■その181 ルーツ7・逃げるが勝ち■
「え、マジで!?東条ッチと白川っチて、お嬢様だったんじゃん!!」
月曜日のランチタイムです。
「お嬢様って言ったって、『縁を切った彼方達に…』って、小暮先生のお母さんが言ってたから、勘当されているんでしょ」
大森さんの言葉に、桃華ちゃんはコロッケを食べながら言いました。
「勘当されているのなら、祖父の存在や他の親族について、今まで話がなかったのは納得ね。それにしても、小暮先生が従兄弟なんてね…」
田中さんの今日のお弁当は、サンドウィッチです。タマゴサンドが、凄く美味しそうです。
「兄さんと、よく似ているはずよね」
ヤダヤダって言いながら、桃華ちゃんは鮭お握りを一口。
「でも、この話はあまり他言しない方がいいわね」
「なんで? 肩書があって、カッコいいじゃない」
田中さんの一言に、大森さんが首を傾げました。
「ま、また、誘拐されちゃうかも、しれません。今度は、お、お金目的で」
「後は、嫉妬ね」
松橋さんと田中さんの言葉に、大森さんはフーン… と言ってコールスローを食べ始めました。
「で、白川さんは? お昼時間、終わっちゃうわよ」
「美術室。大きなキャンパスの前」
桃華ちゃんは、目の前の校舎の壁を伝うように視線を上げました。
僕の主の
「先輩、さっきから動かないけど、大丈夫かな?」
「あれ、夏のコンテスト用のキャンパスでしょう?大きすぎるよね」
「さすがの先輩も、無理なんじゃない?」
真っ白なセーラー服で両膝を抱えて、キャンパスをぼーっと見上げる主の後ろ姿を、部員の皆は心配そうに見ていました。そうこうしているうちに、ランチタイム終了のチャイムです。
「東条先生か水島先生か、笠原先生に声かけておこうか」
「あ、私が東条先生に…」
「私も~」
「ちょっと、抜け駆けしないでよー。私が水島先生のとこに行くわよー」
「先輩の担任の笠原先生に、私が…」
後輩さん達はサッサとお昼を片付けて、美術室を元気よく出ていきました。廊下から響く声がだんだん小さくなって… すぐに、主の周りは静かになりました。
カラカラカラ… と小さな音を立てて、美術室のドアが開きました。
「思案中?」
キャンパスを見つめたままの主の横に、桃華ちゃんが主のように膝を抱えて座りました。
「いつものサイズより、だいぶ大きいわよね」
「… 桃ちゃん、私さ、いままで描く前のキャンパスは、産まれたばかりの赤ちゃんみたいだなぁ、って思ってたの。何の色もついてなくて、キラキラ輝いてて…」
窓から射し込むお日様の光は、真っ白なキャンパスをキラキラと輝かせています。
「そうね」
「でも、昨日のお祖父様のお話し聞いて思ったのよね。赤ちゃんは産まれる前から、国や家柄や親の立場や… 目には見えない色々な都合がくっついていて、その小さな命の誕生を純粋に喜べるだけの人は、どれくらいいるんだろう?って」
「珍しく哲学的。でも、そうね… 平等じゃないわね」
「勇一伯父さんのお母さん、産まれた時どんな気持ちだったんだろう? さくらさんの存在を知っていて、結婚したお祖母様の気持ちは… そう思ったら、真っ白なはずのキャンパスがいろんな色で塗りつぶされてるの」
描けないの…
主は真っ白なキャンパスを見つめたまま、小さく呟きました。
「私も、同じこと思ったわ。思って、時代とは言っても、昔の人は強いな~とも思った。
お産て、命がけでしょう? 自分のたった一つの命を掛けて、子どもを産むほど愛した人を独占出来ないのよ!? 愛人と愛人の子どもが居ると分かってて、顔すら見たこともない、大きな会社の跡取り長男の嫁になるのよ!?
無理よ、私は無理だわ」
桃華ちゃんは立ち上がると、近くにあったペインティングナイフを手に取って、大きなキャンパスの前に立ちました。
「わたしが、お祖母様だったら、お祖父様と夜逃げするかも」
真っ白なキャンパスに、ペインティングナイフがシュっと音を立てて上から下へ通りすぎます。
「逃げてくれないなら、愛想をつかして、独りでどこか遠くに行って、独りで赤ちゃんを産むわ」
シュっと、今度は下から上へペインティングナイフがキャンパスの上を走ります。
「私が桜雨のお祖母様だったら、結婚しない」
シュ!
