「……とりあえず、ここに居座ッてちゃ危険だネ。一旦旅館に行ってから救急車呼ぶ?」
「……あぁ、隣の市に要請しよう。……救急車も警察もな」
「おッけ、少し痛むだろうケド……おんぶしてあげるから休んでてイイよ」
雪こそすっかり止んではいるが、こんな寒い外にずっと居るのもなんだし、起きてきた住人にまたもや襲われるというのも面倒。雪の上で座る岬に背中を向けて屈み、背中に乗れというポーズを杏樹はする。
そんな杏樹の背中に乗る岬。鈴佳や住人をこんな寒い外に置いていくのもなんだが……今は岬の命が優先。それじゃ旅館まで出発、なんて岬を背負いながら杏樹は神社を出る。
「……ン、アレって……」
森の入口の方から、誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえる。杏樹は一度歩みを止めて、木々の間からその近づいてくる者を見ようと目を凝らしてみる。どうやら、身を隠したりする必要はないようだった。
「……あ、杏樹……! 清水さんも……大丈夫?」
「ン、あたしは大丈夫だろうケド……岬ちゃンは折れてるだろうネ」
神社に向かって走ってきたのは、村長の家から急いで2人の場所へと向かう夏怜だった。息を切らしつつ、夏怜は走る足を止めて出くわした杏樹に話しかける。八尺様の攻撃には髪の毛1本すら当たっていない杏樹だが、岬は不意打ちによって攻撃が直撃してしまっていた。あんな強烈な拳に当たってしまったら、そりゃあ骨なんかは折れてしまう。
「そっか……このまま道なりに行ったら神社?」
「そぉそぉ。神社ってコト、知ってるンだネ」
「村長の家のテレビに映ってたからさ。……村長は今頃リビングで気絶してるよ」
口ぶりからして夏怜は、村長の家に忍び込んで無理やり村長を失神させたのだろう。そして、暴走する鈴佳の動きを止めたのもきっと彼女。可愛い顔して、初の仕事にしては期待よりも大幅な活躍をしてくれた。話を聞いていた杏樹と岬は、脳内でそう思う。
「……とりあえず、ボクは鈴佳ちゃんを救いたいから。急がなきゃ」
「はいはイ、旅館に居るからネ。……あぁ、そうそう。なンであたし達が居る神社の場所が分かったノ?」
急いで神社の方へと向かおうとする夏怜に、杏樹はふと気になってそう問いかける。
「あぁ、そんなこと? 万が一の事も考えて、GPSを2人の服につけておいたんだ。あとで取っておくから気にしないでいいよ!」
平然とそんなことを答えて、夏怜は神社の方へと走っていく。……抜け目のなさも、やはり怪盗らしいな。2人はそう感じると共に、感心すらしてしまった。GPSとまで行かずとも、今は携帯のアプリで位置共有を出来る時代。緊急性なども考えて、それを入れるというのもアリなんじゃないか。そう考えつつ、2人は森を抜けて旅館へと歩いていくのであった。
「……ここだ」
テレビ越しに見た、戦場と化した神社の境内。そこに足を踏み入れると、夏怜は息つく暇もなく倒れている鈴佳の元へと駆け寄る。野坂が言っていた通りのことが起こっていないか、心配だった。
うつ伏せに寝る鈴佳の体を仰向けにして、膝枕をしながら夏怜は首筋にぴとりと自身の手を触れさせる。非常に顔色も悪く、その眠っている顔は人形にすら見える。死んでいてもおかしくはない。……とくん、……とくん。手袋越しに響いてきたその心音に、夏怜は思わず深呼吸をついてしまった。
「…………よかったぁ〜……」
ひとまずは、鈴佳が生きていてくれてよかった。あんなクソみたいな老人に利用されたまま、人生を終えて欲しくはなかったから。夏怜は、知ってしまった。同じ正義執行人である杏樹ですら知らない、「人を救うこと」の快感を。怪盗でいる限りは、感じることの出来ない感情だ。
「…………ん、……」
