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第7話 猟奇的殺人犯





 何気なく過ごす日常のある日、深夜、路地裏。会社の飲み会が終わったあと、程よく酔っているサラリーマンの男は、1人で家へと歩いていた。家族のために出来るだけ金を使い、自分のためにはあまり金を使わず、節約できるようなら、家族に使うために節約する。だから、たとえ少し酔っていようとも、節約のためにタクシーなんて呼ばずに歩いて帰っているのだ。理想の夫像というものだろう。


「オニイサン。こんな夜中に1人は危ないよ」


 そんな男の背後から、ある者が声をかける。こんな夜中だから、誰にも話しかけられるなんて思ってもいなかったし、何より、後ろに人が居るという気配そのものがしなかった。男は、その声が妖艶ようえんだったことも関係し、酔いも回っているから、もしや幽霊かと錯覚して、冷や汗をかきながら振り返る。

 しかし、そんな男の心配も杞憂きゆうに終わった。後ろに居たのは、髪が長くて、手を背中の後ろに組んでいる、すらっとしている女性。つまり、人間である。男は、ほっと胸を撫で下ろしながら口を開いた。


「ぁ……ああ…………ありがとう。お嬢さんこそ……こんな時間に危ないんじゃないのか」


 男は理想的な夫であると共に、理想的な人間だった。彼女への感謝を伝えるのは勿論のこと、彼女のことを心配する優しささえあるようだ。

 そんな男の声を聞くと、彼女はゆっくりと男の方へと近づいていく。不気味な笑みを浮かべながら。男は、少し不審に感じたが、自分が心配した相手を怖がって離れるなんてこと、優しいが故に出来なかった。


「それは大丈夫。私は、そっち側の人間じゃないから」


 背中の後ろで組んでいた手を解きつつ、彼女は男に向かってそう告げる。


「……? いったいそれは……」


 どういう意味だ……、と問いかける前に、男の明確な意識はそこで途絶えた。男が最後に見たのは、愛する妻や娘の姿ではなく、鋭利な刃物を手に持って自身へと襲いかかる、髪の長い女性の姿であった。





















「めるちゃ〜ン、少し出かけてくるネ」


 何気なく過ごす日常のある日、昼間、リビング。自室で既に準備を済ませた杏樹は、すぐ側のキッチンに居るめるに向かって、そう喋りかける。


「ん、何時頃帰ってくる?」


 夕飯の仕込みをゆったりと済ませている彼女は、手を動かしながら杏樹に向かってそう返答する。最近は、杏樹がめるの地雷を踏むこともなく、平穏な日々が続いていた。


「う〜ン……警察がいつあたしを解放してくれるのかわかンないからね。なんとも言えないナ……」


「……警察? あんたまさか、嫌がってる相手を襲ったり……」


 その単語を耳にしためるは一度作業の手を止めて、少し軽蔑するような顔を浮かべながら、杏樹に向かって聞き返すようにその言葉を繰り返した。彼女なら有り得る……なんて思われるという時点で、いかに杏樹が異常な人物なのかが分かるだろう。


「イヤぁ別にそんなンじゃないけどね?? 普通にまたお仕事だよ」


「ふぅん……そう」


 勘違いされちゃ困るなんて顔を浮かべつつ、杏樹はそう答える。だが、それはそれで何か不満そうな顔を浮かべためる。バスジャック事件の解決の前にも、めるはその表情を見せていた。

 彼女が解決するのは、警察が解決できないような、危険な事件。杏樹がその事件を解決出来ずに死んでしまったり、殺されてしまったりしまうなんてこと、考えられない。しかし、相手が杏樹以上に凶悪すぎたりしたならば、もしかしたら────、その可能性はあるかもしれない。めるは、杏樹が心配なのだ。いつもフラフラしている彼女が、ある日を境に、急に居なくなってしまったら。同居をしている以上、それくらいの心配はしない訳がない。


「……早く帰ってきなさいよ、ご飯用意してるんだから」


 だが、何を言っても杏樹はその仕事をやめてはくれないということを、めるは薄々認識していた。この1年、杏樹がその話題を出す度に、めるはしつこく「その仕事をやめてくれ」と彼女にお願いしてきた。時には家に閉じ込めようとしたり、時には物で釣って行かせないようにしたり……、バイトを勝手に応募したりもした。そんな精一杯の努力はしたけれど、全てダメだった。

 のらりくらりと受け流されて、結局は死地へと進んでいく杏樹。なにか信念があってやめないのかもしれないけど、その心に信念なんかあるようには見えない。話してくれれば、少しは理解できるのかもしれないのに。……めるは、杏樹を引き止めることを半ば諦めかけて、そう言葉を交わしたのだった。


