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第10話 悪魔と少女





 檜原村から警視庁本部まで戻る車の中。いつもの杏樹なら、「結局あたしが来た意味なかったじゃン」とか、どうでもいい戯言を岬に話しかけていただろう。だが、今日の杏樹は何か違う。足を組んで、ただ黙りこくってるだけ。「RENA」の事件ではなく、レナの事件になにか思うことでもあったのだろうか。女好きの杏樹のことだ、その可能性は無きにしも非ずだろう。

 檜原村から出発して30分程の時間が経ち、ようやく村を塀のように囲んでいた山を抜けると……タイミングよく岬の電話が鳴り始めた。岬は、片手でハンドルを握りつつ、鳴り始めた携帯を手に取る。


「……ア〜、岬ちゃンよくないンだ〜。先生に言いつけ……」


 ここまで来て、ようやく杏樹が口を開いた。ろくな口の開き方ではないが。片手での運転は、違法行為である。それが携帯電話を触るためというなら尚更。正義感の強すぎる警視長の遊馬なら、絶対にしない行為だろう。


「黙っとけ」


 だが、岬は違う。今は、どんな連絡だって重要な電話になり得る。連絡のためには岬も当然所持している警察無線というアイテムがあるが、今回の事件に関しては別だ。犯人が目の前に居るくらいの緊急時でない限りは、無線を使わず、上司へと直接連絡することになっている。

 携帯に浮かぶは、部下の名前。実は岬は、この檜原村に来ている間、警視庁に居るであろう部下に仕事を頼んでおいた。それは、新宿区のカメラをひたすら確認する作業。顔認証で自動で特定した映像以外にも、顔認証では特定できない後ろ姿や横顔のレナがどこかに映っているかもしれない。それらを地道に探せば、レナがどこを拠点としているか等が分かっていくかもしれない。その仕事を頼んだ部下からの電話だ。なにも成果が無かったのなら、電話を送ってくることは無いだろうし……出ない訳にはいかない。


「もしもし。…………あぁ。……本当に容疑者の姿が? ……今帰り道だ、すぐに向かう」


 2分程の通話をすると、岬は電話を切る。会話の内容から推測するに、きっと重要そうな電話だったのだろう。こりゃ警視庁までは確実に付き添わされるな……杏樹は、そんな思考を浮かべる。

 手に持っていた携帯を座席に置くと、岬はまた両手でハンドルを握って車を進めていく。そして、今自分が伝えられたことをそのまま伝えるために、岬は一度ゆっくりと息を吐いてから、静かに口を開いた。


「……奴にもほころびはあった。新宿のマンションのカメラに、奴がマンションへと入っていく所が映っていたらしい」


 これまで、完璧な犯行を見せてきたレナ。あの日、杏樹と同居しているめるに偶然話しかけたから、こうして身元が特定されてしまっている。しかし……もしそれがめるじゃなかったら。このペースで犯行をし続けているのだから、いつかは綻びが出たのかもしれないが、同時に綻びが出ない可能性だって充分にあった。

 彼女が住んでいるマンションは特定出来たから、あとは彼女を捕まえて事件解決…………と、なればいいのだが。未解決事件になる可能性を秘めているくらいの、聡明なレナの犯行を知っている岬や杏樹は、その情報1つだけで、一筋縄で解決できるほど甘くないことを分かっている。


「……ン〜。分からないナァ……レナちゃン1人で部屋を借りられる程審査は甘くないシ。マンションってノが面倒だね」


 何部屋あるのか詳細は知らないが、マンションというなら、最低でも50戸はあるだろうし……きっと、レナを泊めている住民が居る。その1人を見つけ出すために、1戸ずつ部屋を確認して巡ったり、事情聴取をしたり……。想像しただけで面倒だ。出来ればこんな面倒そうな作業には参加したくないが……レナがいきなり現れたりするケースを考えたら、やはり杏樹は付き添わなければならない。連日仕事をする、というのは、杏樹には不向きなことだ。少し気が重くなって、杏樹は岬に聞いてみる。


