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第9話 あの子





「……ここで、あってるのかナ?」


「……ああ。間違いないだろう」


 レナの身元を特定して、僅か2日後。岬と杏樹は、レナの家族が住んでいる場所である、輝煌山家へと足を運んだ。いかにも金持ちの家といった、若干和風なその豪邸。きっと、この檜原村にある家の中では、1番豪勢な家屋だ。

 表札にきちんと輝煌山という苗字が書いていることを確認すると、岬は家のチャイムを鳴らす。警察官各個人に用意される、警察手帳を用意しながら。


「……どちら様でしょうか」


 ピンポーン、と音が鳴り、少しの時間が経つと、インターホンから声がした。女性の声ではあったが、18歳らしい声ではなく、どちらかと言えば少し歳をとった、やつれた声。きっとレナではないだろう、なんて思いつつ、岬はカメラへと開いた警察手帳を向ける。


「警視庁から参りました、清水と申します。娘さんのことでお聞きしたいことがありまして……」


「……少々お待ちください」


 岬が身分を明かすと、それを聞いたインターホン越しの女性は、暫し待ってほしいと伝えて通話を切ってしまった。

 この待ってる間に、家に潜伏しているレナがこの家の裏口から逃げ出したり……、そういうことが必ずしもないとは言いきれない。2人は一応、物音や声などがしないか、聞き耳を立てていた。だが、その心配はどうやら要らないようだった。すぐ近くにある玄関の扉の先から、こちらへと向かってくる足音が聞こえ始める。


「……お待たせしました、立ち話もなんですし……中へ入ってもらっても構わないですよ」


 引き戸が開かれると、中から出てきたのは、やはりレナではない女性の姿。どちらかと言えば、レナの親の世代くらいの年齢に見受けられた。


「お気遣いありがとうございます、それでは……お邪魔させていただきます」


 そんなことを言っては、家の中へと入っていく岬。先導する彼女の背中を追うように、杏樹もポケットに手を突っ込みながら無言で中へと入っていく。こういう時は大人しくしておけ、と檜原村に来る道中で岬に釘を刺されていた杏樹は、そのことを従順に守っていたのだ。

 広い家の中を案内された先は、リビングなどではなく、あるモダンな個室。今の時代には置かれることが少ない、応接間という空間だ。


「おかけください」


「……失礼します」


 岬と杏樹は、案内されるがままに、茶色のソファの上へと腰をかける。

 そもそも何故杏樹がここに居るかというと、もしレナが現れた際、並の警察官1人や2人では簡単に対処出来ないだろう、と予め予想されているからだ。それなりに実績のある岬と、正義執行人として充分な程の強さを持て余す杏樹。この2人ならば、きっとレナが現れても心配はないだろう。

 しかし、なんとなくだが、杏樹は勘づき始めていた。この家には、今目の前にいる彼女以外、住んでいる人の気配が全くしない。レナはこの家に居なさそうだ。なんだか自分が来た意味が無いような気がしてきて、杏樹は心の中でため息をつく。


「……私は、レナの母です。……あの、そちらの方は」


 自身をレナの母と称した人物は、杏樹の方へ目線を向けながらそう質問した。岬が回答してもいい質問だが……自分で名乗らせた方が信頼を得れるし、杏樹ならどうせすぐに嘘を思いつくだろう。そう思って、岬は杏樹の方を向いて「自己紹介しろ」という顔をした。


「……鈴木です。探偵してま〜ス」


「はあ……探偵さん」


 杏樹は、レナの母に対して偽名を伝えた。可能性は低いだろうが、杏樹がレナの母の目の前でレナを処理する……なんてシチュエーションが、この家では想定される。そうなった時に、杏樹を恨んだレナの母が、ネット上に情報を公開したりするかもしれない。レナが現れて杏樹達を襲った場合には、犯人隠避いんぴ罪などの罪でレナの母も捕まえることが出来るとはいえ……面倒事の芽は摘んでおくのが杏樹のポリシーだから。偽名を使うに越したことはない。


「……それで……レナのことで聞きたいことがあるって言いましたけど……」


「……単刀直入に聞きます。娘さんは今、この家に住んでおられますか?」


 先日見たレナのデータでは、この家に住んでいる、ということになっていたが……。正直、この家に住んでいてあのペースで事件を起こし続けるのは不可能だ。23区から檜原村までは、車でも1時間かかるし……事件が起きているのは深夜だから、バス等での移動も現実的ではない。この家の者に協力してもらったり、タクシーを毎回使って帰ったりしているのなら話は別だが。思い切って、岬はレナの母に聞いてみることにした。


