■ その210 こんにちは、赤ちゃん・私が桜雨です■
皆さんこんにちは。
夏休みが終わり、2学期が始まって早々に、
「
三鷹さんの意識が戻って病室に回診に来たお医者さんが、今の三鷹さんの状態を説明してくれています。ベッドの足元でカルテを見ながら、スラスラ話すお医者さんは外科の水島先生で、この病院は主達が通う
事故の怪我人が多かったんですけど、その中で三鷹さんは軽傷でした。事故現場近くの病院はすぐに受け入れ困難になっちゃったので、軽症だった三鷹さんは事故現場から程近い実家の病院に運ばれました。
「しばらくしたら、皮膚が色とりどりになるくなど、時間の経過と共に消えるから、気にしないでね」
4人部屋の窓際のベッドです。仕切りのカ-テンがしてあるので、とっても狭く感じます。三鷹さん、体が大きいですから、余計狭く感じるんですね。
三鷹さんのベッド脇で並んで立って説明を聞いているのは、三鷹さんのお姉さんの二葉さんと、梅吉さん。窓を背に座っている主は、三鷹さんの手を枕にまだ眠ったままです。
「とっさに受け身とれるって、本当にすごいよね。基本、軽傷。額が… 分かりやすく言うと中症で、たぶん傷が残ると思う。何回か皮膚移植すれば、綺麗にはなると思うよ」
水島先生の言う通り、ベッドの上で体を起こして話を聞いている三鷹さんは、包帯や大きな絆創膏だらけです。お顔も、あっちこっち擦り剝いてて、額には真っ白な包帯が巻かれています。
「一応、今日は一泊して…」
「ンニヤァァァァァァー!!」
不意に、廊下から猫? 赤ちゃん? の泣き声が聞こえてきます。それに気をとられて、お医者さんが二葉さんを見ました。
「あれ? そういえば、
「… 事務所」
二葉さん、バツが悪そうに水島先生から視線をはずして呟きました。ガラッと病室のドアが空いた瞬間、その泣き声は一気に音量を上げました。
「ンニヤァア! ニァァァァァァ!!」
ビクッとして、主が起きる程です。そして、勢いよく仕切りのカ-テンが開けられました。
「あ~、良かった。探しちゃいましたよ~。二葉さん、輝君のオムツは変えたんですけど、泣き止まなくて。お腹すいてるのかしら?」
病院の事務服を着た中肉中背の初老の女の人が、たくましい腕に抱っこしていた赤ちゃんを、二葉さんに押し付けるように渡しました。二葉さん、赤ちゃんを抱っこするのになれてないのか、危なっかしいですし、顔にも余裕かありません。眉間の皺がどんどん深くなっていきます。赤ちゃんも、泣き止みません。
「あ、若先生も一緒みたいですから、言っときますね。うちの病院の保育所、今、空きがないんです。空き待ちしながら、何とか勤務してくれてる看護師もいるんですから、若先生の赤ちゃんを特別扱いは出来ませんからね」
二葉さん、今にも泣きそうな顔で
「
事務の人に噛みつくように、訴えます。
「母親だから、全部一人でやらなきゃいけないってことも、今まで普通にやってきた事を全部我慢しなきゃいけないって訳でもないですよ」
事務の人は、大きなため息をついて、二葉さんと水島先生を見ました。
「父親だって赤ちゃんの親なんですから、母親と同条件であるべきだと私は思っていますし、家族に助けてもらうのも有りだと思いますよ。でも、二葉さんの家族、皆さんお忙しいでしょう? 一番手が空いてそうなのは院長先生ですけど、あの人に預けたら本当に見てるだけでオムツも変えてくれないですよ。他に、「少しだけ」の少しを頼めるかた、いらっしゃいます? 一番いて欲しい父親の若先生は、殆ど泊まりですし。だから、家事なんか手を抜いていいんですよ。赤ちゃんだけに、かまってればいいんです」
事務の人は、二葉さんの腕の中でギャンギャン泣いている赤ちゃんのご機嫌をとろうとあやしてはいるんですけど、上手くいかないみたいです。赤ちゃんがジタバタ暴れているから、二葉さんは落とさない様にするのが精一杯みたいです。
「だって、抱っこしてもミルクあげても、泣き止まないじゃない! あやし方なんて知らないし!」
とうとう、二葉さんは泣き出してしまいました。みかねた主が立ち上がって声をかけました。
「あの、良かったら、私に抱っこさせてもらえませんか?」
二葉さんは泣きながら、雑に赤ちゃんを主に差し出さしました。
「ありがとうございます」
主は嬉しそうに顔を輝かせて、手早く髪の毛をまとめ直しました。
「… こんにちは、輝(ひかる)君。素敵な名前ね。私は桜雨です」
主はふんわりと、赤ちゃんを受け取りました。左胸が赤ちゃんの頭が来るように抱っこして、ちょっとだけ強めにお尻をポンポンとします。
「輝君は、お歌好きですか?」
小さな小さな目を覗きながら、ニコニコ笑顔で聞きます。
「私、少し音痴なの」
言って、主は歌い出しました。ちょっと音程の外れた、『カエルの合唱』です。
「一人で合唱曲。… しかも、この曲で音程外してるわ」
二葉さん、驚きを隠せません。
「でも、赤ちゃん、泣き止んだわ」
事務の人が感嘆の溜息をつきました。さっきまでギャンギャン泣いていた赤ちゃんは、主の体ごとユラユラ揺れてお尻を軽くポンポンしてもらって、音程の外れた歌でウトウトし始めています。主はニコニコ赤ちゃんを見つめながら、歌を続けます。そんな主を、三鷹さんと梅吉さんはホッコリした気持ちで見つめていました。
「… 居たじゃない、頼める子。三鷹、「少し」よろしくね」
そんな様子を見て、二葉さんはそれだけ言ってさっさと病室から出て行ってしまいました。
「… ちょ、二葉さん?!」
慌てて追いかけようとする梅吉さんを、事務の人が捕まえました。
「二葉さんね、ちょっと育児ノイローゼ気味っぽいの。可能なら、少し見ててあげてくれないかしら? ほら、父親はこの通りだから」
その言葉に、一同の視線は水島先生に集まりました。
「あー、少しでも見ててくれれば、助かります」
水島先生、二葉さんの旦那さんで、赤ちゃんのお父さんだったんですよね。
「… うち、受験生が居るんですけど。これからメチャクチャ大事な時期で…」
「少しよ少し。それにほら、貴女も赤ちゃんの扱い、とっても上手だし。
あ、輝君の荷物、事務所にあるから、帰りに取りに来てね」
慌てる梅吉さんに、事務の人は勢いで押し切って、病室を出ていきました。
「えー… どうする?」
梅吉さん、事務の人を止めようとした手を宙ぶらりんにしたまま、主を見ました。
「お母さんも美世さんも居るから、大丈夫じゃないかな? 桃ちゃんには… 私が謝るね。出来るだけ、迷惑かけない様にする」
主は梅吉さんに苦笑いして返してから、赤ちゃんの寝顔を見つめました。
「少しの間だけど、よろしくね、輝君」
しっかり赤ちゃんを抱っこしながら、ユラユラ体を揺らす主を、三鷹さんは相変わらずホッコリと見つめていました。