■その197 家庭から出て、アルバイトで社会体験■
僕の主の
主のお家のお向かいのアパートは、主と桃華ちゃんの両親4人が経営しているアパートがあります。そこの住人に、主と桃華ちゃんが通う学校の先生兼、恋人の
朝食の後は、片付けと掃除を手分けしてやります。残ったお掃除は、学校から帰ってきたら。もちろん、お買い物はタイムセールを狙います! チラシのチェックは、学校でも怠りません。
部活や学校の用事で遅くなる時は、小学生3年生の双子の弟君達が、お掃除とお買い物はやってくれます。そんな双子の弟君達は、クラブサッカーに入っていて、日夜サッカーを頑張っています。けれど、クラブサッカーには保護者の『お当番』があるんです。そのお当番、お母さん達や主と桃華ちゃんも大変なので、従兄の梅吉さんが行ってくれています。
3階建てのお家は、1階がお店になっています。商店街の端っこにあるお店です。半分は、主の両親が経営するお花屋さん。半分は、桃華ちゃんの両親が経営する喫茶店。
両方のお店は、バックヤードから、裏の玄関に繋がっています。なので、お母さん達の手がすいている時は、お家の事を出来そうなんですが… ずっとお店にいるので、なかなかお家のことが出来ません。
主達がお手伝いが出来ない程小さかった時は、今ほどお店も忙しくなかったのと、桃華ちゃんのお兄ちゃんの梅吉さんがお家のお手伝いをしていました。主達が簡単な事からお手伝いが出来るようになって、梅吉さんが中学生になってお手伝いが難しくなっていって、お店もどんどん忙しくなっていって… 今では主と桃華ちゃんが居ないと、お家の中は大混乱になっちゃいます。
けれど、そんな主と桃華ちゃんも、もう高校3年生。朝食とお弁当は必ず作りますが、他の事まで手が回らない日が出て来ました。なので、今では主の双子の弟君達も、積極的にお手伝いをしてくれます。
学校の体育祭も、商店街の七夕祭りも無事に終わって、楽しい楽しい夏休みが始まりました。同時に、大学進学を希望した桃華ちゃんは受験勉強に本腰を入れました。主は、出版社に就職が決まっているんですけれど…
「いらっしゃいませ。526円になります」
主は、本屋さんのレジに立っています。主の行きつけの本屋さんです。そんなに大きくない本屋さんですけど、商店街の中心にある駅の隣なので、お客さんの入りはそう悪くはありません。
7分丈の白いTシャツに、ワインレッドの綿のサロペットズボン。店名の入ったブルーのデニムエプロンをして、冷房対策に白のカーディガン。薄く入れた紅茶色の髪をハーフアップのお団子にして、
「ありがとうございます」
お金を貰ってお
木目調で統一されている店内は、暖かいオレンジ色のライトが柔らかく包み込んでくれているようで、主はホッとするみたいです。
「
奥から、先にお昼休憩に入った店主が出て来ました。顔なじみの店主は、面長の顔に小さな丸眼鏡がちょこんと乗っています。主が小さい時から店主さんなので、そこそこにお爺ちゃんなのかもしれません。
「はい、ありがとうございます」
主はニコッと笑ってお礼を言うと、軽い足取りでお店の奥へと向かいます。途中、小さな女の子に絵本の置き場所を聞かれて案内したり、お婆さんには棚の上の本が届かないと声を掛けられて、店内用の踏み台を使って取ってあげたり… 休憩に入るまで、20分はかかりました。
そんな光景を、レジ近くの柱の影から見ている人たちが居ました。
「二人とも、隠れなくてもいいんじゃないのかい?」
主がバックヤードに入ったのを見届けてから、店主は隠れている2人に声をかけました。
「この度は、お世話になります」
隠れていた1人は、梅吉さんでした。もう1人は
「夏休みだけと、こちらから期限まで切って、申し訳ございません」
頭を下げたままの2人に、店主は苦笑いです。
「ほら、顔を上げなよ。笠原君にも言ったけど、カミさんがちょっとした手術で店に出れない時だから、こっちも助かってるんだよ。知らない子じゃないし、むしろ、信頼はあるからね。仕事ぶりだって、一生懸命やってくれてるよ」
おずおずとお顔を上げた2人に、店主は続けます。
「笠原君から聞いたよ。
そうなんです。ここのアルバイトは、笠原先生がお願いしてくれたんです。本当は、電車を使って『出勤』も経験させたかったらしんですけれど、主のお父さんの修二さんと三鷹さんに大反対を食らいまして… そもそも、アルバイトも大反対だった2人なので、電車で『出勤』を歩いて『出勤』にしたうえ、馴染のお店で納得してもらったんです。
主、笠原先生からアルバイト先の候補を5店程言われた時、迷わずこの本屋さんを選んだんです。このお店は、主にとっても特別なお店ですもんね。
「よろしくお願いします」
三鷹さん、頭をさげたまま何かを差し出しました。
「おや、それは…」
「もし、邪魔でなければ、桜雨のエプロンに…」
「三鷹、桜雨ちゃんが来る! 早すぎない?! すみません、宜しくお願いします」
三鷹さんが説明しようとした時、バックヤードから出て来た桜雨ちゃんが見えました。梅吉さんはもう一度頭を下げて、慌てて三鷹さんを引っ張ってお店から出ました。
「店長、すみません。こちらのお客様、この本を探しているんですけど、バックヤードには見当たらなくて」
主、お客さんの欲しい本を探していたんですね。主の後ろには、杖をついた腰の曲がったお婆さんが居ました。
「小向井さん、こんにちは。… この本ね、発注しないとこないんだよ。すぐに頼むけど、少し時間かかってもいい?」
店主は主からテキストの題名が書かれたメモを受け取ると、レジ台から身を乗り出してそのお婆さんに聞きました。
「年寄りは暇だから、いっぱい待てるよ~」
「暇だから、本読んだりするんでしょう」
のんびりした答えに、店主がニコニコと突っ込みました。主は、そのお婆さんをお店の出入り口まで見送ると、店主に発注の仕方を教わりました。
「はい、これで発注完了。覚えられた?」
「… 正直、微妙です」
書き込んだメモ帳を握りしめながら、主は不安そうに答えました。
「ははは。何回かやれば、慣れるさ。まぁ、不安ならお守りにどうぞ」
店主は笑いながら、レジの横に置いてあった物を主に差し出しました。それ、三鷹さんが置いていった物ですね。
「… カエルのピンバッチ」
主が受け取ったのは、小さなカエルの顔のピンバッチでした。けれど、キラキラしていません。デザインも少し古くて、色も端っこが削れています。
「昔、ここでバイトしていた子が付けていた物なんだよ。お客さんとお話しするのが苦手な子でね、お守りに付けてたんだ。古い物だから…」
「ありがとうございます」
なるほど、だから古いんですね。主は店主の言葉を最後まで聞かないで、ニコッと笑って、さっそくエプロンの左胸に付けました。
「うん、良く似合うよ。さぁ、お昼食べておいで」
ニコニコ顔の主に促されて、主は上機嫌にバックヤードへ向かいました。
その後ろ姿を、お店の出入り口から覗いている2つの影に、店主は呆れた笑みを向けました。