「いいえ。…………レナは、3ヵ月程前に出かけたきり、この家に戻ってきてません。それ以来は連絡もつかずで……」


 岬が考えていた通り。3ヵ月前といえば、通り魔事件が起こり始めた時期だ。この家には住んでおらず、どこかに潜伏しながらも、東京都の深夜を脅かす存在へとなっている。レナがこの家に居ないのなら、ここに来た意味は全く無いのでは……そう思う人もいるだろう。

 しかし、その考えは間違いだ。血縁者である以上、彼女に聞きたいことは山ほどある。


「……失礼なことをお聞きになるかもしれませんが。行方不明者届はなぜ出されなかったのですか?」


 レナが今起こしている事件を知っているか知らないかは、今のところ伏せておくとして。この3ヶ月間、娘が家に帰ってこず、連絡もつかずの状態で、レナの母はなぜ行方不明者届を提出しなかったのか。この質問の答えによっては、彼女が共犯であるか共犯でないか等、様々なことが分かるかもしれない。

 岬が質問をすると、レナの母の様子が明らかにおかしくなってきていた。妙に落ち着かずに、冷や汗をかいて、視線も合わなくなってきた。反応から見るに、共犯か? と、岬と杏樹は思い始める。


「…………こ、怖かったのよ……」


 疑い始めた頃に、レナの母は質問の答えをポツリと呟いた。これまで使っていた敬語はいつの間にか無くなっており、どこかよそよそしいような口調になっていた。

 怖かった……実の娘であるレナが? 脅されでもしたのだろうか? なんて思っていると、矢継ぎ早にレナの母は早口で言葉を繰り出してくる。


「……お父さんがあんな姿になったのだって、全部あの子のせいだし……あの日から、レナは……あの日から、あの日からあの日からあの日から」


 もはや、その状態は異常というほかなかった。頭を掻きむしり、憎しみの顔を浮かべながら、その言葉を延々と繰り返す。次第に息もままならなくなって、レナの母は苦しそうな息遣いで、ただ吸って吐いてを繰り返していた。


「……お母さン。大丈夫ですヨ、今は少し休みましょ〜か」


 そんなレナの母の様子を見かねて、杏樹はソファから立ち上がって彼女へと近寄り、背中をポンポンと叩きながらそう言った。杏樹の言葉を聞いたレナの母は、若干落ち着きを取り戻しつつ、座っているソファへと仰向けに寝転がる。すごい汗の量だ。相当レナに対して恐怖しているのだろう。眉間に皺を寄せて、うなされながらも、レナの母は束の間の眠りへとついた。


「……相当、闇が深そうだな」


「そうだネ〜。“あの日”ってノ、気になるケド……唯一話してくれそうな人がこうなった以上は、先送りかナ」


「……ダメだ。お母様の精神状態が不安定だからこそ、今じゃなければならない。いつ死ぬかすら分からないからな」


 それに、この檜原村と23区は、簡単に行き来できるような距離感でもない。この家に足を踏み入れた時点で、今日この日が大チャンスなのだから、今日聞くしかない。岬はそう考えていた。


「……しょうがないなァ、じゃあここで待つとしますか……」


 自分が座っていたソファにもう一度座って、杏樹はそう呟く。杏樹が嫌いとする長丁場になりそうな予感だが、そんなことも言ってられない。レナの母が意識を戻すまで、2人はこの部屋のこのソファで大人しく待つことにした。











「…………ん……、……」


 閉じていた瞼が、うっすらと開き始める。待つこと2時間半。岬も杏樹も、そろそろ疲弊してきたタイミングで、ようやくレナの母は目を覚ました。岬はそれに気づくと、何か言葉をかけてやろうとする……が、それより先に口を開いたのはレナの母だった。


「……ごめんなさい、取り乱してしまって……」


「いえいえ。それよりも、お体の方は……」


「大丈夫……。……話させてもらうわ、レナのこと」


 落ち着きを取り戻したのか、レナの母はゆっくりと体を起こしながらそう呟く。


「……今、『RENA』が事件を起こしているのもテレビのニュースで知ってるわ。黙っててごめんなさい。……あの子じゃないのかもしれないけど……きっとあの子よね」


「…………確かに、輝煌山レナさんです」


 事件のことを知っているのなら、もう伏せる必要も無いだろう。岬は、容疑者が彼女の娘であることを伝えた。それを聞いても、先のように取り乱したりはせず、レナの母は淡々と口を開くのであった。


