父が亡くなって3年が経つが、ふと、思い出した事を書き綴ろうかと思う。
父は末期の肺癌で亡くなったのだが、葬式の際に、『おくりびと』という映画を指導した、納棺師のお弟子さんが納棺をつとめた。
当時はコロナ渦であったので、通夜までを自宅で質素に行って、葬式を斎場で行う事にしたのだが、家で納棺をやった際に、納棺師の言葉の幾つかが、今でも頭に焼き付いている。
とても印象に残っているのは、死に装束を着させる時だった。
装束を紐で縛るときに、納棺師に声をかけられた。
「これはね、家族だから紐がスムーズに縛れるのですよ。他人なら自然と手が震えてしまって、縛れなくなってしまう人が多いのです。だから、そこに家族の愛情が見えるのですよ。それは、どんなに離れていても同じです。家族と他人は違いますからね。」
それを聞いてハッとした。
私は、相当な田舎に住んでいて、周りは田圃と畑しかないし、最寄りの駅なんて存在していなくて、バスは1日に数本しかないような、極度の過疎地域と呼ばれるような場所に住んでいる。
数年前に近所に住んでいる婆さんが、風呂場で溺死してしまった不幸があった。
その婆さんは、身よりもほとんどいなかったので、亡くなった婆さんの身内と近所の人が集まって、その婆さんの家で、家族葬をやるのに私も呼ばれてしまった。
その時に某大手葬儀屋の人が納棺をやったのだが、その婆さんの死に装束で紐を縛るときに、私は手が震えて、なかなか縛れなかった。
それをみた葬儀屋の人が、私に対して声を荒げて、紐を縛るのを急かせたのだ。
私は、絶対にその葬儀屋は使わないと、心に決めていたのだが、なぜ、自分が婆さんの死に装束の紐を縛るのに苦労したのかが分からずにいた。
しかし、父が亡くなった時に、納棺師の言葉によって、それが理解できた事に対して、ストンと気持ちが落ち着いたのだ。
そのことを納棺師に話すと、呆れたような顔をして、私の言葉に答えた。
「大手の葬儀屋にいたっては、担当者次第ですからね。そんなことをやって、お互いが気持ちの良い見送りができると思えません。私たちは、亡くなった人を送るお手伝いをするのが仕事です。どんな気持ちであれ、葬儀に参加して、亡くなった人を送ろうとする気持ちを大切にしなければ駄目ですよ…。」
父が亡くなった時にお願いした葬儀屋は、比較的近い場所にあって、葬儀費用も安価だったので、時間が迫られている中で決断したのだが、とても良い葬儀屋で、私はホッとしていた。
亡くなった父は、これと言って、傾倒した宗教はなかったが、商売のゲン担ぎとして、私の小さい頃から、しょっちゅう成田山に行ったり、地元の比較的大きい神社に参拝に行ったりして、神仏を大切にする人だった。
葬儀屋の惰性的な納棺ではなく、本格的な納棺師によって納棺された父は、あの世という世界があるのであれば、それを見て喜んでいたのかも知れない。
そうして、色々と忙しいうちに、父の葬式が終わった2日後に、私は少し不思議な夢を見た。
目を開けると、白くモヤッとした景色だったが、どうやら…そこは棺の中。
棺の中に、多くの花があって、私が驚いていると、父の声が聞こえたような気がした。
「ありがとう…」
それで吃驚して目が覚めた。
私は、霊感なんて、ほとんど皆無であるし、普段は、そういう夢なんて見ないので、余計にインパクトがあった。
不思議な夢は、それだけではなかった。
父が亡くなって1週間程度であっただろうか。
父が町工場をやっていたので、その跡継ぎであるのだが、会社はコロナ渦で相当に苦しく、今も色々な情勢から、大変に苦戦している毎日である。
一緒に経理をやっている女房にも苦労をかけっぱなしなので、本当に申し訳なく思っている。
そんな中で、こんどは、私と父が一緒に歩きながら話をする夢を見た。
私は父に対して、唐突にこんな事を聞いた。
「親父、この会社、ズッと、続いていくのかな…」
その答えに父は答えられないままだ。
「そうだよな、答えられないよな?」
父がうなずくと、私は言葉を続けた。
「自分が元気なあいだは、会社を続けるよ。できる限り、なんとか頑張ってみる。ただ、息子は、どうなるか分からないけどね…」
私がそう言うと、父は泣いてしまった。
その父の涙は、今となって考えて見ると、うれし涙と、私の事を心配しての涙と、自分が早々に亡くなってしまった悔しさが、雑じっていたのだろうと考えている。
私は、これ以降、会社が苦しくて、気持ちが折れそうになると、この夢を思い出して、死んだ父と約束をしたから、絶対に約束は果たさなければいけないと、心の中で覚悟を決めている。
だからこそ、町工場だから、会社が景気に左右されて、風前の灯火になろうとも、どんなに周りから厳しい目を向けられようとも、私は老いるまで、この会社をずっとやっていくつもりだ。
人の死は、自分の価値観や考え方をも変えてしまうこともある。
そのことを、思い知らされた出来事だった。