杏樹が岬から事件の解決を依頼されて、2週間が経った。この2週間の間に2人が殺されて、この通り魔事件の死者数は18人へと増加してしまった。事件の捜査は、やはり難航してしまっているようで、被害者遺族の愛惜や怨恨が増えていく一方だった。
ただ、警視庁もボーッと日々を過ごしていた訳じゃない。この2週間の中で掴んだ、唯一の進展がある。それは、事件が起きる場所についてのこと。板橋や目黒、千代田、文京、渋谷……と、色々な場所で事件が起きていて、一見すると整合性がないように見える。だが、東京の地図を用意して、事件が起きた場所に印を書き込んでみると……その書き込んだ印が、綺麗に新宿区を囲んでいるということが分かった。
まだ性別すら分からない容疑者は、新宿区の何処かに居るのではないか。はたから見たらもはや小さすぎるその一歩は、今の警視庁からしたら大きすぎる一歩であった。被害者遺族の思いも背負っている警視庁の進展は、無惨にもここで止まることになる。
警視庁からめぼしい連絡はなく、リビングのソファでだらけていた杏樹。夕飯の支度が終わって、特にしたいこともなく、椅子に座り机に肘をつきながらスマホを眺めていためる。そんな2人が会話をするきっかけになったのは、とあるテレビのワイドショーだった。
「今回は……今世間を騒がせている通り魔事件についてですね。議論していただきますが……」
なんとなくでつけていたテレビの番組。そのワイドショーの司会の言葉を聞いて、画面をぼんやりと眺めた後、めるは徐に口を開き出した。
「……そういえば、この前友達と飲み会行くって言った日あったじゃん」
「ン? うん、あったネ」
めるの言葉に合わせて、杏樹はそう回答する。
「あれ、渋谷だったんだけどさ。割と家近いから、友達と2人で家まで帰ってたわけ。そしたら、路地裏みたいな所通ってる時、急に後ろから女の子に話しかけられたのよ」
「……うん?」
「私も友達もすっごいビックリしてさ。『こんな時間にこんな場所、女の子だけで通ったらダメですよ〜』みたいに注意されちゃって」
「……そンで〜?」
「あ、は〜いって感じで軽く受け流してそのまま帰ったんだけどさ。ほら、今テレビでやってるじゃん? 治安悪化してるから、確かに気をつけないといけないよね〜って」
杏樹は、何か既視感を感じた。しかし、なんの既視感かは分からない。……しょうもない事かもしれないが、とにかく記憶を探ってみる。めるが飲み会に行った日、渋谷────、…………そうだ。その飲み会の日の深夜、ちょうど渋谷で通り魔事件が起こっていた。昨日警視庁から届いた資料を見た時に得た記憶だ。
一応、携帯で撮っておいたその資料の写真に、もう一度目を通す。……やはりそうだ、間違いない。確かにその日は、めるが飲み会へと出向いた日。
める達に話しかけた人物って、もしかして……? 言ってる内容も、なんだか女尊男卑的な内容。男性のみを狙う通り魔の思想と同じだ。まさかな、なんて思いつつも、杏樹は若干ソファに座る体勢を直して、めるの方を向きながら口を開く。
「……その話しかけてきた人の特徴とか、覚えてたりすル?」
「え……え〜。かなり酔ってたからあんま覚えてないけど…………あ。確か、髪は長くて……白と黒の二色にハッキリ真ん中で別れてた気がする」
「ェ……髪の毛が?」
「そうそう。綺麗で特徴的だったから、それだけは覚えてるんだよね」
髪の毛の色を、白と黒の二色に分ける。なんて個性的な髪をしているんだろうか。……とはいえ、そいつを探してみる価値はありそうだ。あの日の渋谷、しかも路地裏で深夜にそんな呼びかけをしているんだから、犯人の知り合いや関係者かもしれないし……もしくは、犯人なのかもしれない。
杏樹は、めるには見えないような持ち方で携帯を開く。そして、岬と交換している連絡先を開き……、「白と黒の長い髪」「事件当日深夜の渋谷」などと、めるが証言していた特徴などを書き記し始めた。そして、その人を探してほしい……と最後に記入すると、杏樹はその文言を岬へと送信した。
「……なんで聞いたの?」
暫く無言の時間が続いためるは、杏樹に向かってそう問いを浮かべる。
「言ってることが似てたカラ、知り合いだと思ッたンだけどさ。髪色がもう全然違ッたワ」
「あ〜……そうなんだ」
勿論、今杏樹が伝えた知り合いどうこうというのは、今この場を面倒事にしない為の真っ赤な嘘。逃れる為の嘘や言い訳がパッと出てくるのは、きっと悪い意味で機転が利くということなのだろう。
「あたしちょっと出かけてくるネ!」
ソファから勢いよく立ち上がって、杏樹はめるにそう伝える。
「そう、夜には帰ってくるでしょ?」
「うン」
こういう時は、いつもは誰と〜とか行き先は〜とか、色々なことを質問してくるめる。しかし、今回はその質問を聞くと、帰ってくる時間だけを確認し、すぐに食い下がるのを辞めた。めるにしては随分珍しい。……が、面倒臭がりな杏樹にとっては好機だ。多少は珍しいな、なんて思ったものの、杏樹は特に追及することもなく、玄関の方へと向かっていく。
