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第15話 王都レブラトール

 焦りの気持ちはどこへ行ったか。のどかな時間が過ぎていた。


 チハヤの入れてくれた紅茶に今回は特別にクッキーまで用意されていて、さながら優雅なピクニック気分だった。


 船をシーサーペントというモンスターに乗り換えてから、1時間ほどしか経っていないのに、さっき起こった戦いやらゴーレム船団やらみんなの見送りが遠い過去のように思える。


 時間の流れが違うのだ。こうして紅茶を楽しんでいる間にも、疲れたグレースがお昼寝をしている間にも、チハヤがなにやら難しい顔をしている間にも、チハヤが作ったバリアとやらの外は目では追いつけないほどの速度でぐんぐんぐんぐんと大陸に向かって進んでいる。


 ……あまり景色を見るのはやめておこう。酔っちゃう。


 軽い酔いをチョコレートクッキーを食べて解消しながら、私は改めてチハヤを見た。


 ギルドに来た依頼品をまとめた羊皮紙を見ながら、これからの算段を考えているのだろうか。


 チハヤの漆黒の目が私を見た。思わず目が合ってしまい、なぜか視線を逸らしてしまう。


「この依頼のことなのですが、サラ様、今よろしいですか?」


 何度か咳払いをして妙な胸のざわめきを誤魔化す。


「うん、今、特にやることないからね」


「では、このナタリー・タッグマンのサインなんですが、どうやって手に入れたものか、と。サラ様はナタリー・タッグマンがどういう人物かご存知ですか?」


「ナタリー・タッグマン? 私もそんなに詳しくないけど、王都で有名な役者だよね。なんでもファンクラブまであるらしくて、うちの村でも何人か会員が──って全然知らない感じ?」


 話の途中でチハヤの眉間にしわが寄り始めていた。


「はぁ。どうも、転生前からその手の話は興味がなくて……」


 意外だった。なんでもそつなくこなすチハヤなら芸能にも精通していると思ったのに。


 なんだよ、チハヤもわからないことあるじゃん!


 私は食べかけのクッキーを置くと、胸を張って人差し指を立てた。


「よしよし、チハヤくん。教えてあげよう」


「ご教授よろしくお願いします」


「いいかい? まず、王都には3つの有名な劇団があるんだ。そのうち一番人気のグラツィオーソっていう劇団の花形役者がナタリー・タッグマン。雑誌にも引っ張りだこで、街中では彼のファンがいつも追っかけをしてるとか」


 チハヤは腕を組むと、考え込んでしまった。


「……そうなるとサインをもらうのは難しそうですね」


「うーん、わかんないけど、そうでもないんじゃね? けっこう、普通に有名人も歩いているらしいから。誰かファンをつかまえれば、そのうちナタリー・タッグマンにたどり着けるんじゃないかな」


「そういうものですか? なにか厳重な警備をされているとか、ある程度のお金を払わないとサインをしてもらえない、とか」


「え……なにそれ、王族? 王族ならそもそも会ってすらくれないと思うけど」


「なるほど。この世界での有名人は、芸能人並みというわけではないんですね」


「?? チハヤの世界はよーわからんけどさ、ちなみにサインしてもらうものってなにか渡されたの?」


 「あーそれは」と言いながら、チハヤは手の中に麻の真っ白なブラウスを取り出した。


「これに書いてほしい、と」


「あーね……ま、まあなんとかなるでしょ? それより私さ、村長のあれってのが気になるんだけど、なんなの?」


 チハヤは服を収納した。


「村長からはこう言付かっています。『このあれは絶対にサラちゃんに知られるわけにはいかないんじゃ。だから、この通り内密に頼む』」


 急に空気が冷えた気がした。


「……あの、チハヤさぁ」


「はい。なんでしょう」


「あんまりモノマネとかしない方がいいかも。うん、絶対しないで!」


「なにか解せない気持ちですが、承知しました。……さて、そろそろもう一度ゴーレム船団に乗り換えます」


「え? なんで?」


「なんでって、もうすぐ王都ですのでさすがにモンスターで港に入るのはマズいかと。誰かに見られないうちに乗り換えたいのです」


「はい~? 王都~? そんなわけ──」


 はぁあああああ!!!!!? ウソでしょ? 遠くに大陸見えてるやん!


