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第241話 悪戯の復讐

■その241 悪戯の復讐■


「今の、佐幸さこうさん? 凄い勢いで出ていったけど…」


 皆の視線が集中したドアから、授業帰りの三島先生が入って来ました。周りの先生達は、次は何が起こるか静観することにしたようで、何事もなかったかのように、仕事を再開しました。大人ですね。

 主達は教室に戻ろうと、出入口へと歩き始めましたが…


「東条先生、これ、調理実習に便乗して作らせてもらったんです。

白川さんや妹さんには負けるけど、不味くはないはずだから、おやつに食べてください」


 その言葉に、主達の足がピタリと止まりました。ゆっくり、梅吉さんの方を振り向きます。

 三島先生は、自分の机の上に置いておいた紙袋を、梅吉さんに差し出しました。キャンディのイラストが散りばめられた、可愛い紙袋です。周囲の視線を一身に浴びた梅吉さんは、苦笑いしながら受けとりました。


「「珍しい」」


 思わず、主と桃華ちゃんが呟きます。


「ありがとうございます。いただきます」


 梅吉さんが紙袋からつまみ出したのは、皆の想像通りの一口マフィンでした。それをポイっと、何の躊躇もなくお口の中へ。


「へぇ~、チーズ味だ」


 甘いと思っていたのに、チーズの味がしっかりしていて、梅吉さん少しビックリしました。


桃華ももかちゃん、桜雨おうめちゃん、ほら、美味しい… よ」


 梅吉さん、いつもの癖で、マフィンの入った紙袋を主と桃華ちゃんに差し出しながら近づいて… 気がつきました。ここ、学校。しかも、職員室。


「信じられない、乙女心が分かってないんだから! 自分に好意があるって分かっている女性から手作りのお菓子もらって妹達にあげるなんて、兄さん、最低!」


 桃華ちゃん、そこまで言います? 梅吉さん、しまった! って顔、してますよ。


「あ、大丈夫、大丈夫。東条さん、大丈夫だから。二人にも食べさせてあげたい、って思ってくれたのは、美味しいって思ってくれたからでしょ? 大満足だよ」


 プリプリ怒っている桃華ちゃんを、三島先生は優しくなだめます。


「梅っチ、本当にお兄ちゃんだよね~」


 大森さんの言葉に、周囲の先生達も頷きました。




 下校時間です。三鷹みたかさんは、どうしても学年会議に出ないといけないので、主に帰るのを待つように言っていたんですけど、主はスーパーのタイムセールに間に合いたかったんです。桃華ももかちゃんは部活の後輩さん達に頼まれて、遅くなるそうで…。


「待っててくれ」


「帰ります」


 そのやり取りを何度もしていると、塾に行くからと近藤先輩がボディーガードを買って出てくれました。三鷹さん、松橋さんも一緒なのもあって、渋々、ほんと~に渋々、主が先に帰るのをOKしてくれました。主が事故にあったこと、三鷹さんのトラウマになっているんですよね。


 近藤先輩の通う塾は、主の商店街の中にあります。ついでに、スーパーのタイムセールにも付き合ってくれた近藤先輩は、ちゃんとお家にまで荷物を運んでくれてから塾へと、松橋さんは大きな手芸屋さんへと向かいました。そんな2人に、主は昨日の残りのクッキーをお礼に渡しました。


「到着~っと」


 まずは玄関で自撮りをして、三鷹さん達とのグループLINEにアップします。これで、三鷹さんも一安心。


「さてと…」


 そして、主は制服を着替える暇もなく、ダイニングテーブルの椅子に引っ掛けていたエプロンを付けて、キッチンに立ちます。少し調子の外れた鼻歌を歌いながら、買って来た食材を手際よく片付けて、12人分の夕飯作りに取り掛かりました。小さい体がフル稼働です。

 アイドルグループが歌うハロウィンの曲を歌っている時、主はふと思い出しました。


「そう言えば三鷹みたかさん、誰に悪戯されたんだろう?」


 主、ちょっとモヤン… としました。けれど、僕は覚えていますよ! 主、モヤンモヤンを育ててますけど、覚えてない主が悪いんですからね! ほら、圧力鍋がシュンシュン鳴ってますよ。


「… 聞いちゃおっかなぁ」


 長ネギを切る手を止めて、ぼーっとしながら、呟いた瞬間でした。


「何を?」


 逞しい両腕が後ろからぬっと出て来て、主の細い肩をギュっと抱きしめました。


「… び、ビックリした。お帰りなさい、三鷹さん」


 三鷹さんの気配をまったく感じなかったので、主は心臓が飛び出すほどビックリして、すぐに違うドキドキになりました。主、包丁握ったままだから、僕は違う意味でドキドキですよ。


「ただいま」


 三鷹さんは主の肩越しに顔を埋めて、髪の感触や匂いを堪能しています。僕、いつも思うんですけれど、三鷹さんのその中腰、辛くないんですかね?


