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第16話 駅弁





 1月の中旬。正月シーズンは終わって、学生にとっては冬休みも終わってきて……段々と日本全国がいつもの生活に戻ってきた頃。今年初めての仕事が入ったようで、杏樹は警視庁へと呼び出されていた。

 事件の概要を聞く時にいつも使う部屋に入ると、部屋には岬が居た。……それと、もう1人。いつも自分が座っている椅子に、夏怜が座っていた。この部屋に杏樹以外の人間が招集されるのは、初めてのことである。隣には空いている椅子があり、そこに座れと言わんばかりの目線を2人は浴びせる。


「……ほら、言ったろ。こういう寒い日は絶対に遅刻してくるって」


「んはっ、清水さんの言う通り! ジャスト5分で遅刻……逆に凄いなぁ」


 杏樹が空いている席の方へと移動している時、岬は口を開く。この部屋に杏樹が来る前まで、2人はある賭けをしていた。それは、杏樹が遅刻するか遅刻しないかという口先だけのギャンブル。これまでの経験で鍛え上げられた洞察力で、岬は見事そのギャンブルに打ち勝っていたのだ。

 いつの間にそんな気楽に話せるほど仲良くなっていたんだ……なんて思いつつ、杏樹は席へと座る。クリスマスイブの夜、怪盗ヴァイパーとして夏怜が変装していたのは岬の姿なのだから、むしろ不仲になっていてもおかしくはないはずなのに。きっと、初めての正義執行人が杏樹というしつこい女好きだったから、感覚が麻痺しているのだろう。


「遅れてすいませ〜ン」


「……まぁいい、夏怜ちゃんと仲を深める時間になったしな」


 あたしにはちゃん付けして呼んでくれないのに〜。頬を膨らませながら、杏樹は岬を見つめる。そんな杏樹をフル無視して、岬は腕を組みながら再度口を開いた。


「さて、本題に移ろう。今回お前らに解決してもらいたいのは……この都内ではなく、青森県のある村で起きている事件だ」


 今日依頼される事件が正義執行人として初めて解決する事件の夏怜には分からなくて当然だが、杏樹はもうこの時点で今から言われる事件の異常性をなんとなく勘づいていた。都外で正義を執行することは、極端に少ない。あるとしても1年に1回や2回といった所だろう。

 その理由は単純。年々増加していた正義執行人が解決するような凶悪な事件は、そのほとんどが何故か都内で起こっているからだ。都内で起こっていないという時点で、かなり珍しい凶悪事件と言えるだろう。


「その村に住んでいる未成年の子供が、次々と何者かによって連れ去られているとの事らしい。詳しいことは村長から聞けるらしいが……」


「そういう系か〜……。面倒臭いンだよね、そういうのは大体闇が深いから。夏怜ちゃンは犯人探しとか得意なクチ?」


「犯人探し……? う〜ん……ボクは探偵漫画すらまともに読んだことないから、あんまり役に立てないかも……」


「今回は雰囲気や動きに慣れることが出来たらとりあえずはいいとする。役に立てなくても、頼もしい先輩が解決してくれるから大丈夫だ」


 少し不安そうな顔を浮かべる夏怜に、岬は優しくそう返答する。杏樹との対応が、やはり180度違う。何故同じ正義執行人なのにこんなにも対応が違うのか……。足を組んで、杏樹は頭をポリポリと掻きながら心の中でそう思う。


「……ハードル上げてきてるケド……、地の利とかは犯人にあるだろうからサ。中々難しいと思うヨ」


「まぁ、お前なら大丈夫だろ。都外の事件の解決を失敗した事なんて1度もないんだから、いつもの様にやればいい」


 簡単に言ってくれるなァ、なんて笑みを浮かべながら、杏樹は頬杖をついて岬と目を合わせる。自分は役に立たないかも、なんて少しネガティブな発言をした夏怜だが……彼女はまだ、自身がどれほど有能か知らない。簡単に気絶をさせることが出来る麻酔針や、高クオリティな変装、閃光弾を真似た閃光カード。怪盗として使えることは、捜査にも勿論使える。彼女以外の人間からしたら、役に立たない訳がない。

