沸々と収まらないイライラは、グレースを抱っこすることで抑える。元々猫だからかわからないけど、グレースは見た目以上に軽い。
それでも、物をつかむみたいに片手で抱きかかえたクリスさんはわからんが。
「やはり、ここも賑わっていますね」
「あーそうだね」
「昨日、村長に進められた本を買いに来たときもそれなりにお客さんがいましたから、みなさん時間を見つけて来店されているんでしょう」
「そうなんじゃないの? 売り上げが上がってうらやましいねぇ~」
チハヤが私の方を見た。
「怒ってます?」
「……別に」
くっ、なんで? なんで目を逸らしてしまったんだ。しかも別にって、イライラしてるだろ!?
「ひとまず、中に入りますね」
「ああ……」
チハヤがお店に入った後、私の口からため息が漏れていた。
……おかしい。いや、おかしくはないのよ。残念ながら私には免疫がない。だって、この村には私と同じくらいの男性はいなかったし? だから会話することだってなかったし? 奴は悪魔的だがイケメンだし? 冗談でもあんな風なことを言われたら──。
「違うな。違う、よね」
ふっと浮かび上がった「ときめき」という言葉を否定すると、私は不思議そうに大きな目をパチパチさせているグリースを抱きしめて、石畳の地面の上へと降ろした。
「よし、行こうか!」
今は仕事に集中しないと。チハヤが何を考えているのかはわからないけど、この情報収集も依頼を増やす作戦のはず!
お店に入ると、チハヤは店主のミラベルさんと何人かのお客さんと談笑していた。
チハヤは作り笑いとは思えないくらい自然な笑顔を見せている。
こうして離れて見ると、随分と村に溶け込んできたんだなぁなんて思うけど。
「ちーっす! サラちゃんやん!」
「あ、どうも」
ミラベルさんが私に気づいた。いつも思うけど、ノリが独特なんだよな~この人。
悪い人じゃないんだけど、軽いって言うか。耳に鼻に唇、いろんなところにピアスがついているのもなんか軽い印象がある。
「今、あんたんとこのチハヤくんと話してたんやけど、新作どんどん入荷したいなって話になって」
「新作?」
「そうや。うちの店でもベストセラーの小説『あなたの子猫になりたい』が、都会ではもう3巻くらい新作が出ているんやけど、うちの店に並ぶんは遅いやろ? 他にもたくさん本を置いてほしいって、なあ?」
「そうなのよ! ファッション雑誌も古いでしょ?」「ゴシップも全然古いわよ! 流行に全然ついていけてないわ~」「演劇も気になるわよね~今、最も注目されてる役者ナタリー・タッグマンの情報とか、もっと知りたいわ!」
チハヤを囲んでいたおばさま方が一斉にしゃべりまくる。新しい物好きなのだろうか。
「あら、そう言えばチハヤくんもナタリー・タッグマンに似てない?」「いやいや、チハヤくんの方がカッコいいわよ!」「だったら、チハヤくんも今後注目されたりして!」
あーこれは村長とは別の意味での長話になりそうだ。
私はムダ話を止めるべく、チハヤに質問をぶつけた。
「チハヤ! さっきから情報収集って、何聞いてんの?」
意味あるのか? 村で叶うはずのない要望を聞いて。
チハヤが問いに答える前に、後ろにいたグレースが私の服の袖を引っ張る。か、かわぁいい~。
「どうしたの?」
「…………あ」
グレースは、店の奥で本棚の整理をしているゴーレムを指差した。
「あーゴーレムのとこ行きたいの?」
コクコクとうなずくグレース。私が「いいよ」と言うと、また耳を動かしてゴーレムの元へと走っていく。
「お店の中だから、走らないようにね~」
好奇心旺盛なのは猫の気質なのかもしれない。
「さて、チハヤどうなの? どういう意図があってこんな話を?」
いつもギルドに閉じ籠ってろくにアドバイスもしないのに、今回に限って積極的なのはなんでだ?
