立ったままぼーっと日記を見つめている私の腕を、ぐっと掴んでソファの方へ歩いていく。
無理やり座らせる形で肩を押されて、そのすぐ後に隣へ雪が腰を下ろした。
すごくすごく近くて、膝や肩が密着する。1つのノートを2人の膝の間へ置きながら雪が私の方へ顔を寄せた。
「このページ」
「ゆ、雪…近過ぎるよ。こんなに近づいてて私のこと気持ち悪くないの?」
「気持ち悪くない。世界中の奴が春を気持ち悪いって思っても、俺は絶対に思わない」
「ッ…」
体中に電流が走ったみたいな感覚に陥る。
何でこんなにも私の欲してる言葉を的確に言うんだろう。
雪はエスパーなのかな。心が読めちゃうのかな。そんなバカな考えが出てくる間も心臓の鼓動は激しさを増していった。
「ぼーっとしてないで早く読んで」
「う、ん…」
急かすように指差された部分へ目を向ける。そこに書かれていたのは信じられない事実だった。
「か、駆け落ち?!」
「そう。父さんと母さん結婚反対されてたっぽい」
「え、でも…今はおばあちゃんだっているし、そんなことは…」
「次のページに書いてる」
「ほん、とだ…」
この申し込みを最後にする。もしも断られたら、私達は駆け落ちをします。そう言ったのが効いたのか、父が渋々結婚を認めてくれた。
そう書かれていた文章を読んで、ほんの少し笑いが込み上げてくる。
駆け落ちって公言せずにしなくちゃ意味ないよお母さん。お父さんも、真面目なとこが出ちゃってて全然ダメじゃんか。
涙を目に溜めながらプッと吹き出してしまう。そんな私を見て雪も一緒に笑ってくれた。
「すっげェ面白いだろ?俺あんま2人のこと覚えてないけど、これ読んで春みたいだと思った」
「わ、私…?」
「微妙に呆けてるとことか、クソ真面目で真っ直ぐなとことか」
「バ、バカにして!」
ケラケラと笑いながら指さしてくる雪にパンチを繰り出す。
自分の中で出来る限りの力を出したはずがあっさりと避けられた上に手首を掴まれてしまった。
その拍子に、ぐっと引っ張られてバランスを崩す。私の体が崩れた先は雪の体の上だった。
「あ…」
「…ごめん」
パッと握っていた手首を離される。急いで体制を立て直した後気まずい沈黙が流れて、私の顔は赤みを増していった。
何か、何か話題を…!そう思った時に目に入ってきたのは、ふざけた時に床へ落ちてしまった日記だった。
無造作に開かれたページ。そこに書かれていた文章。お母さんの書いてくれた、愛情の詰まった独り言。
それは私の動きを止めるのに十分な内容だった。
『絶対に、私が親になったら子どもの恋愛を否定しない。それが例えどんなに許されない相手でも。背中を押して、笑って、頑張りなさいと言ってみせる。周りが許さなくても、私だけは…死んでも応援する』
最後の一文を見た瞬間、涙がぶわっと溢れ出してきた。
心の片隅で、いつも考えていた。
雪のことを好きになってしまった自分を、お母さんとお父さんはどう思ってるんだろうって。
私を嫌って、私を軽蔑して、私を生んだことを後悔するんじゃないかって。
「ふッ…う゛う…」
「春…」
私が雪を好きでいる限り、誰からも愛されないんだと思っていた。
誰からも好かれず、誰からも相手にされず、孤独と戦っていくんだと覚悟していた。
それなのに…
「お母、さん…」
私の想いを一番に反対すると思っていた人が、支えてくれていた。
ずっと、ずっとずっと、私が生まれるよりも前から。死んでからも、ずっと支えてくれてたんだ。
「ずっとさ、人にも言わずに苦しんでたんだろ?」
「う゛ぇ…ヒック」
「ずっと自分のこと責め続けてたんだろ?」
「ぅ、ん…ッ」
「でも母さんは…春のこと責めないで応援してるっぽいな」
そう小さく小さく呟かれた言葉は、どんな気持ちで言われたのかわからなかった。
私に恋愛感情を抱いていない雪。その彼が、応援してる母親の存在を知ってどう思っているんだろう。
どう思って、どう感じて、今私を慰めてくれてるんだろう。
「ゆ、き…」
「ん…?」
「ありが、と…」
「…ん」
私の頭をクシャッと撫でるその手は、何を表わしてるんだろう。
「雪は…好きな、子…出来た?」
「このタイミングで聞く?」
「聞く。どこの、誰で、どこで出会ったのか」
「何だよそれ。もういる前提かよ」
「いるかいないかどうかくらいすぐにわかります」
ツン…と少しそっぽを向いてから立ち上がる。キッチンへ戻ってまだ途中だったチーズケーキを作る作業に戻った。
そんな私に顔を向けることなく、ソファに座ったままの雪が口を開く。
予想通りの、素直で真っ直ぐな彼の恋愛事情を。
「…最近、バイトで知り合った子、気になってる」
「…。」
「…泣いた?」
自分から聞いておいてなんだけど、やっぱりまだ…大人な反応は出来そうにないな。
雪の幸せを願って素直に喜ぶことが、まだ今の私には出来ていない。
まだまだ私は、幼いなぁ。…ね、お母さん。
「泣いてませんバーカバーカ!自惚れるな!」
「はあ?!心配して損した可愛くねェ!」
「あーあー、そうですよ可愛くないですよ!もうすぐ出来るから指しゃぶって待ってな!」
「好きな男に言うセリフかよ」
「し、信じられない…無神経男!」
「…。」
今は、まだこれが…精一杯なんです。
「悪態ついてないで早く好きな男に料理作ったらどうですか!」
「自惚れてないで早くその子に告白したらどうですか!」
けどきっと、これから先、私は強くなります。
今すぐは難しくても、ちゃんと胸を張って、彼のことを見て、好きだと思う自分を誇らしく思えるように。彼の幸せを何よりも喜べるように。
だからどうか、お空から見守っていて下さい。
『diary』
私の背中を押してくれる、唯一の支え
「なあ、これってチーズケーキ?」
「そう」
「スライムじゃなくて?」
「そう」
「……いただきます」