■その177 ルーツ3■
「まぁ、こういう場所だから、売店や自動販売機が表だって無いのは、当たり前よね」
そんなに高くないヒ-ルですか、やっぱり履き慣れないモノは足の負担が大きいんですよね。桃華ちゃんは、ようやく見つけた甘味処に吸い込まれるように入ると、迷うこと無く座敷の4人席を選びました。
座敷は、奥に4人用のテーブルが2席、手前に6人用のテーブルが2席。
椅子席も同じ割合でした。
「場馴れしてないと言うか、想像力に欠けると言うか、現代社会人だからか… 面目無い」
座敷に上がって、ヒ-ルで疲れた足を揉んでいる桃華ちゃんに、梅吉さんは謝りながらメニューを差し出しました。
「想像力が乏しい現代人は、私もだわ。先に、
桃華ちゃんは『別に、責めてないわ』と言いかなら、梅吉さんが差し出したメニューを受けとって、横に座った笠原先生に渡しました。
「連絡は、グループLINEに流しましたよ。白川は、スケッチに集中しているようなので、まだしばらくは時間がかかるでしょう」
笠原先生、メニューをテーブルの上に広げました。
「さすが、仕事早いわ。お行儀が悪いけれど、見逃してね。
桜雨が言っていたんだけれど、クロッキーはと言うか、人物画は得意で筆がスイスイ動くんですって。特に動きのあるのが。でも、静止画? 風景画みたいなのは苦手なんですって」
壁に寄りかかって足を揉みながら、桃華ちゃんはメニューを覗き込みます。
「苦手なぁ… 桜雨ちゃん、風景画も上手だけどな」
「本人が苦手と言うのだから、苦手なのでしょう。苦手だから、下手と言うわけではないですし。まぁ、去年のコンテストで賞を取った絵も、人物画ですからね」
梅吉さんと笠原先生は、おしぼりで手を拭きながら、メニューを覗き込みます。
「なる程ね。ってか、自然と2人並んで座るなよな~。笠原、こっち来い」
言われて、笠原先生はしぶしぶ梅吉さんの横、桃華ちゃんの斜め前に座り直しました。
「私は桜雨が楽しく絵が描けるなら、何だって構わないわ。兄さん、胡麻団子たのんでね。私、きなこ餅にするから、半分こにしましょう」
梅吉さんに拒否権はありません。桃華ちゃん、メニューの上にトントンと指を置きます。お団子は1皿に3串で、4個刺さっているんですね。
「わらび餅はいいんですか?」
「… 迷うわ」
笠原先生、桃華ちゃんを真似してメニューの上にトントンと指を置きます。わらび餅の黒蜜と抹茶蜜。
「じゃあ、わらび餅は俺と半分にします?」
形の良い眉を寄せて悩む桃華ちゃんに、笠原先生はさらっと聞きました。
「先生と、半分こ?」
ちょっと驚いてから恥ずかしくなった桃華ちゃんですが、甘味の誘惑には勝てません。
「じゃあ、私のきなこ餅と半分こ…」
「笠原、おれの胡麻団子もやるよ。3等分ずつな」
梅吉さん、笑顔がひきつってますよ。
「… ま、それが平和ですね。すみません」
笠原先生、小さなため息をついて、店員さんを呼びました。3人分のお抹茶に、胡麻団子、きなこ餅、黒蜜がかかったわらび餅が、テーブルの上に並びました。
「あ~、桜雨、ごめんね~。いただきます」
と、この場にいない主に謝りながら、静かに手を合わせました。
お団子もお餅もわらび餅も、桃華ちゃんの気持ちを幸せにしてくれました。目尻が下がりっぱなしの桃華ちゃんを、梅吉さんと笠原先生は嬉しそうに眺めています。抹茶をチビチビすすりながら。
「お客さん、お食事中にすみませんが、相席いいですか?」
そんな幸せオーラ前回の桃華ちゃん達に、店員さんが申し訳なさそうに声をかけました。