 杏樹も岬も、それを理解していた。だから夏怜を正義執行人に推薦したのだ。ただの狂人じゃ、正義執行人は務まらない。頭脳明晰で、その頭脳に負けない体を持っている、杏樹のような人間が最適解という訳である。夏怜は、それになりうる才を持っている。


「詳しいことは近いうちに連絡する……と言いたいんだが、事件が現在進行形で進んでいる以上、そんな甘えたことは言ってられない。出発は明日の昼だ。数日分の着替えや武器を持って、12時に東京駅集合」


「えっ」


 あまりにも突然なその命令に、夏怜は思わず驚きの声を出してしまう。流石に、出発が明日というのは早すぎる。だが、仕方ないのだ。半ば理不尽な事も、事件解決のために実行しなければいけない。正義執行人になったのだから。


「県外に行く時はコレが嫌なンだよネ〜。前々から言ってるケド、もっと早く通達出来ないノ?」


「この事件の解決が上から正義執行人に任されたのは、今日の朝のことだからな。これでも最短だ」


 明日の昼、この3人で、現地へと向かう。未成年の子供だけが連れ去られるという、いかにも闇が深そうな事件を解決しに。





















「あ、めるちゃン。おはよ」


 珍しく遅い時間に起きてきためるに、杏樹は言葉を交わす。


「おはよ〜……。……どっか行くの?」


 キャリーケースに荷物を詰める杏樹の姿を見て、めるは口を手で覆い欠伸をしながらそう問いかける。いつも軽装で行動している杏樹がキャリーケースなんて、珍しい。


「そうそう、今日から数日間お仕事で青森にネ」


「へ〜。……え? 青森? しかも数日間!?」


 杏樹が何気なく言った言葉に、めるは絶句する。そんなこと聞いていないから、当然の反応だ。昨日の夜は、杏樹の空いてる時間とめるの空いてる時間がどうも噛み合わず、中々話す時間がなかった。だから今日このようなことになってしまっている。


「どうせ今日この時間帯に言えるから、別にメールとかしなくてもいいカナ〜と思ッてたケド。ダメだった?」


「いや〜……ダメ、じゃあないけど……。急すぎてびっくりしちゃった」


 もう昼の時間帯だというのに、まだ少しばかり眠気が残っていたが……杏樹の発言で、めるの眠気はすっかり飛んでしまった。


「あたしもビックリだヨ、昨日言われたンだから」


「え〜……昨日? そういうの、去年の4月とかにもなかったっけ」


「ァ〜、あったネ。あの時は大阪だッたから良かったケド……。この季節の青森ッていうのがネ」


 そう。去年の4月にも、実は同じようなことが起きていた。大阪で起きた、あるテロ組織による通天閣占拠事件。杏樹によってあっという間に制圧されたのだが……、その時も緊急性を重視して、事件が起きた直後すぐに杏樹と岬は新幹線で大阪へと向かった。その時以来の、急な出張である。


「こんな寒いのに、東京よりもっと寒い青森まで行くんだから……大変だね」


「でしょ? この後すぐ東京駅行くンだケド、ちゃんとした防寒具とかも持ッてないからサ〜。想像以上に寒すぎて死んじゃうカモ」


「ちょっと、縁起悪いこと言わないでよ。……はい、これ」


 床にしゃがみながらスーツケースに入れた物を確認する杏樹へ、めるは言葉を交わしながらある物を渡す。それは、いつもめるが着用している防寒具一式だった。可愛らしいニットの帽子に、白色のマフラー、モフモフとした手袋。いつも黒色を基調としたコーデを着る杏樹には似合わないようなものばかりだった。


