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第11話 縮退星





 レナが来た。それは、ちょうど月が雲に隠れ始めた時のことだった。

 これから暗殺をする杏樹にとっては、好機であった。電灯などの明かりが何一つ無いマンションの屋上では、月の光は眩しすぎる。辺りが暗闇に包まれたその時、杏樹もまたその暗闇の一部と化した。


「……こちら岬。容疑者は現在、非常階段から屋上へ向かっている。……もうすぐだ、準備は出来てるな」


 耳に嵌めたインカムから、そう岬の声がした。非常階段がギリギリ見える位置へ止めた車の運転席から、岬はずっと非常階段近くの様子を監視していたのである。レナがその非常階段を使って屋上まで上ってくる、その時が来るまで。

 レナが来たのは、深夜2時34分。どこかでまた事件を起こした帰りだろうか? そんなことを考えながら、岬は杏樹へと伝達したのだった。


「……」


 レナが屋上へと近づいてきている今、声を出すわけにはいかない。バレてしまっては困るから。心の中で岬に「バッチシ」なんて返事をしながら、杏樹はゆっくりと銃口をレナが来るであろう方へと向ける。現在杏樹が居るのは、屋上の角。塔屋へ真っ直ぐ向かうなら、確実に気づかれはしないであろう場所である。

 コツ、コツ、コツン。鉄骨で作られた階段を歩く音がしてくる。その音は段々と、屋上に近づいてきていた。レナの命が無くなってしまうカウントダウンのようにも聞こえる。

 そして、その時がやってくる。レナが非常階段を伝って屋上へとついた瞬間。その目立つ白黒の髪、頭部へと即座に標準を合わせて────、杏樹は無情に引き金を引いた。


「…………警察がそんな事しちゃっていいの?」


 まさか銃弾を避けられた上、そんな言葉をかけられるなんて微塵も思っていなかった杏樹は、似合わないような唖然とした表情を浮かべる。

 これまで杏樹が過去に解決した事件の犯人の中で、杏樹が放った銃弾を避ける器があった人は、せいぜい居ても5人居るか居ないかという程度。しかも、以前戦った櫻葉のような、裏社会で育ってきたような人物がほとんどだ。

 だが、今銃弾を避けたレナはどうだろうか? 数ヶ月前までは本当にただの一般人で、銃は愚か刃物すらまともに扱ったことがなさそうな少女だったレナ。そんな彼女が、たかが数ヶ月で銃弾を避けることの出来る器に進化した……? 普通はありえないことだ。普通ならば。


「ザンネンだけど、あたしは警察じゃないからセーフなんだよネ」


 身を屈めながら射撃する体勢だった杏樹は、奇襲の失敗を受けてか、銃口は変わらず向けたままその場に立ち上がる。だが、杏樹は薄々と感じ取っていた。きっと、レナへ正確に銃弾を当てることは出来ない、と。殺気とはまた違う、得体の知れないオーラがレナからは出ている。これまで戦ってきた強者とは全く違う、気持ちの悪いオーラだ。


「……うンにゃ、カメラ越しに見るよりも幾分か可愛いネ。困ったナ……抱きたくなッちゃう」


「……君、女の子でしょ? なら抱かれてあげてもいいけど」


「う〜ン、山々なんだけどサ。お仕事はちゃンとしないと怒られちゃう」


「そっか」


 返事をすると共に、レナは少しばかり微笑んだ表情を見せる。奇襲の失敗、すなわち戦いの始まりを告げるかのように、暗雲に隠れていた月が姿を現し始めた。月明かりに照らされたレナの笑顔は、綺麗であり、また、奇妙だった。

 だが、微笑みかけるばかりで、レナは刃物などを出す様子が一切ない。武器を持っていない、というよりかは……果敢に交戦する気がないようだった。杏樹と相対した人間は、誰もが自分の死を予感して、殺られる前に殺るといった精神で戦おうとするのだが……妙に不気味だった。


