■その205 お化粧は乙女の仮面です■
僕の主の
「三鷹さん、お迎えありがとう」
主はちょっと恥ずかしかったんですけれど、三鷹さんの手をギュッと握って歩き始めました。三鷹さん、主から手を繋いでもらって嬉しそうです。表情には出てないですけど。
三鷹さんの様子がおかしい理由を、主は知っています。アルバイト中に、桃華ちゃんが笠原先生とのことをLINEでお知らせしてくれていたからです。主はお店を出る前に、そのLINEを確りチェック済みです。
「今日ね、お客さんのお婆さんと、お菓子の作り方で盛り上がっちゃった。
お話ししているうちに、
「お茶を、濃く煎れてくれるか?」
「もちろん」
手を繋いで話をしながら帰るのは、主の毎日の楽しみでもあります。いつも通り話しをしているうちに、三鷹さんの機嫌も戻ったように感じました。それに安心した頃には、お家に到着です。
「お腹、空いちゃった~。ただいま~」
主が玄関を開けてサンダルを脱ごうとした時でした。
「お客様?」
家族分の履物とは別に、女性もののサンダルがあるのに気が付きました。主は三鷹さんを振り返りましたけど、三鷹さんも首を傾げるだけです。
「ただいま~」
二階のリビングのドアをそっと開けて、キッチン部分をそっと通り抜けて、主と三鷹さんはリビングを
ピンクの綿の半袖パジャマを着て、洗いざらしの髪の毛を簡単なお団子にしたその人は、主と三鷹さんの気配に気が付いて振り返りました。
「あ、お帰りなさい、お邪魔してま~す」
座ったまま挨拶をしてきたその人は、まったくお化粧っ気がありません。
「… あ、もしかして、三島先生ですか?」
失礼と思いつつも、ジィー… っと見ていた主は気が付きました。
「もしかしなくても、三島先生ですよ」
ニコニコしながら、でもスッピンだから少し恥ずかしそうに、三島先生が答えます。
「先生、お化粧落とすと、5歳ぐらい若く見えるんですね。ナチュラルメイクって、けっこう塗ってるって聞いたけど、本当だったんだ」
「白川さん、相変わらず、サラッと失礼な事言うわね」
三島先生の横にチョコンと座り込んだ主は、さらにマジマジと三島先生の顔を見ます。そんな主に、三島先生は苦笑いです。
「あ、ごめんなさい。私の母も、桃ちゃんのお母さんも、お化粧してもしなくても変わらないもので。あ、でも大森さんはお化粧でだいぶ派手になります」
「そうね、白川さんも東条さんも、お化粧しないものね。今度、してあげようか?」
「私は…」
トン! って、主の前に麦茶の入ったグラスが置かれました。いつの間にか、三鷹さんがキッチンに行って、注いで来てくれました。
「桜雨には必要ない」
「水島先生、こわ~い」
三鷹さんにキッと睨まれて、三島先生は主の影に隠れる素振りをしました。三鷹さんは気にもしないで、またキッチンへ戻ります。
「でも先生、なんで家に居るんですか? しかも、そのパジャマ、美世さんのですよね?」
「あ、あのね… 竹ちゃんさんのお店から、東条先生を追いかけたんだけど… 汗でお化粧が崩れに崩れちゃって… 帰れなくなっちゃったの」
「桜雨、お帰り~。水島先生、三島先生は今夜ここにお泊りするそうなんで、梅吉兄さんがそっちに行ってますから、宜しくお願いします。秋君も、兄さんが連れて行きました。
兄さんたら、三島先生を家に連れて来たと思ったら、さっさと水島先生ん家に行っちゃうんだもの」
桃華ちゃんは、キッチンに立つ三鷹さんに、一声かけました。三鷹さんの前に、立ち上がる湯気が見えます。お湯、わかしてます?
「それは、私が東条先生にスッピン見られたくないって言ったから… ごめんなさいね、急に押しかけちゃって」
主が桃華ちゃんにグラスを差し出すと、桃華ちゃんは嬉しそうに一気に飲み干しました。
「先生、あまり柄にもない事言わないでください。明日、お天気崩れちゃう。桜雨、ご飯食べるでしょう? 今、用意してあげるね」
そう言って、桃華ちゃんはキッチンに行くと、先に居た三鷹さんに何やら指示を出し始めました。
「私、本当に泊ってもいいの? 白川さんも東条さんも、嫌な気持ちにならない?」
心配そうな三島先生に、主はニコッと笑って言いました。
「梅吉兄さんが連れて来たなら、文句ありません。私達、ブラコンじゃないから気にしませんよ。でも、三島先生、本当に梅吉兄さんの事、好きなんですね」
「好きよ、大好き」
恥ずかしそうに言う三島先生が、主には可愛く見えました。
「あのシスコン兄さんを振り向かせるのは大変だと思いますけど」
言いながら、桃華ちゃんは四人分のつゆ鉢とつゆのポットを、後ろから来た三鷹さんがお盆に四人分の素麺を持って来ました。
「でも、梅吉兄さん、彼女が出来てもお家に連れて来たことはなかったわよね? 三島先生が初めてじゃない? まだ彼女さんじゃなさそうだけど」
「… 兄さんも、心境の変化かしら?」
テーブルの上に夕飯の素麺がセットされると、四人はきちんと「いただきます」をして食べ始めました。主も桃華ちゃんも三島先生も、素麺と一緒に色んな言葉を飲み込んでいたので、とっても静かなお夕飯の時間でした。