あまりにも驚き過ぎて階段を踏み外しかける。
落ちかけた体を陽子ちゃんが後ろから支えてくれてバランスを取り戻した。
けど心のバランスは見事に崩れ落ちて何も考えられなくなる。
「私が何もわかってないとでも思ったの?全部丸わかりだよ」
「よ…こ、ちゃん」
「誰がよこちゃんだ。さっさと上りな。誰にも聞かれたくないでしょ」
背中を押されておずおずと階段を上りきる。
部屋の中へ入ってベッドへ座りこんで、スーと深呼吸をした。
「何で…知ってるの?」
「見てたらわかるよ。あんたが誰を好きで、誰で悩んで…自分を嫌悪してるのか」
「いつ、から…」
「私達が中学生の時に弟くん事故ったでしょ。その後くらいから」
淡々と言ってのける陽子ちゃんの顔は見れなくて、ただひたすら自分の足を見つめる。
靴下も履いてスリッパも履いているはずなのに、血が通ってないみたいに冷たかった。
「始めに言っとくけど、私は応援しない」
「……。」
「どう足掻いたって幸せになんかなれっこない。私はあんたが弟くんのこと好きだって気付いた時、正直心のどこかで嫌悪してた」
「…そ、だよね」
陽子ちゃんの話す内容全てが心にグサッと刺さってくる。
でも何故か、悲しむどころかスッと心が晴れていく感覚がした。
全くの嘘もない。100%の本音でぶつかって来てくれる。
もしも今ここで陽子ちゃんに応援されていたら、それこそ本音なんだろうかと疑ってしまう。
私のことを想って言ってくれてるんだろうかと、悲しくなってしまう。
「でもね、これだけは言えるよ」
「…?なに?」
よく、今まで頑張ったね…
ぎゅっと抱きしめられて、小さく小さく震えた声で呟かれる。
たったそれだけなのに一度止まったはずの涙がまた溢れ出してきた。
ああ、本当に…今までよく頑張ってきた。
それだけは自分のことを褒めてあげられるような気がする。
「ずっと…誰にも言えずに我慢してたんでしょ」
「ッ…ぅん」
「ずっと…家の中で弟くんのこと見てたのに耐えてたんでしょ」
「うん…ッ」
毎日毎日、顔を合わす度に好きだって気持ちが大きくなってた。
ソファでうたた寝してる時の表情。朝目覚めた時の大きな欠伸。寝癖をつけながら私の作った朝ご飯を食べて、美味しいって笑った顔。
一緒にケーキを食べながらくだらない話をして、一緒にテレビを観ながら笑いあった。
歳を追うごとに体が大きくなって、赤ちゃんだった手がだんだん男の人の手になって、玄関に置かれてる靴がどんどん大きさを増してって、私を呼ぶ声が低く低くなってって…
好きだって気持ちが、無くなるどころか大きく大きくなっていってた。
ずっと見てきたからこそ、一番近くにいたからこそ、辛くて仕方なかったんだ。
「苦しかった!辛かった!悲しかった!」
「うん…」
「何で好きになっちゃったんだろうって、ずっとずっと悩んでた!でも答えなんて見つからなかった!」
「うん…ッ」
きっともう、明確な理由なんてわからないんだ。
何で弟じゃないとダメなのか。何で胸が疼いてしまうのか。何で苦しくなってしまうのか。
わからなくてわからなくて結局逃げるばかりで、向き合おうとなんかして来なかった。
会話を減らせば、接点が少なくなれば、家を出て会う機会が減れば、こんな想いは自然に無くなるもんだって言い聞かせてた。
でもそれが何の意味もないってことは、自分自身が一番よくわかってるんだ。
気持ち悪くても、この想いはきっと消えて無くならない。
たぶん一生、無くならない。
じゃあ私が自分の気持ちに区切りをつけるには、どうすれば良いのか…
「春、携帯鳴ってる。電話だよ。私外出てるから」
「うん。ありがとう陽子ちゃん」
「……幸せになれる方に進みな」
「…うん」
バタンと陽子ちゃんが扉を閉める音を聞いてから、携帯のディスプレイを見つめる。
弟と表示されている文字。それはわざわざ自分自身へ再確認させるために登録した。
『雪』ではなく『弟』と着信の時に表示させておけば、その当時の私は何かが変わるとでも思ったんだろうか。
「…もしもし」
「姉ちゃん?!今どこにいんだよ?!」
「…彼氏の家。1人暮らしになるまでこっちにいようと思ってるの」
「は…?」
「心配しなくて大丈夫。…雪」
大好きだよ。
そう最後に一言呟いた後、一方的に電話を切って電源を落とす。
持ってきた荷物を持ち直して部屋を出たすぐそこに、陽子ちゃんが腕組をして立っていた。
「…遠くに行くの?」
「うん、また落ち着いたら連絡する。雪には言わないで」
「ご両親は?」
「いないよ。おばあちゃんだけ。おばあちゃんには私から連絡入れるようにするし心配ないよ」
「…そう」
とりあえず納得してくれた陽子ちゃんにもう一度お礼を言って家を出る。
行く宛てなんてどこにもない。とりあえず雪のいない遠くへ、彼と縁を切れるほどの遠くへ、歩き続けた。
色んなことがあった今日のお陰で私の足取りは重くて遅い。
雪には居もしない彼氏の家だと嘘をついた。だからまだ、急に探したりはしないはずだと思った。
雪と過ごしたこの町を出る前に1つだけ行きたい所がある。
この角を曲がったすぐ近く。小さくて古いお店だけどここの町で一番好きな、思い出の場所。
「ショートケーキとチーズケーキありますか?」
「お、春ちゃん久しぶり!1個ずつか?」
「うん…1個ずつ」
雪が幼稚園の時から、私が連れて買いに来ていたケーキ屋さん。いつも同じものを頼んで買って、手を繋いで帰った。
あの時の私に戻ることも、あの時の私達に戻ることももうない。
それでも今この時の一瞬が…幸せだった。