「動かざること山の
俺は
青い空に白い雲が浮び山の頂の向こうへと流れて行く。
「この時代だと山梨県じゃなくて、
俺の右後ろ。一歩下がった位置に立つ
「左様でございます。ここは甲斐国でございます。して、山梨県とは?」
「ああ。気にしないで。独り言だから」
俺がこの世界に転生して三日が経った。
転生前は現代日本のサラリーマンだったのに、転生先はどうやら戦国時代らしい。
普通は異世界転生と言えば、中世ヨーロッパ風のゲームみたいな世界に転生するよね。
ドラゴン!
魔法使い!
剣と勇者!
――みたいな感じの異世界に。
俺もそう思っていた。
もしも、異世界転生が本当にあるなら、そんな世界に転生すると思っていた。
なのに転生先は戦国時代……。
転生した時の事は覚えている。
会社帰りに子供が車に
小さい子を抱きしめる様にして守った。そこで意識が飛んだ。
気がついたら一面まっ白な世界で女神と名乗る女性がいた。
そして……俺は自分が死んだと、即死だったと女神様から知らされた。
ショックだった。
女神様は子供を守った俺の行動に感動したらしく、違う世界でもう一度生きるチャンスをくれた。
なんやかやと女神様にお願い事をして、願いを受け入れてもらえると意識が遠のき気を失った。
目覚めると俺は乗馬の訓練中に落馬した少年になっていた。
「それで俺は甲斐武田家の
何度目かになる確認を板垣さんにする。
板垣さんは嫌な顔一つせずに答えてくれる。
「左様でございます。あなた様は武田家の跡取り太郎様でございます」
「それで俺の父親は……武田信虎さんだよね?」
「左様でございます」
この三日間は現状把握に努めた。
どうやら俺が転生したのは、戦国時代の甲斐武田家の武田信虎の跡取り息子。
つまりは……。
武田信玄に転生してしまったらしい!
今は天文三年……天文という年号らしい。
俺は十四才。
ただしこの異世界は生まれた年を一才とカウントする数え年だ。
なので、現代日本の年齢だと俺は十三才になる。
どちらにしても随分若返ってしまった。
今でも信じられず
だって武田信玄だよ!
風林火山に信玄餅!
川中島の合戦で有名な戦国最強の騎馬軍団を率いる大名だよ!
女神様! 頼んでないですよ!
もっとこう、中世ヨーロッパ的な可愛いお姫様がいる異世界希望だったのに!
俺が深いため息をつくと板垣さんが心配そうに聞いてきた。
「思い出す事は出来ませんか?」
「ダメだね。何にも思い出せないよ」
「左様でございますか……。いや、仕方のない事でございます。太郎様は落馬して頭から真っ逆さまに地面に叩きつけられましたから……。記憶を無くしてしまっても仕方がございません」
たぶん……これは俺の予想だが……元々のこの体の主、武田太郎君は落馬してお亡くなりになり、そこに女神様が俺の魂をぶち込んだんじゃないかと思う。
俺に武田太郎の記憶は一切ない。
当たり前だ。中身は別人なんだから。
しかし、板垣さんや周りの人間に『いや~俺は別人で異世界転生した現代日本人なんですよね~』なんて言えないので、記憶喪失って事にした。
「記憶があろうとなかろうと、太郎様は武田家のご嫡男でございます。あれだけ危険な体勢で落馬したのに大した怪我もなさらなかったのは、
八幡大菩薩じゃなくて、女神様だけどね。
「ですよねー! 命があっただけラッキーですよね!」
「ら? らっき?」
「ああ。気にしないで! 独り言だから」
やれやれ。言葉遣いも違うから慣れるまで苦労しそうだ。
今、俺の側にいるのは板垣信方さん。
武田四天王の一人で、戦国武田家の重臣筆頭として有名な人物だ。
戦国ゲームは良くプレイしていたので、板垣さんが『あの板垣信方』とわかった時は凄く興奮した。
板垣さんスゲーと連発で叫んでしまった。
実物の板垣さんは穏やかな人で、茶色の地味な
何でも親切に教えてくれる優しいおじさんだ。
けれど……ここは異世界だから、俺の知っている戦国時代とは違うかも知れない。
なぜ異世界とわかるのかというと……。
(鑑定!)
これだよ!