「戦う気、ないノ?」


 銃を撃つ訳でもなく、杏樹はレナにそう質問してみる。興味本位で聞いてみた、というのもあるが……。1番の理由は、これ以上拳銃を使いたくないから。

 銃弾が当たりそうにないから使いたくない〜、という訳ではない。現在彼女たちがいるのは、マンションの屋上……とはいえ、住宅街。銃声という馬鹿でかい音を鳴らし続ければ、いずれ近隣の住民などがその音で起きてきたりしてもおかしくはない。絶対に一般人に知られてはいけない、正義執行人という仕事。それを完璧に隠し通すために、杏樹は拳銃以外の方法でレナを処理する方法を考えていた。


「当然ないよ。男ならすぐ殺してたけど」


 考える暇も与えないくらいの即答で、レナはそう答える。やはり、レナは男という性別に対して強烈な嫌悪感を持っているようだった。過去の事件が、彼女の人格を変えてしまったのだろう。女は当然守られるべき性別で、男は存在すらしてはいけない性別。行き過ぎたフェミニズム思想だった。


「ありゃ、レナちゃンみたいな可愛い子に殺されるなら本望なンだけど」


 銃口を下に向けながら、杏樹はレナにそう伝える。冗談のように聞こえるが、杏樹のことだからきっと本心なのだろう。

 拳銃をホルスターにしまうと同時に、杏樹はある刃物を取り出した。それは、バスジャック事件の時にも使用した刃物。高周波ブレードである。特別大きな音が鳴る訳でもないし、単純な身体能力によって扱われる刃物の方がレナを処理しやすそうだ。杏樹はそう感じて武器を切り替えたのだ。


「……戦う気がないなら〜、早めに降参してほしいナ」


 高周波ブレードの電源を入れながら、杏樹はレナにゆっくりと近づいていく。戦う気がないと言っていたとはいえ、だから死んでもいいという気持ちでもないのだろう。でなけりゃ最初に銃弾を避けたりはしない。


「……それも勘弁かな。まだ私にはやるべき事が残ってるから」


「……一応聞いとくケドぉ、その心は?」


 3メートルほどの間を空けて、杏樹はレナの目の前に立ち止まる。そして、刀身をレナへと突きつける体勢になって動きを止めた。


「この国から、男という性別を無くすんだ。ゆくゆくは、世界中からもね」


 自身の野望を語ると同時に、レナの黄金色おうごんしょくの瞳が、月と呼応したかのようにキラリと光る。杏樹は、レナのそんな姿を見て、感じた。この子は、人生に絶望なんかしちゃいない。むしろ、自身が作る世を楽しみにすら思っているのだ、と。


「そりゃいいネ、楽園みたいだ」


 賛同するような言葉をレナへと投げかけた、その時。杏樹は、気配もなくレナの頭部を狙って横一文字に斬り裂くように高周波ブレードを振り抜いた。タイミングを外したかのような攻撃に、レナは少しばかり反応が遅れてしまう。……しかし、常人ならば致命傷になってもおかしくない攻撃を、後ずさりしながらレナは回避をした。

 それでも、完璧な回避はしきれなかったようで、屋上にレナの長い前髪がはらりと落ちる。髪の毛が若干切れたとはいえ、杏樹の攻撃を簡単に避けるレナはやはり異常だ。攻撃面はまだ不明だが、回避能力だけで言えば杏樹が過去戦ってきた者達よりも強い……かもしれない。


「……追撃はしてこないんだ。仲間が来てくれるのを待ってるとか?」


 回避をした後というのは、隙が生まれやすい。なのにも関わらず、回避後のレナを杏樹は狙ったりせず、逆に見逃していた。警察ではないとさっき言っていたが、仲間が居ないとは限らない。無理に追撃してくるようでもないし……何かを待っている? レナは静かに推察する。


「いいやァ〜? 大事にはしたくないシ。……それに、レナちゃンからは感じるンだよね。戦う気はないッて言ってたケド、隙があれば殺してきそうな気……殺気がネ」


 持ち前の身体能力や経験などを活かした動きで攻撃していけば、いつかはレナにボロが出るかもしれない。……杏樹がそれをしない理由は、レナが何かを狙っているような顔をしていたから。得体の知れぬオーラに加えて、殺気まで現れてきた。……否、そのオーラが強すぎて、殺気すら掻き消されていたのかもしれない。