鈴佳も旅館へ連れて行ってやろうと、夏怜が動き出した時。閉じていた鈴佳の瞳が、薄く開き始めた。限界を超えた力や速度で攻撃をしたせいで、骨折した腕や胸。耐え難いような激痛に襲われているのにも関わらず、鈴佳は悲鳴をあげたりはせずに大人しく口を開いた。
「…………な、なんで……?」
いつもなら、目が覚めた時は必ず自室のベッドの上。夜に自身でベッドに寝そべった時も、日常のある時にぷつりと意識が途切れた後の時も。だが、今日は違う。その瞳に映ったのは、いつもの天井ではなく、自身を見つめる夏怜の顔だった。
「危険はもう無くなったよ。安心していい。君はもう何にも恐れなくていいんだ」
夏怜のそんな言葉を聞いて、鈴佳はなんとなく察した。もう、独りで夢の中をずっと
「ありがとう」
仈湧村で起こったあの事件は、大々的にニュースで放送された。裏社会と繋がりがある村長や、そんな村長に洗脳されてしまっていた住人。ほぼ全ての国民が聞いたことすらない村で起こったその凄惨な内容の未成年連続誘拐事件は、結果的には犯人である村長が自殺したという形で幕を下ろした。
……ニュースではそう報じられているが、野坂は本当に自殺をした訳じゃない。あの後、杏樹が色々な拷問をして、繋がっていた裏社会の人間についてや鈴佳についての事を全て吐かせた上で、最後は全身の骨を折りジワジワと痛めつけながら殺害。この日本国内で唯一法が効かない杏樹にしか出来ない芸当だった。
「……さて、ここかな」
事件から3週間。杏樹は、都内にある病院へと足を運ぶ。そこには、岬と鈴佳が入院している。まぁつまりは、お見舞いという訳だ。岬はともかく、鈴佳がなぜ東京の病院に入院しているのかと言うと……単純に、仈湧村から鈴佳を隔離させる為だ。鈴佳は、この事件の加害者でもあり、同時に被害者でもある。村長が死んでいるとはいえ、あの村に居たら、まだ洗脳が解けていない住人が彼女に危害を加えたりしてもおかしくはない。とりあえず体が治るまでは、警視庁に近いこの病院に入院することになったのだ。
「やッほ〜鈴佳ちゃン。体の調子はどォ?」
そんな鈴佳の病室の扉を開いて、杏樹はベッドに座る鈴佳にそう声をかけた。
「わ、朽内さん……! え〜と……胸はまだ痛みますが、腕は結構治ってぎだみたいです」
「そッか、そりゃァよかった」
ベッドの隣に置いてある椅子に座って、杏樹は鈴佳を見つめながら言葉を交わした。これで3回目の面会だが、彼女に会う度に杏樹は思う。やはり抱ける女……抱かせてほしい女だなぁ、と。肌が白くて、方言も残っていて、少しだけ残る芋っぽさ。絵に描いたような田舎美人だ。あの化け物のような姿を見たことがあるから、杏樹にとっては尚更だ。
軽く前屈みになって、自身の指と指を絡めながら杏樹は再度口を開く。今日は、ナンパや口説きが目的じゃない。警戒心が薄まってきているであろう今回、杏樹は今一度事件のことについて聞いて欲しいと警視庁に要請されている。
「聞きたいコトが山ほどあるシ、今から実際聞くンだけどサ。答えたくなかッたら答えなくても大丈夫だからネ」
「……はい、私も極力は答えます」
「あのおッさんは、鈴佳ちゃンの血縁者じゃないンだよネ。いったいどうしてあの男の家に住んでたノ? 一応本人にも聞いてはいるケド……嘘ついてるかもしれないからサ。鈴佳ちゃンの口から話してほしくて」
戸籍的には、野坂の養子になっている鈴佳。しかし、野坂が鈴佳を金稼ぎの為に利用していたという確証がある以上は、ただの養子と受け入れ先という訳でもないのだろう。とにかく杏樹は、彼女についての「なぜ」が知りたかった。その脳の制限を解除する能力等も含めて。
「……長くなるかもしれませんけど、そえでもいいんなら」
少し暗い顔になって、鈴佳は語り始めた。
