花恵から依頼を受けて、僅か1週間後。一応街中を歩いている時などは、あの写真の男が居ないか出来るだけ確認しながら歩いていた。
しかし、そう簡単に見つかるわけが無い。あの百鬼が簡単に居場所を特定できない男を、単身で探せなんて流石に無理がある。それに……日本はとても広い。世間は狭いなんていうが、情報も無しにこの広い日本の土地である1人の男を探し出すなんて、無理ゲーにも程がある。
そんなこんなで、強く雨が地面を打ち付ける中、傘をさしながら街を歩いている時。雨の音に混じりつつも、パンッ、パンッ…………と、杏樹が聞き慣れた音が、2回ほど近くで聞こえた気がした。五感が妙に優れている杏樹のことだ、その音が勘違いや幻聴などという訳ではないだろう。杏樹は、その音の聞こえた方向へと小走りで駆けていく。
「……ここら辺?」
杏樹が聞こえた先へと歩みを進め、最終的に辿りついたのは、路地裏。強い殺気のようなものを、ヒシヒシと感じる。ここで間違いないだろう。
ホルスターから拳銃を抜く準備をしつつ、杏樹はビルの角から路地裏の様子をコッソリと見る。その路地裏には……2人の男が倒れていた。その他には誰も居ない。なんとも意味の分からぬ光景に、杏樹は頭を悩ませた。ただのそこらのゴロツキの喧嘩? しかし、たかがゴロツキが銃を撃つだろうか。……極めつけは、あの殺気。あそこで倒れている奴らからは、ソレを感じない。
少しお話を聞く必要がありそうだ。……仮にも「正義執行人」だし。なんて微塵も思ってないことを頭に浮かべながら、杏樹は路地裏へと進んでいく。
「……キミ達大丈夫ゥ? 喧嘩でもしちゃッた?」
倒れている男たちの目の前でヤンキー座りにしゃがむと、杏樹は愛想の良い顔を見せながら、愛想の良い言葉でそう彼らに問いかける。彼らはというと……ゴロツキだからこそ分かる、漏れ出ている杏樹の圧倒的な強さ。それを目の当たりにして、思わず恐れてしまっていた。
「……ァ、アンタはいったい……」
男が1人、口を開く。
「ソレはいいんだよ。あたしは詳細を聞いてンだけど」
あまりに酷く虚勢を張るようなら、1人を殺してからもう1人に聞いてしまおうか。杏樹は頭を掻きつつそう思考を浮かべたが、目の前で漏れ出てきた杏樹の殺気を男たちは見逃すことが出来ず、怯えながらも従順に口を開く。
「……鈍臭そうなおっさんが1人で歩いてたからよ……、俺ら2人でカツアゲしてやろうと思ったんだ。そして、後ろから2人で襲ったら……俺ら2人共、腕を掴まれてぶっ倒されちまって……」
痛みに眉を
男の話を聞きながらも、杏樹は男たちの様態を見る。2人共、脚……更に詳しく言うならば、膝を抑えながら倒れている。この2人を撃った者は、狙って膝という小さな部位を撃てるくらいには射撃の腕が確かなようだ。
杏樹の横側で倒れている男も、恨みを吐き出すかのように口を開く。
「……そんで、倒れた所に……おっさんは拳銃なんか卑怯なモン出してきて、俺らの脚を撃ち抜いて……そのまま、何もなかったかのようにどっかに消えていっちまったんだ。……クソがっ……」
「ふ〜ン。そっかそっか……そりゃ災難だったネ」
内心では彼らに同情なんてしちゃいないが、同情された者はされる前よりも口が軽くなるという、これまでの経験から得たデータがある。それを利用するために、杏樹は彼らへと同情するフリをする。
「そのおっさんッて〜……もしかしてこの人?」
