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前夜※

「お前は来るなと、何度言えば分かる」

「わたくしは秀将様の小姓なのです。小姓が戦に付いていかないで、何をしろとおっしゃるのですか!」

「お前まで死んだら、今後だれが道明沢堤を差配するんだ、馬鹿者」

「住職がおりますし、領民たちも、それぞれが持ち場を熟知しております。わたくしがいなくても問題ございません」

 朝からずっとこの調子で、秀将様は伊縁の話に取り合おうとしない。

「この話は終わりだ」

 ぴしゃりと鼻先で襖を閉められ、伊縁は大きく溜め息をついた。


 戦の足音が、伊縁をあざ笑うかのように大きな地響きを立てている。

 都へ攻め入ろうと挙兵した国から、とうとう使者がやって来たのだ。道明沢の土地と館、兵力を貸し出すならば、民の命と領地の拡大は約束すると。

 もちろん、そんな約束など守られる筈がないことは分かりきっている。我々には道明沢を死守するしか道はないのだと、元秀様は結論を出した。

 使者には、道明沢は明け渡さないという返事を持たせて帰らせた。明日にも、兵が押し寄せてくるだろう。

 元秀様、照子様、そして蓮司家の思惑通り、秀将様が先陣の大将となり、道明沢の入り口で敵を迎え討つことが決まった。今のところ兵力は敵とほぼ互角。先陣が決死の覚悟で食い止めれば、あるいは勝ち目もあるかもしれないという瀬戸際だ。


「……秀将様」

 閉じられた襖の外から、伊縁はそっと声を掛けた。秀将様からの返事はない。

「わたくしは、秀将様に付いていきたいのです」

 学問だけがとりえの、武術とはまるで縁遠い自分。武士の子として一人前になれない自分。弱い自分を、時には遠いところから、今は一番近くで優しく包んでくれた。秀将様は、伊縁の一番大切な方だ。その方を守らなくてどうする。


「民を守るのが領主のつとめだと、お前が俺に教えたのだぞ。今は武でしか力を示すことが出来ない。口惜しいが、それが戦乱の世というものだ。だが、いつか必ず知の力が勝つ。お前の力だ。俺は、みすみすお前の力を失うような真似などしたくはない」

 絞り出すような秀将様の声が、伊縁の胸を突く。

 襖を隔てて顔は見えないけれど、伊縁を心から大切に思ってくれていることが伝わる。そして伊縁に、道明沢の未来を託そうとしてくれていることも。秀将様の気持ちがよく分かるだけに伊縁はどうすることも出来ず、襖にそっと手のひらを当てた。

「秀将様」

「明朝に出立する。支度をしておけ」

「……はい」


 それから、昼も夕も秀将様に会える機会はなく、伊縁は、すれ違う心を抱えたまま夜を迎えた。

 先陣を命じられた者は、普段より武術に優れた精鋭ばかりだ。その中には、伊縁と御前試合をしたあと仲良くなった、ひとつ年下の小姓の名前もある。けれど、やはり伊縁の名前はない。

 すっかり冷めた夕餉の膳を前に、伊縁は秀将様の部屋でひとり、あるじの帰りを待っていた。作戦の指揮で出ずっぱりなのは分かるけれど、せめて一口でも召し上がってもらいたい。

 使用人はすべて帰らせている。椀物だけでも温め直そうと、伊縁は炊事場に立った。

 秀将様のために温める夕餉。伊縁がそばに付いてからというもの、秀将様はよくおかわりを所望されるようになった。伊縁を信じてくれているのだと思うと嬉しくなる。よく噛まずに飲み込んでしまう秀将様を思い出して、伊縁はふふ、と小さく笑った。

(ささやかなことがこんなに嬉しいなんて。恋とは不思議なものだ)


 足音がした。ようやく帰って来たようだ。昼からずっと主殿に詰めていたから、きっと疲れているしお腹も空いているだろう。温かい椀で少しでも力を付けてほしい。そう思いながら伊縁は汁をよそい、急いで膳を運ぶ。

「お帰りなさいませ。夕餉をお持ちしました」

「ああ。腹が減った」

「そうでございましょう」

 伊縁はそう言いながら秀将様の前に膳を置いた。少しやつれたような面差しに微笑みかけながら、伊縁は決意を強くする。

 秀将様のそばにいるのは、自分をおいて他に考えられない。自分の覚悟と秀将様への思いを、どうしてもお伝えしたいのだ。今夜しかその時はない。


「秀将様、床の支度が出来ました」

 声が震えてしまうのを必死に堪えながら、秀将様が襖を開けるのを待った。床の手前で指を付く伊縁に、秀将様の息を呑む気配が伝わる。

「伊縁、お前……その恰好は」

「お咎め覚悟で申し上げます。やはりわたくしは、秀将様のおそばを離れたくはございません。わたくしも、戦へお連れ下さいませ」

 伊縁の覚悟は、その白い寝巻きが示していた。

「まだそんなことを言うのか」

「では、わたくしが、正興様のものになっても良いのでございますか?」

「それはならん!」

 試すような伊縁の問いに、思わず秀将様が声を荒げる。

 秀将様が慌てるのは、自分の前だけだと自惚れても良いだろうか、そんなことを思えば、伊縁の胸の鈴がちりん、と答える。幸せな気持ちを噛みしめると、伊縁は勇気を振り絞って、次の一手を出した。

