1年が終わる日、大晦日。皆、思い思いの場所や人と年越しを迎える。警視庁も、12月29日から1月3日までは正月休み。30日に杏樹と岬は警察署に行ったが……普段ならばありえないこと。今回限りの特例である。
つい最近までクリスマスムードで洋風に彩られていた街並みは、すっかり日本の風情を感じるような和風に変わってしまっていた。河川敷で羽子板や
そんな中、杏樹はというと……。
「ちょっとぐらいええや ~ ん 、 ケチんぼ!」
「なんぎな子やなぁ……どうしたら諦めてくれるんやろ。なぁ杏樹ちゃん」
「教えてあげたらいいじゃン! 多分これは諦めないでショ」
「もぉ……うちの味方居らへんわ」
都内のある居酒屋で、真っ昼間から飲み会をしていた。メンバーは、風見鳥組の若頭である花恵、大型マフィア百鬼の幹部である京、そして杏樹の3人。混沌としすぎているメンツだ。
そろそろ外が暗くなってくるという17時頃、3人はかなり酔っていた。3人共あまり酔わないような体質だが、悪ふざけで一気飲みをしたり度数が高いのを頼んだりしていた為、泥酔するのはもはや当たり前だった。今彼女達が話している内容も、京が京都弁を花恵に教えてもらいたいとひたすら懇願するという会話。カオスの極みである。
「あ ~ ……もう17時半かぁ」
ふと開いた携帯に書かれている時刻を見て、京は徐にそう呟く。
「あらぁ〜、ほなそろそろ解散せなあかんわぁ。うちの組で恒例の会あるし……」
「せやな、ウチも年越しは可愛ええお嫁さんと過ごしたいし」
「ェ〜、みンな帰っちゃうノ〜? まだまだ飲めるのに、ザンネン」
机の上に残っている酒や料理を片付けて、3人はそんな会話をする。極道には極道なりの、マフィアにはマフィアなりの居場所があるようだ。誰かと年を越す居場所が。普段は感情を顕にしたりしない杏樹が、少しだけ寂しそうな顔を見せた。酒の力というのは偉大だ。この寂しいという感情は、少しだけ本当。
というのにも、ちゃんとした理由がある。今杏樹がめるの家に帰っても、家には誰1人居ないからだ。今年の正月は、実家に帰省して家族と共に時間を過ごす、とめるが言っていた。やはり、大抵の人間には居場所というものがあるらしい。ついていく訳にもいかないし、杏樹は年越しを1人で迎えることを覚悟していた。覚悟した上でも、やはり少しは寂しい。
「……ンじゃ、アレをやって終わりにしよッか」
帰りの準備が1番早く終わった杏樹は、2人に向かってそう告げる。
「……金は持っとるからええで、かかってこいや」
「男気ジャンケン、ってやつやんな? ほならうちはチョキを出すわぁ」
「でたでた、花恵ちゃンって駆け引き好きだよネ〜」
「じゃあウチはパー出すわ!!」
さっきまで泥酔していた2人も、杏樹の言葉を聞いて、すっかり雰囲気を変える。そう、今から彼女達がやるのは……勝った人が全員の頼んだ料理や酒を支払う、勝ったら負けの男気ジャンケン。ある程度金を持っている彼女らにとっては、娯楽に近しいことだろう。
しかし、彼女達は人一倍の負けず嫌い。花恵も京も裏社会の人間だから、競走する時はいつどんな状況だって本気だし、いつもは乗らない杏樹も酒の力によって勝つ気満々だ。
「……よぉ ~ し……杏樹ちゃん、コールは頼むで」
「小細工無しの一発勝負、やり直しは効きまへん」
「……行くヨ〜? 男気ジャンケン、ジャンケンポイッ!」
「…………ハァ〜……まさかあたしが勝ッてしまうとは……」
寒空の下、杏樹はコートに手を突っ込んで、そんな独り言をボヤきながら歩く。あの時、まさかの一発一人勝ちによって、杏樹が全額支払いという結末になった。財布の中身はスッカラカン、という訳でもないが……居酒屋から家は、割と歩ける距離。タクシーやバスを使っては流石に金の無駄だと判断し、杏樹は家まで徒歩で帰ることにした。