「……戦いたくないのは本当だよ。女の子は、私が守らなきゃいけない、尊い存在なんだから。でも……」


 杏樹に向かって微笑みながらそう言うと共に、レナは着ている服の袖の内側から、2本のサバイバルナイフを取り出した。杏樹のベルトについているホルスターのように、改造が施されているのだろう。


「私を邪魔してくるなら、話は別。私が死んだら、この世の治安はもっと悪くなる。……だから、正当防衛と見なして……君と戦うことにするよ」


 サバイバルナイフを両手に1本ずつ握って、レナは杏樹に向かってそう告げる。自分が守るべき女という性別を殺める決意が出来たからか、さっきまでの微笑みは無くなり、すっかり意思を固めた顔になっていた。

 片や、国家権力に頼まれて街の治安を守るために暗躍する正義執行人。片や、自分の中の正義を突き通そうと行動する猟奇的殺人犯。この2人のたった1つの共通点は、「治安を良くするために行動する」ということだけだった。


「レナちゃンは〜……、あたしに似てるかもネ」


 再度、杏樹はレナに近づく。


「……私が君に?」


「うン、……むしろレナちゃンには、余ッ程あたしよりこの仕事に就く素質があるかも。才能があッて、正義感も持ってるしサぁ」


 そんなことを伝えながら、杏樹はまたもやタイミングを外して攻撃する。先の攻撃が横一文字に斬り裂くような攻撃だったのに対して……、今度は突くような攻撃。斬るという点が強化されている高周波ブレードでの突きは、意外性があって流石のレナでも対処が出来ない。

 ……という訳でもなく、レナは冷静に攻撃を見て、華麗にするりと避けてみせた。そして、回避すると同時に、レナはサバイバルナイフで杏樹へとカウンターをする。荒さはまだ残るが……太刀筋は良い。ぼんやりそんなことを考えながら、乱暴に振られたナイフを杏樹は避ける。この場面だけでも、裏社会での抗争を彷彿とさせるような、ハイレベルな攻防だった。


「……私は、君が誰かなんて分からないし……君がどんな仕事をしているかも知らない。才能とか正義感とかも全く知らないけど……なる気はない、とだけ言っておくかな」


 カウンターを躱されれば、レナは一度崩れた体勢を戻そうと杏樹から距離を取りながらそう呟く。そんなレナに対して、杏樹は彼女の手札が分かったからか、距離を離すということはせず、すぐさま距離を詰めた。


「ンは、ソレは当たり前。今からレナちゃンは死ぬンだからネ」


 レナの笑みとは対照的な、禍々まがまがしいような笑み。この状況を楽しんでいるのか、杏樹はそんな笑みを浮かべながら、またもやレナへと攻撃をする。

 斬り、突きと来て、次の攻撃は何か。それをレナに考えさせる隙を与えず、すぐに杏樹は高周波ブレードでレナへと攻撃する。腕を突き出して、刃物の先端で攻撃する……またもや突きかと思って、同じように避けてからカウンターをしようとした瞬間。レナは見た。さっきまで自分を突こうとしていた刃物が、ぐにゃりと円を描くように自分の方へと曲がってくる姿を。


「ッは、危なっ」


 完璧な対応は不可能、当たってしまえば致命傷。そんな攻撃を、レナは紙一重で回避する。コンマ何秒間だけ刃物が命中していた頬からは、血の橋が首に向かって垂れてきていた。

 それにしても、レナの回避能力には、目を見張るものがある。常人には出せないような、凄まじい回避能力だ。リラックスした状態と緊張した状態の狭間で、高い集中力を一定時間保ち続けること……「ゾーン状態」。レナの回避能力は、きっとそれから来ているものだろう。その状態を発揮できているレナは、杏樹も認める天才だった。


