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第146話 新たな店子さん、いらっしゃ~い(前)

■146 新たな店子さん、いらっしゃ~い(前)■


 皆さんこんにちは。桜雨おうめちゃんの折りたたみ傘の『カエル』です。


 マスクや対専用眼鏡、目薬、点鼻薬、アレルギーの薬等々… 道行く多くの人達が悩み、戦う季節となりました。春です。花粉です…。家族の中で花粉症なのは、主のお父さんの修二さんと、桃華ももかちゃんのお父さんの勇一さんです。勇一さんはいつも通り寡黙ですが、修二さんはいつにも増して切れやすくなっています。そして、主達はバタバタと新年度が始まりました。高校3年生、受験生です。


 桃華ちゃんの両親が二人で切り盛りしている喫茶『エアル』は、日曜祝日になると主とお友達が集まって、勉強会をしています。木目調で整えられている店内、BGMの音楽はレコードのクラッシック。カウンターの隅に季節の花と一緒に置かれていて、独特の音を流しています。一般のお客さんもいるんですが、皆、落ち着いて勉強しています。

 今日は月曜日、日曜日に授業があったので、代休です。


「でもさ、修学旅行先が長崎なんてさー」


 今、大森さんが開いている本は、長崎のガイドブックですね。


「あら、私は学生らしくていいと思うわ、長崎」


 田中さんは、図書館から借りた長崎の郷土史の本を、丁寧にめくって確りと細かい字を読み込んでいます。


「俺は、新人戦と被って修学旅行に行けなかったから、素直に楽しみだ」


 近藤先輩も、図書館で借りた本を捲ってはいますけど… 読むのには飽きたみたいですね。


「私も、海外旅行したかったー」


「旅行じゃなくて『修学』。国内の事を調べるのも大変なのに、海外… 旅行当日までに調べ切れるのかしら?」


 完全に集中力が切れた大森さんは、アイスティーを飲みながら、ブスーッとしています。そんな大森さんに、田中さんはテーブルの中央に積み重ねられた大量の『資料本』を、ペンでさしました。


「そ、そうですよね。修学旅行の事前勉強に、きょ、郷土史を調べるなんて…」


「まぁ、授業だから、当たり前といえば、当たり前よね」


「で、でも、授業で習った以上の事を、し、調べなきゃいけないんですよね? レポート提出で、成績にもか、加算、されるみたいですし」


 松橋さんと桃華ちゃんは、ちょっと休憩の様です。2人とも、アイスティーを飲みながら、クッキーを摘まみます。頭を使った時の当分って、本当に美味しいですよねー。


「佐伯君、そろそろ起きて。少しは自分でもやらないと」


 田中さんは、隣でダウンしている佐伯君をゆすって起こします。佐伯君、休日の勉強会の日は、お花屋さんのバイトは午後からなんです。学生さんだから、勉強優先ですもんね。


「… 起きてる! 起きてるよ!」


 佐伯君、目が明いてませんてば。教科書広げても、ヨダレ垂らす事しかしていませんよ。


「お・き・な・さ・い」


 田中さん、容赦なくイスの影に置いておいた竹刀で、佐伯君の頭を叩きました。


「… それ、ズルくない?!」


 少しは、目が覚めたみたいです。叩かれた頭を押さえながら、涙目の佐伯君です。


「梅吉先生が、貸してくれました。

 良く聞いて、佐伯君。3年生の社会科は、前半は日本史よ。修学旅行前の授業時間は、旅行先・長崎についての授業になるの。そして、いま私たちに課せられていることは、授業以上に掘り下げた長崎の歴史を調べてレポート提出! ようは、水島先生と生徒の知識比べよ。しかも、個人提出ではなくて、修学旅行でのグループでよ。ハッキリ言って、私、負けたくないの」


「田中ッチ、頭使う事は、本当に好きだねー。… 白川っチも、意外とコツコツ派よね」


 ちょっと言葉に熱が入り始めた田中さんを、大森さんは逆に冷めた目で見ています。その大森さんの視界の端に、読書に集中する主が映りました。図書館の古い紙が、主の指先によく馴染んでいます。主は呼吸をするように、小さな文字を読み進めています。


「あー… 今の桜雨は、読書を楽しんでるわね。勉強とは、ちょっとズレてるわよ、あれ」


 そんな主を見て、桃華ちゃんは苦笑いです。


「あ、いたいた~。勉強中にごめんね、ちょっとお願いがあるんだけれど…」


 バックヤードから、主のお母さんの美和さんが来ました。お店のエプロンを付けたまま、可愛く小さなお顔の前で両手を合わせました。



 主達は勉強会を中断して、お店の裏で待っていました。細い道路を挟んで主達の家の向かい側、主の両親と桃華ちゃんの両親が経営する、2階建て6戸のアパートの前。ここの2階の真ん中に佐伯君と笠原先生、隣の角部屋に三鷹さんが住んでいます。そして、1階の角部屋、三鷹さん家の真下に新しい住人が入るそうで…


「お一人は、ご近所からのお引越しで、荷物もそんなにないんですって。

もうお一人の方が、大きい荷物があるみたいで…」


 荷物を乗せたトラックが、もう少しでつくそうで、そのトラックを皆で待っています。


「引っ越し屋さん、頼んでないの?」


 主の素朴な疑問は、皆が思っていた事でした。


「引っ越しを決めたのが急だったから、捕まらなかったんですって。

お仕事の都合もあって、引っ越しを伸ばすのも… って困っていたら、修二さんが『男手、うちには沢山あるから、大丈夫だろう』って。で、その男手4人は、引っ越し元の荷物を積んで、こっちに向かっているんだけれど…」


 なるほど。朝食後に、先生組と修二さんの姿が見えなかったのは、引っ越し手伝いの為だったんですね。




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