「では、お約束下さいませ。伊縁のすべてを秀将様のものにすると。地獄のはてまで連れて行くと」

「……分かった。お前には負けた」

「お約束していただけるのですか?」

「ああ、約束する」

「はい!」

 良かった。秀将様が認めて下さった。これで自分は、秀将様と最後を共に出来る。叶わない夢だと思っていた秀将様の一番近くが、自分のものになるのだ。


「その覚悟で、床へ来たわけか」

 床へあぐらをかいた秀将様は、眩しそうに目を細めて伊縁を見つめている。遠慮のない視線に気恥ずかしさを憶えた伊縁は、思わず膝の上で握りしめた両こぶしに視線を落とした。

 本当に秀将様のことが好きなんだとお伝えしたい一心で、床まで押しかけてしまったけれど、伊縁は、急に自分のしたことに震えを止められなくなってしまった。

 伊縁の寝巻き姿は、いつにも増して華奢な線を浮かび上がらせている。小さく震える細い肩は、それで良いと言う言葉の代わりに、秀将様に抱き寄せられた。

「お前を抱くぞ」

「……はい」

 伊縁は、秀将様の胸の中で小さく返事をした。秀将様が地獄のはてへ行くのなら、伊縁の行くところもまた同じだ。せめて一夜、身をひとつにすることが出来たなら、戦で死のうとも地獄でまた会える。

「……ずっと、お慕いしておりました」

「ああ」

 ようやく自分の思いを口にすることが出来ただけでも嬉しいのに、今、自分は秀将様にゆっくりと押し倒され、身体の重みを感じている。

 秀将様の言葉が少ないのは、照れ隠しだったらなお嬉しい。甘い言葉など返してはくれないけれど、伊縁の肌を少しずつ開いていくその手の熱さに、秀将様もまた、この情交を欲してくれているのだと、伊縁は感じた。

 秀将様の手が、寝間着の合わせに滑り込んで来る。思わず息を込めてしまう伊縁に、秀将様はふ、と笑った。

「力を抜け」

「は、はい」

 はいとは言ったものの、自分でどうにか出来るものでもない。ぎゅっと目を閉じる伊縁の頬を、大きな手のひらが包んだ。

「大丈夫だ、俺を信じろ」

 その低くて優しい声色に、じわりと身体の奥が溶け始めた。秀将様の声に、身体が抗うことを諦める。

「そうだ。それで良い」

 そう、伊縁のすべては秀将様のものなのだ。この方に愛されるために、自分は生まれてきた。

 秀将様の唇を受け入れるのも、肩の線をなぞられるのも、腰を撫でられるのも、秀将様がそうしろと望むことはすべて、伊縁の心に喜びとなって広がっていく。

「秀将様……身体が、熱いです」

「ああ、随分と熱くなっているな」

 恥ずかしいほどに、身体の中心が熱を持っていた。秀将様は、伊縁の寝間着をはだけると、大きく脚を開かせる。

「……恥ずかしい」

「お前のすべては俺のものなんだろう。よく見せろ」


 ああ、そうだ。伊縁の身体の奥の奥まで秀将様に差し上げるために、ここへ来たのだ。秀将様の言葉に逆らうなんて出来ない。

 伊縁は、言われるがまま身体を開いた。だれにも触れられたことのない秘めごとを、秀将様の手で暴かれる。恥ずかしさはあるけれど、秀将様に捧げる喜びの方が勝ったのだ。

「そのまま力を緩めておけ」

 口調は相変わらずぶっきらぼうだけれど、伊縁を探る指先は優しい。その動きに導かれれば、伊縁の茎心から蜜が零れ、秀将様の指を濡らしてしまう。

(どうしよう……。こんな風になってしまう自分が怖い)

 伊縁は秀将様の指で暴かれていく自分が恐ろしくなって、思わず脚を閉じかけた。

「怖いか」

「……も、申し訳ございません」

「自分から押しかけて来たくせにな」

「そ、それは」

「お前は、変なところで勇気があって、肝心な時に意気地をなくす」

「そうでしょうか……」

「そこが良いのだが、今は待ってやれん。俺もお前を抱きたくて仕方がなかった」

「え?」

「それはそうであろう、好いた者が一番近くにいて、我慢しろという方が無理だ」

「秀将様……」

 秀将様の顔が少し怒ったように見える。それは伊縁だけが見ることの出来る、素顔の秀将様だ。愛おしくて堪らない。

 伊縁がそっと両手を伸ばせば、秀将様の身体が近付いてくる。閉じかけた脚を開いて、身体全体でその重みを受け止める。秀将様の指が伊縁の最奥を探りはじめ、しとどに濡れそぼった花芯を開かせていく。

「熟れたか」

「……はい」

 秀将様の熱く滾る切っ先が、伊縁の花芯をゆっくりと貫く。腹が重い。苦しい。思わず伊縁は、秀将様の首に回した両手に力を込めた。

「そうだ、しっかり捕まっていろ」

「……はい」

 秀将様は、どこまでも自分を甘やかして下さる。この苦しささえも自分に与えられたご褒美なのだと思うと、苦しい息の下から、自分でも信じられないほど蕩けたような声が出てしまうのだ。

「伊縁、お前を貰うぞ」

「ああ……、どうぞ、もっと」

「地獄へ連れて行くが、良いな?」

「はい、お連れ下さいませ」

 ぐっと奥まで貫かれた。大きな衝撃とともに、伊縁は声にならない声を上げる。

 目の前が白く光り、身体が言うことを聞かない。ああ、ここが地獄か。なんという甘美な世界なのだろう。秀将様にこんな幸せなところへ連れて来ていただけるなんて、もう明日死んでも悔いはない。

「伊縁、大丈夫か」

「明朝、わたくしが起こしにまいりますから……」

「ああ、頼む」

「約束ですよ……、わたくしを、戦へ」

「分かった。頼りにしている」

 秀将様の言葉に安堵した伊縁は、そこで意識を手放した。


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