「……なあにめるちゃン、心配してくれてるノ〜? もぉ、可愛いンだから〜」


 茶化しながらも、杏樹は返事をする。そんな杏樹の言葉に対して、「いつも心配しているよ」。めるは、そんな言葉が喉元まで出かかって、……やっぱり恥ずかしくて、その出かかった言葉を飲み込んだ。


「…………早く行きなさいよ」


「顔赤くなってるよ〜? ……ホントに遅刻しそう。じゃあね」


 めるを茶化すのもそこら辺にしといて、杏樹はバイクの鍵を人差し指に引っかけてプラプラと回しながら、リビングを後にした。夕飯の仕込みは、暫く思うようには進まなかった。











 携帯を片手に低スピードでバイクを走らせつつ、杏樹は指定された場所へと進んでいく。その指定された場所というのは、目黒区のある路地裏。飲食店が立ち並ぶ路地裏……ではなく、ビルとビルの隙間にあるような、ジメジメした路地裏だ。当然、そんな目立たなさそうな路地裏が一目で分かるはずもなく、杏樹はそんな調子で暫くバイクを走らせていた。


「ン〜と……あぁ、ここかな」


 侵入を禁ずる為につけられる黄色のテープがビルとビルの境に貼りつけられていることを確認すると、杏樹はそのすぐ近くにバイクを止めて、そのテープを跨ぎながら奥へと進んでいく。立入禁止のテープが貼られている場所に堂々入っていけるのは、国家権力と彼女くらいだろう。

 そのまま道なりに進んでいく道中、杏樹は感じ始める。鉄によく似た、血の匂いを。ここら辺が現場だとして……、匂いの残り方から、事件が起きたのは半日以上前? なんて勝手に推測しながら歩いていると、岬を含めた数人の警察官に加えて、壁にもたれ掛かりながら息絶えているスーツを着た男の遺体があった。


「……はァ〜い、警部さン」


「来たか」


 ポケットに手を突っ込みつつ、腰を屈めて岬の肩に顎を乗せるような体勢になりながら、杏樹は岬に向かって挨拶をする。普通の人は、そんなことされたら気持ち悪く思うのだろうが、もはや慣れてしまっているようで、岬は一切動揺なんかしたりせずに一言だけ杏樹に向かって呟いた。

 他の警察官は、何かを記録していたり、男の遺体の周りをテープで縁どりしたりと、様々なことを済ませていた。よく漫画やドラマで見る、事件発生直後の警察がよくやるアレ、といえば、わかる人はわかるのだろう。


「最近ニュースで見るだろ。また『RENA』だ」


「ニュースとか全然見ないケド……流石に知ってるよ、その『RENA』ってヤツ」


 岬が口にした、「RENA」という人物名。それは、最近、ニュースや新聞などのメディアでは勿論、ネットでも話題になっている、「RENA」による通り魔事件のことである。この事件が何故こんなにも騒がれているのかというと、主な要因は2つある。

 1つ目の要因は、現場に必ず被害者の血を使って、壁や地面などに「RENA」という文字を残すという、漫画のキャラクターがまるでそのまま現世に飛び出してきてしまったかのような、その犯人の狂気。ネットでは、そんな犯人を支持する者まで現れたという。狂気も度が過ぎるとそれはカリスマ性になり、そのカリスマ性は大きく人を寄せ付ける。まさにそれを体現していた。

 2つ目の要因は、その起こした事件の数。決まった周期などがある訳では無いが、平均して5日に1回、「RENA」は東京都内のどこかで事件を起こしている。被害者の数は、今杏樹達の目の前にある遺体も含めて、16人。日本で起きている事件の中では、異質な数字であろう。そして、約3ヶ月に渡ってそんなに事件を起こしているのに、犯人を一向に捕まえられない警察の無能さ。そんな心無く寄せられるコメントも、ネットでは多くあがっている。

 岬から一度離れて、杏樹は遺体の方へと無許可で進んでいく。だが、誰も彼女を注意したりはしない。これまで彼女が解決してきた、数々の凶悪な事件を知っているから。


「コレが『RENA』に殺された遺体かァ……。そんで、コレが例の文字と」


 遺体の目の前で立ち止まり、杏樹はそう呟いた。男の胸には、刃物で突かれたような傷跡。綺麗に心臓がある部分を貫いている。中々のやり手と見受けられる。そしてやはり注目すべきは、多くの人々も注目する「RENA」の文字。灰色のビルの壁に大きく書かれたその文字は、スプレーやペンキの代わりに被害者の血を使って書かれている。ただ、すっかり時間が経ち、乾いてしまっているせいか、血は赤色ではなく茶色がかった黒色に変色してしまっていた。


