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第1話 正義の味方




 ────事件から、9年後。




「9年前の今日、9月6日。世田谷区内の中学校にて、児童や教師、計34名が亡くなるという悲惨な事件が起こりました。容疑者は、当時同中学3年生の女子生徒でした。通称、少女K事件……メディアなどでは、そう呼ばれることが多い事件です。」


「いやぁ〜、この事件ね……当時の日本を震撼させた事件でしたよ。まだ中3の女の子が34人を手にかけたんですよ? 普通は起こることの無い、猟奇的な殺人事件です。」


「そうですね……今宮崎さんは猟奇的、と仰られましたが……この少女Kが犯行に及んだ動機とは、いったいなんだったんでしょうか?」


「あぁ、それはですね……」




 プツリ。テレビの電源が切れる。


「ちょっと杏樹、そんな変なニュース見てないで! 今日はバイトの面接なんでしょ!?」


「……変じゃないよぉ、ちゃんと見てたのに〜」


 ペチッ、と雑に丸めた雑誌で頭を叩かれれば、肘枕で横向きに寝ていた身体を起こして、不満そうに彼女はそう呟いた。そんな気だるそうな彼女の名前は、朽内杏樹。現在24歳、無職である。ニートである。働こうと思えば働けるのかもしれないが、彼女は「どうせ受からないから〜」なんてのらりくらりと返答して、ずっと働こうとしない。そう、ろくでなし系ニートである。

 そんな彼女に対して、ムスッとした顔で働くのを催促しているのは、琴崎める。訳あって杏樹を家に住みつかせている、典型的なカモ女だ。現在は近くのドラッグストアで働いているらしく、それで得た金でなんとか食いつないで来ている。


「ま、そんなことどうでもいいから……それより、早く準備したらどうなの?」


「ン〜。行く気起きない……ってか、いきなりめるちゃんが応募したワケじゃぁん? そんな急に言われても対応しきれないっていうか〜……」


「……それはそうだけど」


 長身の体を少し屈め、めるとの目線を合わせながら杏樹はそう言った。それもそうだ。本人の知らぬ間に、杏樹は勝手にバイトに応募されていて、更に面接があると聞かされたのは昨日の夕暮れ時。面接で何を伝えればいいかなんて、彼女には全く分からない。そんな常識外れな彼女が今面接に向かってしまえば、不採用は間違いないだろう。つまりこれは、それを加味しての判断……を装った、ただの言い訳なのだ。

 しかし、元を辿っていけば、しっかりと杏樹が悪いのがわかるようになっている。この前めるが彼女に「バイトに応募してほしい」と伝えた時は、「そんなにしてほしいならいいケド……あたしから探したり応募するの面倒だから、めるちゃんが応募しといて?」なんて答えていたのだ。つまり──これは、杏樹がとんでもないろくでなしだから起きた事案なのである。面接の前日にいきなり伝えるのは流石にめるが悪いとはいえ……杏樹が先天性の屑、それ故に起こったことなのだ。


「それにさ〜、バイトなんてしなくても、私は働く場所がちゃんとあるんだから……ね?」


「だ、だから〜っ……! そんな危ない仕事やめてほしいから言ってるの!」


「あ〜ンそんな怒らないで……」


 めるが杏樹との距離を詰め、今にも説教が始まりそう……という雰囲気になった時。ピリリリリ、と着信音が鳴った。近くの机に置いてある杏樹の携帯だった。逃げるようにその携帯を取ると、杏樹は電話をかけてきた人の名前を見る。そして、その名前を見るや否や、杏樹はすぐさま着信を切ってしまった。


「悪いね〜、お仕事のお時間が来たようでありんす」


 めるの肩を両手でポン、と叩きつつ、杏樹はにへらにへらと薄気味悪い笑みを浮かべ、茶化しながらそう言った。


「……もう勝手にして!」


 流石に杏樹の煽るような言葉遣いにイラついたのか、めるは頬を膨らませ、いかにも「怒ってますよ」なんてことを伝えたいような口調で杏樹にそう吐き捨て、そのまま自室までドタドタ足を鳴らしながら去っていった。


「な〜んであんなに怒ってンだろ?」


 察しの悪いというか、人の気持ちが分からないというか……きっと、単純に感じ取ろうとしていないのだろう。杏樹は頭に疑問符を浮かべつつも、納得してくれたならまぁいいか、なんて程度に済ませ、仕事の準備を始めた。











「……ン〜と、アレかな?」


 エンジン音はひたすらうるさく、ヘルメットも無しに、制限速度はオーバー。それが彼女、杏樹にとっての通常運転。愛車のバイクに乗って、彼女に課された任務を遂行しにいく。