同情されて少し顔の皺が緩んだのが見えると、杏樹はそこにつけ込むかのように、傘で雨に濡れないようにしながら、内ポケットから1枚の写真を取り出して彼らの方へと向けた。その写真は、例の百鬼が取り逃した男の写真。
「……ソイツだよ、ソイツ……っ!」
その写真を見た瞬間、男2人は強く顔を歪める。親の仇を見たかのように。きっと、ゴロツキというのはそういう生き物なのだろう。負けたままじゃいられない性分なのだ。
杏樹は、やはりそうか、なんていう顔をしながら写真を服の内側のポケットにしまう。おっさん、という所から引っかかっていたし……極めつけは、そのおっさんに撃たれたということ。組織から逃げる身なら、いつ襲撃されてもいいように拳銃の1つくらい携帯しててもおかしくはない。そして────、路地裏に辿りついた時に感じた、あの強烈な殺気。百鬼の幹部候補ともなれば、それくらい強いのは明白だ。
「じゃあ……聞きたいことは聞けたし、あたしはもう行こうかな。じゃあね〜」
「ちょ、待ってくれよっ……」
今からじゃあ確実に遅いことなんて分かりきっているが、追いかけてみる価値はある。ヤンキー座りからゆっくりと立ち上がって、杏樹は男たちを見捨てて立ち去ろうとした。しかし、片足は使い物にならず、出血も酷い状態の彼らは杏樹を呼び止めた。
「俺らケータイ持ってないからさ……救急車くらい呼んでくれよ」
「頼むよ……」
芋虫のような状態の彼らを、杏樹は傘をさしながら見下す。もし杏樹が救急車を呼んだら、怪我の状態から同時に警察も来て……彼らに事情聴取した警察は、彼らを撃った犯人を探そうとする。警察と極道やマフィアが絡めば、面倒なことになって、……。
面倒事は嫌いな杏樹だ。完全に彼らのことは無視して、立ち去ろうかと考える。だが……杏樹の頭に、良案が舞い降りた。それと同時に、杏樹は彼らの方へともう一度歩み寄る。
「情報提供はありがとうだけど、カツアゲはダメだよキミ達ィ〜。」
そんなことを言いながら、杏樹はホルスターから拳銃を抜いた。そして、まず1人の男の頭を正確に撃ち抜く。ここまで、僅か2秒ほどの出来事。撃たれた男は、悲鳴をあげる暇すら無く脳味噌を地面へと撒きながら絶命した。
「ッ、ひっ…………」
さっきまで共に生きていた者が、目の前で命を落とす。まだ生きている方の男は、その光景を見るや否や、恐怖で小便を漏らしてしまった。そして、惨めに手だけで地面を這いずり、杏樹から逃げ出そうとする。
しかし、勿論それを見逃すわけもなく。杏樹は、這いずる男の脚を思いっきり踏んで行動を制止させる。
「どうせこのまま生きて戻っても、社会の害になるだけだろうからサ。大人しくおさらばして頂戴な」
「たっ……助け」
男の助けを求める声は、鳴り響く雨の音と1発の銃声によって、容易くかき消されてしまった。
処理を済ませると、杏樹はホルスターに銃を嵌めて、すぐにズボンのポケットから携帯を取り出す。そして、写真の男が進んでいったであろう路地裏の奥の方へと歩きながら、ある人に電話をかけた。3コールもすれば、電話の相手はすぐに着信を受け取り、杏樹と繋がった。
「どうした」
着信先は、この街の治安を守る権力を持つ者。岬である。
「エ〜と……○△ビルのすぐ後ろの路地裏、死体2つ転がッてるから! 処理とかおねが〜い、岬ちゃン」
「待て待て。お前が殺ったのか?」
「そォそォ、カツアゲされてた人を助けたんだよね〜」
「……そうか。お前が……」
杏樹が嘘をつくのには、理由があった。警察からの依頼が来ない限り、正義執行人としての仕事をしたことが無い。目の前で銀行強盗が起ころうと、自身に害さえなければどうでもいい。そんな杏樹が人助けをする……これはとてつもなく稀な出来事なのだ。