「えっ、だって船で最低5日はかかるんだよ? いくらモンスターが速いからって……」


「まぁ、モンスターですから。それに紅茶とクッキーしか持ってきていませんので、食料は1日も持ちませんよ?」


 確かに。今思えば、手ぶらだ。いや、またチハヤがいろいろ持ってきているものだろうと思っていたけど、そうじゃなくてすぐに着く予定だったのか。


 はぁ。村のみんなに言っても信じてもらえないだろうな。


 遠くに見える大陸が幻だって言われた方がまだ説得力があるんだけど、現実なんだよな……。


「それでは、準備しますね」


 チハヤはシーサーペントに「止まれ」と合図をした。すぐさまシーサーペントは減速し、穏やかな海の中に静止する。


 続いてチハヤは、いつも何もないところから紅茶を出す要領でゴーレム船団を海の上に放出する。


 衝撃がすごすぎて特大の水柱が上がった。溺れられるわ、と確信できるほどの量の水がかかるが、私たちのバリアが守ってくれた。


 音のでかさでグレースはびっくりして起きたけど。


「さあ、どうぞ」


 私たちがゴーレムの背中に移動すると、チハヤはシーサーペントに「戻れ」と命じた。


 あーでもちょっと待って!


「チハヤ! そのモンスター、もっと人のいないところ、危険じゃないところに移動させられないの?」


「……と、言いますと?」


「いや、だって。村の人たちそいつのせいで魚が捕れないんでしょ?」


「食物連鎖」


 しょくもつれんさ?


「小さい魚は大きな魚に食べられ、大きな魚は巨大なモンスターに食べられる。そうして野生の生物は循環しています。シーサーペントを他の海に移動させる命令は下せますが、島の環境が変わってしまう恐れもあります。それに、シーサーペント自体、別の海で生きていけるか」


「……そっか。……じゃねぇって! 一瞬、そうかもと思ったけどこんなバカでかいモンスター、どこの海でもやってけるでしょ!」


「サラ様」


 チハヤが私の目を見つめる。う……わかったよ。


「とりあえずわかったよ。でも、島はなんとかならない? あんな簡単に倒せるなら、チハヤが少し動けば平和な海ができると思うんだけど」


「それについては、考えがあります。かなり大掛かりな仕掛けが必要ですが。ともかく今は依頼の達成を優先させましょう」


「うん、そうだね」


 そうして私たちはシーサーペントから離れた。名残惜しそうに声を上げながら鳴くシーサーペントは、何度もこちらを振り返ってから海の中へ潜っていった。


 グレースが最後まで手を振っていた。


「さて、ではこのまま港まで向かいます。しっかり捕まっててください」


「はいよっと」


 チハヤの体につかまるのはこれで何度目だ? こいつ意外にいい香りするんだよな。甘い花みたいな不思議な香り。


 などとボーっとしているひまはなく。また猛スピードでゴーレム船団は進んでいく。大陸がみるみるうちに近付いてきて、港に、たくさんの船、そして大勢の人影が見えてくる。


 チハヤの合図でゴーレムはゆっくりとスピードを落として、港に入っていった。


 船着き場に到着して、顔を天に向かって真っ直ぐ上げると、立ち並ぶ高い家々のちょうどど真ん中に、王都のシンボルであるお城がそびえ立っていた。


「あうっあ…………」


 隣にいるグレースが声にならない声を上げた。黄色の瞳は好奇心いっぱいに見開かれ、キラキラと輝いてる。猫耳がぴょこぴょこと動く。


 私も同じ気持ちだ。来たよ王都──レブラトール!!!! 

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