桃華ちゃんは、話しながら力強く、縦横無尽にペンディングナイフをキャンパスの上で滑らせ続けます。
「そんな結婚話、持ってこないで欲しいわ!」
シュ!
ペインティングナイフが音を立てる度、主の中のキャンパスの汚れが落ちていきます。
「私は、自分が自分らしく生きられないのなら、逃げるわ。私を認めてくれない家族はしらない」
シュ! シュ!
「私は幸せになるために、生きているんだもの」
桃華ちゃんは荒い呼吸のまま、主を振り返りました。
「もちろん、桜雨が幸せじゃなかったら、私も幸せじゃないわ。だから、逃げる時は一緒に逃げてくれる?」
主の中のキャンパスは、まだ真っ白になっていないけれど、その中心には真っ直ぐに主を見つめる桃華ちゃんが立っています。
「うん。私も、桃ちゃんが幸せじゃなきゃ嫌」
立ち上がった主は、ギュっと桃華ちゃんを抱き締めました。
「でも、
「… 分かってるわよ」
桃華ちゃん、ちょっとだけ嫌そうな声です。主と桃華ちゃんは、オデコをくっつけてクスクス笑います。
「お祖母様達みたいな覚悟、私たちには出来ないね」
「でも、そんな状況になったら、修二叔父さんや兄さんが大暴れするわよ」
「梅吉兄さん、昨日は珍しく不機嫌だったものね」
クスクスクスクス笑いながら、主と桃華ちゃんはキャンパスを見ました。
「まだ、キレイにならないか」
桃華ちゃんは、主の胸の中心をトンっと指さしました。
「でも、油絵は上から色を重ねられるし、今、桃ちゃんがやってくれたみたいに削れるから。思い出させてくれて、ありがとう、桃ちゃん」
「私も同じこと思ってたから、自分のためでもあるわよ。スッキリしたわ。
さ、教室に行きましょ」
桃華ちゃんは主の手を引いて、歩きだしました。
「授業、さぼっちゃった」
「古文だから、大丈夫よ。後で田中さんにノート借りましょ」
そんな話をしながら美術室のドアを開けると、床に四つん這いで泣いている梅吉さんと、呆れている笠原先生と、外見はいつも通りに見える三鷹さんがいました。
「やだ、兄さん覗き!」
「先生方、授業は? 職場放棄?」
主と桃華ちゃん、ちょっと引いてます。
「「自習」です」
「
三鷹さんと笠原先生の返答に、おもむろに体を起こした梅吉さんの声が重なります。梅吉さん、目が真っ赤。
「あー、やっぱり皆一緒だった。先生方、授業サボらないでくださいよー」
そこに、小暮先生が来ました。先生組を探していたようです。
「「「「「あ、スパイ」」」」」
「ムカつくほどに、息ピッタリ… って、そんな通り名、付けないでくださいよぉ」
主達に呼ばれて、小暮先生はポリポリと困ったように頭をかきました。
「高浜先生、ご立腹ですよ。僕は、ちゃんと伝えましたからね」
溜息をつきながら、小暮先生は職員室へと戻って行きました。
「… 桃華ちゃん、お兄ちゃんを連れて逃げて?」
梅吉さんは、両手を口元で結んで、小首を傾げて聞きました。
「い・や・よ」
桃華ちゃん、プイって顔をそらします。
「そんなぁ~」
「行こう、桜雨。兄さん、後はよろしくね」
半べその梅吉さんに笑顔を見せて、桃華ちゃんは主の手を引いて階段へと向かいました。主も、ニコニコしながら桃華ちゃんと一緒にスカートを
「「よろしく」」
そんな主と桃華ちゃんの後を、笠原先生と三鷹さんが梅吉さんに片手を上げて追いかけました。
「… えー、俺の幸せぇぇぇ。桃華ぁ… 桜雨ぇ…」
1人残された梅吉さんは、再び床に崩れ落ちました。床が、冷たく梅吉さんの涙と体を受け止めてくれました。