■その141 決めたら突っ走ります ■
特急電車で15分。路線の主要駅の2つ目。この大きな駅は、樹木の枝先に実が付くように、大きなビルが幾つも直結しています。駅から少し放れたビルも、地下街を通って行けるようになっているので、今日みたいに大雨が降る悪天候でも関係ありません。
皆さんこんにちは。僕です、
14階のフロアーは、全て今回の絵画展で使われていました。エスカレーター、エレベーターホールから絵画展入り口前までは、絵本や絵本に関連するグッズの販売スペース。絵画展の入り口には、左右に大きな
動物や森に関する絵本の原画が、所狭しと飾られていて、あたかも樹木の葉っぱの様です。説明書きもなく、絵本の種類も関係なく、ただただ沢山の絵が飾られています。
「ふぁぁぁぁぁ… 素敵」
いつも俯きがちな松橋さんが、会場に入った瞬間にパッと顔を上げて、眼鏡の奥の瞳をキラキラ輝かせています。
「…」
「桜雨、呼吸」
主は、息をするのも忘れたようです。あまりの感動に、肩に下げた
「これ全部、シルクスクリーンなのね」
入り口で貰ったパンフレットを見ながら、桃華ちゃんもぐるっと見渡しました。男性陣は体が大きいため、他の人の邪魔にならない様にと、頑張って極力体を小さくして鑑賞しています。
「はぁ… どうしよう桃ちゃん、私、帰りたくないよぉ」
絵に関することは、
「まぁ、強制的に帰宅になるから、それまで楽しんで」
そんな二人に呆れもせず、桃華ちゃんは笠原先生と並んで鑑賞しています。
森のブースを抜けると、真っ白なパーテーションに飾れた絵は、絵本ごとに一枚一枚額に入れられていました。説明書きもあります。
「ここが、オリジナルのスペースなのね…」
パンフレットを見ながら、桃華ちゃんが呟きました。男性陣は、縮めていた体をグっ! と伸ばしました。ここのスペースは、解放感がありますよね。
パステル、油絵、アクリル絵の具、水彩絵の具、クレヨン、カラーペン、油性色鉛筆、水彩色鉛筆… 画用紙、ケント紙、水彩紙、クロッキー帳の一枚… 画材も色々です。絵本に使われた絵以外にも、描き比べたモノも並べられていました。同じ紙に描かれていても、着色材が違うと雰囲気が変わります。
主と松橋さんは、一枚一枚を穴が開くほど見ています。
「白川さん、こんにちは」
そんな主に、後ろから声がかけられました。
「… あ、こんにちは、月島さん」
驚いて、口から飛び出しそうになった悲鳴を、主はゴックンと飲み込みました。
白髪混じりの柔らかい髪を綺麗に編み込んだ月島満子さんは、主と同じくらいの身長で、小さな花を散らしたワンピースが包む体は、相変わらず主の倍はあります。丸い顔に、つぶらな瞳。真っ赤な口紅が塗られた小さな口からは、おっとりと柔らかい声が出てきました。
「楽しんでくれているみたいで、嬉しいわ。チケット、贈ればよかったわね。入場料、意外と高かったでしょ?」
「いえ、チケットは、母経由で頂けました。… 凄く素敵で、感動しています」
貰ったチケットは、1枚で4人、無料で入場できるモノでした。それが2枚。田中さんと大森さんも誘ったんですけれど、田中さんは塾で大森さんはバイトと、予定が合いませんでした。
フワフワニコニコしている二人の周りは空気がとても暖かく、時間がゆっくり流れているようです。
「そう、それは良かったわ」
「あの… 実は…」
「どうしました?」
主は、月島さんの顔を見ながらモジモジし始めました。そんな主を、三鷹さん達は静かに見守っています。
「… 先日、月島さんにお仕事のお話しで声をかけて頂いて、凄く嬉しかったんです。でも、同時に進路で悩み始めちゃって…」
「そうよね。急だったし、何より初対面で不躾な話だったわ、ごめんなさいね」
「あ、謝らないでください。私は、嬉しかったので…。あの後、色々考えたんです。それで…」
主は鞄の中から大小2冊のクロッキー帳を出して、月島さんに差し出しました。その手は、カタカタと小刻みに震えています。
「大学や専門学校で絵の勉強をすることも考えたんですが、自分の絵じゃなくなっちゃうんじゃないかと思って…。大学や専門学校は、自分の足りないモノや、もっと勉強したいと思ってからでもいいかな? 今は、自分の絵でやってみたいなと思って…。これが、今の私です。こんな私で良かったら、月島さんの会社で働かせてください」
「そんなに真剣に、考えてくれていたのね」
月島さんはニコニコしながら、主の手からクロッキー帳を受け取りました。
「… やっぱり、素敵」
パラッ… パラッ… パラッ… 月島さんは、1ページ1ページを、ゆっくりと見ていきます。クロッキー帳に描かれているのは、主の日常です。
剣道をする三鷹さん、料理をする桃華ちゃん、仕事中の美世さんと美和さんと勇一さん、お昼寝中のワンコの秋君、並んで楽しそうに勉強する双子君達、仕入れた花を車から降ろす修二さんと佐伯君… クリスマスにサンタさんから貰った一輪の赤い
絵の雰囲気によって、着色材も描き方も変えています。1ページに大きく描かれていたり、ページの隅に小さくだったり、見開きで幾つもの絵があったりと、描き方も大きさも様々です。
「ずっと、持ち歩いているの?」
クロッキー帳から目を放さすに、月島さんが聞きます。
「基本、いつでもクロッキー出来るように、クロッキー帳と鉛筆は持ち歩いています。でも、この2冊は月島さんに見てもらいたくて… このチケットの協賛団体に月島さんの出版社名を見つけて、来たらお会いできるかもと思って、持って来ました。お会いできなかったら、芳賀先生にお願いしようかと思っていました」
主は、『これ!』と決めたら、行動が早いんです。さすが、双子君達のお姉ちゃんです。
「この2冊、お借りしてもいい?会社の皆にも見せたいわ。後日、詳細を決めましょう」
「ええ、是非、皆さんにも見て頂きたいです… じゃぁ…」
月島さんは最後の1ページを閉じると、ニコニコと主に右手を差し出しました。
「よろしくね、白川さん」
「はい」
主は嬉しそうに、でも緊張しながら、その手を両手で握りました。とても暖かくて柔らかい手に、主は少し緊張がほぐれました。
「白川、就職先決定。… っと」
一部始終を見ていた担任の笠原先生は、そう呟き…
「…」
三鷹さんは無言のまま、少しだけ表情が険しくなっていました。