「向こうだと冷えるでしょ。仕事中に風邪でも引いたら迷惑になっちゃうから……外に居る時は、絶対これ付けてね。ダサいとは思うけど」


 杏樹の手を取り、返事を聞く前に小指同士を絡めて、勝手に指切りげんまんをし始めためる。杏樹は、思わずにやけてしまった。めるのしている事が可愛らしくて、子供のようで。少しだけ、心の奥底へとしまっていた記憶が呼び起こされてしまった。


「…………ふふ、めるちゃンは優しいなァ」


 若干硬直した後、そんな言葉を告げながら杏樹は時計を確認する。予定していた家を出る時間は、少しだけ過ぎていた。めると喋っていると、毎回時間のことを忘れて話しすぎてしまう。杏樹の悪い癖だ。


「じゃ、行ってくるネ。時間があればお土産でも買ッてくるヨ」


 流石に、2日連続の遅刻は岬に殴られる。そう思って少しドタバタしつつ、スーツケースのチャックを閉めて……急いで立ち上がり、杏樹は玄関の方へと向かう。


「ん、よろしく。行ってらっしゃい、気をつけてね」


「は〜イ、帰る日は連絡するネ〜」


 律儀に、パジャマ姿のまま玄関までお見送りをしてくれるめる。そんなめるに笑顔で受け答えして、スーツケースをカラカラと引きながら、杏樹は外へと出ていった。











「……なぁ、今日もあいつは遅刻してくると思うか?」


 一足早く集合場所について合流した岬と夏怜。……11時58分になっても、近くに杏樹が居るような気配はしない。腕時計を何度もチラチラと確認しながら、岬は防寒具等をバッチリ着用してきた夏怜にそう問いかける。


「え〜……流石に無いと信じたいけど。あんな性格の杏樹ならありそうで怖いというか……」


「こういう大事な時とかは、大抵杏樹は遅れてこない。前日とかに遅刻していると尚更な」


 だが未だ来ていないじゃないか……というツッコミがすぐそこまで出かかったが、何とかその言葉を夏怜は飲み込む。そして、時刻が正午に差し掛かった時……後ろから2人に話しかける者がいた。


「いやァ〜……危ない危ない。遅刻するとこだッた」


「半分遅刻だ」


 少しだけ息を切らしながら登場した杏樹。4年近くは一緒に仕事をしているからか、杏樹が来るタイミングなどをすっかり熟知している岬は、予想通りと言わんばかりの顔を浮かべてすぐさま杏樹にそう返答する。杏樹が一方的に岬を好いているように見えるが、実の所はもはや恋人なのでは……? 夏怜は2人の会話を黙って聞きながらそう考えていた。


「車内へ行く前に……お前ら、昼食は済ませてきたか? ここから青森までは3時間くらいかかるぞ」


「ア。全然忘れてた、てへ」


「ボクは朝ご飯でお腹いっぱいになったから食べてないや……。途中でお腹空いちゃうかも」


 ちょうど昼時の時間に集合だから、昼食を食べていないという奴も居るだろうと思って岬はそう問いかけた。そして、その問いは見事2人に的中した。


「……45分発のヤツに乗れればいい。それまでの短い時間は自由だ、適当な駅弁でも買ってこい」


 そんな2人を案じて、岬は見計らっていたかのようにそう告げる。


「駅弁? 駅弁かァ……いいネ」


「あ〜……お財布、スーツケースの中に入ってる……杏樹は先に行ってていいよ」


 財布を使うと思っておらず、スーツケースの中に入れてしまっていた夏怜は、変な想像を湧きたてる杏樹へそう伝える。旅行などで経験したことがある人も多いだろう。旅の道中で必要なものがスーツケースの中に入っていて、仕方なくどこかでスーツケースを広げるということ。正直、非常に面倒くさい。荷物を詰めていればいるほど、尚更だ。