 セミロングの黒く長い髪を、まるで鳥が飛ぶ時の羽のように羽ばたかせながら、杏樹はある一台のバスを見てそう呟いた。今日の彼女の仕事は、あのバスをなんとかして止めること。頭をポリポリと掻き、面倒くさそうにため息をつきながら、杏樹はバイクの速度をグングンと上げていく。そして、バスの真後ろにバイクがついたかと思えば、さっき出していたスピードが嘘かのように、バスの速さに合わせたスピードに変え始めた。隣に並んでいなくとも、並走するのが彼女の目的なのだろう。


「……なになに? 犯人は刃物も拳銃も持っていて……ケガ人は未だゼロ。……本職とかじゃあなさそうかな」


 そのバスが出すスピードに完全に合わせきると、杏樹はポケットから携帯を取りだし、ついさっきめると話していた時に着信をかけてきた人から来ているメールの内容を読み上げた。


「ま、余裕かな。まったく、人騒がせな犯人。」


 携帯をポケットにしまうと、杏樹は一度バスから距離をとって、またもやスピードを出し、次はバスの横の車線へと移動した。その移動している間、前は見ず、ずっとバスの中を注視している。

 怯えている乗客、泣いている乗客……険しい顔で運転をする運転手。それに、一人だけ小型の拳銃らしきものを握って、運転席のすぐ側で立ち止まっている男。もうお分かりだろう───、今起きているのは、バスジャックだ。

 バス内の様子を確認すれば……杏樹は徐に、ズボンのベルトにつけた自作のホルスターから、拳銃を取り出した。そして、片手でバイクの運転を続けながら……犯人の男の頭に拳銃の標準を合わせようと、片腕を伸ばそうとした。その時。

 またもや、携帯が鳴った。つくづく間が悪い電話主だな、なんて思いながらも、拳銃はホルスターに再度入れて、ポケットから携帯を取り出した。着信の主を見てみると、それはあの時かけてきた例の人と同じだった。しかし、今はあの時とは状況が違う。ひとまず、杏樹はその着信をとることにした。


「こんちわァ〜警部さん! もう今すぐにでも犯人は殺れるケド」


「駄目だ、殺るな。今容疑者のご家族に……」


「手短にね」


 警部さん、と呼ばれた者の言葉をわざと遮るように、杏樹はそう口を挟む。


「……爆弾だ。多分体に巻き付けてある。」


「そんで?」


「厄介だ。そいつの心機能が停止すれば爆発、手元にあるであろうスイッチが押されても爆発」


「……参ったなァ、それだと厳しくない?」


「それをどうにか解決するのがお前の仕事だろ」


「ハイハイそうですよね〜。頑張りまぁす」


 適当な返事を済ませ、杏樹はすぐに通話を切る。さて───どうしようか? 杏樹の頭の中に、考えが駆け巡る。

 今撃ち殺す……爆発して終わり。説得を試みる……それもきっとダメ。なにか不審な動きを見せたら、スイッチを押されてしまって終わり。将棋で例えるならば、犯行はほぼ王手に差し掛かっている。体に爆弾を巻き付けている時点で、これはもうただのバスジャックではない。自爆テロと考えた方が早いだろう。いつどこでこのバスが爆発してもおかしくない。

 だが、そんな死への恐怖なんて諸共せず、彼女は死地に向かって一歩一歩と走っていく。間違いなく狂気の沙汰だ。


「……そうだなぁ。ここだと人目につくし……あそこ曲がったらヤっちゃおうかにゃ」


 このバスの行き先はわからないが、今目先に見えている最短のルートで処理できるのならそれが一番。そして、思惑通りにバスの左ウィンカーが見えた時……杏樹は微笑んだ。そのまま曲がっていくバスとバイクは一度距離を離し、彼女は準備を進める。いよいよ大詰めだ。

 準備が終われば、杏樹はもう一度大きくバイクのエンジンをかき鳴らす。そして、最高速度でバスの背後まで追いつくと……同時に、パンッ、と一発だけ乾いた銃声が街に鳴り響く。右後方のタイヤが銃弾によって完全にパンクし、バスは右に少し傾いて動かなくなった。それを確認するのも束の間、杏樹はすぐさま煙幕弾をバスの右側に向かって投げた。バスのすぐ側で、モクモクと無数の煙があがる。犯人は勿論、乗客や運転手だって大慌てだ。


「こっちだよ」


 バイクをお立ち台にして、バスの左側にある一番大きな窓を綺麗に刃物で切り裂き、杏樹はバス内へと簡単に侵入した。煙幕が撒かれた方を気にしていた犯人は、その声の方へゆっくりと振り向く。しかし、その時にはもう遅かった。


「ッ゛ぐぁ゛あぁ゛っ!」


 杏樹によって、犯人の両の手首は腕と分断されていたのだ。バス内には、犯人の男が叫ぶ声と、悲惨な光景を目前にした乗客の悲鳴が響き渡る。犯人の手首を切断した刃物は、さっき窓を切り裂く時に使った刃物と同じ。その名も……


