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第13話 歴史を違える事、雨の如し

 ――天文三年晩秋、夜。


「それではお休みなさいませ」


「うむ、ご苦労だった」


 父信虎の葬儀が無事に終わった。

 手配は板垣さんや恵林寺えりんじの僧侶がやってくれたので、俺は大して疲れていない。


 自室に戻り白い寝間着姿で本を取り出す。

 ネット通販『風林火山』で買った武田家に関する歴史書だ。

 乾電池で動くLEDライトを灯し、ノートとペンを片手に歴史書を読み進める。


 俺は元服して武田晴信たけだはるのぶと改名し、武田家当主になった。

 晴信は武田信玄が元服、つまり成人した時の名前だ。信玄になるのは、もっと後の時代なので、史実にそって晴信を名乗った。

 父信虎の葬儀も終わった事だし、明日からは本格的に武田家の舵取りを行わなければならない。


 しかし、気になっている事がある。

 それは『歴史が変わっている』という事だ。


 俺が武田家の当主、つまり戦国大名をやっていくにあたっていくつかアドバンテージがある。

 その一つが『歴史を知っている』だ。


 桶狭間おけはざまの合戦。

 鉄砲伝来。

 長篠ながしのの合戦。

 本能寺の変。


 歴史イベントを知っている事で、どう対応すれば良いか『最適解』を導き出せるはず……なのだが……『俺の知っている歴史』と『この世界の歴史』が違っていたらどうだろうか?

 最適解のハズが、最悪の選択に……何て事もありうる。


 そこで改めて歴史書を読み、今いる世界の事実と照らし合わせてみる事にした。

 すると色々と気付いた事がある。


 俺が武田信玄に転生した事で変わった歴史と元々変わっていた歴史があるのだ。


 まず、俺が武田信玄に転生した事で変わった歴史は、父武田信虎の死だ。

 元々の歴史では、武田信虎は死なない。

 武田信玄が父武田信虎を追放し、武田信虎は今川家で余生を過ごしかなり長生きをする。


 だが、俺が武田信玄に転生した事で、この歴史に変化が生じた。

 俺は自分の身を守る為に、廃嫡はいちゃくされない様に、金をばら撒いて自分の派閥形成を行った。

 その結果、小山田虎満おやまだとらみつたちが俺を守る為に父信虎を謀殺し歴史が変わった。


 父信虎が死んだ事で、これからの歴史にどんな影響があるのか?

 これからの俺の行動や武田家の舵取りに、『父信虎の死によって、変化するであろう歴史』を考慮しなくてはならない。


 次に元々変わっていた歴史だ。

 気が付いたのは二つ。


 一つ、小山田虎満おやまだとらみつが小山田姓を名乗っている。

 二つ、馬場信春ばばのぶはるが馬場姓を名乗っている。


 この二つの事象は、転生した俺の存在とは関係なく、手元にあるネット通販で買った歴史書とは違っていた。

 小山田虎満おやまだとらみつ馬場信春ばばのぶはるも元は違う名前で、武田信玄が武田家の当主になってから、武田信玄の命で断絶していた小山田家、馬場家の家名を継ぐのだ。


 だが、知っている歴史よりも早いタイミングで、武田信虎の命によって二人は小山田家、馬場家を継いでいる。

 細かな事だが、この二点は明らかな相違点だ。


 歴史が加速している?


 俺、つまり武田信玄が武田信虎に変わって武田家当主になるタイミング。

 二人が小山田、馬場を名乗るタイミング。

 どちらも史実よりもかなり早い。


 俺が当主になるのは、史実より七年早い。

 小山田、馬場を二人が名乗るのは、史実より十年以上早い。


 いや……待て待て……。

 そもそもこの世界は俺の居た日本ではないはずだ。

 一芸などというゲームのスキルのような特殊能力は、日本にはなかった。


 という事は……この世界の歴史は、日本の歴史とは似て異なるのか?

 ならばこれから先どうなるのだ?


 例えば桶狭間の戦いは?

 例えば三方ヶ原みかたがはら

 例えば川中島?


 有名な歴史イベントが起こらなかったりするのか?

 俺の判断で有名な歴史イベントを起こさなくても良いのか?


 そこまで考えて、乾電池式のLEDライトをじっと見つめる。

 ネット通販『風林火山』で買える物は沢山ある。

 だが、あまりこの世界に『現代日本のアイテム』を持ち込まない方が良い気がしていた。


 なぜなら歴史が狂ってしまうから。


 歴史の狂いを起こさせず、自分の知っている歴史の中で上手く立ち回る。

 何となくそうした方が良い気がしていたが……。

 果たしてその考えは正解なのだろうか?


 そこまで考えた所で廊下から声が掛かった。


御屋形様おやかたさま! 御屋形様!」


 御屋形様は俺の事だ。当主になったので呼び方が『若様』から『御屋形様』に変わった。

 なんだろう?


「うむ。まだ起きている。何用だ?」


「お客様です」


「客?」


 こんな夜に誰だろう?

