目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第3話 LOVE ESCAPE





「ねぇめるちゃン、なんか荷物届いてたケド〜……」


 ノックも無しに、杏樹は勝手にめるの部屋の扉を開いてそう伝える。めるは何をしていたかと言うと……、シャワーを浴び終わって、絶賛着替えの最中。それも、丁度今着ていた部屋着を脱ぎ終わって、肌面積が広い状態で服を羽織っているところ。


「…………杏樹〜、部屋に入る時はノックして入ってって言ったよね……」


 体の前方は隠す形で、首だけ杏樹の方へ傾けさせながらめるは低い声で呟く。杏樹を睨むその視線は、さながら獲物を狙う蛇のようだ。


「はっはいい。荷物は机の上置いといたからよろしく……」


 ラッキースケベ!! ……なんて心の中でガッツポーズをするのも束の間、杏樹はめるに睨まれて、あっという間に萎縮してしまった。蛇に睨まれた蛙である。


「……ん、待って」


 そんなこんなで直ぐに部屋から出ようとすると、めるは杏樹を呼び止めた。杏樹は呼び止められた瞬間、「何か悪いことでもしたかな〜」なんて軽く思いながら体の動きを止める。


「服着てるってことはどっか行くの?」


「あ〜、うん。買い物と〜……あと、親戚のお家にも少し寄ってくかなァ。そういうめるちゃンは?」


「私は……今度友達の結婚式があるんだけど、その下見とか色々。帰るの遅くなるかも〜……」


「おっけ〜」


 お互いに予定が入っているということを伝え合い終えると、杏樹は再度めるの部屋に背を向けて、なんともないといった顔で真っ直ぐ玄関へと向かう。1人の部屋で、めるはこう呟いた。


「……杏樹に親戚なんて居たんだ」


 杏樹は、めるに対して嘘をついていた。変に正直に伝えてしまったら、前みたいに「そんな危ないこと〜」と諭されてしまうから。買い物に行くというのも、親戚の家に寄るというのも、全て嘘。本当は……ある裏の世界の知り合いに「話がある」と呼ばれたから、その知り合いに会いにいくというのが事実である。

 玄関に置いてあるバイクの鍵を手に取り、杏樹は「行ってきます」とも言わず、静かに家を出た。今から杏樹が向かうのは……杏樹達が住む街の隣の地域一帯を占める、風見鳥組かざみとりぐみの事務所。警察的に言うなら暴力団、世間的に言うならヤクザや極道、そんな組織。


「朽内様ですね、お待ちしておりました」


「はいはァい。いつもの場所でいいよね」


 20分程バイクを運転すれば、杏樹はすぐに事務所についた。事務所の前につけば、門の前で立っている黒スーツの屈強な男が出迎えをしてくれる。そんな男に話しかけられても、杏樹は怯えたりすることなく、ズカズカと事務所の敷地内へと入っていった。

 駐車ができる場所にバイクを停めると、杏樹は誰の断りも得ることなく、若干和風な事務所の中を好きに歩いていく。彼女と廊下ですれ違った組員は、誰1人仁義を欠かすことは無く、深々と礼をして挨拶をした。事前に組全体に彼女が来る事が知らされているからか、それとも彼女から漏れ出る「死臭」から身を守ろうとする人間の本能からか。それは、彼女とすれ違った組員達にしか分からないだろう。


「ハロ〜、花恵ちゃン♡ 元気だったァ?」


 杏樹をこの場所に呼んだのは、その風見鳥組の若頭。風見鳥かざみとり花恵はなえだ。青色のミディアムヘアに、綺麗な黒が基調の浴衣。まろ眉に糸目、杏樹とは違って可愛らしい笑顔をニコリといつも浮かべている。個性の塊だ。

 花恵が居たのは、畳が床に張られている部屋。極道の事務所には珍しい、座敷のような応接間だ。


「あら〜、杏樹ちゃん! 案外早う来てくれたのねぇ、もう少し遅く来ると思っとったわぁ」


 口を逆三角形の形にして、笑顔を浮かべて花恵は杏樹にそう返答する。惰性な杏樹のことだから、もう30分程は暇になるだろうと思いながら花恵はお茶を啜っていたのだが、実際にはお茶がまだ冷めぬうちに花恵は到着した。なんだかサプライズを受けた気分で、花恵はいつもより上機嫌。

 机を挟んで、花江が座っている場所の対面側に杏樹は座る。椅子ではなく座布団なので、正座で美しく座る花恵とは対照的に、杏樹は胡座あぐらをかいて雑に座った。


「ンで〜……早速だけど、要件はァ?」


 杏樹が椅子に座るや否や、お茶の入った湯呑みと菓子類をお盆に乗せた組員が応接間に「失礼します」と入ってきて、机に菓子類や杏樹用の湯呑みを置いて、即座に去っていった。

 置かれた湯呑みを、杏樹はまるでクレーンゲームのように上から掴み、無礼にお茶を飲みながら花恵にそう問いかける。


「それなんやけどぉ〜……杏樹ちゃん、百鬼ひゃっきっちゅうマフィアは知ってはる?」


「百鬼? 確か……横浜辺りのだいぶ大きいマフィアだッけ」


「そぉそぉ、その百鬼がなぁ。殺しの標的を見失ったらしいんよ」


「へェ、随分珍しいね」


 “この組織に目を付けられた組織は、鬼に食われたかの様に忽然と姿を消す”……そんな噂が立つマフィア、百鬼。そんな百鬼が標的を見失うなんて、とても稀なこと。幹部陣は勿論、下っ端に過ぎない連中だって、裏の世界の組織の中ではトップクラスに強い奴らばかり。相当な実力がなければ、立ち向かうことは愚か逃げることすら許されないだろう。