「お腹の具合はどうですか? 今日は消化にいいレシピにしたから、食べ応えないかな? と思って、ご飯は発芽玄米にしたの。圧力鍋で炊いたから、食べやすいと思うけれど、よく噛んでね」


 主、三鷹さんの逞しい腕や、肩越しにある頭や、首元にあたる呼吸にドキドキしながら聞きます。


「ありがとう。もう、大丈夫だ。それで、誰に何を聞くんだ?」


「えっと…」


 主、とりあえず、包丁は放しました。


「三鷹さん、昨日… 誰に、どんな悪戯されたの?」


 ドキドキ… ドキドキ… 主のドキドキは、三鷹さんにも伝わりました。


「桜雨、『トリック・オア・トリート』」


 主を抱きしめる腕の力が少し強くなって、耳元で三鷹さんの低音が囁きました。耳に、三鷹さんの唇の感触があります。ドキドキするたびに、体温が高くなっていくのが分かります。口の中が一気に乾いて、喉が渇いて、上手に発音が出来なくて…


「… ト、トリック」


 掠れた声で答えると…


 パックン!


と、真っ赤に染まった主のホッペが、大きなお口に軽~く噛まれました。


「つまみ食い。夕飯出来たら、呼んでくれ」


 三鷹さん、主のホッペを軽~くアグアグした後、ニヤッと笑ってキッチンから出ていきました。


「え?… え~…」


 パタンと、静かにドアの閉まった音を聞いた瞬間、主の体は骨を抜かれたようにヘナヘナと床に溶けていきました。


「悪戯って…」


 主、ドキドキしたままの心臓や、グルグルしている頭をどうにもできずに、座り込んだまま両手でホッペを包み込んでいました。


「ただいま~。久しぶりに歌って… 桜雨、どうしたの? 具合、悪いの?」


 そこに、桃花ももかちゃんと笠原先生と、梅吉さんが帰って来ました。


「顔、赤いけど、熱あるのか? 気分は?」


 桃華ちゃんと梅吉さんが、慌てて駆け寄ってくれたんですけれど…


「つまみ食い、されちゃった」


 目尻の下がった瞳を潤ませて、ホッペをピンクに染めて、小さな唇を少し震わせて呟くと、桃花ちゃんと梅吉さんが固まりました。


「… ちょっと、行ってくるわ」


「あ、俺も」


「まぁまぁ、先に悪戯をしたのは白川ですから。当の本人が覚えていなかったから、ちょっと強めにやり返されただけでしょう」


 表情がスっと消えて、音も無く立ち上がった桃華ちゃんと梅吉さんを、笠原先生が呆れた顔で止めました。それを聞いた桃華ちゃんは、悔しそうな顔をして、足音も高々にお部屋に行って、すぐに戻ってきました。


「ほら、桜雨、ご飯作っちゃおう!」


 主とお揃いのエプロンを付けた桃華ちゃんは、主のホッペをパッチン! と両手でサンドイッチしてから、立たせました。


「あ、うん。そうだね、作んなきゃ」


 我に返った主は、桃花ちゃんと一緒にお夕飯作りを再開です。


「はら、兄さんも笠原先生も、お夕飯出来たら持っていくから、早く仕事に戻ってください」


 それまで、静かに見守っていた梅吉さんと笠原先生は、桃花ちゃんにちょっときつく言われて、すごすごと三鷹さんの家に向かうべく、キッチンを出ました。まだ、テストの採点や、追試問題の作成等、終わっていないんですよね。


「分かってはいるけど、いつまでも子どもじゃないんだよな。

少し、寂しいかな」


 キッチンのドアを閉めて、寂しげに梅吉さんが呟きます。


「貴方は桃華の、白川姉弟の、お兄さんでしょう?」


 素っ気ない笠原先生の言葉に、キッチンから2人の歌声が重なりました。


「… そうだな。お兄ちゃんには、変わりないよな。笠原、お前、良い奴だよ」


 梅吉さんは顔をクシャっと崩して、笠原先生の肉付きの薄い肩に腕を回しました。


「今更ですか?」


「あのな、俺から桃華を奪おうとしている奴を、どうすれば認められるんだよ? そうだよ、お前やっぱり、嫌な奴だよな」


「どっちでも構いませんよ」


 そんな事をヒソヒソ言いながら、梅吉さんと笠原先生は三鷹さんの家に向かいました。


※本日のお夕飯・お品書き※


発芽玄米

ホッケの塩焼き

セロリの浅漬け

出汁巻き玉子の大根おろしあんかけ

高野豆腐と小松菜の玉子とじ

なめこと絹豆腐のお味噌汁



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