 ネット通販『風林火山』で買った腕時計を見ると夜の七時を過ぎている。


 現代日本ではそれほど遅くない時間だが、電気の無い戦国時代では夜の七時はちょっと遅い時間だ。


「三条家のご使者の方がお見えでございます」


「三条家?」


 三条家と言えば、先日父信虎と縁談の話をして、弟次郎をプッシュされていた。

 おかしいな……。三条家の使者は十日くらい前に帰ったはずだが……。

 違う人か? 別件で入れ違いに訪ねて来たとか?


「あー、とにかく……もてなしをいたせ。それから、板垣信方に至急出仕しゅっしするように使いを出せ。それから着替えてご使者殿と会う。着替えの手伝いを寄越してくれ」


「うけたまわりました」


 あわてて寝間着から着物に着替える。

 三条家のご使者は会所かいしょに案内して、湯漬ゆづけを出しているとの事だ。


 会所というのは、お客様と面会する為の部屋で、八畳ほどの広さで板張りだ。

 湯漬けというのは、お茶漬けみたいな食べ物でご飯にお湯をかけてこうの物を添える。

 香の物って漬物の事ね。


 この時代だと湯漬けはポピュラーな食べ物だよ。

 小腹が空いた時でもお客様が来た時でも、『とりあえず湯漬け』みたいな。


「お待たせして失礼しました」


 会所で三条家からのご使者にお会いすると十日ほど前に帰った使者殿だった。

 当たり前だがこの時代に新幹線は無い。高速道路も無い。

 だから十日で山梨県の甲府と京都を往復するのは絶対無理だ。

 京都まで戻らずに引き返して来たのか?


「おお! 太郎殿! いや、元服され晴信殿でしたな。当主へおなりになられたと伺いました。おめでとうございます。それから信虎殿がお亡くなりになられ、おやみ申し上げます」


「痛み入ります。して、使者殿、早速ですがご用件は?」


 三条家からの使者殿は、品良く湯漬けを平らげた。

 ちなみに湯漬けをすするのはバッドマナーね。


「かねてからの約定やくじょう通り三条家の姫君をお連れ致しました」


「はあ!?」


「はあ? ではござりますまい。お亡くなりになった武田信虎殿が三条家との婚姻をお望みになられたのですぞ。まさか……約定をたがえるおつもりでは?」


 ご使者殿はいかにもマロっぽい仕草で扇子を口元にあてて横目で俺をジトっとにらんだ。


「いやっ……約定を違えるつもりはございません……。三条家との婚姻は私も望むところです。京都……つまり朝廷、みかどとつながりを持てますので……」


「いやいや! さすがは武田家のご当主! 良くお分かりでございますな! では、早速お引き合わせいたしましょう」


「は、はあ……」


 なんか……このマロ使者はツッコミどころ満載だな。

 まず、十日ほど前に武田家の屋敷を出発したのに、どうやって京都にいる三条家の姫君を連れて来られたのか?

 時間的におかしい。


 それから、公家の姫君のお輿入れなのに、そんなホイホイと輿入れ相手に会わせて良いのか?

 段取り的におかしい。


 マロ使者の後について廊下を歩きながら考える。


 三条家から俺つまり武田晴信への輿入れという事は、相手は歴史上有名な『三条の方』という事だろう。

 だが、それは歴史的におかしい。


 史実では三条家との婚姻は、武田信虎時代に武田家と今川家が和平を結び、今川家の仲介で成立している。

 今川贔屓びいきの武田信虎が当主で、今川家に息子の婚姻話をするから起こる歴史イベントだし、そもそも武田家と今川家が和平を結ぶのは数年先の話だ。

 だから、武田信虎が死んでしまった現在の歴史では、三条家との婚姻は無いはずなのだ。


 ううん……どう考えれば良いのだろう?

 武田家は武家の名門だから京都の公家界隈へのパイプはある。

 史実とは別ルートで三条家とはコンタクトをとっていて、それでこのマロ使者が動いた。

 ……という事か?


 それとも『歴史』が修正をかけているとか?

 武田信虎が死んだ事で無くなってしまった武田晴信と『三条の方』の結婚を修正しようとしている?


 いや、そんな事はないだろう。

 それじゃまるで『歴史』に意思があるみたいじゃないか!


 もしも、そうだとしたら……。『歴史』が意思を持って、細かな歴史が変わろうとも『修正』がかかるのだとしたら……。


 何をやっても辿り着く未来が同じになってしまう。


 武田家は長篠の戦で織田・徳川連合軍に負け、滅亡への道を歩む事に……。


 クソッ!

 そんな事があってたまるか!

 俺は武田家の歴史を絶対に変えてやる!

 自分の未来は自分で切り開くモノだろう!


 廊下を曲がり一番奥の部屋に入る。

 板張りの部屋には、美しい着物を着た俺と同じ年ごろの、十二、三才に見える女の子と侍女がいた。


「こちら左大臣三条公頼さんじょうきんより様が二の姫、香子かおるこ様でございます。香子様、こちらが武田家のご当主武田晴信様でございます」


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