 面倒な顔で駅構内でスーツケースを広げようとする夏怜の目の前に、岬はあるものを突きつける。


「経費で落としておく。それで2人分だ、早く行け」


 その突きつけた物とは、1万円札。報酬なんて払われたりしない正義執行人という仕事だが……、これは岬による好意。これまで数々の事件を解決してきた杏樹へ、これから数々の事件の解決するであろう夏怜へ。報酬はこれっきりだ。


「ぉ〜……岬ちゃン太っ腹!」


「あ、ありがとうっ! 急いで行ってくる……!」


 その1万円札を受け取って、夏怜と杏樹は駅弁が売っている場所へと歩いていく。平日だからか、いつもは混雑している駅弁売り場も、今日は並んでいたりしていないようだった。

 経費で落とすとか言ってたし、少しお高いやつにしちゃう? なんて2人で話していると……背後から2人に話しかける男数人のグループが居た。


「お姉さん達、どっか行くの〜? よかったら時間が来るまで遊ぼうよ」


 気持ちの悪い笑みをニヨニヨと浮かべながら、杏樹と夏怜をナンパする男。その背後には、5人程のガラの悪い男が居る。もう少し人を選んでナンパしなよ……なんて思いながら、杏樹は夏怜の盾になるように前に出て口を開く。


「悪いケド、すぐに出ちゃうからそンな時間無いンだよネ」


 確かに、ナンパをよくするような異性から見れば、スタイルも良く、露出の多い格好をしていて色気のある杏樹は、ナンパせずにいられないような人物。それに加えて、杏樹とは違うタイプの可愛さで胸も大きい夏怜も居る。男達にとっては格好の的だろう。


「じゃあ連絡先だけでも!」


「ァ〜ダメダメ。最近スマホなくしたから。あと、ナンパするヤツは世界で1番嫌いだシ」


 杏樹が変な言い訳をすると、ナンパをした男は後ろに居る仲間の方をチラッと向き、合図のようなものを送る。すると、男達はゾロゾロと動き出して、杏樹と夏怜を体で囲い始めた。


「まあいいじゃねぇの……旅行なんかより俺らと遊ぶ方が楽しいぜ?」


「ほら、スマホくらい持ってんだろ。大人しく出しとけよ」


 ガラの悪い男達が、無許可で2人の体を触ろうとする。そこそこガタイも良く、人数も多く……並の女性ならば絶対に太刀打ちできないような状態。並の女性ならば、というのが肝だが。


「触ッたら割と本気でボコしちゃうカモ」


「ボクを触っていい男は師匠だけだ」


 杏樹の体を触ろうとした男の腕を掴むと、杏樹はその腕をギリギリと凄まじい握力で圧迫する。一方夏怜はというと、さっき岬から貰った1万円札を男の目前で止めて、これ以上近づいたらコレで切りつけるぞと言わんばかりの顔をした。

 さっきまでの、ただ色気がある、ただ可愛い、そんな女性はどこへ行ったのやら。男達は、一瞬にして怖気付く。杏樹の殺意に、夏怜の雰囲気に……あっという間に圧倒された。


「も、もういい! 行くぞお前ら」


 杏樹に腕を掴まれた男は、冷や汗をかきながら急いで手を振り払い、声を荒らげてそう言う。2人を囲んでいた奴らは、急いで男について行ってしまった。


「……ダッセ〜ヤツ。そンなに女を侍らせたいなら手出せばいいノに」


 最近は、櫻葉にレナ、怪盗ヴァイパーと、強者との連戦続きだった。久々にこんな退屈な争いをしたな……なんて思って、杏樹はため息をつく。


「だって杏樹、やる時になった途端怖いじゃん。一般人じゃ手出せないでしょ」


「エ〜、酷くない? あぁ、あと……さっき言ってた師匠ッてダレ?」


「…………それは多分杏樹の聞き間違い! ボクはタコシショウって言った!」


「タコシショウ……あの芸人の? 夏怜ちゃンってとんでもない性癖持ってたンだネ」


 ナンパを難なく受けこなした2人は、そんな会話をしながら駅弁売り場へと歩いていった。

















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