「……部屋回ったりする時、あたしも居なきゃダメ〜……?」


 出来るだけ甘い声で、目に涙を浮かばせながら杏樹はそう問いかけてみる。演技こそ上手だが、彼女には全くと言っていいほど似合っていない。


「……基本はそうだろうな」


「エ〜。他の作戦とか無いノ?」


 するなら、1番楽に終わりそうな作戦が良い。杏樹はそう考えながら無責任にそんなことを言う。この部屋を延々と回っていく作戦は、とても面倒ではあるが、住民1人1人の顔や声を拝見できるというメリットがある。それと、1番大きなメリットは、カメラの映像から切り抜いたレナの写真を見せて、「こんな人を見たことは無かったか」と質問ができる点。これが出来るだけでも、マンション内の疑わしい人物をあげていくことが出来る。常套句なこの作戦は、確実性があるのだ。


「……パッと思い浮かんだのなら、1つくらいはあるが」


「え! ナニナニ〜、聞かせてヨ」


「夜までマンションの前で張って、レナが帰ってきたところを狙って捕まえる。……だが、これはリスクが高い。住民に見られたりしたら面倒だし、マンションのカメラに映っていたとしても、毎日必ず来るという訳では無いだろう」


 張る、というのは、容疑者が来そうな場所の近くに車を停めたりして、容疑者を待ち構えるということ。張り込みなんかとも言う。……都合良く張り込みを始めた日にレナが現れてくれる、というのなら良いのだが……生憎そう上手くいくとは思えない。少なくとも、数日は日を通して寝ないでマンションを観察することになるだろう。

 レナが杏樹程強い、ということはあまり考えられないが……充分な睡眠をとっていないコンディションでは、杏樹がレナを取り逃してしまうということが、もしかしたらあるかもしれない。

 杏樹には、万全の状態で戦ってもらわなければならない。車の中で何時間も寝ずに、ただ1人の女だけを見逃さないように見張る。杏樹ともう1人で睡眠を交代でとりながらするとしても、現れたレナに対してベストコンディションを出すことは不可能に近いだろう。だから、岬はこの張り込み作業をしたくはなかった。


「……ぜ、全部メンドくせ〜…………」


「……割り切るしかない。敵が敵なんだ、お前には充分に活躍してもらわなければならない」


 面倒だのなんだのと駄々をこねる杏樹でも、流石に理解はしている。レナにはもう、失うものはない。何をしでかすか分からないのだ。レナの強さが未知数とはいえ、杏樹がレナを止めなければ、警察だけではレナを止められない恐れがある。彼女1人に、東京都の平和は任されてしまっているのだ。

 この日本国内で、最も残忍かつ最も強靭。正義とは程遠い事件の解決の仕方に、それを目撃した人物は、彼女の影に悪魔の姿すら覚えた。その悪魔の仕事は、正義執行人。国が認めた、正真正銘の正義の味方。

 そんな正義の味方と猟奇的殺人犯、正義と悪の邂逅かいこうは────。











 お預けだった。


「……こンだけ沢山ある部屋を巡ッて、証拠になりそうなコトを話してくれる人が誰一人居ないッて……そンなこと有り得る?」


「…………参ったな」


 檜原村の輝煌山家に行った、翌日のこと。早速2人は、レナが映っていたマンションへ聞き込み調査に来ていた。先に管理人に確認を取って、13時から1部屋ずつ回って、調査を進めて……。全部屋の調査が終わったのは、少し辺りが暗くなってくる17時になった頃。

 車に戻ってきた杏樹と岬がこんなにも疲弊しきった様子になっているのには、理由がある。それは、これまで聞き込みをしてきた全ての住民が、レナの写真を見せても「知らない」「見たことない」と答えてきた為だ。これといった怪しそうな人物も、特には見つからなかった。50人は超えてるであろう数の住民に聞いても、全くと言っていいほど証拠が集まらない。今日この事件に終止符を打たせようとここに来た訳ではないが、それでも残念なものは残念だ。事件解決は早いに超したことはない。