「……元々は、人を殺すなんて凶暴なことを考える子じゃなかったの。……けど、あの子にとっては絶対忘れられない、最悪な事件が起きてしまったわ。忘れもしない、3月15日」


 握っていた拳を、再度ぎゅうっと強く握り締めながら、レナの母は話を続ける。


「卒業式の翌日、同級生の子と約束をしてたみたいで、あの子は遊びに行ったの。……普段は大人しいというか、あまり人と関わらないような子だったから、私達も嬉しかった。クラスのみんなで打ち上げみたいなのをするって聞かされて行ったんだって」


 床に、ぽつりと何かが落ちる音がした。


「……その日、帰ってきたのは深夜3時頃。連絡がつかなくて、私もお父さんも心配してて起きてたの。……同級生の子に騙されてたらしくて。男達に強姦ごうかんされた後、ボロボロの姿で、檜原村まで歩いて帰ってきたのよ」


「…………」


 すすり泣き、顔を真っ赤にしながらも、レナの母は「あの日」の全貌を明かした。岬は、体を前屈みにしてしかめっ面になるだけで、何も言うことが出来なかった。我々が探している凶悪な犯罪者の、悲惨な過去を知ってしまったから。肯定も否定も、何も出来ない。岬はきっと、警察官に向いていない。人一倍優しい人間だからこそ、警察官に向いていないのだ。

 杏樹はというと、岬やレナの母とは対照的に、何を考えているか全く分からない顔を浮かべながら、静かに話を聞いていた。


「…………ある程度お金を持ってる私達なら、無理やりにでも警察に犯人を探させることなんて、きっと容易だった。……でも、それはあの子が望まなかったの。理由なんて言わないで、頑なに『やめて』の一点張り。……子供の気持ちを1番大切にして生きていかせたかったから、私達は…………何も出来なかった。……あの子を助けることが……出来なかったのよ」


「…………心中、お察しします」


 感情はぐちゃぐちゃだった。唐突に愛する子供が汚された怒り。何もしてやれなかったという悲しみ。嘆き。苦しみ。その簡単に表すことの出来ない感情を完全に理解した訳では無い。それでも、レナの母に岬から言えることは、それしかなかった。

 そんな彼女らを横目に、杏樹は考える。子供を救えなかったという自身の罪を怖いと思って、行方不明者届を出さなかった……? それはなんだか理由が破綻している気がする。まだ残る、微かな違和感……まだ何かある。杏樹は、そう感じていた。


「……あの子がおかしくなったのは、その日からだった。基本的には部屋に閉じこもって、ご飯とかお風呂の時には私達に顔を見せるんだけど……妙な作り笑顔で。……それに気づいていたんだから、あの子が完全に壊れる前に、なんとか止めてあげられたらよかったのに」


 レナという人物の中に「RENA」が生まれたのは────、その時からだった。


「……6月の中旬、レナは夜中にお父さんの部屋に忍び込んで、バスタオルでお父さんの首を絞め上げてたの。物音に気づいた私は、必死にレナを止めたけど……お父さんはもう息をしてなくて。急いで救急車を呼んで、心臓マッサージとかもしたりして……命だけはからがら助かった。今は植物状態だけど……。……そして翌日、緊急病院から帰ってきた私とすれ違うように、レナは忽然と姿を消したわ」


 とことん救われない、報われない、一家のお話。全ての元凶である、レナを襲った男達。その男達のせいで、レナは極度の男性恐怖症に陥ってしまっていた。通り魔事件で男だけを執拗に狙っているのも、深夜の路地裏で歩いていためるに対して「危ない」と忠告をしていたのも。謎が繋がり始めた。

 レナについての全貌を聞き終わった岬は、ソファから立ち上がる。そして、側へと身を寄せてあげて、話し始めてから涙が暫く止まっていないレナの母の両手を掴み、口を開く。


「……大事な情報のご提供、ありがとうございます。……貴女だけが悪い訳ではありません。どうか気に病むことはないように……お体にお気をつけて。」


「…………どうか、あの子を止めてあげてください」


 岬の励ましの言葉を受け取ったレナの母は、しっかりと目線を合わせて、岬へとそう伝える。

 どんなに、レナの境遇やレナの家族が辛くとも。それに同情してしまうようではいけない。レナの母からの言葉を受け取り、岬はハッとした。これ以上被害者を増やさないためにも、レナの母のためにも、…………そして、レナのためにも。絶対にこの事件は解決しなければならない。改めてそう固く認識したのであった。














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