彼女に対して心配することは、無駄なんてこと、分かりきっている。だから、できるだけ心配とか、そういうことはしないようにした。杏樹からしても、その心配はきっといらないものなんだろう。なんて思って今回杏樹を送り出しためるの顔はとても分かりやすく、そんな顔を少しだけだが見ていた杏樹は、その顔から心配という感情を薄々感じとっていた。
颯爽とバイクを走らせて向かうは、警視庁本部。あの文言を岬に送信したその時から、既に杏樹は警視庁に向かうということを決めていた。
今回起きている事件は、これまでの歴史を遡っても、世界的にも有数な、重大な事件。そんな重大な事件の際には、それを捜査する専門の組織が結成される。それを捜査本部と言うが、その捜査本部を置く場所が、東京都内のみで起こっている事も
そんな捜査本部に投入された岬。警視庁本部についた杏樹は、バイクを駐車場に止めると、早速室内へと入っていく。
「ネ〜、岬ちゃン……じゃなくて、警部さン? って何処にいるかわかル?」
道行く警察官に、岬がどこに居るか聞いてみる。しかし、警察官は困惑した。この方があの朽内杏樹……というのは分かるが、岬ちゃんと言われても、警部と言われても、それは誰なのかピンと来ない。なんなら、今の岬は警部ではなく警視だ。警察同士では階級でなんて呼ばないし……、今のこの2人の間ではとてつもない情報がこんがらがっている。
「清水なら今は
ハッキリ答えることが出来ずなんとも言えない空気になっていると、杏樹の後ろからそう声をかける男が居た。
「ぉ、お疲れ様ですっ!」
その男を見るやいなや、杏樹と話していた警察官はすぐに姿勢を正して男へと挨拶する。杏樹は、ゆっくりと後ろへと振り向いた。そこには、無精髭を生やしていて、黒スーツを着た四十路程の男が居た。杏樹はその顔に見覚えがあった。
「……誰かと思えば、遊馬さン」
「朽内ィ、捜査のご協力ッてか? たかがお前が? 鬱陶しいな」
「イエイエ。別に協力なンてそんな大層なモノでもないデスよ……ハイ」
あの杏樹が敬語を使っている。それが、どんなに凄いことか。国家権力である岬にも、極道の若頭だった花恵にも、マフィアの幹部である京にさえ使わなかった、その敬語という喋り方。もはや一般人ではなく正義執行人である彼女には、敬うべき人などいないのかもしれない。
では何故杏樹が遊馬に対して敬語を使うのかというと……理由は単純。この遊馬という人間が、面倒な人間であるからだ。
「じゃあ何しに来たんだ。今は1番忙しい時間帯だろ」
「……まァ……呼び出されテ」
部下に対してなどには、優しくはないが厳しくもない。そんな当たり方をする遊馬だが、杏樹にとっては全く別の対応の仕方だ。この警視庁に在籍している人間の中で、1番杏樹を嫌っていると言っても過言では無いだろう。
それに関しても、理由は単純。遊馬は、純粋な正義を追求してこの警察という仕事を続けているからだ。どんな凶悪な事件でも、必ず警察の手によって犯人が逮捕されて、必ず法によって裁かれるということを彼は望んでいる。警察ではない者が事件を解決したとしても、それは正義が事件を解決したことにはならない。正義が悪を裁いたことにはならない。それが遊馬の信条なのだ。
「……テメェのことは認めてねェし、これからも絶対に認めねェからな」
正義執行人である杏樹を、正義とは認めない。しかし、彼女を凶悪な事件のみに対して起用するということは、遊馬よりももっと上の人間が決めたこと。杏樹を否定することは、彼自身に出来る唯一の抵抗なのである。
もっとも、彼が杏樹を苛烈に嫌う理由はもう1つあるのだが……。それはまた別の機会に。
その言葉だけ言い残すと、遊馬は片手をスーツのポケットに突っ込みながら感じ悪くどこかへと去っていってしまった。普通の人ならば傷つくのだろうが、杏樹はなんともない顔で、ただ「面倒な人だナァ」なんて思いながらその後ろ姿を見つめていた。
「あァ、そうそう。特捜部屋ってドコ?」
「……と、特捜部屋なら9階の空き部屋を使われているかと!」
「9階ね〜。うん、ご協力ありがトさン」
修羅場に巻き込まれてしまったとしか言いようのない警察官は、その残されたムードに緊張しつつも、ハッキリと杏樹に向かってそう伝える。特捜部屋というのは、特別捜査部屋のこと。捜査本部が設置されると同時に置かれる、本部専用の部屋である。
杏樹は、教えてくれた警察官に一言残してから、その特捜部屋へと向かった。懐かしいなぁ、あの時遊馬さンは確か……。なんて、昔の出来事へ密かに思いを馳せながら。
「しつれ〜い」
9階へとつけば、杏樹は特捜部屋を探す。前この階層に来た時は、確か1番端の部屋が空き部屋だったっけ……と、記憶を頼りにしながら歩く。どうやらそれは当たりだったようだ。