「……ま、いッか! 酔い覚ましになるシ」
あの時ジャンケンに勝っていなかったら、徒歩で帰ることは無かっただろう。外を歩けば、そのあまりの寒さに自然と酔いが覚めていく。何事もポジティブに捉えることは大事だ。
しばらく歩いていると、何やら見た事のある人物が前から歩いてくる。もう外は暗くなってきているが、見慣れたその顔を見逃すということは、余程酔っているとかじゃない限りは滅多にないだろう。
「……おぉ、杏樹か。どうした、こんな所をほっつき歩いて」
杏樹にそう声をかけるのは、約1週間ぶりの岬。いつも着ている警官の制服ではなく、黒色の縦セーターを着ていたが……流石に顔とかは変わらないし、雰囲気でなんとなく分かる。普段の杏樹ならば、その服装を見たらすぐにセクハラ発言を放つのだろうが、今日は酔っているからかあまりそういう気にはならなかったようだ。
「飲み会の帰りだケド、そういう岬ちゃンは?」
「これから私の家で同僚達と遅めの忘年会をやるんだが……それの買い出しだ」
「ナルホド」
確かに意識はしていなかったが、よく見ると岬はレジ袋を手にぶら下げている。ちらりと覗く長ネギや薄く透けてる肉や野菜を見て、杏樹は勝手に「鍋かァ」なんて想像していた。
「…………、お前も来るか」
しばらく無言の刻が続く。いつもは、マシンガントークとまでは行かないがかなり喋りかけてくる杏樹が、全く話しかけてこない。さっき飲み会がどうとか言ってたし、酔ってるからだろうか? そんな杏樹を見かねて、岬は杏樹にそう問いかける。
「行きたいケドぉ……あたしが行ったら、絶対この世の終わりみたいな雰囲気になるデショ」
「まぁそうだろうな」
「大人しく引いておくよ。楽しんでネ〜、岬ちゃン」
警察の中に1人だけ警察じゃない奴が居る、というのもなんだか気まずい。それは流石に杏樹でも理解出来た。それに、岬が特殊なだけで、警察のほとんどは男。全国の警察官の男女比率で、女性の警察官は約5パーセント程度だというデータも出ている。女が居る場所ならまだしも、男がうじゃうじゃ居そうな所には行きたくない。
杏樹は、いつものにへら顔で岬に別れを告げて、手を振りながらまた帰路に着く。
数十分歩いて、めるの家がそろそろ近くなってきた頃。酔いも8割程度抜けてきて、まあ残り5分ぽっちで家につくだろう、という時……またもや見た事のある人物が前から歩いてきた。ただし、さっきのような岬1人、という訳ではなく……その人物は、見知らぬ誰かと歩いているようだった。
「……アレ、夏怜ちゃン。昨日ぶりだネ」
「く、朽内さん……!? なんでこんなとこに……?」
杏樹に話しかけられた夏怜は、驚愕の顔を浮かべながらそう言葉を返す。一応正義執行人としての先輩だし、この前優しくされたという経験もあるし……夏怜は立ち止まって杏樹と話をする。
「ただの偶然。あ〜、あと……堅苦しいノは無し。杏樹ッて呼んで」
「……あ、杏樹……? ……分かった」
気になるのは、夏怜の隣に居る背の高い男性。夏怜とは全く顔や雰囲気が似ていないし、2人の距離感などから推測するに血縁者ではない。いったい何者なのだろうか? そう杏樹が思っていると、夏怜の隣に居る男性が口を開いた。
「……夏怜、この方は?」
高すぎず低すぎず、落ち着いている声。三十路前半といった所だろう。それに、杏樹のような女好きじゃなければきっとすぐに惚れている甘いマスク。強い魅力を持っているその男は、夏怜にそう耳打ちをする。
「んと、この人は……朽内杏樹さん。ボクが昨日色々お世話になった人です!」
「あぁ、昨日話していた人か。……成程……」
