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第142話 自分の中にあった感情

■ その142 自分の中にあった感情 ■


「皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。皆さんの放送部OB、3年・佐々木ほまれです。

 本日を持ちまして、青春の時間を過ごしたこの学び舎とも、お別れです。

『立つ鳥跡を濁さず』という言葉がありますが、すべての始末は済みましたでしょうか? 引き際は美しく、スマートに。高校生という青春は、後輩に引き継いでもらいましょう。けれど、引き継げないものがあるのも確かです。切ない想いを抱いたままの皆さん、新しいステージに旅立つ今日、己の心を学び舎に残さぬように、美しく砕けて心機一転してしまいましょう!

 という事で、2年B組白川桜雨おうめさん、東条桃華ももかさんに思いをぶちまけたい3年生は、最後のホームルーム後に職員室の裏庭にお願いいたします。なお、担任の笠原先生、シスコン東条先生、過保護の水島先生に現場管理をしていただきます。そちらに御用の方も、遠慮なくどうぞ。では、後程、お会いしましょう!」


 皆さんこんにちは。桜雨おうめちゃんの折りたたみ傘の『カエル』です。

 今日は、主の通う白桜はくおう私立高等学校の卒業式です。全校生徒参加した卒業式は、とても厳粛に進みました。まぁ、校長先生からのお祝いの言葉は、相変わらず短いもので、かえって切なくなっちゃった卒業生も少なくかなったみたいです。

 教員、在校生、来賓、保護者の温かな拍手に包まれた第一講堂を退場して、教室に戻った卒業生の耳に、元放送部の佐々木先輩の校内アナウンスが響きました。ようは、『最後の告白』ですね。どうせ当たって砕けるのが分かっているのなら、告白を躊躇とまどっているのなら…


皆でこくれば怖くない!!


つまり、一気に済ませてしまえ、という事です。これ、中学校から毎年続いているんですよね。

 かくして、職員室の裏庭には、告白の順番待ちの列が今年も出来たのです。


 秋に植えた球根が、春の訪れとともに一気に花を咲かせました。白、黄色、赤、紫、ピンクのチューリップとフリージアが、お日様の光を浴びてキラキラと、裏庭を彩っています。フリージアの香りが鼻をくすぐって、集まった生徒達の緊張・不安・傷心を和らげてくれました。

 この場を仕切っているのは、佐々木先輩です。持ち時間は1人最大5分。時間が過ぎたら容赦なく横から押して、次の人を促します。触れるのは禁止、思いを伝えるだけ。


「「ごめんなさい、ありがとうございます」」


 花畑の中、告白を受ける主と桃華ちゃんのセリフは、決まったものです。3年生の先輩たちは、思いの丈をぶつけます。そして、玉砕。中には、第二ボタンを貰ってくれという先輩もいましたが、主と桃華ちゃんは丁寧にお断りしています。

 もちろん、それを遠巻きに見守るギャラリーの群れもあります。その群れの中に、めんどくさそうな顔の佐伯君が居ました。


「え?毎年こんな事してんの?」


「中学校1年の時、卒業する3年生が進路が決まった途端に、毎日のように押し寄せて、大変だったのよ。中には、暴力でどうにかしようとしたり、妬んだ女子が刃物で切り付けて来たり。白川さんと東条さんはもちろん、他の生徒の迷惑にもなるから、翌年から『告白の日』を設定したのよ。もちろん、その日は東条先生と水島先生は高等部から中等部に出張」


 参考書に視線を落としながら田中さんが答えます。


「中学で刃物騒ぎって、怖いよね~。凄いのは、それを難なく治めちゃった二人だけど」


「水島先生と東条先生が、じゃなくて?」


 大森さんの言葉に、佐伯君はビックリです。


「そっ。白川っチと、東条っチが怪我一つなくね。私、その現場見てなかったけど、そうとう鮮やかだったらしいよ。だから、それ以来、嫉妬なんかであの二人に手を上げる女子はいないのよね。代わりに、差し入れ~って、下剤入りの手作りお菓子を貰ったことはあるらしいけど。食べたのは、東条先生だったらしいわ」


「女子、えげつねぇー」


 佐伯君、大森さんの話を聞きながら、数歩下がりました。


「怖いわよ~、女子は。ま、改めて高校受験して、違う高校に進む人も居るから。そう言う先輩は、もう会えなくなるから、告白しておきたいんじゃないの? あと、告白もそうなんだけど、中には『あの時、ありがとう』って、お礼目的の人も居るんだって」


