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第5話 櫻葉





「……正面の入口以外、ろくに入れる場所は無さそうかナ〜。」


 教会だけでなく、周りの木や雑草も随分伸びきって、環境ごと廃れてしまっているこの一帯。教会の周りを、杏樹は気配を消しながらクルクルと回る。……が、正面玄関以外でその長身をぶつけること無く入れそうな場所は、どこにも見当たらなかった。

 教会の裏側には、確かに裏口のようなものはあった。しかし、その裏口の扉には南京錠がついていて、更には無数のツタが巻き付いている。ツタはまだしも……南京錠は、高周波ブレードで切断するには少し不安。拳銃で確実に破壊できるのだろうが、それだと存在に気づかれてしまう。扉自体を破壊という手も、木造なのだからできるっちゃできるが……無論物音を立てないのは不可能だろう。

 バスジャックの時のように、どこかの窓を切り裂くというのも現実的ではない。窓の高さが、長身な杏樹の頭よりも上だからだ。何かあの時のバイクのように、物の上に立つことが出来れば窓から入ることは可能だろうが……生憎、杏樹が上に立てそうな物は近くにない。


「ま、正面から行くのも趣があるッてヤツ?」


 小さな5段くらいしかない階段を上ると、さしていた傘を閉じて手すりに置いてから、杏樹は木造の古びた扉を開く。なるべく音を立てないように、ゆっくりと開く……が、逆に扉の軋む音がキリキリうるさいので、杏樹は一思いにその扉を開いて中に入る。

 教会の内部は、何か部屋を挟む訳でもなく、扉から聖堂まで直通していた。埃によって薄汚れてしまった赤色のヴァージンロードは、杏樹を誘う道のようで、杏樹も誘われるがままにその道に沿って歩く。教会なのにヴァージンロードなんて珍しい。普通、結婚式の会場として選ばれるのは、ホテルのチャペルが一般的。こういう改まっている本格的な教会などでするのは、とてもという程ではないかもしれないが、珍しい。

 なんて思いながら、杏樹は聖堂の最奥にある、講壇の目の前に立ち止まる。こんな廃教会には全く似合っていない、威厳さと美しさを写し立つ、綺麗な虹色のステンドグラス。このステンドグラスだけは、きっと当時の姿のままなのだろう。杏樹は、思わずそれに見とれてしまっていた。

 次の瞬間、油断している杏樹の脳味噌が、1発の銃弾によって教会内に吹き飛ぶ。


「ひょ〜……危ないなァ」


 ……はずだった。全てを見透かしていたかのように、杏樹は体を半歩分だけ横に動かして、銃弾を紙一重で避ける。銃弾は杏樹の長い髪を貫通し、講壇を貫通した。

 櫻葉が消せていない、密かに向けられた銃口から伝わってくる膨大な殺気を、杏樹は見逃さなかった。杏樹は、教会に入ったその時から、もう既に櫻葉の存在を確認していた。これまでの経験で培った、感じる人の気配、そのおおよそな位置。ヴァージンロードを歩いている時に後方から聞こえた、床の軋むような音。指が引き金に触れる音。こんな誰もいない教会には、そんな音ですら、地獄耳の杏樹にとっては響いてしまっている。


「……追撃はしなくていいノ? 櫻葉くン」


 少し緩んだ殺気を確認すると、杏樹はホルスターの拳銃を抜きながら、ゆっくりとした足取りで後方へと振り返る。そして、斜め上の方へと首を傾けた。


「問題無い」


 そう上階へと続く階段の踊り場から杏樹に向かって言葉を交わすのは、無論────、櫻葉本人。外で着ていた特徴的な黒いコートは脱いだらしく、身に纏うのは、Tシャツと腕時計、デニムパンツに適当なスニーカー。写真で見た、白いハットに黒いコート……という格好ではなく、そこらどこにでも居そうな中年男性の格好だ。

 しかし、そこらの中年男性じゃ出せないものを1つだけ櫻葉は纏っていた。それは、他を寄せつけぬ、圧倒的なオーラ。左手はポケットに入れ、身体を若干左に傾けて……眉間に皺を寄せ、凄まじい眼力で見つめながら杏樹に銃口を向ける。そのさまは、さながら熊のようだった。


