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第207話 『さよなら』は突然です

■その207 『さよなら』は突然です■


 良く晴れた空。青く青く、入道雲もないコバルトブルーの空を、細く白い煙が昇っていきます。白い煙を吐き出す煙突は細く長… まるで、魂を導く道に見えました。

 喪服の人達が、その煙突と青空に拡散して溶け込んでいく煙を、神妙な面持ちで見上げていました。男の人も女の人も、若い人も年配の人も… 皆、白い煙の行く先を見つめています。


「空に昇って溶け込んで… 今度は空から見守ってくれるのかしら?」


 ハーフアップにした艶やかな黒髪を飾るのは、黒く細いリボン。真夏でも、長い袖に丈の長いスカートの喪服。それらが、肌の白さ、紅を引いた様な赤い唇を際立たせています。切れ長で温和な黒い瞳は赤く充血して、他の人と同じように白い煙を見上げていました。


「絶対、そうだよ」


 スッキリとお団子に纏められた柔らかな髪は、夏の太陽に照らされて、薄く入れた紅茶色がキラキラと金色に。細く小さな体を包むのは、お揃いの喪服。白い肌、ふっくらとした桜色の唇が、西洋人形を連想させます。目尻の軽く下がった焦げ茶色の瞳は、やっぱり充血して、白い煙を見上げています。


「もう一度、皆で一緒にご飯、食べたかったね」


「うん… 楽しかったね」


 故人を偲ぶ二人の少女は、どちらからともなく、そっと手を繋ぎました。


「2人とも、そろそろ中に」


 そんな2人に、ひょろっとして気持ち猫背の男性が声をかけました。切りたての黒い短髪を整髪料で後ろに撫でつけて、銀縁眼鏡をかけているその人は、真夏の中の喪服だと言うのに、汗の一滴も流していません。


「「はい」」


 少女達は手を繋いだまま、大きな建物の中に入って行きました。


 今日はお葬式でした。参列した人達も列席した人達も、その数はとても多くて、主達は故人の偉大さを改めて感じていました。

 僕の主の桜雨おうめちゃんは、勿論、親族席です。けれど主の家族も、桃華ももかちゃんの家族も、親族席には座りませんでした。


 お父さんの修二さん、伯父さんの勇一さんは、連絡を受けた三日前から一言も話をしていません。お母さんの美和さんや、伯母さんの美世さんも、ぐっと口数が減りました。お通夜とお葬式が無事に終わって帰宅した今も、それは変わりませんでした。


 そんな両親や周りの雰囲気に気疲れした双子君達はもちろん、主と桃華ちゃんの両親達も、帰宅して早々に寝てしまいました。けれど、主と桃華ちゃんは、寝ることが出来ませんでした。


「… 楽しかったね」


 桃華ちゃんが呟きました。明りのない喫茶店のカウンターで、2人は肩を並べて座っています。

 日中とは真逆の格好です。綿のパジャマはパステルオレンジ。剥き出しになっている脚も腕も、お風呂上がりでピンク色。湿った髪を、主は鬼灯ほおずきかんざしで、桃華ちゃんはアジアデザインのかんざしで、簡単なお団子にまとめています。


「ここで、皆で集まれて、良かったね」


 2人の間に置かれたスマートフォンの画面には、6月に撮った集合写真が出ています。このお店で、二組の新郎新婦を中心に撮った、親族写真です。二組の新郎新婦の間に、お祖父さんが笑顔で座っています。


「父さんと勇一伯父さん、大丈夫かしら?」


「喧嘩したままじゃないだけマシよ、きっと。心情的には複雑だろうけれど、母さん達がいるから大丈夫よ」


 そうだね。って、主が呟いた時、後ろから2人分のレモネードがカウンターに置かれました。


「水分と、ビタミン補給にどうぞ」


 そう言って桃華ちゃんの隣、レコードの真ん前に座ったのは、笠原先生でした。切りたての短髪は、洗いざらしでバサバサです。


「腹は、空いてないか?」


 主の隣に座ったのは、三鷹みたかさんです。三鷹さんも、お風呂上りの様です。


「バタバタしてて、お腹が空く感覚がなくて」


 主も桃華ちゃんも、この三日間、食事は双子の弟君たちの為に作って、ついでに食べる。そんな感じでしたもんね。


「軽食だけど、お腹に入れておこう」


 バックヤードから、サンドウィッチの乗った長細い大皿を持って現れたのは、梅吉さんでした。四人の前にサンドウィッチを置いて、カウンターの内側で珈琲を煎れ始めました。


「兄さん、結局、合宿には戻らないのね」


「学校側が、気を使ってくれたからね。おかげで、定年退職した沢渡先生が引っ張り出されたけど」


 そうなんです。梅吉さん、剣道部の合宿に行ったその日の夜に連絡を受けて、次の日のお通夜に間に合うようにトンボ返りしてきたんです。去年まで顧問で、今年定年退職した沢渡先生が、駆けつけてくれたおかげもあるんですけれど。


 三鷹さんに促されて、主と桃華ちゃんはサンドウィッチを食べ始めました。小鳥が果物をついばむ様に、ちょこっとづつ。そんな様子を見て、梅吉さんは少し安心したように笑いました。


「俺も、父さんと修二さんが心配で、直ぐに帰って来たけどさ… さすがと言うか、やっぱりと言うか、こういう時は母さんと美和さんだよね。今まで二人を支えて来たんだから、当たり前だけどさ」


 お湯がコポコポと湧き始めて、梅吉さんの手元で、食器の小さな音が聞こえます。


「お前たちも、ああやって支え合ってくれよ」


 主達はその言葉に驚いて、食べるのを止めて梅吉さんの顔を見つめました。


「ん? 何?」


「… ビックリしただけよ」


 珈琲をドリップしながら、梅吉さんは笑います。桃華ちゃんは驚いたまま、呟きました。


「お兄ちゃんが、妹達の幸せを願うのは、可笑しいかい?」


「… 可笑しくない」


 今度は、主が呟きます。


「でも、今は受験と就職に集中な」


 優しく言いながら、梅吉さんは三鷹さんと笠原先生に淹れたての珈琲を出しました。


「これ以上のコンプライアンス違反は、勘弁してくれよ」


 苦笑いしながら、梅吉さんは自分用のコーヒーを煎れ始めました。


「一年もないですから、頑張りますよ」


 珈琲を飲みながら答えた笠原先生に、梅吉さんは満足そうに笑いかけました。三鷹さんは無言のまま、ニコニコした主と見つめ合っていました。


「大学合格したら、皆でお祖父じい様のお墓参り、行きましょうね。昨日今日は、会社関係の偉い人達ばかりで、落ち着いて手を合わせられなかったから」


 そう言って、桃華ちゃんはお口を大きく開けて、サンドウィッチを一口。

そんな桃華ちゃんを見て、主はレモネードで喉を潤しました。


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