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第2話 責務





 例のバスジャック事件が解決されて、数日経ったある日。杏樹は、警視庁から直々に連絡を受け、警視庁本部へと足を運んでいた。理由は勿論、事情聴取。実際にまともに犯人の男と言葉を交わしたのは、彼女ただ1人。乗客の多くは、ただ彼女が男を蹂躙している姿を見ていただけだから、事件の大まかな状況くらいしか説明は出来ないだろう。

 警視庁本部についた杏樹は、ろくな案内なんて受けず、最早顔パスは当然なんてにへら顔を浮かべながら、軽い足取りで取調室へと向かう。そして、ノックもせず、警察という国家権力に対しては相当失礼な態度で部屋の中へと入った。


「……こンちわ警部さん……んや、岬ちゃん♡ 調子はど〜ぉ?」


 その取調室の入口側の椅子には、眼鏡をかけたいかにも厳しそうな女が足を組んで座っていた。その女の名は、清水岬。この警視庁では、ずっと杏樹が言葉にする「警部」という役職ではなく、「警視」という警部より少し偉い役職についている。対面にある椅子に断りもなく座りながら、杏樹はそう言葉を交わした。


「……名前で呼ぶな。あと、警視だ」


「えェ〜? いいじゃん2人きりなんだしサ」


「関係ない」


 手元にある資料にザッと目を通しながら、岬はため息をつきながら返答する。


「……随分面倒な処理方法でやってくれたな」


「あァ、アレのこと? それはしょうがないっていうか〜……」


「程度があるだろ。男の肉片を探すだけでも、捜査の予定は一週間。それから……あの時バスでお前の処理を見ていた乗客共のメンタルケアや隠蔽も。前者はまだしも、後者は大変すぎる」


 あの時、犯人の男の死体は爆散して、体の一部すらまともに残らないくらいは粉々になった。そんな死体にすら、完全な身元の特定などに使うために、時間を費やさなきゃいけない。

 だが、それが霞むほどに大変なのは、事件の解決を目の前で見た乗客達について。はっきり言って非常に面倒だ。誰にも見られない範囲で殺るのならまだしも、乗客達は男が再起不能になる様を目の前で見せつけられている。普段ならしなくていい隠蔽の作業もしなければならない。

 インターネットで一部噂として立っている、「殺し屋」のような、「解決人」のような……、モヤのかかった杏樹の姿。それとは全く違うのだ。彼女がやっていることの存在や正体には、絶対に他に知られてはいけない。隠蔽に使う金だけでも、100万円は優に超えるだろう。


「……難しいこと言ってくれるけどサ〜。あたしが起こしたあの行動じゃなきゃ、アイツら全員死んでたかもよ? 死者を最小限に抑えるって、自爆テロとかの事件で最も重要視される『正義』でしょ?」


 自分に与えられた責務は、しっかり遂行した。それが正義執行人。そう伝えたいのだろう。杏樹は舌を出しながら、挑発するように岬に向かってそう言った。まぁ、それは事実だし……しかも、こんなことを頼めるのは本当に杏樹くらいだから、余計なことを言って手放すわけにもいかない。警察が解決するには少し面倒な事件を、パパっと解決してくれる。そんな、頼もしい存在なのだ。

 何も言い返せなくなる……というより、言い返す気すら無くなって、岬は再度深くため息をつきながら資料に目を通し始めた。


「……犯人は多田義晴、26歳。この事件を起こした動機は……わかるか?」


「ン〜と……確か、『パワハラで不当解雇されたから会社ごと爆破してやる〜』みたいなこと言ってた気がするケド」


「ご家族にも事情聴取をした時、彼のお母様が仰っていた事と全く同じだ。……そいつが事件を起こした動機はやはりそれらしいな」


 ビンゴ! なんて言わんばかりに、にまりと微塵も可愛くない笑みを浮かべて、杏樹は岬に対して人差し指を突き出した。


「……でも、1つあんまり納得いってないことがあるんだよね〜。個人的に会社へ行って個人的に復習するならまだしも、バスジャックなんてする意味あった? それか病気でも持ってるか……」


「解雇された会社がバス運行会社だったそうだ」


「……あァ、なるほどね」


「昔からバスが好きで、バスの運転手になることが夢だったんだとさ」


「ありゃ〜。……んじゃぁ、ロマンティックに終わるはずだった生涯にあたしが水を差しちゃったと」


 この事件の男も、これまで杏樹が解決してきた様々な事件の犯人も。この部屋では、様々な事件を起こした動機を聞かされてきた。どうしても変化しようのない、事件を解決した後に残るものが現れることが、この取調室ではある。その、事件を解決した後に残るもの、とは……えもいわれぬような切なさ。同情出来ない理由で事件を起こす者より、同情出来る理由で事件を起こす者の方が、この取調室では話にあがりやすい。動機を聞くと、どうしても何か切なさのようなものが残ってしまう。

 ……というのは、岬だけの話。杏樹はというと、そんな切なさといった感情は、全く感じていない。彼女は変わらず、不気味に微笑んでいるだけ。


「……お前はいいな。そのメンタルだけは、私も見習いたいよ」


「そォ? 私だって落ち込む時は落ち込むし怒る時は怒るよ」


「どっちも私は見た事ないな」


「アハハ、人前じゃそりゃ出さないよ。……あ、もうあがっていい? そろそろ家帰ってご飯作んないと、仕事上がりのめるちゃんに絞め殺されちゃう」


「あぁ、好きにしろ」


 岬は、右手をパッと挙げ、親指を扉に向けて「早く出てけ」なんて合図を杏樹に送った。そんな威勢のいい彼女に、杏樹は一際歪んだ笑みを浮かべ、立ち上がり、取調室の扉の方へ向かった。


「……1つ言い忘れてたな。明日にゃバス会社のパワハラや不当解雇の問題がニュースにあがるだろう。もう捜査は進んでいる」


「そッか。……それだけ?」


「ああ。悪が奴だけじゃ可哀想だ。どうせなら奴を悪に陥れた奴らも全員地獄に堕ちてもらおうと思ってな。……これが、お前には出来ない我々の正義であり責務だ」


「う〜ん、ごめんね。どこで笑えばいいのか分からなかったナ」


 笑みを浮かべその言葉を岬に吐き捨てる、という些細な矛盾を抱えながらも、杏樹はそのまま取調室から出ていってしまった。岬は、今日一番のため息を大きく吐く。まるで、重圧から解放されたように。


「……人はやはり容易く変わらないな」





















 酷い雨だった。誰かから逃げるには、好都合な天気だった。感じる温もりは、彼女の掌の体温だけ。それで充分な程、私の体力は回復する。


「……ひとまずは撒いたようだ」


「ええ、そうね」


 2人きり、心臓を高鳴らせ、息を切らしながら、廃れた建物に逃げ込んだ。追っ手は居ないようだった。そして、間もなく、何度も熱く唇を重ね合わせる。愛を確かめるように。生を確かめるように。


「……絶対に守りきってみせる。……君だけが私の生き甲斐なんだ」


「約束よ」








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