■その176 ルーツ2■
ホテルのロビーから一歩出ると、真っ先に『
今日の主と桃華ちゃんは、総レース仕立てのワンピースで、スカートはドレープがタップリ。主は桜色で、桃華ちゃんは薔薇色です。髪は、2人とも編み込んでカチューシャのようにして、後ろで緩くお団子にしています。
もちろん、主も桃華ちゃんもお気に入りの
木々の中を歩いていると、水の音が聞こえてきました。自然の景色を凝縮して創られているのが『
「
「あれは、太鼓橋と言います。奥の緑の木々と、手前の池の様子が素晴らしい… らしいですよ」
笠原先生が、パンフレットを読み上げました。先生組、今日はチャコールグレーのスーツで統一です。梅吉さんは白のシャツに、ボルドーのネクタイ。
「写真スポットみたいだね」
梅吉さんの言葉に周りを見渡してみると、朱色の太鼓橋をバックに写真を撮る人たちが何人かいました。
「少し、ここでスケッチしてもいい?」
「もちろんよ」
桃華ちゃんにOKを貰って、主はニコニコと鞄からクロッキー帳と色鉛筆のケースを出しました。
「飲み物を買いに行こうか?」
梅吉さんの提案に、桃華ちゃんと笠原先生が頷いて歩き出しました。桃華ちゃんと笠原先生の間に、梅吉さんが入り込んでいました。主は、ゆっくり遠ざかる3人の後ろ姿を、まずはクロッキーです。
「おいで」
3人の後ろ姿を描き終わったのを確認して、三鷹さんは主に声をかけて手を繋ぎました。当たり前のように差し出される手に、主はまだ慣れません。
ドキドキしながら筋張った指先にそっと触れると、『逃がさない』と言わんばかりにパッと大きな手に握られます。その手の温度や硬さが、主は大好きでした。大好きで嬉しくて、でも恥ずかしくて… クロッキー帳を片腕で抱きしめて、自分のつま先を見ながら歩きます。
少し歩くと、東屋がありました。東屋は休憩用の小さな建物です。柱だけで壁面はほとんどないか、あっても簡素な造りのものがほとんどです。屋根は
遠くで聞こえる緩やかな話し声と、小鳥のさえずり。緩やかな水の音に、時おり混じる鯉が水を跳ねる音。真横から聞こえるスケッチの音。主が機嫌よく歌う調子っぱずれの鼻歌は、三鷹さんには聞き覚えのない曲。三鷹さんがウトウトするには、十分な条件でした。
「娘さん、お隣、よろしいかな?」
どれぐらい、ウトウトしていたでしょうか? 小さく聞こえた杖の音が止ると、聞こえた声は掠れた年配の男性のものでした。
「もちろんです、どうぞ」
主はスケッチする手を止めて、すぐ横のスペースに手を差し出しました。瞬時に目が冴えた三鷹さんは、そっとその人物を見ました。
白髪と黒髪が絶妙に混ざり合ってグレイに見えるオールバック、キリッとした眉とキュッと結ばれた薄い唇は神経質そう。切れ長の黒い瞳、右目にかけた
「ありがとう。そこのお方、ここには私一人だ。安心なさい」
その紳士は、周りを警戒する三鷹さんに静かに言いました。掠れてはいますが、声には力がこもっています。その言葉を聞いて、三鷹さんの直感は確信に変わりました。
「娘さん、絵を描くの? 見せて頂いてもよろしいかな?」
「はい、どうぞ」
主は快く、鞄からもう一冊のクロッキー帳を差し出しました。その紳士は丁寧にクロッキー帳を受け取ると、一枚一枚、とても丁寧に見ていきました。
そのクロッキー帳には、家族の
桃華ちゃんと美世さんが並んで仲良くお料理する姿。喫茶店のカウンター内で勇一さんは読書、その横で美世さんが珈琲を煎れていて、カウンターを挟んだ正面には疲れ切った梅吉さんが参考書を枕に熟睡。お花屋さんでは、美和さんと修二さんが仲良くブーケ作り。お庭で、双子君を中心に、お父さん2人と先生組や近藤先輩、佐伯君と岩江さんも一緒にサッカー。その後でしょうか? サッカーのメンバーに坂本さんや高橋さん、松橋さん、田中さん、大森さんも入ってバーベキューをしています。盗み撮りではなく、盗み描きしたのは、親たちの深夜のお酒の様子。
いつものクロッキーより、皆の表情が細かく書き込まれています。鉛筆の黒だけでなく、色鉛筆やパステルを使ったページもありました。そんなスケッチを見ながら、その紳士はたまに絵をなぞったり、キリッとした眉や口元が心なし緩んだり… 目元にキラっと光るものを見つけましたが、主は見て見ぬふりをして、目の前の風景のスケッチを続けました。