「可能性ですよ」
「可能性?」
「はい、詳しくは今夜にでも」
チハヤは怪しげな微笑を浮かべる。私の頭は相変わらず?でいっぱいだったけど、チハヤはそれ以上ここで話す気はなさそうだった。
*
「それで、そろそろ話してもいいんじゃないか?」
私は金色のスペシャルドリンクを飲んでいた。向かい合わせのチハヤは赤ワインを飲んでいる。
悔しいけど、似合いまくる。やっぱり放っておけば貴族や王子に見えてしまう。
私たちは開店したばかりのクリスさんの酒場「クリスティーナ」へやってきていた。
美容室の仕事終わりに合流したエルサさんはビールを流し込むように飲むと、プハーとご機嫌な声を出した。
「なになに~? 話って」
「作戦です。チハヤの。でも、どういうことなのか私にもわからなくて」
「そうですね、たとえば──」
チハヤはワイングラスをすっと目の前に持ち上げた。
チハヤの後ろでは、コーティングとか言って特別に青色に染められたゴーレムがグレースと一緒に遊んでいる。と言っても、作業をしているゴーレムの腕にグレースがぶら下げっているだけなんだけど。……邪魔じゃね?
「こちらは赤ワイン。エルサさんの飲んでいるのはビール。でも、もっと他のお酒が飲みたいと思ったことはありませんか?」
「え~今まであまり酒場にも来れなかったから、満足してるけど、でも、世界中にたくさんお酒はあるから、試してみたい気持ちはあるよね~」
チハヤはテーブルの上にグラスを置いた。
「そういうことです」
数秒、間があった。
「どういうこと!?」
もう酔ってんじゃないのか? こいつ!
「これまで話を聞いた人たちみんなが、現状には満足しているけれどももっとこういうものがあれば、という微かな願望がありました」
……海の幸、化粧品、流行の服、それから本の新刊にファッションやゴシップ雑誌、ナタリー・タッグマン、言われてみればそうだ。
「だけど、それは無理だよ? ここアビシニア諸島は大陸と海を隔てた遠い辺境の島なんだから、王都とかの都会と同じようにはなれないでしょ。だから、みんなできればっていう話で、今の現状に満足しているんだからさぁ」
「それが可能だとしたらどうなると思います?」
チハヤの漆黒のような目が怪しく光った。なぜだかその瞳に気圧されて、私はごまかすためにスペシャルドリンクを口につけた。
「……みんな、買おうとすると思うけど。そりゃあね。新しいものは試したい気持ちもあるしね」
「そうです。今は微かな願望でも、目の前に手の届く距離にそれがあれば人は欲しくなるもの。願望が欲望に変わるのです」
言い方、な。まあ、間違ってはいないと思うけど。
「欲しくなったものは、人は多少の無理をしてでも手に入れようとします。つまりはお金を払ってでも」
「それで、だからどうなるの? 現実には今日聞いたものは全部簡単には手に入らないんだよ?」
「なるほどね。わかったわ。奪い取ればいいのよ。時々遊びにくる観光客から!」
「違います」
エルサさんは全てを悟ったような表情で的外れなことを言うと、見事に玉砕した。
「え? 違うの?」じゃないですよ! 何気に怖いこと言ってるしさ~お酒のせいか目が据わってるんだよ!
「コホン。話の腰を折られてしまいましたが、サラ様ならもうおわかりになるかと」
「チハヤが意味もなくこんな話をするわけがない。つまり、ギルドの依頼にしようってことでしょ? 今までは無償だったけど、村では手に入らないものが手に入るとなれば、みんな有償で依頼をしてくれる。……どうやってやるのかはわからないけどさぁ」
チハヤは満足そうにうなずくと、グラスの残りのワインを傾けた。
「方法は考えてあります。ですがまず、依頼が来ないことには動いてもしょうがありません。その辺りはギルドの責任者、いえギルドマスターとしてサラ様にお願いします」
結局、いつもの無茶ぶりだった。