「本当にこのマンションに入ってった映像はあるンだよネ?」


「……昨日お前が帰った後、私も一応その映像はチェックした。……映像を入れ替えられた訳でもなさそうだし……、此処に入っていくアイツの姿は絶対に本人そのものだった」


 何か抜けている所が無いか、杏樹はもう一度考えてみる。住んでいる住民の部屋は軽い程度だが見させてもらったし、特に怪しそうな人も居なかった。空き部屋も、管理人から鍵を貰って隅々までチェックした。やはり見落としている場所はない。普段は立ち入ることの出来ない管理人室だってチェックさせてもらったのだから。

 ……普段は立ち入ることの出来ない場所? 自身が思い浮かべたその言葉が、何か頭の中で引っかかる。そして、暫く考えたその時──、杏樹の脳へと、天啓が降りてくる。


「……ハハ、全ッ然見落としてるじゃン。屋上、まだ調べてないよネ」


 今杏樹達が調べている、14階建てのマンション。14階まであった階段は、14階の時点では終わっていなかった。その更に上……つまり、屋上へと続いていく階段があると考えられる。


「……流石に厳しいんじゃないか? 14階に行った時少し見たが、屋上へは封鎖されて行けないようにされていたぞ」


 岬が言うように、マンションはほとんどがそうなっているだろう。このマンションの屋上へと続く階段も、格子のような扉に厳重な鍵が施されていた。ピッキングが出来る者なら先へと行けるかもしれないが、レナは半年前くらいまではただの学生だったのだから、出来るわけがない。……そう思うというだけで、先から言っている通り、レナの能力には底知れぬものがあるから一概に否定はできないのだが。


「いや〜……そうとも限らないンじゃない?」


 車のフロントガラス越しに、岬はある物へ人差し指を向ける。それを見て、岬は納得した。それは、屋外からでも屋上へと行ける唯一の道。非常用階段だった。今の時代、階段の手前に扉や防犯カメラを設置しているマンションが多いのだが……このマンションはどうやらそれを怠っているらしい。防犯上、マンション内から非常階段に出ることは出来ても、非常階段からマンション内へ入ることは不可能。しかし、屋上への階段だけは、扉などもなく開放されているようだった。


「…………このマンションを建てた奴、頭がおかしいんじゃないのか。誰もが屋上に出入り出来るなんて危険にも程がある」


「決まったワケじゃないケド……こんなにガラ空きなんだから、屋上に行かれてもおかしくないネ」


 早速、岬と杏樹は車から出て、再びマンションの方へと歩み寄る。そして、管理人へと「捜査の為に非常階段を使わせてもらう」ということを確認すれば……、2人はマンションの端の方にある非常階段を早速上がっていく。今日は風が比較的少ない日で良かった。

 10階くらいの高さから直に地上を見てみれば、一般人ならそれなりに恐怖するくらいの高さだった。こういった光景は、警視庁で窓越しに見慣れているとはいえ、岬は思わず足が痺れるような感覚に襲われてしまう。今後ろから脅かしたらすっごいビビるんだろうな〜……なんて杏樹は思ったが、普通に危ないのと、しっかり厳しく怒られそうなので、流石にやめておいた。


「……ひョ〜、壮観ってやつ?」


 そして、長いこと階段を上っていき、遂に屋上へと辿りついた2人。40メートルはあるであろう高さに汗の一滴すら垂らさず、むしろ怖いもの知らずに、柵が設置されていない屋上の淵の上へと立ちながら杏樹はそう呟く。走る車や歩く人が米粒のように小さく見えるここから落ちてしまえば、ひとたまりもなく即死だろう。

 岬はといえば、そんな危険な行為をしている杏樹を気にもせず、1人で屋上の捜査をし始める。何かレナの私物……それか、痕跡の1つだけでもいい。ただその1つさえあれば、微かな証拠さえあれば────。


「杏樹、こっちに来てみろ」


 ゆっくりとマイペースに捜査を続ける杏樹を呼んだ岬。この声色は、証拠でも見つかったんだろうな〜……なんて思いながら、杏樹は岬の声が聞こえた方向へと向かう。

 岬が居たのは、塔屋とうやという、マンションやビルの屋上に突き出ている部屋のような場所の扉の前だった。一般的には、機械室や階段室、倉庫などとして使われることが多い。


