目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第6話 そしてまた、





「……ん゛、……」


 冴えない視界、まだ気怠さが残る脳、掠れた声。杏樹は、布団からのそのそと起き上がる。いつも寝ているベッドとは全く違う布団だからか、まだ体の節々が痛む。

 昨夜のことを思い出して、思わず「ふへ」と声が出る。昨夜はまさに、お楽しみというやつであった。行為の相手は勿論、風見鳥組の若頭である、風見鳥花恵。櫻葉という百鬼の元幹部候補を捜索、もしくは処理する、という依頼を解決した報酬だ。解決後1週間ほど経ったあと、思うがままに一夜だけ、抱かせてもらった。


「…………杏樹ちゃん゛、……起きるの早なぁい……?」


 隣で寝ていた花恵は、杏樹が起き上がったのに薄々気づいて、夢と現実の狭間に居るような、寝起きとも言い難いぽわぽわした雰囲気で杏樹にそう呟く。散々杏樹に鳴かされたからか、声は若干枯れていた。


「あ〜、起こしちゃった? ごめんごめン、……もう少し寝ようかナ」


 起こしてしまった花恵の頬を、すり……と右手で撫でながら、杏樹は再び布団を被る。


「……お好きにどぉぞ……うちはもう少し寝させてもらうわ……」


「ん。おやすみ」


 白く柔らかい肌同士を、所々ぴとっ、と触れさせながら、杏樹はもう一度目を瞑る。杏樹が女体を抱くことを好きな理由の一つだ。事後こうやって2人で眠る時、触れ合う肌の感覚が心地よい。それに、いい匂いもする。

 いつもの誰かを抱いた後と変わらず、杏樹はそんなことを頭に浮かべながら再び眠りにつく。











「……それで、言い訳は?」


 場面は一転して、花恵の豪邸から、めるの家へと移る。現在、杏樹はめるに詰められていた。めるに連絡をせずに家へと帰らなかったからである。この家では、帰るのが遅くなったり、もしくは都合がつかず帰ってこれないという時、互いに連絡をしなくてはいけないという定めがある。そんな定めどうでもいいじゃん……なんて思ってはいるが、いつも他の女を抱く時は、怒られたくないからとこまめに連絡をしていた。しかし今回、極道で好みの女を抱けるという興奮のあまりそれを怠った杏樹に、制裁が下されたのだ。

 好物のショートケーキを、いかにも機嫌が悪そうに肘をついて食べながら、めるは杏樹にそう問いかけた。このケーキは、お怒りのメールを受け取った杏樹が、帰ってくる途中に急いで買ったもの。だが、流石にこれ一つで機嫌をとれるほどめるは馬鹿な女ではなかった。


「……ンえ〜ッと。まあ色々ありまして〜……」


 明らかに焦りながら、杏樹は言い訳を探す。しかし、良い言い訳が特に思いつかずに、困り果ててしまっていた。


「……」


 そこに飛び込んでくる、無言のめるの眼光。いつもは機転が利く杏樹も、流石に頭が真っ白で、タジタジなご様子だった。


「……お友達の結婚式!」


「その格好で?」


「…………の、前祝いの飲み会」


「そんな珍しいことするのね」


「ま、まァ……」


「あと、あんたに結婚式出来るような友達居るのね」


「うっ…………」


 いつもは余裕綽々としている杏樹に、めるの言葉一つ一つがまるで槍のように突き刺さる。勘の鋭いというか、きっと杏樹の嘘を見抜くのが得意なだけなのだろう。めるは、次々と杏樹の発言の痛いところを突いてくる。


「……まあ、別に結婚式に行っても飲み会に行っても、他の女抱いてもいいけど。連絡くらいちゃんとしなさいよ。心配だから」


 最後に残していた苺をフォークで刺して食べ終わると同時に、めるはそう杏樹に伝える。なんなら、他の女を抱いていたということすらめるには見透かされてしまっていたようだ。杏樹は、分かりやすく「ギクッ」という効果音が似合う顔を浮かべる。