「……コレは避けれるカナ?」


 発想こそあったものの、中々実現が出来なかった、ブラジリアンキックと刃物を使った攻撃の融合。当たる直前で円を描くように大きく曲がるブラジリアンキックの特徴と、高周波ブレードの切断力が上がるという特徴をフルに利用したその攻撃。それを避けられてしまった杏樹は、高揚していた。次は、いったいどんな攻撃を送ってやれば被弾してくれるのか。久しぶりに、まともに遊べる玩具を得た幼児のような顔を浮かべて。

 更なる追撃を、杏樹は進める。高周波ブレードを左手に持ち替えて、拳銃をホルスターから抜くと、杏樹はなんの躊躇も無く体勢が崩れているレナに向けて何発か発砲した。住民がどうとか、そんなの杏樹の頭には無かった。今の杏樹の頭にあるのは、「玩具と遊ぶ」、ただそれだけ。


「…………狂ってるね」


 容赦なく何発も飛んでくる銃弾が、レナの目には、スローモーションに見えていた。ゾーン状態に入った時に起こりうる、能力のようなものだ。体を流水のように動かして、レナは銃弾を避けていく。完璧にゾーンを使いこなせているわけではないようで、体の所々に銃弾が掠めてしまっていたが……ほぼ無傷に近しいだろう。

 拳銃の弾が切れると、杏樹はその拳銃を捨てて、すぐにまたレナへと近づこうとする。……だが、杏樹はここで敢えて間を空けた。何かおかしいことに気づいたからである。


「……ァあ、なンかおかしいと思ったら……いつの間にか刺してたンだ」


 アドレナリンが大量に放出されていた杏樹は、ようやく自分の右の太腿裏にレナのサバイバルナイフが1本刺さっていることに気づく。深く息を吸って、深く息を吐いて……少し暴れすぎたかもな、なんて思いつつ気持ちを切り替える。

 今レナと戦っているのは、決して自分が戦いたいからではない。あくまで、正義執行の一環。ここで逃したら、きっとこっぴどく岬に怒られるだろうし……この日を逃してしまえば、次はいつレナに会えるかすら分からない。

 杏樹は、ゆっくりと太腿に刺さっているナイフを抜く。武器が増えてラッキー、なんて思いつつ、どうレナを殺害しようかを考えていた、その時。杏樹から距離をとっているレナが、口を開く。


「……あれ、落ち着きを取り戻しちゃった。このまま気づかずに居てくれたら戦いやすかったんだろうけど……そうはいかないか」


「いやァ、久しぶりに面白い戦いが出来ると思うとサ。嬉しくて嬉しくて」


「殺すか殺されるか、それだけなのに?」


「だから面白いンでしょ? 駆け引きや時の運で、場合によッては格下が格上を殺すことだってある。レナちゃンがあたしを殺すということも、可能性としてはあるかもしれない」


 あくまで自分がレナを殺すという前提で、杏樹は話を進めた。その話には敢えて反応をせず、一呼吸を置いて……レナは少し呆然としたような目付きを浮かべながら、徐に話し出す。


「……今日はね、一気に16人も殺したんだ。近頃は殺れてなかったし、ちょうど橋の下で弱そうなヤンキーがたむろしてたから。……あぁ、あと、目撃した男も」


「……そンで?」


 確かに、レナと相対した時、微かに血の匂いがしたような。頭の中でそう考えながら、杏樹は相槌を打つ。


「これまで私が殺した人数、34人。あの事件で死んだ男の数と同じ。すごい偶然でしょ? ────そして私は、君を殺して、超えるんだ。『少女K』を」


 9年前の事件。少女K事件。児童や教師、合計34名が犠牲になった。レナは、その事件の犯人である少女Kに、心酔してしまっていた。自身と同じように、男のみを狙った犯行。明確な動機などはネットで調べても出てこなかったが、きっと同じ思想を持っているに違いない。レナはそう感じていた。


「……ニュースでも見たノ? 忘れてもいいヨ、その事件は」


 レナの言葉を聞いた杏樹の目の色が変わる。その独特な空気感から、レナは「あ、これ、来るやつだ」なんて思って、いつ攻撃が来てもいいように身構えていた。

 どれだけ攻撃しても、回避やカウンターが飛んでくるゾーンを破る方法。レナの集中力が切れるまで粘る長期戦? 攻撃を回避した先に攻撃を置く? どちらも惜しいが、答えはNO。正解は……自分も同じ領域へと踏み込む、ということ。