「名だけ聞いておこう」


 その姿勢は崩すことなく、櫻葉は杏樹に向かってそう問いかける。


「……朽内杏樹。正義執行人ッて言った方が伝わるかナ」


 杏樹は、例の如くいつものようにその不気味な笑みを浮かべ……櫻葉に向かって銃口を向けながら、そう告げた。


「……お前のような若い女が……」


「ダメだナ〜櫻葉くン。今の時代、タヨウセイだよ?」


「悪かったな。これでも度肝を抜かれてるんだ」


 そう言うと同時に、櫻葉は杏樹に向かってまた不意打ち気味に発砲する。そんなの無駄だよ、なんて考えながら杏樹は再度最小限の動きで避ける。しかし、銃弾を完全に避けることは出来ず……杏樹の頬からは、サラリと血が垂れてきてしまっていた。

 戦闘で血を流すという、久しぶりのその感覚。頬が焼き焦げたような一瞬の灼熱に、杏樹は軽く恍惚すら覚えてしまう。杏樹が動き出すのが遅かったという訳でも、櫻葉の放つ銃弾が特別速かった訳でもない。杏樹は、恍惚と同時に微かな違和感を覚える。


「……ンにゃあ、使ってるのは支給武器ログインボーナスか。勿体ないねェ」


「目がいいんだな」


「それほどでモ」


 互いに手元の拳銃を撃ち合いながら、そう言葉を交わす。その姿はまるで、キャッチボールをしながら言葉を交わし合う少年少女。……だが生憎、杏樹らが投げているのは、野球のボールではなく、せいぜい13ミリあるかないかの弾丸。まともに当たれば死あるのみの、死のキャッチボールだ。

 さっき何故か当たった攻撃を不審に思って、杏樹は目を凝らして櫻葉が使っている拳銃を確認した。しかし、櫻葉の使用する拳銃は、至ってシンプルな、M1911というハンドガン。最もメジャーといっても過言ではない拳銃だからか、マフィアや極道では、武器を扱える立場になって最初に支給される武器がこのM1911というケースが多い。ゲームで例えるならば、初期武器だ。

 特に拳銃に改造などが施されている様子もない。ならば……杏樹に銃弾が掠れたのは、単純なこと。櫻葉の拳銃を扱う腕が、とてつもなくいいのだろう。


「……ようやく違和感がわかったナ。手首のスナップが異様に効いてるンだネ」


 まともに撃ち合ったが、銃弾は両者共に当たらなかったようだ。教会の柱に一旦身を隠すと、杏樹は頬に垂れ流れている血を親指で拭いながらそう呟く。

 銃口が向いている先を狙って避けている杏樹が、あの銃弾に当たってしまった理由……。櫻葉は、銃を撃つ瞬間に、その強靭な手首をクイッと杏樹が避けるであろう方向へと少し曲げて、杏樹の行く先に銃弾を“置く”という撃ち方をしていた。予測力、筋力、反動に耐えうる手首……それら諸々が無ければ、成立しない撃ち方。その撃ち方で、櫻葉は杏樹に傷をつけたのである。百鬼の幹部ですら簡単に傷をつけられない杏樹という女に、殺気はあろうと、たかが幹部候補生が傷をつける。その存在は、明らかな特異点であった。


「さて。どうするかナ〜……」


 拳銃の腕は正確なようだし、下手にこの死角となっている柱から動いたりすれば体に風穴が空く。さっきから銃を何発も撃っているから、この大雨の中と言えど、一般人にバレずに警察が来ないまま……というのも考えにくい。停滞するよりかは、早めに仕留めてしまいたい。

 そう考えた杏樹は、ベルトを改造してつけた、拳銃を入れるホルスター……その反対側につけてある物を取り出した。細長く、小さい筒のような形のソレは、発煙弾という便利な装備。敵の視界を一時的に制限して、こちらを優位な立場へと一気に展開させていくために使われる物だ。


