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第206話 君にとって、俺は必要?

■その206 君にとって、俺は必要?■


 夏休みも後半です。三鷹みたかさんと梅吉さんが副顧問を務める剣道部は、明日から5泊6日の合宿です。今年、3年生を担当している三鷹さんは、受験対策で不参加です。梅吉さんも同じく3年生の担当ですけれど、教科が体育なので合宿に参加します。


「はぁ… 俺も受験生の教員なのになぁ」


 お部屋で荷物の準備をしながら、梅吉さんは呟きます。まぁ、合宿先で洗濯をするので、着替えは必要最低限ですむんですけどね。大きなスポーツバッグを覗き込みながら、荷物と一緒にため息も詰めています。


「しょうがないじゃない、大学受験や就職試験に体育って殆どないんだから。水島先生は講習会持ってるんだから、行けないでしょう。兄さんが行かないで、誰が剣道部の指導するのよ」


 バスタオルや歯ブラシ、石鹸といったアメニティグッズを持って来た桃華ももかちゃんが、梅吉さんの呟きに答えます。


「一人が寂しいなら、秋君、連れて行く?」


 桃華ちゃんは梅吉さんの隣に腰を落として、大きなスポーツバッグの隣にアメニティグッズを置きました。そして、入れ忘れが無いか中身をチェックします。


「有能な番犬は、お姫様達の傍じゃなきゃね。兄さんは、1人でも大丈夫よん」


 梅吉さんのいつもの軽口も、どこか寂し気です。桃華ちゃんは「しょうがないなぁ」とため息をついて、荷物の一番上に小さなお守りを置きました。


「去年の合宿、水島先生、大変なことになったでしょう? 私も桜雨も、兄さんが一人で行くの、すんごく心配だから… お守り。兄さんと部員の皆が、無事に帰って来ますようにって。2人で、神社に買いに行ったんですからね。」


 梅吉さんは荷物の一番上に置かれた小さなお守りをジーっと見つめています。桃華ちゃんは、そんな梅吉さんをジーっと見つめます。


 桃華ちゃんが笠原先生に永久就職のお返事をした夜から、梅吉さんは元気がありません。あの夜、笠原先生に対して随分怒っていましたけど、坂本さんに諭されて、三島先生に何度目かの告白をされて… 笠原先生にも三鷹みたかさんにも、煩い事は言わなくなっていました。言わないどころか、主と桃華ちゃんの周りを、今までみたいにチョロチョロしなくなりました。あまりにも元気がないので、心配した主と桃華ちゃんはカットをしながら坂本さんに相談もしたのです。


「兄さん、怪我しないで帰って来てね。桜雨おうめと一緒に、美味しいご飯作って待ってるから」


「… そうだな、うん。怪我無く帰って来るよ」


 梅吉さんは、桃華ちゃんと主に聞きたい事があるんです。でも、その言葉をいつも、今もグッと飲み込んじゃいました。いつもは気づかないフリをする桃華ちゃんですが…


「兄さん、私や桜雨に聞きたい事、あるんでしょう? ちゃんと、聞いて。なぁに?」


 今日は、思い切って聞きました。


「… いや、無いよ」


 切れ長の黒い瞳に真っすぐ見つめられて、梅吉さんは心の奥まで見られているようで、スッと顔を背けました。


「私、これから受験の追い込みに入るの。なのに、そんな兄さんを見ていたら、受験に集中できないわ!」


 桃華ちゃんは梅吉さんのホッペをパン!っと両手で挟み込んで、強引に自分の方に向けました。


「ちゃんと、私に聞いて」


 そんな桃華ちゃんに、梅吉さんはちょっと驚きました。けれど、直ぐにいつもの優しい瞳に戻って…


「うん、そうだな。あのな…」


 自分のホッペを包む白い手に、梅吉さんは自分の手を乗せて続けます。


「子どもじみた感情だと、分かっているんだよ。笠原のことも三鷹のことも、ちゃんと認めてる。あの二人なら、お前たち二人を任せられるって… 

でもさ、やっぱり心配なんだ」


 話しながら、だんだんと眉間に皺が寄っていきます。気持ち下がった目尻に、ちょっとづつ涙が溜まっていきます。


「お前たちの事が心配で、その反面、俺はもう必要ないんじゃないかって、気持ちが重すぎて、お前たち二人の邪魔にしかならないんじゃないかって… 桃華、お兄ちゃんは、もう必要ないか?」


 口元を震わせながらも、梅吉さんは笑おうとしていました。


「兄さんは、必要とか必要じゃないとか、そんなのじゃないでしょう! それでも聞きたいなら…」


 桃華ちゃんは、コツンと自分のオデコと梅吉さんのオデコを合わせました。


「大好きよ、兄さん」


「私も、大好き」


 ドアの影で様子を見ていた主が飛び出して来て、梅吉さんを後ろから抱きしめました。


「桜雨ちゃん…」


 ビックリした梅吉さんは、反射的に顔を腰のあたりに向けました。桃華ちゃんの手にホッペを包まれたまま。


「梅吉兄さん、大好き。あ、三鷹さんには内緒ね、焼きもち焼いちゃうから」


「素直になるのは、今日だけなんだから」


 今度は、桃華ちゃんが梅吉さんをギュッとしました。


「三島先生と仲良くなっても、私達は兄さんの事、大好きだからね」


「え?! なんで? ここで三島先生?」


 妹Sにサンドイッチ抱っこされて、梅吉さんは嬉しいやら恥ずかしいやら、戸惑うやら… 止めに三島先生の名前を出されて、アタフタしています。


「あ、三島先生の応援するとかじゃないわよ。勝手にどうぞ、って感じかしらね」


「そうそう。三島先生の邪魔もしないけどね。まぁ、そんな暇もないし」


 そうですよね、桃華ちゃんは受験勉強に集中しなきゃだし、主も就職の事がありますもんね。邪魔する暇なんて無いですし、その気があったら、三島先生がお泊りした日に出来ましたもんね。あの日は、当たり障りのない会話で終わりましたもんね。


「美味しいご飯、期待しててね」


 主がニコニコして言うと、梅吉さんはいつもの笑顔で大きく頷きました。次の日の朝、主と桃華ちゃんにお見送りされて、梅吉さんは機嫌よく合宿へと出発しました。


 その日の夜でした。主と桃華ちゃんが、リビングのローテーブルで双子君達とお勉強をしている時、お家の電話が鳴りました。一番集中していなかった夏虎かこ君が、パっと反応して、電話に出ました。


「… はい、今、代わります。お姉ちゃん、三島先生が…」


 見る見るうちに表情が硬くなった夏虎君が、受話器を主に向けました。そんな夏虎君を見て、主は桃華ちゃんと心配そうに顔を見合わせてから、そっと立ち上がりました。


「… はい、お電話代わりました、桜雨おうめです」


 夏虎君から受話器を受け取ると、主は緊張しながら耳に当てました。


「三島です。… 落ち着いて聞いてね…」


 受話器の向こうから聞こえる三島先生の声は、酷い涙声でした。






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