俺が女神様にいくつかお願いした特殊能力、いわゆるスキルだ。
その内の一つがこの鑑定スキル。
異世界転生小説やマンガでは、ド定番の能力で鑑定スキルを発動させると人や物の情報がわかる。
定番ゆえに外せないだろうと女神様におねだりして付けてもらった。
こんな能力は俺がいた日本、俺がいた世界ではあり得ない。
だから、ここは……俺がいた日本とは別の世界、日本の戦国時代とは似て異なる世界なんじゃないかと思うんだ。
俺が板垣さんを見ながら心の中で『鑑定!』と唱えると、板垣さんの頭の上に文字が表示された。
【板垣信方 一芸:
名前と一芸……。一芸はスキルの事かな?
更に鑑定をしてみよう。
【一芸:その人が持つ特殊能力】
【王佐の才:補佐役として、あらゆる分野で非常に高い能力を発揮する】
なるほど!
一芸はやはりスキルに相当するね。
そして板垣さんの一芸は王佐の才……凄いな……。
王佐の才は、王様を補佐する力のある特別優秀な人って意味だ。
その意味通りのハイスペックスキルの様だ。
確か三国志の
魏の
つまり板垣さんはワールドクラス!
続けて自分の手を見ながら心の中で呟く。
(鑑定!)
すると俺の手の上に文字が表示された。
【武田太郎 一芸:鑑定、
名前は和風になっているけれど、女神様にお願いした四つのスキルが付いている。
現在、武田家当主の父信虎は近隣の小競り合い、つまり小規模な戦に出ていて不在だ。
今なら自由に動ける。スキルの検証を、やっておこう。
「じゃあ、板垣さん。まだちょっと本調子じゃないので、部屋に戻って休んでいますよ」
「かしこまりました。近くに控えておりますので、御用があればお申し付けください」
「うん、ありがとう」
今いるのは
躑躅ヶ崎館は武田家の本屋敷で、いくつもの館が渡り廊下でつながっている。
広い日本家屋の廊下を歩き自室に戻る。
俺の部屋は板張りで、何も無い六畳ほどの殺風景な部屋だ。
ベッドはもちろんないし、畳すらない。
この時代の生活レベルはこんな物なのだろうか?
季節は初夏らしいが、板張りの床は足元から冷えてくる。
カーペットが欲しい。
さて、まずはアイテムボックスからテストしよう。
たぶんこの『上大蔵』がアイテムボックスだろう。
「上大蔵!」
俺が呟くとタンス位の大きさの蔵が目の前に現れた。
蔵が半透明で宙に浮いている。
酒蔵のような白い壁に瓦屋根。
正面に観音開きの扉が付いている。
テストだから何か物を入れてみよう。
腰にさした短刀を半透明の蔵の扉に近づける。
扉が開いて短刀が蔵の中に吸い込まれた。
「おおっ! 短刀が消えたな!」
今度は取り出してみよう。
蔵の扉に手を近づけてみる。
「あっ! 何が入っているかわかる!」
頭の中に『短刀』と文字がイメージされた。
短刀を取り出したいと考えると蔵の扉が開いて短刀が現れた。
よしよし!
随分と和風だけれど希望していた収納系スキルで間違いない。
これは便利だ。使えるスキルだね。
次のスキルは
まさか日本風の異世界に転生するとはなあ。
そういえば女神様は
そして最後に女神様が特別サービスで付けてくれたスキルが『ネット通販』だ。
異世界でもポテチやコーラが欲しいのでどうしましょうか?
と相談した結果、いつも使っているネット通販『風林火山』を使えるようにしてもらった。『風林火山』は、売り上げが日本一の総合ネットショップで食料品、洋服、電化製品など何でも売っている。
これが一番期待しているスキルだ!
いやだってさ。
嫌じゃん。
シャンプーない、石鹸ない、お菓子ない、コーラない、何にもありません異世界的なのは断固拒否でしょう!
さて……では……。
「ネット通販『風林火山』!」
ピコン!
おお!いつも見ている通販の画面が目の前に表示された!
「来たー!やった! 画面が表示された!マジでネット通販!」
「太郎様!いかがなさいましたか?」
ヤバイ!
大きな声をだしたら板垣さんに聞こえたらしい。隣の部屋から壁を挟んで板垣さんの声がした。
隣の部屋にいたのか!
「大丈夫です! 独り言です!」
「左様でございますか」
ふう。びっくりした。
壁が薄いな。気をつけよう。
さて。ネット通販を使ってみますか。
画面は普段使っているネット通販『風林火山』と同じだな。
風林火山は大手のネットショップで食料品からゲームから何でも売っている。ネットオークションもある。
これがあれば!
戦国時代風異世界生活も余裕でしょ!
「じゃあポテチとコーラを、いざ!実食だね!」
食料品のページからポテチとコーラをショッピングカートに入れ会計ボタンを押す。
……あれれ?
支払い画面が表示されたけれど、どうすりゃいいんだ?
