらで闇が深そうだ。再度背を向けて、杏樹はカードキーを指に挟みながら手を挙げる。


「いいヨ、今度来た時にじッくり教えて?」


 資料とカードキーを手に入れた杏樹は、そのまま帰っていってしまった。














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