春の用意してくれた朝ご飯を食べながら頭を抱える。
出て行った時の春の顔を、俺は真っ直ぐに見れなかった。
もしも見てしまっていたら、絶対に止めてしまっていたから。
春を悲しませないようにするために、また間違った方法で慰めて気を持たせて、結局は傷つけることを先延ばしにする。
春を苦しませて縛り続けてる悪いものは……俺自身だ。
「飯…作る練習しよう」
毎日毎日彼女でもないのに未だに料理を作らせてることを、今さらになって反省する。
この甘えも少しずつ減らしていかないとな…そう心に決めた時だった。
突然玄関が騒がしくなってバタバタと走る音が聞こえてくる。
不思議に思ってリビングの扉に目を向けた瞬間、息を切らせた春が勢い良く扉を開いていた。
「…こ、断ってきちゃいました」
「は…?」
「直接会って、行けないって…」
荒い呼吸のまま説明を始める。その話に驚きが隠せなくて目を丸くした。
「わ、私には、好きな人がいるからごめんねって断ったの。当日に断ってごめんねって…そしたら、こう言ったの」
わかってたって…相手が誰なのかもすぐ気付いたって…
雪が言ってた通りだった。すごく良い人で、軽蔑せずに優しく笑ってくれてた。
そう続ける春の話は半分耳に入ってこなかった。あいつが気付いてしまったことを俺の中で否定したかったからかもしれない。
あの一瞬で気付いてしまったのなら、敏感に察知していたのなら…昨日俺の抱いた幼い嫉妬も、見抜かれているんじゃないかと思った。
「あいつ…何て、言ってた」
「…雪が好きなんだろ。反応見てたらわかったよって」
「そ、っか…」
俺が春を好きじゃないくせに縛りつけようとしてた事実を、あいつは気付いたんだろうか。
もし気付いていたら、春じゃなくて俺を軽蔑してるだろう。
自分の好きな相手を苦しめる存在。それを知ってあいつは俺をどう思うんだろうか。
「ゆ、き…雪!!」
「…!」
自分のことで精一杯になってた所為で春の呼びかけに気がつかなかった。
ハッと我に返って現実に目を向ければ、満面の笑みで話しかけてくる春がそこにいる。
「雪、聞いて。私の話…今度は雪が聞いてて」
少しゆっくりと途切れ途切れに話す春を見て、必死に言葉を選んでるんだとわかった。
一生懸命笑ってみせる春の笑顔は、無理してることが手に取るようにわかって俺の胸を締め付けてくる。
なあ、何で…俺なんかに笑ってみせるんだよ。
「これから先、雪が誰かを好きになって誰かを愛しても、私は悲しんだりしないよ」
何かある度に傷つけてる俺に、何でお前は優しく笑えるんだよ。
「例えその時泣いてたとしても、それはきっと…喜びの涙だから。私が勝手に、雪を大切に想って、好きでいる証拠だから」
「…!」
「雪が責任を感じる必要なんて、これっぽっちもないんだよ。だから…」
私のことで、自分を責めないで。
そう呟かれた瞬間、両頬に熱い何かが伝った。
男のくせに情けない。止めようと必死に歯を食いしばっても、一度流れ出した涙は止めることが出来なかった。
「無理に突き放そうとしたり、無理に慰めようとしたり、そんなことはしなくて良いんだよ」
「う゛ッ…」
「いつも通りの雪で良い。優しくてお人好しで、たまに意地悪で無神経な…弟のままで良いんだよ」
「ック…ごめ、ん…」
「私の方こそ…ずっと悩ませてごめんね。辛い思い、させてごめんね」
ギュっと包み込むように抱きしめられる。
その温かい春の体は、いつの間に縮んだんだろうと思うくらい小さかった。
ああ、そうか…。俺が、俺の方が…いつの間にか大きくなってたんだ。
「春…」
「お姉ちゃんが泣き虫治ったら今度は雪が泣き虫になっちゃったね」
「春…」
「もう無理しないで大丈夫だってば。お姉ちゃんで良いんだよ?」
「今は…無理なんかしてない」
本当に、無理をして言ってるんじゃなかった。
春と呼ぶことに抵抗を持っていた頑固な自分は、いつの間にかどこかへ、消え去っていた。
「……邪魔して悪いけどドタキャンのお詫びに朝飯食わせてよ」
「…?!」
バッと勢い良くお互いに体を離して声のした方向へ振り向く。
ここにはいないはずの人物がリビングの扉から姿を現した。
「望月?!」
「これ春が作った朝飯?雪の分?」
「う、あ…うん」
「何で勝手に入って来てんだよ!おい無視すんな!」
俺の話は一切聞こえないって顔でテーブルの上の朝飯を食い始める。
今のあれを見られたことが何よりもショックで、俺と春は困惑しながら立ちつくしていた。
いつもと変わりのない望月の表情。その心の奥底では何を考えているのか皆目見当がつかない。
「…俺、意外と観察力あるんだよね」
「え…?」
「雪がどう思ってんのか。春が誰を想ってんのか。俺の想いが…」
どれだけ不毛なことなのか。
真剣な表情でそう低く呟いた後、春の作った味噌汁を一気に飲み干す。
ごちそうさまでしたと丁寧に両手を合わせてから、俺と春を交互に見つめてきた。
「春は…俺の名前わかる?」
「え…?あ、えっと…」
「ほらな、俺とか名前覚えてもらうとこからだろ?先が思いやられる」
「…何が言いたいんだよ」
「現実って上手くいかないよなって話だよ」
そう言いながらソファに寝転ぶ望月に春だけがまだ動揺していた。
俺の動揺はほとんど治まって、何となく望月の言ってることを理解する。
ああ、望月は…全てを悟った上で、春を想い続ける気なんだな。
真面目で、真っ直ぐで、純粋な望月が、何で春と初対面で波長があったのかわかった気がした。
「俺さ、写真で見て気になってたって言ったけどあれ嘘なんだよね」
「え…?」
「春は覚えてないだろなー。コンビニで何回かレジ挟んで会話してたんだけどな」
「ご、ごめんね。覚えてない…」
ぼーっと、2人の会話を聞きながら色々なことを考える。
春が俺を諦めて他の奴を好きになれば、たぶん春は幸せになれると思う。
望月が春を諦めて他の奴を好きになれば、たぶん望月は幸せになれると思う。
俺が春を気にせず他の奴を好きになれば、たぶん俺は幸せになれると思う。
誰もがわかっているのにそう出来ないのは…何でなんだろうな。
「あーあ、雪の写真に春が写ってたの見た時絶対運命だって思ったのになー」
「ご、ごめんなさい」
「ドタキャンのお詫びに今度映画行ってよ」
「元も子もないだろ馬鹿なのかお前は」
それでも上手くいかない現実は、刻一刻と時を刻み続ける。
決して報われることのない、想いを胸に抱きながら…
『平行線』
交わることなく伸び続ける、切ない3本の感情
「お、お詫びの印にお昼ご飯もどうですか…」
「あ、でも悪いからオムライスだけで良いよ」
「さらっと要求すんな。つーかいつまでいる気だよ」
「今日から住み込みで監視する」
「帰れ」