チハヤは私の顔をじっと見ると、突然しゃがみ込み私の頬をさわった。
「はっ、ちょ! 急になに!?」
「血が……出ている……」
「血? あっ──」
チハヤの指の先っぽに少しだけ血がついていた。あのときだ。魔法が頬をかすめたとき。痛みが走ったから。
「これは誰が……」
拳を握り締めると、チハヤは私の後ろに視線を移す。その瞳はとても冷たく、なんて声を掛ければいいかわからないほどだった。
「聞くまでもない。そこの男か」
「あ、その、チハヤ……?」
様子が変だ。いつもの冷静な顔じゃない。握った拳は震えて、顔が歪んでいる。これは……怒っている?
「下がっていてください。サラ様」
「あっ……」
チハヤは止めようとした私の手を無視すると、魔法を放った男の方へ一歩一歩ゆっくりと近付いていった。でも、その前に棍棒を持った悪人顔の男が立ち塞がる。
「おいおい、待てよ。なにをしたかはしらないが、いきなり出てきて出しゃばんじゃねぇよ!」
「……どいてもらおう」
意も介さぬ……っていう感じでチハヤは男の横を通り抜けようとする。
チハヤの肩を男が触った。
や、やばい気がする。気がするっていうか、雰囲気がオーラが!
「だーかーら、待てって。何者かしらないけどよ。あいさつくらいしたらどうだ? 礼儀を知らねぇーな!」
棍棒がチハヤ目掛けて振り下ろされる。
「って、チハヤ!?」
チハヤは避けようともしていない。魔法を使ってもいない。そのまま、生身の体のまま重い棍棒が叩きつけられて──折れた。棍棒が。
「うぇえええええええ!?」
どういうことだよっ!? 棍棒の方が折れるって、なんでだよ!?
「……はぇ……へぇ?」
攻撃した方もびっくりしてる!? なにが起こったのか、わかるわけがない!
「邪魔だ」
チハヤは呟くようにそう言うと、武器がなくなってがら空きのお腹に向かって拳を叩きつけた。グーパンだ!
「…………」
声を出すこともできずに、悪人面の男は白目をむいて後ろ向きに倒れていった。地面が揺れる。
「……さて、あとはお前だけだ」
聞いたことのないような低い声。普段は絶対使わない「お前」なんて乱暴な口調。
本当にチハヤか? まさか、本当に悪魔になっちゃったんじゃ……。
「チ、チハヤ?」
「……なんでしょう、サラ様」
「て、手加減はしてあげた方がいいと思う」
「承知いたしました」
よかった。いつものチハヤだ。ちょっと、いや、かなり激おこモードだけどチハヤであることに変わりはない。
「くっ! なんなんだ、お前は!?」
最後に残ったさっきまで余裕しゃくしゃくだった一人が、焦ったような声を出す。
「なんなんだ、か。私は、そうだな。サラ様の執事だ」
「ふざけんな! くそっ! こうなったら! ライトニング……もがむぐもご!!!」
なに? 急にしゃべれなくなったみたいに口を閉じて……!?
「詠唱阻止、というより沈黙。少し本気を出させてもらった。無詠唱はできないだろう? これでもうお前は魔法を使えない」
「本当にしゃべれなくなったんかい!?」
「ええ。そうです。なので悲鳴も出すことはできません。あとはどうやって料理をするか──」
チハヤがポキポキと指を鳴らしながらまたゆっくりとしゃべれなくなったもがもが男に近付いていく。全く似合わない動作だけれども。
「──っと」
チハヤの足が止まる。なにを考えているのか、数瞬動きが止まったあと、しゃがみ込むと落ちていた何かを拾う。
あ──。
大事そうに両手で拾い上げたのは、私が無我夢中で投げた髪飾りだった。
「これは──なるほど」
髪をかき上げると、チハヤはその場で立ち上がりくるりと私の方を振り向いた。
笑ってる……? いや、でも。
「サラ様も戦っていらしたんですね」
その表情は不思議と柔らかく。だけどどこか哀しそうにも見えて。
ただ、私は気がついたら目の前に近づいてくるチハヤの顔をずっと眺めていたみたいだった。
「サラ様」
差し出された手につかまり、起き上がるとすべてはもう終わっていた。
「チハヤ、なにかしたの?」
最後の男はいつの間にか地べたにうつ伏せになって失神していた。
「いえ、なにも。きっと痛いのが苦手だったのでしょう。サラ様、傷の手当てを」
「大丈夫! それより──」
チハヤが最後まで言い終わる前に私は走り出していた。
怖さに怯え泣きじゃくるグレースの元へ。
「大丈夫だよ!! グレース!!!!」
倒れている男どもを蹴り飛ばしながら駆け寄ると、震える体をそっと抱きしめる。柔らかくてモフモフの肌が私の胸の中に飛び込んできた。
「ごめんね、グレース。でも、大丈夫。もう大丈夫だから」
私はグレースが落ち着くまでずっと灰色の髪の毛を撫で続けていた。
*
「しかし、こうもあっさり
剣を収めたナタリー・タッグマンはにこやかな笑顔でチハヤを褒めた。
あのあとすぐにチハヤがギルド員を呼び、三人組の男は拘束された。
もちろんめんどくさいかつ話がややこしくなるからマリアンヌことマリーは呼んでいない。
チハヤはわずかに頭を下げる。
「いえ、サラ様の近くにいてくれて本当に助かりました。本来は私がすぐに駆けつけなければならなかったところ。少々込み入った用事の最中でして」
込み入った用事? あぁ、村長の例のアレか。
「騎士として当然の務めを果たしたまでです。どこかでマリアンヌ様の非礼をお詫びしたいと思っていましたし」
そこで言葉を切ると、ナタリーはチハヤに握手を求めた。
「……これは?」
「親交の証みたいなものです。どうか握手を交わしてください」
チハヤがちらりとこちらを見た。なーに? もしかして、困ってる?
仕方ない。助け船でも出してやるか!
「握手したからって攻撃されるのはもう嫌なんですけど」
「ははっ。問題ありません。今はマリアンヌ様の目はありませんから」
「だってさ、チハヤ」
脇腹を小突くと、チハヤは浅く息を吐いて顔を上げた。
「……わかりました」
そしてお互いがっしりと握手を交わす。
私はなにやら恥ずかしくなって、グレースの頭を撫でた。日はもう暮れて、暗闇の中をグレースの黄色い目が光っていた。
*
宿屋へ帰る道すがら、私は思い切ってチハヤに聞いた。
「で、村長のアレってなんだったの? すぐに駆けつけられなかったくらい込み入ってたんでしょ?」
ちょっと意地悪な言い方になってしまったかもしれない。
「……村長には内緒ですよ」
「ああ、もちろん」
「では」
えっ、ちょっと見せるの? いや、心の準備っていうか、私が見ちゃいけないものなんじゃ、っていうか言葉で言ってくれればいいから……ん?
目を覆った指の隙間を広げる。
チハヤがわざわざ燕尾服の下から取り出したのは、どっからどう見てもふさふさとした髪の毛。つまりそれは。
「まさか、カツラ!?」
「声が大きいです、サラ様」