そんな出来事を報告すれば、岬は自分を見直して、ワンチャン抱けるかも〜……なんて杏樹は考え、それを実行に移したのだ。ゴロツキ2人の命は、岬を抱く為に落とさせてもらったということである。
「そンでさ〜? これは職務外の、100パーあたしの善意の人助けだからサ〜……なんか報酬くらい用意してくれても」
「バカ言うな。すぐ向かう」
プツリ。杏樹が欲を言う前に、岬は素早く電話を切ってしまった。一旦歩みを止めて、杏樹は不服そうな顔を浮かべながら携帯を見つめる。とてつもなく悔しいからだ。あのガードが固い岬を抱くチャンスだと思ったが、全くそんなこと無かった。
今度会った時、絶対に詰めてやる。そんなことを思いつつ、杏樹は携帯をポケットに力強く詰めてまた歩き出した。
「……それにしても……参ったなァ。手がかりになりそうな物は、な〜ンも残してくれちゃいない」
路地裏の至る所を注意深く凝視しつつ、それでもなるべく早めのペースで進みながら、杏樹は静かにそう呟く。今日が晴れもしくは曇りならば、発砲した後に微かに残る火薬の匂いなどから行先を少しだけなら特定できたりするのだが……生憎今日に限って雨、しかも大雨。これじゃあ火薬の匂いなんて雨の匂いにかき消されてしまう。
足跡などもなければ、特に落とした物などもなさそうだ。そのうち、杏樹はすぐに路地裏を出て、また近くの歩道へと出てしまった。
「……こりゃ骨が折れる……」
バイクなどがあるならまだしも、1人でこの街全域を探せというのは、無理に等しいだろう。それならせめて、連絡でもしておくべきか。そう考えて、杏樹は再度携帯を取り出す。
今度電話をかけるのは、岬や花恵ではなく……1番今連絡をかけるべきであろう人物。
「もしも〜し」
「はいはぁ ~ い! どしたん杏樹ちゃん」
杏樹が電話をかけたのは、百鬼の幹部。
「やっぱりこの地域に居るらしいよ、ン〜と……」
「
写真の男は、櫻葉、というらしい。
「そォ、多分その人」
「おっけ ~ ……そっちら辺の見張り、少し増やすようにボスに言うとくわ」
「うん、よろしく〜。……いや、しなくていいや」
「んえ?」
杏樹の目線の先に映る、小さな廃教会。
そこに────、あの写真の男。櫻葉が入っていく光景が見えた。杏樹には、生まれ備わった五感、殺気に加えて……こういうツキもある。
「聖ヴィヴァン教会にいるワ、櫻葉くン。今暇なら、遺体処理の準備済ませてから来てよ」
「ほんまかいな……おっけ、すぐ行くわ」
「頼むね〜」
そう伝えれば、杏樹は素早く電話を切る。
見間違いじゃあない。あの特徴的な黒いコートは、確実に櫻葉本人だ。
いつ逃げるか、いつ何が起きるかわからない。百鬼の増援を待ってる場合じゃない。杏樹は、直感でそれを分かっていた。不気味な笑みを浮かべながら、杏樹は廃れた教会へと向かう。
「……なにか、来る」
「……そうなの?」
「あぁ。……ボス並の奴だ。ここからは出るなよ」
「ええ」
感じたことのない、強烈な殺気。その殺気が、今、自分の方へと向いている。戦闘力はきっと、つい最近まで自分が所属していた組織の長と同等……それか、それ以上だろう。だが、ボスではないことは確かだ。ボスとは違い、気持ち悪く、おぞましく、不気味な、悪意の塊のような殺気。
守らなければならない。たとえ相手が私より強くとも。彼女と、この愛の宮殿を守らなければならない。