「櫻葉くン。近接戦はお好き?」


「…………無駄だ。お前が私に近づけるということは無い」


「ホントかなァ……?」


 櫻葉にハッキリと聞こえる声量でそう告げると、杏樹は発煙弾のピンを抜いて、すぐ近くの床に投擲する。そして、発煙弾が床へと着弾した瞬間……モクモクと白い煙が上がり始めた。その煙は、積乱雲のように大きく、深く、杏樹の周り一帯を包み始める。

 案ずることはない。階段の踊り場に居る自身の元へと辿り着くには、馬鹿正直に階段を上るしかないのだから。そして、その階段は玄関側に近く、煙が奴を護る範囲でもない。つまり、そこに標準を合わせ、待つだけのこと。櫻葉は、冷静にそう考えていた。

 そして、間もなく……何かが階段の方向へと煙を掻き分けながら進んでくる。櫻葉の狙い通りだった。ひと時の静寂を切り裂く、1発の銃声が教会に響き渡る。銃弾は、見事に命中した。煙から姿を現した、廃教会の床の破片に。


「あァ悪いね。近接戦ッてのはブラフ


 隠れていた柱の裏側に落ちていた、都合の良い床の破片。それを拾っては、杏樹は階段の方へと投げつけて、「煙から杏樹が飛び出してくる」というシチュエーションを作り出していた。そんなシチュエーション……すなわち、先を読んでいた櫻葉は、少しでも奴を自身の方へと近づけてはいけないと感じて、最速で息の根を止めようとする。

 しかし、杏樹はというと……その先を読む櫻葉の思考を読んでいた。先の先を読む。カウンターを狙ってカウンターする。それは、強者同士での戦いで、起こりうることである。櫻葉が銃弾を床の破片に向けて放った瞬間、杏樹は瞬時に柱から姿を現して、再度講壇の方へと素早く身を寄せながら、踊り場に居る彼に向かって銃弾を放った。その動作はあまりにも美しく、スタイルの良い体というのも相まって、羽ばたく蝶にすら見える。


「ッぐ、ッ……」


 杏樹が放った銃弾は、動きながらの発砲だったからか、はたまた櫻葉の体が意識外からの攻撃を本能的に避けたからか、綺麗に頭を通り抜けるということはなく、かろうじて右肩を貫通した。

 だが、たかが肩を撃たれた程度で怯むようでは、百鬼の幹部候補なんて名乗れない。1度は杏樹へと銃口を向ける腕を下ろしてしまったものの、櫻葉はすぐに体勢を戻して、杏樹へと銃弾を何発か浴びせる。


「そンな付け焼き刃が通用するとでモ?」


 だが、所詮は手首のスナップという特異点が通用しただけで、どんな拳銃のスペシャリストだろうと、特異点無しに杏樹へと傷つけることは不可能。肩を負傷しているせいか、拳銃の扱いの精細さも失ってしまっている。櫻葉が放った銃弾は、全て華麗に避けられてしまっていた。そして、間もなく弾切れとなる。

 銃弾を装填し直す猶予も、櫻葉には与えない。杏樹は、脱力して、ポケットに片手を突っ込みながら銃をもう片方の手で構えるという櫻葉の独特な動作を真似しながら、講壇の上に立つ。あんなにうるさく降っていた雨は、すっかり止んでしまっていたようだ。背後のステンドグラスへと、陽の光が差し込む。廃教会の中へと反射した虹色の光は、とても綺麗に杏樹の身体の輪郭を彩っていた。


「……ありャ。綺麗に撃ち抜けなかッた」


 杏樹は、慣れない撃ち方で若干肩を痛くしつつも、静かに銃口を向ける腕を下ろす。櫻葉は、胸に熱い風穴が空く感覚を感じながら、仰向けに倒れる。明らかな致命傷だった。

 どす黒い血反吐をごぷりと吐き出しながら、櫻葉は意識を朦朧とさせる。まもなく、死ぬ。杏樹も櫻葉も、それを認識していた。それを認識しているから────、傷が広がろうと、彼には最早どうでもよかった。