中からは声が聞こえず、会議等をしている様子でもない。ノックはせず、そう呟きながら杏樹は特捜部屋に入る。部屋は思ったよりも狭く、1つの机を囲んで、4人の警察がパソコンに向かって作業をしているようだった。その警察の中には勿論、岬も居た。
「……今、捜査中だ」
「その日の深夜だけでも、探すのは時間かかるシ。急かしてないカラ」
岬の座っている方へと歩み寄りながら、杏樹はそう語りかける。仮にめるが証言した白黒髪の女が犯人だとして、これまで完璧な犯行を見せてきた犯人がこんなに目立つことするだろうか? なんて多少の疑問を残しつつも、杏樹は岬達が防犯カメラに奴が映っていないかを探す所を見つめていた。
そして、杏樹が来て5分程度経った時。1人の警察官が、注意深くパソコンの画面を見ながら口を開く。
「…………清水さん。これ……そうかもしれないです」
岬はその言葉を聞くと、待っていたと言わんばかりの顔を浮かべつつも、その口を開いた警察官の元へと向かう。そして、机へと手をついて、パソコンへと顔を近づけながら画面を凝視する。
「白黒で、髪が長い。……きっとこの顔は女だろう」
その画面に映っていたのは、めるの記憶通りの髪色・髪の長さで、キャップが後ろ側に向くように帽子を被っていて、黒い服を着ている女性の姿。路地裏などではなく、何処かの店の前で撮られた映像のようで、顔はハッキリと映っていた。
「……顔認証をとっておけ、認証がとれたら住民のデータベースと調合だ。身元を特定しろ」
「承知致しました」
ここに来て、ようやく、捜査が進む。影すら見せなかった犯人に、捜査本部が、警視庁が、少しづつ迫ってきている。岬は、そのことに対しての安堵感からか、軽く息をついてからまた自分が座っていた席に戻っていく。
「……言っとくケド、その子が犯人ッて決まったワケじゃないシ、関係者とかの可能性も望み薄かもしれないよ」
そんな若干の安堵に水を差すように、杏樹は席についた岬に向かってそう呟きかける。
「……わかりきった事だ。だが……こういう時は『もしかしたら』が大事なんだ」
岬の言う通りだ。捜査本部はほぼ何も出来ずにいるのに、事件はどこかで引き続き起こっている。岬はこの捜査本部が出来てからの約2ヶ月間、苦渋を舐めさせられ続けていた。だが、今のように、「もしかしたら」があるだけで、停滞そのものが無くなる。証拠が無さすぎてろくな捜査すらさせてくれない、というのが、1番メンタル的にはキツイ。
これからまた、事件解決に向かって前進していける。そう思ったからこその、ひと時の安堵であったのだ。
「…………身元の特定、完了致しました」
どうぞと言わんばかりに椅子から立ち上がり、席を空にすると、警察官はそう岬に告げた。再度立ち上がり、次は椅子に座ってじっくりと画面を凝視する。杏樹も、岬についていくように後ろについて行き、椅子の後ろからパソコンの画面へと視線を送る。
「……ねェ、この苗字……なンて読むノ?」
「どうやら、
輝煌山レナ。それが、白黒髪の女性の正体。
そして、偶然とは思えない、名前のレナと「RENA」の一致。きっと関係者には違いないだろうし……普通に考えれば、彼女が犯人なのだろう。
生年月日から大体の年齢を把握して、杏樹と岬は驚愕する。まだ18歳。高校こそ卒業しているものの……そんな年齢の女の子が、こんなに重大な事件を起こしている。正攻法で彼女が法によって裁かれるのなら、少年法があるとはいえ、どうにも死刑は免れないであろう。
「……他のカメラには同期して確認させたか?」
岬は、レナのデータを見ながら部下にそう問いかける。
「はい。さっきの渋谷の映像と、それから……新宿のカメラにも映っていたようです」
「そうか」
やはり、レナはなにか新宿区に関係があるようだ。もしかしたら、18歳という年齢で、1人で新宿のどこかに鳴りを潜めているのかもしれない。ただ、ここでもう1つの疑念が浮かぶ。それは、レナの家族について。輝煌山家についてだ。彼女がそこに住んでいるというのなら、最も手っ取り早いのだが……。
そう思って、岬はレナの家族についてのデータを調べる。すると、レナについてあることが判明した。
「……
「東京の西にある村だっケ? 東京都唯一の村〜とか……」
「そうだ。どうやら、その村にある金持ち一家らしいな。輝煌山家ってのは」
東京都全体の、南西部に位置する村、檜原村。その村に住むレナの家族に、事情聴取をしなければいけなさそうだ。杏樹は、何やら闇が深そうな匂いを感じ取る。金持ち一家というのは、こういった子供が起こした事件を、金で無理やり揉み消したりしようとしてくるのがほとんどだ。
輝煌山家はどうだろうか──? そんな疑念を抱きつつも、杏樹は岬と共に後日、輝煌山家へ向かうことにした。