本当に軽い説明が終わると、男は杏樹の方を向いて、微笑みかける。その瞬間、杏樹の8割がた抜けていた酔いが、跡形もなくサッパリと抜けた。これまで戦ってきた誰よりも、彼は強い。心技体、全て自身と同等……もしくはそれ以上? 杏樹は、本能からそう感じていた。
「夏怜の親戚の、
いつもの杏樹なら、男に興味は無いからと誘いをはっきり切り捨てているが……この蛇川という男を前にすると、その断る言葉が出なかった。圧でもない、殺気でもない、あるオーラ。これまで彼が紡いできた、自分自身の歴史……それがオーラとしてそのまま現れていた。歴戦の猛者の雰囲気がした、と言えば分かりやすいだろう。
確実に一般人ではない雰囲気を体で感じつつも、その雰囲気に呑まれるほど杏樹は弱くない。微笑みには微笑みで返し、言葉には言葉で返す。それが強者と相対した時の礼儀というもの。
「……えェ、夏怜ちゃンとはこれから長い付き合いになると思うノで。その時は是非、お茶でも勝負でも」
薄々その蛇川の強さに勘づいているということをアピールしながらも、杏樹はそう言葉を返した。蛇川は、その挑発とも取れる言葉を意にも介さず、紳士の対応で頷いてみせた。
「……それじゃあ、そろそろ行こうか。夏怜」
「あ、は〜い! じゃあね杏樹!」
得体の知れぬ蛇川という男と、無邪気に杏樹に笑いかけて手を振る夏怜。2人はいったいどういう関係なのか推測しつつ、杏樹は夏怜に手を振り返しながら口を開いた。
「またネ」
めるの家の扉を、合鍵で開く。帰って早々、お風呂を沸かす。冷蔵庫に入っている、昨日めるが作り置きしてくれた料理を温める。きちんと食べておかなきゃ、帰ってきためるに怒られてしまう。
少しだけ温い料理を箸で摘んで、口に運ぶ。温め直すのも1つの手だが、熱すぎるのも癪だし、何より面倒だからやめておく。食べている途中で立ち上がり、沸かしていたお湯を止める。料理が温いのはいいとして、お風呂の湯が温いのは少し嫌。なるべく早めに箸を動かして、料理を平らげる。
食器をサクッと洗って食洗機に突っ込んで、脱衣所へと向かう。本来ならば、酒を飲んだ後に浴槽には浸からないが、今日はもう酔いが覚めてしまっている。ガヤガヤとした正月も、ゆっくりと出来る正月も、どちらも良いものだ。服を脱ぎながら、杏樹は考える。
「…………ふゥ〜……、」
先にシャワーで体の温度を慣らしてから、杏樹は浴槽に肩まで浸かる。そして、大きなため息をついた。
皆、それぞれ、居場所がある。仲間と共に過ごす者。大切な人と共に過ごす者。家族と共に過ごす者。……あたしにとって、大事な時を一緒に過ごす存在は、いったい誰なんだろう────? 仲間も居ない。家族も居ない。大切な人は……、1人だけ思い当たるけれど、それが大切なのかどうかは分からない。
茹だる頭で、杏樹は考える。自分は皆とは違うということが、普通だと分かっていた。それが、人を壊すという才能を持った人間の運命だから。分かっているのに、納得できない自分が居た。天才だから孤独であるべきなのだろうか? 或いは、強すぎるから孤独であるべきなのだろうか?
今までは、その寂しさをどうにかして埋め合わせてきた。女を抱いて、人を殺して、誰かと会話をして。今日これ以降は、それが出来ない。めるが帰ってくるまでは、無力な1匹の獣に成り果てる。孤独な1匹の獣に。
「……きンもちワル〜……なんだソレ。文豪気取りか、ッてノ。たかが数日1人で過ごすだけなンだから、バカンス気分で楽しんじゃエ!」
肩まで使っていた湯船から、勢いよく杏樹は立ち上がる。さっきまでのネガティブな思考が嘘のような明るい笑みを浮かべて、「この後もお酒飲んじゃお」なんて呟いて。杏樹はシャワーで頭を洗い流した。