「……申し訳ございませんでした〜……」


「ん。ごちそうさま」


 たしかに焦ってはいるが、心では全く思っていない謝罪を杏樹はしておく。そんな杏樹の謝罪を受け流しつつ、めるは食べ終わったケーキを置いていた食器やゴミなどを片付けようと椅子から立ち上がる。


「……そういえば、ちょうどついこの前、私も結婚式に出たのよね」


 食器を洗いつつ、めるはそう口を開いた。


「へ、へェ〜。どうだった?」


「初めての経験だったけど……感動した。会場もすっごく綺麗だったし」


「あ〜……そッか」


 そういえば、あの時見た、ステンドグラス。あれは確かに綺麗だったな。杏樹は、櫻葉を処したあの日のことを密かに思い出す。普段、女という概念以外には「綺麗」なんて思わない杏樹には、あまりにも珍しい出来事である。今の時代、結婚式の会場にステンドグラスがあることは珍しい。事実、めるが行った友人の結婚式の挙式会場にも、ステンドグラスは無かった。

 今はもう、廃れてしまったステンドグラス。まだ現在も動いている教会などを訪れるくらいしないと、簡単に見ることが出来ないもの。そんなソレを、思わぬ形ではあったが見れたのは、幸運なのかもしれない。


「杏樹。電話……出ないの?」


 そんなことをぼんやり考えていると、そのめるの言葉で、ようやく杏樹は自身の携帯が鳴っていることに気づく。


「あ、あぁ〜! ごめんごめん、ちょっと出てくるね」


 止まない電話のコールを、今はありがたいなんて思う。急いで携帯を手に取って、杏樹はリビングから自分の部屋へと向かいながら、その電話をかけてきた者の名前を見た。あれ以降は連絡をとる機会が多くなった百鬼の幹部、京だった。


「はいはァい、もしもし」


「杏樹ちゃん、ちょっと今ええか ~ ?」


「ン、もしかして……あの時の4Pの話、気が変わッたとか」


「まあそういうのはええんやけど ~ ……」


 なんだ、そうじゃないのか。なんて、残念そうな顔を浮かべながら、杏樹は自室の扉を閉める。多分、ただの世間話とか雑談とかじゃあない。あの日のことについてだろう。そんな物騒な話、めるは聞きたくもないだろうし、こちら側としても聞かせたくはない。しっかりと扉が閉まったのを確認して、杏樹はベッドの方へと進んでいく。


「一応報告だけはしておこうと思ってな! ボスも一緒に話せれば良かったんやけど、生憎よさそうなタイミングが全然なさそうで……」


「変わッてなけりゃ、百鬼のボスってアイツでしょ? 男だしィ〜……興味無いからいいヨ」


 ベッドにぽすんと腰をかけながら、杏樹は携帯に向かってそう告げる。きっと、百鬼のボスが風見鳥組若頭の花恵のように女だったのなら、話は別だったのだろうが。男には、本当に一切興味がないのだ。


「ははっ、勿論ボスは現役や。ウチより全然若いし……あと20年くらいなら、このまま余裕で頂点に君臨しとるやろな」


「ン〜……百鬼とは、凄く友好って感じの関係は築けそうにないナ」


「ま、杏樹ちゃんみたいな強い人が百鬼に協力してくれたら、もっと活動の幅が広がりそうなんやけど……杏樹ちゃんはあくまで『表の人』やもんな」


「その通り! 裏の仕事なんて普通はしませ〜ン」


 好みの女の体が報酬と告げられたならば、たとえそれが裏の仕事でも即座に乗っかるが。杏樹はきっと、自覚していない。自分が女体に弱すぎるということを。


「さて、本題に行こか。……分かっとるやろうけど、ウチが2階に行った時、櫻葉はくたばっとったわ」


 あの時、杏樹がその場を去ってから10分程度経ったあと、教会に黒色の高級車やバンが合計4台ほど来たらしく……それと同時に京は2階へと向かったらしい。その車は勿論、百鬼が手配した車。バンは遺体処理用の車で、他の高級車は、きっと清掃などをする為に集まった奴らの車。そんなことも、京はついでにと話してくれた。