「……なるほどネ」


 普段なら鍵がかかっていて開くことは出来ないだろう、塔屋のその扉。しかし、岬が確認してみたところ……通常の状態とは違い、鍵が開いていて扉を開くことが出来る状態にあったのだ。岬は、その扉をほんの少しだけ開いたまま、杏樹が来るまで待機していた。

 もしかしたら、今この中にレナが潜んでいるかもしれない。その危険性を考えて、岬は杏樹が来るまで中を確認せずに待っていたのである。


「ァ〜、大丈夫。多分居ないヨ」


 そんな危険性を鑑みた岬の行動を否定するかのように、杏樹は扉を開きながらそう伝える。いったい何をしているんだ、コイツは……! なんて思いながら、岬は扉から即座に放れる。しかし、杏樹の言う通り、塔屋の中に人間は居ないようだった。

 五感や殺気など、色々なところが優れている杏樹の、もはや能力と言った方がいいような特技。それは、近くに人間が居るか居ないか等のことが、ある程度認識できるという能力だ。その能力を使って、杏樹は塔屋の中にレナが居ないということを把握したのである。

 相手が完全に気配を消せるような実力者なら、一筋縄では行かないのだろうが……たった数ヶ月間行方をくらませただけで、レナがその能力を得れるとは思えない。そこら辺は心配なしだ。


「これって……」


 塔屋の中が少し見えた岬は、ぽつりとそう呟く。杏樹も、「ん?」なんて顔を浮かべながら塔屋の中を覗いた。

 そこにあったのは、明らかに塔屋の中には相応しくないような、人工的に置かれている荷物。リュックや敷布団、缶詰など……まるで、被災者が訪れる体育館のような雰囲気だった。塔屋の中はそこまで広くなく、やはり階段室だった模様。少し降りたら、すぐそこにはきっと、屋上と14階を分断している格子の扉があるだろう。


「……レナちゃンの住処すみか、みっけ……ッてこと?」


「そうだろうな」


 普段ならこういった際は無線で本部へと連絡をするのだが……、岬は無線を手に取らなかった。警視庁の奴らには、無駄なことをしてほしくなかったからだ。

 正直、警察官が束になってレナを捕まえようと尽力するよりも、杏樹1人で静かに事件を解決しようとしてくれた方が、確実性は後者の方が上だと思う。岬は、その思いを独断に変え、無線で伝えるということをしなかった。


「事件解決は早い方がいいよネ?」


 塔屋の中へと入っていきながら、杏樹はそう岬に問いかける。もちろん、という4文字の容易い言葉。それが、岬の口からは出なかった。杏樹は愚か、岬ですらその事実に戸惑っていた。

 岬の隙が出た。優しすぎるという、一流の警察官には存在してはならない感情。同級生だった奴に騙されて、強姦されて、挙句の果てに泣き寝入り。そんな可哀想な少女はきっと、今自分が許可してしまえば、帰ってき次第杏樹によって始末されてしまう。

 その少女が、殺人という、絶対に許されない罪を犯したということはわかっている。

 その少女によって殺された被害者や遺族の無念を背負っている、ということもわかっている。

 その少女の家族の苦しみさえ、受け止めた。少女を救いに来た。はずだったのに。

 岬の心の中にある正義が、少しだけ存在感を出してしまった。


「……岬ちゃンはさァ、つくづくこの仕事に向いてないネ。仕事にプライベートは持ち込まないッて決めたンじゃないの?」


 悪魔が、ぽそりと、岬の耳元で囁き始める。


「どれだけ過去に酷い事をされていようと、関係ナシ。国家権力の独断で下される、一方的な正義で事件を解決する────。ソレを決めたのは……」


「決まりだ。今日実行してもらう」


 悪魔の囁きを遮って、岬は杏樹に向かってそう告げる。自分が甘いことなんて分かっちゃいるが、それでも今回の事件を簡化することは出来なかった。それは、あの日あの時のあの事件を思い出したから。


「そう来なくッちゃ」


 レナがここに帰ってきた時が、彼女の人生の終わり。少女の苦しい人生に、終止符が打たれる時。今夜、マンションの屋上で、杏樹はレナを待つ。















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