「この文字から特定出来たりはしないノ〜? 筆跡とか指紋、繊維とか……」


「それが出来たら苦労してない」


 一通り遺体や現場の様子を観察し終えると、杏樹は振り向いて、再び岬の方へと歩みを進める。

 日本国民の全員の筆跡を確認するなんて出来ないし、犯人は外国人かもしれない。それを書いた指紋や衣類の繊維などがあれば良いのだが、生憎犯人は手袋か何かをしているのだろう。そういった証拠も無しに等しい。

 犯罪の証拠を、何一つ残さずに完遂された犯罪。世界でもトップレベルと言われる日本の警察が、やむを得ず捜査を打ち切りにするような犯罪。そんな犯罪を、完全犯罪という。この事件は、そんな完全犯罪になり得てしまう。


「あたし、探偵じゃないからネ〜。ある程度目処が立ってンなら解決出来るケド、流石に一から探せッてのは……」


「……そんなの分かってる。奴は絶対に私達で見つけ出す。お前はそれから処理をすればいいだけだ」


 杏樹の言葉に被せるように、岬はイラついた声色でそう宣言した。

 警察にとって、完全犯罪とは、恥であった。私刑が許されないこの日本国内において、被害者や被害者遺族にとって頼れるのは、警察しか居ない。その頼れるはずの警察が、手も足も出ず、容疑者の思惑通りに完封される。そんなこと、あっていいはずがない。岬の握り締めた拳の内からは、怒りの表れからか、血が何粒か垂れ流れていた。


「……今の所出てる概要は?」


 本当は聞く気がなかったが、そんな岬の様子を見て、気が変わった。杏樹は、ビルの壁に寄りかかりながらそう問いかける。


「……凶器は刃物、被害者は全員男、犯行は東京都内の深夜帯のみ。……こんな所か」


「ァハ、いかにもあたしがしそうな犯行だネ」


 外を出る時はいつでも所持している高周波ブレード。女にしか興味が無いため、興味は無い男は殺害。事件以外では、都内から出ることはほとんどない。……確かに、杏樹を知っている者ならば、杏樹を疑ってもおかしくはないだろう。

 杏樹がもしも職務である「正義執行」以外で人殺しをした時。杏樹が自首しない限りは、この国の全警察と杏樹による内戦が起きるだろう、と言われている。彼女1人の行動で、国が動きかねない。だからきっと、彼女は軽い気持ちで事件なんて起こさない。ここに居る警察官全員、そう感じていた。疑いたくないのである。


「……でもでもォ、あたしにもこんなに色んな人を色んな場所で殺しておいて完全犯罪〜、なンて出来やしないよ。だッて、今の時代はカメラ1台で人物を特定出来る時代でしョ?」


 杏樹の言う通りだ。たった1人を殺しただけでも、どこかに置いてあった監視カメラ1台で事件の全貌を暴かれてしまう、そんな時代。そんな時代に、色々な場所で人を殺しているこの事件の犯人が、見つからないわけがない。


「……それがな、居ないんだよ。この3ヶ月間、色んな映像を見てきたけどな……。事件当日、付近の監視カメラに映っていた奴で、怪しそうな奴は誰1人居なかった。違う日にちの違う場所で、同じ奴や車が映っていた……なんてことも、何一つなかった」


 捜査の肝となる監視カメラ。その監視カメラに収められた映像が、現状何の役にも立っていない。そもそも、この事件でそんなことありえるのか? 杏樹は少し脳を働かせる。

 同一犯による犯行ではなく、複数犯による犯行ならばまだ訳が立つかもしれない。しかし、岬に聞いてみたところ、書き残された「RENA」や刃物の種類から推測するに、同一犯だと断定されている。だから、これはなし。

 ならば、殺しのプロである裏社会の殺し屋? 映像データのすり替えだって可能だし……。……否、殺し屋が現場に「RENA」なんて残すわけないし、何より遺体なんてその場で残さず処理するだろう。これも違う。

 どう足掻いても辿り着くのは、同一犯による犯行。それも、男だけを殺すという異常心理がある…………猟奇的殺人犯シリアルキラーだ。


「……まぁ、少しくらいなら考えるケド。捜査は警部さン達に任せるよ」


 脳が煮詰まってきたタイミングで、杏樹は思考を切りかえる。ここは警察に任せても大丈夫だ。……頼りになるかは分からないが。もう岬と話したいことは話せたし、今日はここでおさらばさせてもらおう。そう喋りつつ、杏樹は路地裏から出ていこうとする。


「……任せろ」


 普通の警察官なら、捜査が難航してしまうと、心が折れてしまう。しかし、岬は折れなかった。被害者遺族の仇を打ってやりたかったから。その岬の声色を聞けば、杏樹は少し安心して、停めたバイクの方向へと戻っていくのであった。

















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