「私は小さい頃、仈湧村に引っ越してきました。母と父と私の、3人の家庭です。……ちょうど1年前に、私は何者がによって連れ去られました。……きっと、アイツのせいです」
やはり、鈴佳は野坂との血縁関係はないようだった。元々は母と父が居て、その2人の子供。証拠品として押収された家族写真……あの時鈴佳が見た家族写真は、鈴佳が誘拐される前の写真なのだろう。
「私を連れ去った奴らに関しては、しっかりど覚えてませんけど……妙に白い部屋で仰向げに寝てたどいうのは覚えてます」
その事についても、杏樹は拷問の際に野坂から現地を得ている。鈴佳を連れ去ったのは、ある裏の研究機関らしい。組織名や本拠地は、野坂ですらどこか明かされていないらしいが……明白なことはただ1つ。鈴佳は、その際に脳の制限を解除する能力を実験によって得たということ。
妙に白い部屋で仰向けに寝てたというのも、きっと手術中に麻酔が切れたりして意識が覚醒してしまった時の記憶なのだろう。野坂が言っていたことはきっと確実だ。痛みに耐えかねて嘘もつかず全て喋ってしまう野坂は、なんて救えない屑なのだろう。
「……そんで、……私が仈湧村へと帰された時、親は行方不明になって、私はアイツに保護されました。……その事件を皮切りに、八尺様の噂は広まって……今に至る、って感じです」
「……ふむ、なるほどネ」
鈴佳が誘拐されてどこかで実験を受けている際に、鈴佳の両親は行方不明になってしまっていた。もちろんこれも、野坂のせい。村長の家の人目につかない地下室に、2人分の白骨死体が転がっていたのが警察の捜査によって判明している。
実験によって莫大な力を得た鈴佳を利用するために、彼女の身内を殺害して、善意に見せかけて鈴佳を家に居候させる。家に住ませてもらっている鈴佳は、逆らうことも出来なければ、野坂を疑うということも出来ない。これが野坂の策略だった。
「親の事とかは……もう聞いちゃッてるンだっけ?」
「はい、聞いでます。……私が例の八尺様だってことも」
悲しそうな複雑そうな、そんな顔を浮かべて無気力そうに呟く鈴佳。そんな鈴佳を見かねたのか、杏樹はおもむろに立ち上がり、彼女を優しく抱きしめた。
「大丈夫だヨ。これからの人生は全て鈴佳ちゃンが決めていいンだから、辛い過去のコトは忘れても……きっとお母さンもお父さンも許してくれるサ」
適当にその場で考えた慰めの言葉を、杏樹は彼女にかける。可愛い女の子には、まずは優しく接すること。それが杏樹の、女の子を堕とす鉄則の1つである。
「…………く、朽内ひゃんっ……!」
「ン?」
「息が…………」
感涙でもするのかと思いきや……、鈴佳は息苦しそうに杏樹の背中を叩く。どうやら、鼻と口が両方とも杏樹の胸によって塞がれて、息が出来ない状態になっていたようだった。
「あァ、ごめんごめン……」
杏樹はそれを聞くと、すぐに彼女を胸から離してやった。それから30分程度、杏樹による病室での事情聴取が続いた。
「……よ〜し……とりあえず聞いとけッて言われたコトは聞けたシ、可愛い反応も見れたシ……岬ちゃンの病室に寄ってから帰ろ」
鈴佳の病室を出た杏樹は、次に岬の病室へと歩いて向かう。鈴佳はきっとこれから、都内にある児童養護施設に身を置くことになるだろう。養子として誰かの家庭に住ませてもらうのは、本人曰くもう懲り懲りらしい。それに、その高い身長故勘違いされることもあるが、彼女はまだ16歳。同じ世代の子供達は、4月から高校2年生という世代である。仈湧村に居る頃は高校に通わせてもらえなかったらしく、鈴佳はどうやら定時制の高校から再スタートするらしい。
身長だけでなく、考えもしっかりと大人びている。過去にどんなことがあっても、巻き返せない人生というのは存在しない。普段は人情なんて湧かない杏樹も、不思議と鈴佳のことを密かに応援してしまっていた。