「……?」


 レナのゾーン状態が流水に例えられるのならば、杏樹のゾーン状態はまるで──、物体は愚か、光すら逃げ出すことの出来ない縮退星しゅくたいせい。俗に言う、ブラックホールである。相手が誰であろうと、変わらず飲み込む。これまで仕事を一度も失敗したことがない杏樹には、ピッタリの単語だろう。

 杏樹は、レナの方向に向かって一直線に走り出す。レナの目には、所々で杏樹の体がぐにゃりと曲がっているように見えていた。カウンターを待っているレナへの対策、近づく時の緩急。タイミングを外す、という行為。


「……それだけ?」


 だが、それだけでレナを攻略出来ないということは、もはや誰の目から見ても明らかである。なのに杏樹は、そのまま真っ直ぐレナへと攻撃をする。サバイバルナイフで、頭部への突き。なにか考えを得たようだな、と感じたが……勘違いだったのだろうか? レナは緩急を見破り、その直線的な突きを避けて、次は背中や頭部などへとカウンターをしようとする。

 死角からのカウンターというレナの武器は、きっと誰でも噛み殺す勢いのある強力な武器。事実先程、杏樹の太腿にはそのカウンターが炸裂した。だが……杏樹のような強者にその仕組みを見破られてしまえば、以後それが炸裂することは無いに等しいと言っても過言ではないだろう。


「……ッ゛……!?」


 先の先を読む。かつて杏樹が戦った男、櫻葉が得意とした技術である。避けた先に銃弾を置くイメージで発砲する……、杏樹はその戦い方から着想を得た。

 杏樹が攻撃をすれば、レナは避けてカウンターを狙ってくるだろう。そのカウンターを狙うのだ。攻撃の「突き」と、レナのカウンターを「回避」する動作を同時にこなす。そうすれば、自然とまた杏樹の攻撃するターンになっている。

 カウンターをして隙が出ているレナ。そんな彼女の首筋から胸にかけてを、杏樹はもう片方の手で握っている高周波ブレードで斬り裂いた。やっと攻撃がまともに命中したようだ。レナは、後ずさりをして素早く杏樹から離れる。追撃をしようと思ったが……、今更になって太腿の傷が邪魔をしてきた。


「…………流石レナちゃン。一刀両断とはならなかッたか」


 攻撃は命中したものの、杏樹は斬った手応えに違和感を感じていた。命中した瞬間は、骨すら斬り裂く手応えがあったが……。きっと、先の先の、またその先へ1歩行かれたのだろう。レナはなんとか首の皮一枚繋がったようだった。

 それでも、致命傷なのには変わりない。きっと、治療をしなければやがて失血死だ。苦しそうに胸を抑え、呼吸の音を大きく鳴らしながらレナは杏樹の動向を注視する。レナがこの人生で受けてきた苦痛の中で、上から2番目に痛かった。

 まともに喋ることすら出来なさそうなレナに、杏樹は語りかける。


「どうスる? その傷じゃ、処置しなきゃどうせ死ぬケド。最後に抱いてあげよッか」


「…………遠慮、……しておこうかな」


 敵への情けなどではなく、ただ杏樹が抱きたいだけなのだろうが。その誘いを断ると、レナは杏樹に背中を向けて、どこかへと進んでいく。非常階段の方でも、荷物を置いている塔屋の方でもない。屋上の淵の方だった。

 拳銃は、拾えばあるが……今はしゃがむことすら面倒だ。それに、切れた弾を装填することすら面倒。一応取り逃ししないように、距離は保っておくが……もはやそれすら不要なようにも見える。レナの顔がそう物語っていた。

 屋上の淵の上に立って、レナは再度杏樹の方を向き、……時間をかけて、口を開く。


「…………君、名前は?」


「朽内杏樹、またの名を正義執行人。輝煌山レナを殺した女」


「……正義執行人っていうのはよく分からないけど。……また戦おうね、杏樹さん」


 その呟きと共に、レナは夜の闇へと飛び降りた。














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