「便利だよね〜コレ。『高周波ブレード』って言うンだけど知ってる?」


 手首が切断され、今にも痛みでそこらをのたうち回りたいであろう男の髪の毛を片手で掴むと、次は犯人の太ももを鋭利に切り刻み始めた。鉄臭い血の匂いと、男の悲鳴と、目の前の光景。五感の内の三項目を刺激され、乗客達には目を塞ぐものや耳を塞ぐもの、嘔吐する者まで現れた。


「ッ゛ふ、くそクソくそ゛っ……!」


 やられたい放題の男も、やられてばかりでは無かった。そんな奇声ともとれる声をあげながら、滅多刺しにされた足をなんとか動かす。その足が向く方向にあるのは、スイッチらしきもの。手首が斬り落とされた時、同時に床へと落ちたのだろう。爆弾のスイッチなどは、万が一落としたりしても誤作動しないように、しっかり押さねば作動しないようになっている。それが功を奏したのだ。……勿論その情報は杏樹の頭にも入っている。狙ってやったのだ。


「こぉら、ダ〜メ♡」


「ひき゛ッ゛……゛!」


 パキッ、と乾いたような音が鳴る。男が何とか動かした足を、杏樹は容易く掴み、そのまま足を曲がってはいけない方向へと曲げてしまった。折れた骨は、皮膚を突き破って露出し、相当グロテスクな光景になってしまった。


「面倒だからこっちも折っとくね? ……ていうか、切るなら手首じゃなくて肘だったなぁ。面倒事は避けたいから全部折るね」


「ッ、ひっ゛……!? ィやた゛っ゛、やめてくれッ゛...!」


「……あぁ、私、励ましの言葉って知らないんだよねェ〜。だからサ、ショック死しないように頑張ってね」


 舌を噛み切って男が死なないように、すぐそこに落ちている手首を拾っては、杏樹は男の口にソレを突っ込んだ。そして……男の懇願も耳に入れぬまま、残ってる四肢の内の三つを、破壊、破壊、破壊。

 自分の意思で体を動かすことも出来なければ、自分で死ぬことを選択することも出来ない。体に爆弾を巻き付けた、ただの人形の完成だ。


「……それじゃ、行こっか?」


 爆弾のスイッチを拾い、その人形を肩に活げば、杏樹はついさっき自分が綺麗に開けた窓の穴から、外へと逃亡した。事件が起こっている最中は、バス内で血も流れておらず、乗客もここまでパニックにはなっていなかった。しかし、彼女がその事件の解決をした後の現場は、事件が起きている時よりも、事件らしくなっている。それが、いかに彼女が異常であるかを表していた。

 人形を担いだ彼女がバイクで向かうのは、街に流れる川のすぐ近くにある橋。バスからはバイクで約1分といったところだろうか。


「……ンま〜、警部さんにゃ怒られるかもしれないケド……仕方ないよねコレ。」


 バイクから降り、橋の手すりの上にバランス良く立つと───、杏樹は人形を川の真上に浮遊させるように片手で持ち上げた。人形の口から、手が川に向かってぽとりと落ちる。彼自身の未来を予期しているかのように。


「…………な……ん、て゛…………」


「……ん、?」


 出血多量で今際を彷徨っている彼は、焦点も合っていないまま口を開き、乾ききった喉から声をなんとか絞り出していた。遺言? それとも自分への憎悪? 杏樹自身はそんなの本当に興味無いけれど、時間に猶予がある限りは聞かなければならない。警察がバックにいるからだ。


「…………パワハラ……て゛、……不当……に、解雇……されたか゛ら…………、会社諸共……………………消して……、やろうと…………思った……、た゛け…………なのに゛…………」


「……ふゥン」


 やれやれ、なんて呆れた表情で、杏樹は最後に言葉をかける。


「ま、それで同情してくれるヤツは少なからず世の中には居るンだろうけどサ。来世で活かせるように教えてあげるよ。理由や目的、ターゲットは明確に、無関係な人間には手を出さず。それが最も世の中から同情されるコツだよ。じゃあね」


 パッ、と手を離す。男の体は宙に浮いた。

 あの時落ちた手首のように、川に落ちきる前に……杏樹はスイッチを押す。男の体は爆散した。


「……あぁ、違うか。『来世では善人になるんだよ』が最も模範的な解答だね」


 所々赤く染まる川を背中に、彼女はバイクの方へと戻っていく。


「やっぱ励ますって難しいナ〜」






 彼女の名前は朽内杏樹。

 彼女の職業は……全貌を知ってしまえば何が悪か分からなくなってしまう事件を、国家権力の独断で下される、一方的な正義で解決する仕事。

 その名も────、




「正義執行人」




「……帰りにめるちゃんの好きなケーキ屋でも寄っていこっかな」









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