■その157 修学旅行・平和公園1■
主達は原爆資料館から出て、のんびりとお散歩です。皆、何も話しません。景色を見ながら、ただただ歩いています。
原爆資料館は『平和公園』の『学びのゾーン』にあります。そこから『祈りのゾーン』へと向かっています。
先頭を歩く佐伯君は、重々しい空気にらしくない程戸惑っていました。大森さんと田中さんは肩を並べて、松橋さんと近藤先輩は手を繋いでいました。一番後ろを歩く主は、秋君を抱っこして、
「うまいもん、食おうぜ」
不意に、佐伯君がクレープのキッチンカーを見つけました。
「そうね。お腹空いちゃった」
心に溜まってしまった重たいものを吐き出すように、大森さんは溜息をついて佐伯君の後に続きました。田中さんの手を引っ張って。
「東条っチ達は? 近藤先輩、ホットドッグもあるよー」
「… ホテルのお夕飯、期待してるから、やめておくわ」
「わ、私、お腹、空いてなくって…」
少し、声に元気がないですね。
「なら、もう少し行ったところに『浦上天主堂遺壁』があるから、そこで待っていて」
田中さんがパンフレットで場所を確認しました。主達は頷くと、ゆっくりと歩き始めました。
並木の遊歩道に入った頃には、秋君は主達の足元をチョコチョコ歩いていました。お尻の上までぴょこんと上げた尻尾は、先っぽがカールしていて、歩く度にお尻と一緒にフリフリと動いて… そんな秋君の後ろ姿をみて、主は癒されていました。
「わ、私も、クレープ、食べようかな?」
何となく、落ち込んでいた気分が落ち着いてきたようです。少し恥ずかしそうに松橋さんが言うと、近藤先輩が少し嬉しそうに頷いて、来た道を戻り始めました。
「
流れる川を見ながら、桃華ちゃんが聞きます。
「私は大丈夫… けど、あの子は空いてるかも」
主の視線の先に、大きな樹の下で泣いている、ピンクのワンピース姿の女の子が居ました。長い髪の毛は柔らかそうで、薄茶色で、お日様の光でところどころ金色にキラキラしています。
「奢って、あげようかしら」
そう言って、桃華ちゃんはスマートフォンを取り出しました。主と桃華ちゃんがその女の子に駆けよって、二人そろってしゃがみ込みました。
「こんにちは、いいお天気ね」
「こんにちは、お腹、空いてる?」
優しく声をかけると、女の子は泣きながら顔を上げました。
「ここ、どこぉ… ママが居ないのぉ… お家に帰りたいよぉー」
目尻の軽く下がった焦げ茶色の瞳から、大粒の涙が溢れ出ています。
「… この子」
桃華ちゃんは、女の子と主を交互に見ました。秋君は、女の子の足元で心配そうに鼻を鳴らしながら、ウロウロしています。
「あらららら、親近感」
主はニコニコ笑いながら一度立ち上がると、モゾモゾと三鷹さんのパーカーを脱ぎだしました。背中に背負ったリュックが露わになると、桃華ちゃんにお願いして、中のクロッキー帳と色鉛筆、ポーチを取ってもらいました。
三鷹さんのパーカーは、腰にキュッと巻きます。
「そのワンちゃんは、秋君です。春・夏・秋・冬の『秋』
私は
主は、しゃがみ込んで膝の上でクロッキー帳を広げると、オレンジ色の色鉛筆で大きく名前を書きました。
「桜の字は、まだ分からないかな?」
言いながら、主は『秋』の文字の横に、秋君の似顔絵を描きました。次に、『桜雨』の文字の横に、桜の花と雲から降る雨の絵を描きました。
「こっちのお姉ちゃは
『桃華』の名前の横に、キラキラした桃の花を描きました。女の子はいつの間にか泣き止んで、クロッキー帳を覗き込んでいます。
「貴女のお名前を、教えてくださいな?」
主がニコニコして聞くと、可愛らしい声が、少し震えながら答えてくれました。
「なお。私、『桜』の漢字、知ってるよ。私の名前にも、あるから」
クロッキー帳を見ながら、女の子は『桜』の漢字を指さしました。
「お揃いだね。そうだ、ここに漢字で書ける? なおちゃんのお名前」
主は、クルっと女の子の方にクロッキー帳を向けて、その上に色鉛筆の缶ケースを置きました。
「好きな色、使ってね」
「… これ」
なおちゃんが手に取ったのは、ピンク色でした。ピンクの色鉛筆で、『桜雨』の字の横に、それより小さく『和桜』と書かれました。
「あら、とっても素敵な名前ね」
隣で視ていた桃華ちゃんに言われて、女の子・
「和桜ちゃん、一緒にママを探そう。どこではぐれちゃったか、覚えてる?」
「私ね、私ね、… 学校に行こうとして、いつもの道を歩いてたんだけど…」
主が聞くと、和桜ちゃんは、泣きながら一生懸命お話をしてくれました。
「… 急に怖いオジサン達に車に押し込まれて… おトイレに行きたいって言って、逃げたの」
「一人で頑張ったんだね。もう、大丈夫だよ」
激しく泣きだした和桜ちゃんを、主は優しく抱きしめてあげました。
「あ、兄さん…」
その横で、桃華ちゃんは梅吉さんにお電話です。
「和桜ちゃん、良い物あげる」
主は、和桜ちゃんの頭をナデナデしながら、少し体を放しました。そして、ポーチからカエルの置物を出しました。小さな小さな、ピンク色のガラスのカエルです。
「『カエル』さんはね、『無事に帰る』って言うの。これを持っていれば、ママの所にちゃんと帰れるよ」
「可愛い… ありがとう」
まだ鼻をクシュクシュさせて、それでも和桜ちゃんは、小さな手の上に乗せてもらった小さな小さなカエルを見て、ニコッと微笑みました。
「すみません、その子の保護者なんですが…」
不意に、男の人の声がしました。