バイトが終わって待ってくれていた綾乃と一緒に家へ向かう。
1人暮らしのマンションの一室。その部屋に入って奥の方へ進んだ途端、背中にドンッと何かがぶつかって視界が一転する。
不意に勢い良く押された衝撃で意図も簡単にベッドへと倒れ込んでいた。
「……雪、付き合おっか」
「……。」
横に顔を向ければ綾乃が楽しそうに笑いながら寝転がっていた。
まあ…正直な話、綾乃が俺をどう思ってるのかは想像がついてたから驚かない。
だから先々付き合う関係になるとも思っていた。
「……誘ってんの?」
「そう、誘ってんの」
寝たままプチプチと胸元のボタンを外してにっこり笑う綾乃を見つめる。
付き合って初日か…。でもまあ、遅かれ早かれこうなるか。
ベッドから上半身を起こして、誘いに乗るように綾乃の体を押し倒す。
強く組み敷いた拍子に胸元がさっきよりも露わになった。欲求を押しだすように綾乃の首元へ顔を埋める。
その瞬間……
「……!」
「…?雪…?」
春の、泣いてる姿が目に浮かんだ。
体を小さく丸めて、顔を見せないように膝へ隠して、声を押し殺して泣く姿。
その光景をリアルに思い浮かべてしまった所為で俺の動きが全部止まった。
たぶん…ってか絶対、春は泣くんだろうな。俺がこんなことしてるの知ったら。俺が他の女と付き合うの知ったら。
そう思えば思うほど、欲求は減退してって完全に無くなっていた。
「ごめん……やっぱ今日帰るわ」
「え?!ちょっと雪?!」
綾乃の声も聞かずに部屋を飛び出す。マンションの階段を下りて行く先は自分の家じゃなかった。
家の近くの公園。よく2人で遊んだこの場所のベンチに座って頭の中を整理する。
姉の表情一つで、揺れ動く自分。
たった一人の姉弟を、悲しませずに笑わせてやりたい。
そう思うことが悪影響にしかなってない今を、どうすればいいのかわからなかった。
俺にとってだけじゃなくて、春にとっても良くないことだ。
俺がこうやって春に気を持たせるようなことをすれば、春に辛い想いをさせるだけになる。
優しくすればするほど、優柔不断なことをしてることになる。
なあ、俺はどうすればいい…?
結局また答えは出ないまま、ベンチから立ち上がり家へ向かう。
思った以上に遅くなってしまった帰りに、春が心配そうな顔をしながら出迎えてくると思っていた。
けど変わりに聞こえてきたのは、さっきまで俺と一緒にいた人物の声。
「お姉さんって雪のこと好きなんですか?」
「え…?」
リビングから聞こえてきた会話。まさかあの後綾乃が俺の家へ直接来てたなんて思いもしなかった。
「まさか恋愛対象とかあり得ませんよね?」
「え…恋愛、って…」
「自分で気持ち悪いって思わないんですか?私が来た時も嫉妬した態度見せちゃってさ。醜い顔に出ちゃってるよ?」
「ッ…!」
的確に、弱い所を針で刺していく。針で刺してるなんてもんじゃないかもしれない。
包丁でグサッと切り裂くように春へ攻撃してる綾乃の声を聞いて、冷静を装いながら扉を開けた。
「…ただいま」
「雪!お帰りー!」
さっきまで意地悪く笑ってたことが想像出来る綾乃が、花を咲かせてとびっきりの笑顔で駆け寄って来る。
今にも抱きついてきそうな勢いだった。だから…
「ねえ雪!やっぱ今日もう一回家に来ない?ちゃんと雪が興奮するようにがんば…ッ!」
抱きつこうとしてきた綾乃の手を払って勢い良く肩を掴む。
乱暴に投げる形でリビングから追い出して、低く低く呟いた。
「二度と会いたくない。もう帰れよ」
「は?あり得ない。いつもは優しいのに、どうしちゃったの…?」
「好きな男の姉に悪態つく奴の方があり得ない。お前そういう奴だったの?全部聞いてたんですけど」
リビングの扉の前で全部聞かれていたことに綾乃が目を見開いて驚く。
今度こそこの家に来れなくなるように、綾乃を傷つける目的で呟いた。
「帰れよ。次何かしたらブッ殺すから。女でも手加減しない」
「ッ……」
大粒の涙を流しながら玄関扉を開けて出て行く姿。それを見ても、清々するだけで可哀想だとか悪かったなんて微塵も思わなかった。
春を泣かせた時は、こんなに胸が苦しくなるのに。
「春…ごめん」
「ふ、…うッ」
「嫌な思いさせてごめん。俺が……守るから」
小さく、聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟きながら行動を起こす。
今度は出来るだけ春が笑ってくれるように、涙を止めてくれるように。
小さくて細い体に両腕を伸ばしてグッと抱きしめる。その瞬間、窓の外で白い雪がチラつき始めた。
姉を守ることや、優しくすることがダメなことなら…今俺がやってることは、悪いことなんだろうか。
『雪』
降ったり止んだりを繰り返す、優柔不断な俺の存在
「…嫉妬丸出しな顔してたの?」
「し、して…ない、よ!」
「…そっか」