 引いた佐伯君にニヤッと笑いかけて、大森さんはスマートフォンをいじりはじめました。


「まぁ、気持ちに区切りをつけるって、大事だと思うわ。男子も、女子もね」


 田中さんが、小さく溜息をついて言いました。視線は、数人の女生徒を見ています。


「先生、私、先生の事が好きでした」


 中には、近くで見守る三人の先生、梅吉さん、笠原先生、三鷹みたかさんに告白する女子の先輩も居ました。もちろん、こちらも全て玉砕です。


 主、自分が告白されるのは慣れていましたが、三鷹さんが告白されるのを見るのは慣れていません。


「… 嫌だなぁ」


 チクチク、モヤモヤ… そんな目で、私の三鷹さんを見ないで欲しい。


 主の心に、黒い感情が渦を巻きます。その気持ちを抑え込みながら、三鷹さんは、いつもこんな気持ちで私の傍に居てくれたんだ… と、主は今更ながらに思ました。それは、桃華ちゃんも一緒でした。

 ちなみに、今日の笠原先生は、卒業式なのでスーツです。相変わらず眼鏡をかけて、猫背気味ですが、スーツというだけで魅力は倍増するみたいです。


 30人程で出来た列も、1時間ちょっとすれば綺麗になくなりました。見事に玉砕した先輩たちは、お互いに慰め合いながら帰って行きます。


「先生方、東条さん、白川さん、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

 事あるごとに、面白おかしく実況させてもらいました。皆さんのおかげで、楽しい高校生活を送れました。今日玉砕した人たちはもちろん、今まで泣いた人たちも、心豊かな学校生活でしたよ。

 他人を思って、心ときめかせて、期待と絶望を繰り返して、泣いて、笑って、憤って、葛藤して、仲間と同じ思いを共有して… たった一人を好きになっただけなのに、自分の中にこれほどの感情があったことを知ることが出来たのですから」


 最後の一人の姿が見えなくなると、佐々木先輩が主達に深々とお辞儀をしました。


「佐々木の進路は…」


 梅吉さんに聞かれて、佐々木先輩はニヤっと笑いました。


「Y大の経済学部に進みます。みっちり勉強して、最終的にはモニターの向こう側で、偉そうに意見を述べてみせますよ。楽しみにしていてください」


 そして、もう一度お辞儀をして、昇降口に向かって歩き始めました。


「アナウンサー、ピッタリだと思うんだけどな。政治家とか、評論家とか?」


「まぁ、楽しみにしましょう」


 佐々木先輩の後ろ姿を見送りながら、梅吉さんが誰にともなく聞くと、笠原先生がいつもの様に手をパンパンパンと叩きながら答えました。


「さ、俺たちも帰りましょう。この時間でしたら、在校生も殆ど帰りましたね」


 腕時計を見た笠原先生に促されて、皆は教室の方へと足を動かし始めました。けれど、主は…


「… 水島先生、ちょっとだけいいですか?」


 そう言って、三鷹さんのジャケットの裾をキュッと握りました。


「ああ。梅吉、直ぐに行く」


「はいはい、お邪魔虫は消えますよ。でもね、ここ学校だから、節度! コンプライアンス!」


 梅吉さんに釘を刺されて、三鷹さんはちょっとだけ頷きました。


「どうした?」


 梅吉さん達の姿が校舎の中に消えると、三鷹さんは主の前で片膝をついて、下から主を見つめました。


「さっき、三鷹さんが先輩達に告白されていた時、凄く嫌な気持ちだったの。私の三鷹さんなのに… そんな目で、見ないで… って思って、それで、三鷹さんはいつもこんな気持ちで、私が告白されているのを見てたのかなって思ったら… 私、本当に子どもだった。

 今まで、三鷹さんが護ってくれるのを、当たり前のように思ってて、どんな気持ちでいたかなんて、考えもしなかった。こんな苦しい気持ちをずっと… ごめんなさい」


 力強い黒い瞳に見つめられて、その瞳に自分しか映っていないことにホッとして、主は今にも泣きだしそうになっています。


「謝らなくていい。さっき、佐々木が言っていただろう? 心をときめかせて、期待と絶望を繰り返して、泣いて、笑って、憤って、葛藤して… たった一人を好きになっただけなのに、自分の中にこれほどの感情があったことを知ることが出来た、って俺は、桜雨を想って、心が豊かになったんだ。」


 三鷹さんは主の左手を取りました。ここ、学校ですよ。


「けれど… 一日の数時間でも、桜雨が俺から放れるのが怖い。もっと、束縛してしまいたくなる」


 白くて小さな主の手は、冷たく冷えていて、家事で少し荒れています。そんな左手を大きな手でサンドイッチにしてさすりながら、人差し指の付け根で指先を止めました。


「あと1年が、長い」


 止めた指先のほんのちょっと上の部分、主の人差し指の付け根に、三鷹さんは軽く唇を落としました。

 あーあ… 完全な、コンプライアンス違反。ここ、学校ですってば。梅吉さんに言っちゃいますよ?! ほら、主のお顔、耳や首まで真っ赤かっじゃないですか。主、固まっちゃいましたし。


「さぁ、梅吉と東条妹に怒られる。行こう」


 ポン! って、三鷹さんが主の肩を叩いて促すと、主は小さく数回頷いて、歩き始めました。セーラー服の下で、ネックチェーンに通されたガラスの指輪をギュッと握りしめて。





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