「…………愛する者の、為だ。……少しばかり、見逃してくれ」


 穴が空いてしまった胸を抑えながら、ヨロヨロと立ち上がり……櫻葉は苦しそうに口を開く。そんな櫻葉を、杏樹は追撃しないでいた。情が湧いた……なんて訳ではない。撃った付近は、限りなく心臓に近しい場所。今からどんな治療を施そうと、最先端の医療でもない限り、死を回避するのは不可能。それにきっと、櫻葉の言い分や顔から洞察するに、治療を受けるためにどこかへ行くという訳でもなさそうだった。だから、どうせ死ぬ相手に銃弾なんか使っても無駄と判断し、杏樹は追撃をしない。


「いいケド。その傷じゃどうせ死ぬよ」


 一応、杏樹は櫻葉に向かってそう忠告をしておく。


「……ああ。分かってる」


 きっと、うちのボスや幹部なら、情けなんか無しにすぐ頭を撃ち抜いて終わりだ。戦ったのが、非情にも度が過ぎる彼女でよかった。期せずして、最期の時を彼女と過ごせるのだから。

 櫻葉は、苦しそうな歩調で上階の方へと歩みを進める。しかし、その顔には、苦しみなんて全く無く、杏樹へ向けた密かな感謝と、安堵に似た感情が表れていた。


「……これにて一件落着! そして……これで花恵ちゃンの報酬の件も!!」


 櫻葉が上階の扉を開き、聖堂内部から消えて行くのを確認すると、杏樹は大きく体を伸ばしながらそう呟いた。百鬼に直接金を積まれた、とかではなく……同性の女を抱くために、頼まれた依頼を解決する。なんとも杏樹らしい達成感を得ながら帰る準備を済ませていると、しばらくしてから、大きなバイクのエンジン音がこちらへと近づいてくるのに気がついた。

 教会の敷地内に入る手前くらいで、その豪快なバイクのエンジン音は止む。そして、バイクを運転していた主は、急いで教会の方へと駆け寄ってくる。


「杏樹ちゃん生きとるか!!」


 杏樹の身を案じて駆けつけたのは、先程杏樹が廃教会へと突入する前に電話をかけた、百鬼の幹部。息を切らしながら、京は教会の廃れた扉を勢いよく開いてそう叫ぶ。そこで京が目にしたのは、講壇の前でしゃがみながら、余裕といった表情でピースサインを浮かべる杏樹の姿だった。


「……随分余裕そうやんな」


「まァ実際余裕だったし?」


 苦笑いで、京は杏樹に歩み寄りながらそう言葉を交わす。この余裕ぶりなら、確実に今は戦闘中ではない。ということは……櫻葉は既に死んだ、ということ。

 かつての部下が、彼女によって殺された。櫻葉は、組織を裏切った身……殺されて当然の男。そんなの分かりきっていることだ。だが、少なくとも気分は晴れやかにはならない。そんなことを京はなんとなく頭で考えていると、そのうち杏樹が口を開く。


「ちなみに言ッておくと……櫻葉は今2階に居る。愛する者がなんとか〜って。そンで、もう3分くらい経てば失血死かナ〜」


「あ ~ 、そうなん? 愛人には手出してへんのやろ? ……まぁ、後で処理しとくわ」


「今しなくていいんだね」


「はは、武器とか忘れてもうたわ」


「そッか。」


 嘘をつくのが下手だなぁ。なんて思いながら、杏樹は京がついたその嘘を特に指摘することもなく、講壇の目の前で立ち上がる。


「それより〜、もっと大事なことがあるンだけど……」


「ん ~ ? 言うてみ」


「今度花恵ちゃンとヤるんだけど、一緒にシちゃう?」


「あ ~ 。悪いなぁ、ウチにはもうお嫁さんがおるから……」


「じゃあその子も入れて4P!」


「クソ喰らえやな」


「……え〜ん。酷いなァ」


 1日に2回も振られてしまった杏樹は、嘘泣きしながら京の横を通っていく。


「じゃ。後処理は任せるワ」


「任せとき」


 裏の世界に関して依頼されたことも、報酬によっては解決する。これが朽内杏樹という女。『正義執行人』の役目なのだ。










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