「明らかに致命傷だったからネ〜。あれで死ンでなかったら驚きだワ」


「んでんで、櫻葉の愛人も同じ部屋におったけど……毒飲んで自殺したっぽかったな」


「……ふ〜ン。組織に処されるのがイヤで命を絶ったか……櫻葉くンと一緒に死ぬのを選んだか、どッちかだネ」


 たまに、存在する。自分が標的になっていると分かった瞬間、殺されるのはごめんだ、なんて思いながら首を吊ってしまう奴。生き残れる確率が1パーセントでもあるなら、その確率に賭けてみてもいいのになぁ、と杏樹は思う。

 だが、その価値観は、この世に絶望をしたこともなければ、自分が殺されるということへの恐怖も感じたことのない杏樹独特の価値観だ。そんな杏樹に、普通の人の感性なんて、分かるこっちゃなかった。


「状況から見るに心中やったわ。ベッドの上で2人抱きながら死んどった」


「厳密に言えば心中じゃないンだけどネ。あたしが櫻葉くンを殺したから」


「心中ってロマンチックや ~ ん? それくらいなら別にええやんか」


 古びた一室の、古びたベッドの上で、櫻葉とその愛人は眠るように死んでいった。片方は失血死、もう片方は毒死。2人がその行動を起こす前、どんな会話をしたのか、どんな表情だったのか。それは、本人達にしか分からない。


「……にしても、ボスも随分残酷やなぁ。自分の愛人を自分で殺せ ~ 、とか」


「そンぐらい出来ないと、幹部なんて勤まらないンじゃない?」


「ウチやって、お嫁さん殺せ言われたら、少しは考えるけどなぁ」


「でも結局は殺すンでしョ」


「……さぁな」


 マフィアの構成員にとっては、上の言うことは絶対。上が林檎を指さして、「これは蜜柑だ」ともし言ったなら、それは蜜柑になる。死ねと命令されたなら、死ぬほかない。それほどまでに、上の権力は強いのだ。

 そんな権力に抗って、愛のために動いた男。それがマフィアにとって、カッコいいのかダサイのか、それは分からない。ただ、京から見た彼の姿は、かつての部下ということも相まって、ただの裏切り者として軽視することは出来なかった。


「ま、そんな所やな。百鬼からも報酬とかは出来る範囲なら用意するけど……」


「え? じゃ、京ちゃンの……」


「あ ~ 、悪いけどそういうのは受け付けてないんよ。ほな」


 プツリ。一方的に断られて、一方的に電話を切られる。杏樹はもはや呆然とした顔で携帯を20秒ほど見つめていた。

 だけど、報酬ならまあ花恵さんに充分払ってもらったし……めるちゃんに家を追い出されたりしたら、その時は「報酬」として百鬼でも頼るとしよう。杏樹は、ポジティブにそう切り替えた。











「続いてのニュースです。昨夜、板橋区で起きた通り魔事件の現場で、連日起こっている通り魔事件の容疑者が書いたと思われる『RENA』という字が……」


「…………物騒ね。」


 テレビを開くや否や、めるの耳に飛び込んでくる、そんな情報。最近起きたバスジャック事件もそうだけど、きっとそれ以前から……日本中の治安が悪化している気がする。そんなことを感じながら、めるはミルクで薄めた珈琲を口に運ぶ。




 そしてまた、新しく解決するべき事件が増えていく。警察じゃ手に負えない……それこそ、正義執行人でもない限り、解決ができない事件が。












コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?