クレジットカードは……持ってないから使えないね……。
「お金がいるのか……。タダじゃないんだ……」
てっきり女神様のサービス仕様で無料だと思い込んでいた。
支払い画面は、コーラ100円、ポテチ100円、合計200円と表示されている。
消費税が無いのはありがたいけれど……。
画面に硬貨を入れるのかな?
投入口のイラストが画面右上にある。
100円玉なんて持ってないな……困ったな……。
「板垣さん!」
一旦画面を閉じて板垣さんを呼ぶ。
「お呼びでございますか?」
「すいませんが、俺のお金は?」
「お金?ですか?」
「ええ。俺のお小遣いとか。お金は?」
「特に小遣いはございません。ご入用の物があれば、持ってまいりますが?」
しまった!
転生した俺は良いとこのお坊ちゃんになるから、お小遣いシステムはないのか!
「えーと。硬貨……じゃないな……何て言えば……。あっ! そうそう! 銭! 銭が必要なんだけど、持ってないですか?二、三枚で良いのですが?」
「銭でございますか?それでしたらこれを」
板垣さんは何事かと不思議がっていたけれど、この時代の硬貨を五枚渡してくれた。
五円玉みたいに穴が開いている。
これは銅銭ってヤツだな。
板垣さんに部屋から出てもらってネット通販『風林火山』の画面を表示する。
画面の右上に通貨を入れる自販機のコイン投入口みたいな絵がある。
そこに銅銭を、入れると……。
「おっ! 入った!」
どんな仕組みなのかはわからないが、風林火山の画面に銅銭は投入できた。
チャリーン!
効果音が流れてメッセージが表示された。
【1円チャージしました!】
「えっ!? 1円!?」
メッセージを見て愕然とした。
この時代の硬貨ってそれ位の価値なのか?
よく見ると板垣さんから貰った銅銭は大きさが不揃いで刻印もハッキリしない。
硬貨として質が悪いのだろう。それで評価額1円って感じなのかな?
「板垣さーん!」
「お呼びでございますか?」
「金貨はありませんか?」
銅銭の価値が低い。
じゃあ、金貨ならイケるんじゃないか?
戦国時代でも金貨、小判は作られていた筈だ。
だが板垣さんは困った顔をしている。
「金はございますが、信虎様の許しなく勝手に持ち出す事は……」
「ああ……そりゃそうですよね……」
そうか、そうか、金貨は大切な軍資金であり、交易をする時にも使う武田家の大切なお金だよね。
そりゃ武田家リーダーの武田信虎パパの許可なしで持ち出したら不味いよね。
困ったな。
ネット通販『風林火山』は動くのに、お金がないので買い物が出来ない。
板垣さんを下がらせて一人考える。
どうしよっかなあ……。
ポチポチと『風林火山』の画面を指で操作して、あちこちのページを表示させる。
するとネットオークションのページに不用品買い取りコーナーを見つけた。
何か買い取ってもらって、お金をチャージしてポテチとコーラを買う。
これだ!
画面には、『買い取ること山の如し』とキャッチコピーが書いてある。
良いぞ! 風林火山! 買え買え! 山のように買い取れ!
「しかし、売る物がないぞ……」
改めて部屋の中を見回すが何もない。
そうすると……短刀か?
短刀とは言え本物の日本刀だ。高額査定が期待できるか?
買い取りページの『買い取りはこちら』と書いてあるところに短刀を差し込むとスルスルと入った。
しばらくすると買い取り価格が表示された。
【買い取り価格:150,000円】
「うーん……これって高いのか?安いのか?」
正直100万円位を期待していたので、15万円は期待外れだ。
だけど現状では他にお金を得る手段がない。
「やむなし!」
買い取りOKボタンを押す。
【ありがとうございました! また売って下さいね!】
お礼のメッセージと共にチャリーンと音がして、画面左上のチャージ額が『150,000円』になった。
会計ページを再表示して、早速ポテチとコーラを買う。
「うおっと!」
何の前触れもなく突然目の前にコーラとポテチが現れた。
配達早いな! 『配達する事火の如し』ってキャッチコピー通りだ。
「よしっ!」
ポテチを頬張りながらコーラをゴクゴクやる。
美味い!
転生してから三日間この世界の料理を食べたが、正直美味くない。
それに比べてこのポテチの深い味わいに、コーラの甘さの何と素晴らしい事か!
おおお! 日本文明に幸あれ!
しかし、お金をどうやって稼ぐか考えなくちゃな。
小遣いはないし、毎回刀を売る訳にはいかないし。
定期的にお金を稼ぐ方法、定期収入の確保が急務だな!