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第10話 父の死を悼む事、ペテン師の如し

 なに!?

 信虎様……!?

 信虎様……お討ち死に!?


 討ち死に?

 父信虎が討ち死に?


「いっ……板垣……さ……ん……」


「はっ!」


 深呼吸を数回して気持ちを落ち着かせる。

 板垣さん以外の人間もいる。狼狽うろたえるところを見せてはいけない。

 心臓が強く鳴る。

 だが、意識してゆっくりと低い声で話そうとする事で、動揺は隠せたと思う。


「父上が討ち死にと申したか?」


「左様でございます!」


「詳しい事を報告せよ」


「はっ! 先程、信濃しなのとの国境くにざかいから早馬が到着いたしました。詳しい状況は不明ですが、信虎様がお討ち死にとの事です」


 顔から血の気が引くのが自分でもわかった。

 辺りが暗くて幸いした。


 武田信虎の死。

 それは歴史には無いイベントだ。


 武田信虎は今から七年後、武田信玄つまり俺が数え年で二十一歳の時に、俺の手によって追放されるのだ。

 そして武田信虎は今川家の世話になり長生きをする……はずなのに……。


 なぜ、今、武田信虎が討ち死にをする?

 歴史が変わったのか?

 もしも、歴史が変わったのなら……なぜ?


 俺が歴史事実と直面している事実との相違に考え込んでいると板垣さんが心配そうに声を掛けて来た。


「太郎様……」


 いかん!

 嫡男の俺が動揺している場合じゃない!


 目を閉じて考える。

 今、何をすれば良いのか?


 父信虎が死んだ。

 ……という事は、俺が家督かとくを相続して武田家の当主になるのだ。

 家臣たちに指示を出さねばならない。

 家臣に指示を出すには……まず、状況把握だ!


「ふむ……。それは戦に負けたという事か? 敵が甲府こうふまで攻めて来るのか?」


「いえ! 戦自体は我が方の勝利でございます。戦の最後の最後に敵のやいばにかかったと使いの者が申しております」


「ならば甲府は安全だな?」


「左様でございます!」


 板垣さんも興奮状態にあるようで普段の話し方よりも声が強いし早口だ。

 とりあえずだが、戦に勝ってここ甲府が安全なのはプラス材料だ。


「相分かった。家臣たちに話をしたい。大広間に人を集めてくれ。重臣だけでなく、女中や厩番うまやばんの者もだ。とにかく皆の者を落ち着かせよう」


「かしこまりました。それではお召し替えを……」


「うむ」


 部屋に戻り板垣さんが連れて来た者に着替えを手伝って貰う。

 板垣さんは四人連れて来た。一人は俺の着替えを手伝っているが、残りの三人は辺りを警戒している。

 かなりピリピリした気を発している。


 なるほど、どうやら彼らは護衛としてここに来ているらしい。

 父信虎が暗殺されたのなら、俺も狙われるかもしれない。

 それに弟の次郎を当主にしようとするやからが、俺を暗殺しようとする可能性もある。

 しばらくは、一人で行動するのは控えよう。常に複数人、そうだな、四、五人は側にいてもらうようにしよう。


 動揺は大分収まって、妙に冷静な自分がいる事に気が付いた。

 この戦国時代風の異世界に転生して数か月。この世界の家族に愛着があるのかというと……正直、ほとんど無い。彼らは歴史上の人物としか思えなくて……父信虎などは嫌な上司、パワハラ上司のように捉えている。


 だからだろう。

 動揺したと言っても状況が突然変化した事への動揺で、肉親が死んだ事への動揺ではない。

 それどころか……これから自分が武田家の舵取かじとりをするのかと思うと、どこかワクワクしている自分がいる。


 不謹慎だが……『戦国ゲームスタート!』くらいの気持ちだ。


 この数か月で派閥形成を行い、ネット通販『風林火山』で買った歴史書で戦国時代の勉強をした。


『俺でもやれる!』


 そんな思いを抱いて大広間に向かった。


 大広間には甲府に居残った諸将が既に集まっていた。大広間の外に兵士や女中など身分の低い者が立っている。

 大広間の外には篝火かがりびがたかれ、集まった者たちの顔を照らし出している。

 みんな不安そうな顔、興奮した顔をしていて、落ち着いている者など一人もいない。


「若様がおいでじゃ! みな静まれ!」

「若様だ!」

「おお、若様!」


 俺はゆっくりと大広間の中央、一段高くなっている場所、当主の座る席に向かう。

 当主の席に座りぐるりと大広間を見回し、座っている者たちの目を見る。

 次に外で立つ者たちに目を配る。


 俺はゆっくりと、努めて落ち着いた口調で話し始めた。


「皆の者……既に聞き及んでいると思うが、我が父武田信虎が討ち死にをいたした……」


「なんと!」

「おお!」

「おいたわしや!」


 場が騒がしくなった。しばらくして、両手を上げて騒ぎを収め、話を続ける。

 俺は声を張って、一番後ろまで声が届く様に腹に力を入れる。


「だが戦は我が方の勝利だ! この甲府に敵が攻め寄せて来る事は無い。安心せい!」


「それは……」

「ああ……」

「それならば……」


 あちこちから安堵する声が聞こえた。


「武田の家は、この太郎が継ぐゆえ何も心配は無い! 何も心配は無いのだ!」


 力強く宣言し、一人一人と目を合わせて行く。

 みな大分落ち着いて着た様だ。


「数日で軍が戻って来るだろう。葬儀を行わなくてはならない。父信虎は……その身をささ甲斐国かいのくにを守ったのだ……。静かに父信虎の死を悼んでくれ……」


「おお!」

「信虎様!」

「ううう……」


 信虎パパが、あの世でどう思うかは知らないが、救国の英雄的な感じで武田家の歴史に花を添えて貰おう。


『傍若無人に振舞い家臣から嫌われ、何のとがも無い嫡男ちゃくなん廃嫡はいちゃくして武田家を混乱させた男』


 ……よりは、遥かにマシだろう。

 我ながらひどいペテンだと思うが、死んでしまった以上は有効活用させて貰う。


 これで武田家家中はお通夜モードになる。

 パニックを起こして、弟次郎を当主に担ぎ上げようとするバカが減ってくれれば助かるな。


 大広間に集まった家臣たちを解散させると俺は戦場に指示を出した。


小山田虎満おやまだとらみつを総大将とし、武田軍は速やかに甲府に戻る事。委細いさい小山田虎満おやまだとらみつに一任する』


 すぐに書状を持たせて信濃との国境に早馬を出した。

 あの曲者じじいなら、現場を上手くまとめて撤収してくるだろう。


 母大井の方を見舞った後、俺は自室に戻り床についた。


 眠れないかもしれない。

 それでも目をつぶって体を休ませなければ。

 父信虎の葬式、俺の元服と武田家当主への就任、明日からは怒涛の忙しさになる。


 色々な事が頭の中をぐるぐると回ったが、やがて俺は眠りについた。

 意外な事に……この世界に転生して一番ぐっすりと眠れた気がした。

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