「え〜……ココだネ」
病室に掛けられている表札に書いている名前を確認してから、杏樹は病室の扉を開く。
そこには、ベッドに横たわる岬……そして、杏樹が見たことの無い人物が隣の椅子に座っていた。白く綺麗な長い髪をセンター分けにして、その後ろの部分はお団子にしている人物。胸には特徴的なネックレスを掛けていた。年齢は……岬の妹とか、それくらいの年代だろうか? その雰囲気は、杏樹と同世代くらいという印象を与えた。
「お……杏樹。もう終わったのか、早かったな」
「ま〜ネ、大人しく話してくれたし。……その子は?」
どタイプ……とまでは行かずとも、中々に可愛らしい女の子。紹介してもらわない訳がない。にへら笑いを浮かべつつ、2人に近づきながら杏樹は問いかける。
「あぁ、お前はまだ見たことがないか。この子は
「へェ〜……昔の警部さンくらい凄いじゃン」
「私もそこまでじゃない。推薦でやってくる程のエリートなら私は今頃もっと上だ」
警視庁にやって来るには、筆記試験や警察署で実績を上げてのスカウト等、様々な方法がある。きっと彼女、黒音は交番勤務から手柄を上げて推薦で一気にのし上がってきたのだろう。つまりはエリートという訳だ。満更でも無さそうな顔を浮かべた後、黒音は椅子から立ち上がって杏樹へと近寄っていく。
「もしかして、貴女が噂の正義執行人の朽内杏樹さん……!?」
「し〜。大きな声はダァメ、周りにバレたら面倒だヨ」
「やっぱり……!」
興奮を抑えきれない様子で、黒音は杏樹の手を掴んで無理やり握手をする。悪い気は全くと言っていいほどしないため、杏樹は手を離そうとしたりはしなかった。
「清水先輩から話は聞いてたんですけど……いくつもの凶悪な事件を解決する凄い人が居るって! 私の憧れです……」
キラキラと目を輝かせて、にこやかな笑みを浮かべながら黒音は杏樹へとそう伝える。警視庁の人間で、ここまで杏樹に友好的な姿勢をとる人は居なかった。なんだか嬉しくなって、杏樹は思わず笑みをこぼしてしまう。逆に女に詰め寄られるというのは初めてだから、単純な思考になっていた。
「……アは、初めてそんな事言われた。どう? 今度一緒にお茶でも……」
ナンパを始めようとしたその時、杏樹はベッドから強烈な視線を感じて口を閉ざしてしまう。いったい何を言おうとしてるのか分からずじまいな黒音は、その感情がもろに顔に出てしまっていた。
「悪いな咲沢、そろそろ時間だ」
「あ、わかりました! こんな忙しい時にお見舞い来ちゃってすみませんでした……」
「いや、それは別にいい。お見舞いに来てくれて嬉しかったからな。それに、お前が憧れてる杏樹本人にも会えたんだ……いい経験になっただろ?」
「はいっ、私も朽内さんみたいになれるように精進します!」
杏樹から離れて、急いで帰る準備をしながら黒音はそう話す。夏怜とはまた別ベクトルな元気。空元気にはならず、これでしっかりと警察として結果を残しているのだから、警察という職業は分からない。岬のような真面目な人間、遊馬のような厳しい人間、黒音のような元気な人間。それら全ての人物に共通していることは、警視庁という大規模な組織に相応しい人間であるということ。
2人に軽く礼をして、黒音は病室から去っていく。彼女が座っていた椅子に座って、杏樹は脚を組みながら口を開いた。
「懐かしいなァ、昔の岬ちゃンを見てるみたいだッたよ」
「あんなに懐いてる訳ないだろ。むしろ初対面の印象は最悪だったしな」
「ェ〜、そうだったっケ? 全然覚えてないや」
仈湧村での事件も終わって、今しばらくは、安息の時。嵐の前の静けさと言わんばかりに、ここ最近は目立った事件等が起きたりしていなかった。過去のことを思い返しながら、2人は病室で話を進めるのだった。