「相席ですか?」
梅吉さんが聞き返したと同時に、笠原先生がさっと店内を見渡しました。
ぱっと見た感じでは、満席です。そして、店員さんの影になるようにして、座敷の上がり口にスッと背筋の伸びた、ス-ツ姿の背中が見えました。
「あ、私の隣でよければ、どうぞ」
梅吉さんや笠原先生が答えるより早く、お抹茶を飲んでいた桃華ちゃんが快諾すると、店員さんは嬉しそうに頭を下げて、後ろのス-ツ姿の男性を呼びました。
「娘さん、ありがとう」
白髪と黒髪がバランスよく混ざりあって、グレーに見えるオールバック。細い眉と、キュッと結ばれた口元は、神経質そうなイメージ。切れ長の黒い目と、右目には
父さん(勇一さん)によく似てる、そう桃華ちゃん達が思ったその顔は、修学旅行から帰って直ぐに調べた人物と、全く同じでした。同一人物なら、随分と若く見えるのは、張りのある肌に姿勢の良さでしょうか。
「お一人ですか?」
桃華ちゃんは、ニッコリ微笑んで聞きます。その笑みが、いろんな感情を含んでいることを、梅吉さんも笠原先生も気がついていました。
「ここには、1人で。ただ、皆に黙って部屋を出たから、今頃探してはいるだろうな」
口の端しで笑いながら、その紳士は桃華ちゃんの横に腰を落ち着かせました。
「あら、それは大事じゃないですか?」
桃華ちゃん、ちょっと唇を尖らせて言いながら、紳士にメニューを差し出しました。
「ここは、想いでの店だから、不粋な者を連れて来たくはなくてな。
濃い桜色が良く似合う、目尻の下がった人だったよ。彼女が好んだのは、きなこ餅。私は甘味が苦手でね、いつも抹茶ですませていたんだ」
紳士は様子を伺う梅吉さんと笠原先生に、少しだけ微笑みました。
『君達もだろう?』
と、片眼鏡の奥の目が、語り掛けていました。
「ものの30分ぐらい、構わないだろう?」
「お抹茶だけなんて、勿体無いわ。おひとつ、いかがです? 私、この桜餡のお団子も気になっているんです。今、スケッチに夢中になっちゃってここには居ない、私の大事な人が好きなので。美味しかったら、帰りにお土産に買おうと思うんですけど… 味見、付き合ってくださる?」
「桜餡か… では、一皿頂こうか。もちろん、娘さんと『半分こ』で頼むよ」
紳士の表情はあまり動きませんでしたが、その分、声の調子がコロコロ変わることに、桃華ちゃんは気が付きました。
これと言った会話はなく、ただ、お団子等を美味しく食べて感想を述べる桃華ちゃん。それを微笑ましく眺める梅吉さんと笠原先生… ですが、周囲への警戒は怠りません。名前すら言わず、紳士は宣言した通り30分で席を立ちました。
「邪魔をした、ありがとう」
「あら、もう行かれるんですか?」
「うちの者をあまりウロウロさせても、ホテルに迷惑がかかるからな」
少し残念そうな紳士に、桃華ちゃんはスッと立ち上がって、クルっと一回りしました。
「これから、おじい様に会うんです。初めてなんですけれど… この格好、可笑しくないですか? もう一人、桜餡が好きな私の大事な人も一緒なんですけれど… この格好、珍しく母がコーディネートしてくれたんです」
もう一度、今度はゆっくりと、桃華ちゃんは回ります。スカートの裾が、フワリと広がります。
「… ああ、良く似合っている。君も、あの子も。
今日のこれからの時間が、いい時間になることを祈っているよ」
そう言って、紳士は微かに微笑んで、店を出ていきました。桃華ちゃんはその後ろ姿を静かに見送って、残りのお団子をニコニコしながら頬張りました。