「そんでな? なんでも、その殺しの標的ターゲットが……百鬼の幹部候補やった男と、その愛人らしいんよ」


「……駆け落ちった?」


「詳しいことは言えへんけど、多分なぁ。なんでも、その男が自身の愛人を殺る依頼を百鬼から受け取ってから2人共行方知らずらしくてぇ〜……組織の命令に背いて駆け落ちした、って所やろな」


 これを分かりやすく例えるのなら……杏樹の元に「めるを殺せ」と警視庁から連絡が来たが、杏樹はその命令を無視して、めると2人きりでどこか遠くへと逃げ、隠れるように生きていく。そのような事例だ。人々はこれを、「駆け落ち」だとか「愛の逃避行」なんて呼ぶ。


「ま、百鬼が珍しく取り逃したってことはわかったけど……それがどうしたの?」


「なんでも、ここら付近に居る可能性が高いって連絡が来とったから……『正義』の一環として、解決してくれへん? と思ってなぁ」


 すっげ〜めんどくさい…………なんて目に見えてわかる表情を浮かべながら、杏樹は湯呑みを机にコトンと置いた。花恵ちゃンには悪いけど、適当な理由でも伝えて、さっさと帰っちゃおうかな……なんて杏樹は考える。


「ン〜……あたしそんな暇じゃないし〜」


「ここ2週間はお仕事入ってへんのにぃ?」


「……なンで知ってるワケ?」


「風見鳥組のネットワークは日本一やからなぁ、当然耳に入ってくるわぁ」


 先程までの可愛らしい笑みを浮かべていた人とは別人のように、花恵は妖艶な笑みを浮かべつつ杏樹に向かってそう答える。きっと、ハナから杏樹に頼む想定で話が進んでいたのだろう。賢く、そして狡猾な女だ。でなきゃ若頭なんて務まらない。

 百鬼が逃した、という言葉の存在だけで、それなりに面倒な仕事になることは確定している。だから、杏樹はやはり返事をするのを躊躇っていた。


「まぁ、杏樹ちゃんがホントに嫌って言いはるのやったら無理強いはせえへんけどぉ……それなりに報酬は弾むで? ……あぁ、杏樹ちゃんが望むんならお金でも……或いは体でも」


「はい! ヤります!」


 報酬は体でも……という言葉を聞いた瞬間、杏樹はさっきまでの面倒そうな態度を改め、一気にやる気を出したような顔をしてそう言った。殺りたいんだかヤりたいんだか。


「流石に欲に忠実すぎひん?」


「まァ報酬がなきゃ殺ってらんないでしょ?」


「またまたぁ、マッポ警察には報酬なんてな〜んも貰ってへんくせに」


「それはねェ〜。また別って感じかナ」


 条件を呑んだと言わんばかりに一気にお茶を飲み干すと、湯呑みを勢いよく机へと置いて、杏樹は胡座から立ち上がり花恵の方へと歩き始める。


「それでサ花恵ちゃ〜ん……報酬は先払いでヨロシ?♡」


 座布団に正座で座っている彼女のすぐ横へと行けば、杏樹は軽くその場に跪いて、まるでお姫様を扱う時のように、花恵を優しく押し倒しながらそう問いかける。


「あかんよ、報酬はちゃ〜んと処理した後。その時はたんとお相手したるから……な?♡」


 押し倒されたとしても、花恵はなんの動揺もせずに口を開く。その杏樹の悪いお口に人差し指をぴとっ、とつけながら、まだ昼にも関わらずされた夜のお誘いは丁重にお断りした。


「……ンもう、いけず」


 すっかりその気になっていたのに、断られてしまった杏樹は、大層残念に思いながら花恵を押し倒すのをやめて、大人しく隣に座り直した。花恵はというと、着物に皺や汚れがついてないか等を気にしつつも器用にその場に正座し直す。


「そうそう……流石に情報無しで探せ言うんは難しすぎやから、これ。渡しとくわぁ」


 机の下に置いてある封筒を手に取ると、花恵はその封筒から1枚の写真を取りだした。杏樹はそれを受け取って、ジロリとまるで舐めまわすようにその写真を凝視する。その写真には、白いハットを深く被り、黒いコートに身を包みながら歩みを進めている中年男性の姿が写っていた。


「これがその例の?」


「そうなんやけど……イメチェンとかしとる可能性は捨てられんからなぁ。随時連絡はさせてもらうな」


「は〜い」


 四十路……五十路にすら見えるその中年男性。そんな体のポテンシャルが落ち始めるであろう年齢の男を捕まえるのに、天下の百鬼サマはなに手こずっているんだろうか。それとも……自分と同じような特異点? 杏樹はそう考える。

 性別や年齢をという変えようのない事実を、特に改善などするわけでもなく、「殺気」とかそんな曖昧な言葉で超越できるのが、特異点。杏樹がそういう人間だが────、写真の彼は、どうなのだろうか。久々に滾りそうなその予感に、杏樹は静かに思いを馳せた。










コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?