■その136 春が来ます・・・『シスコンの出来上がり方』■
まだ、暖かさの残るリビング。主と
室内は、間接照明の明かりだけ。ローテーブルの上には、一升瓶と二人のグラスがあるだけ。
「早いなぁ… もう、17歳だよ」
梅吉さんは、チビチビとグラスのお酒を呑みます。
「俺さ… 本当は、弟が欲しかったんだ。同性の兄弟がいる友達の話を聞いていて、俺も弟と戦隊ごっこやキャッチボールがしたかったんだよ」
笠原先生、梅吉さんの隣で何も言わずにお酒をチビチビ。
「だから、母さんのお腹の赤ちゃんが女の子だと分かった時、正直、どうでもよくなっんだよ。
修二さん達、俺が物心ついた時にはもう一緒に暮らしてたからさ、家の中に妊婦が2人いたんだよ。美和さんの赤ちゃんも、母さんと同じぐらいに産まれるって聞いた時、母さんの赤ちゃんが女の子だって言うなら、美和さんの赤ちゃんは男の子がいいって、勝手な期待をしたんだ。けれど、美和さんはお腹の子の性別が分かる前に体調を崩して、出産まで入院になっちゃうし、それまで母さんと美和さんが二人でしていた家事が、母さん1人の仕事になって大変そうだったから、手伝いを始めたんだ。言い換えれば、それまで家の手伝いをしてなかったんだよね、俺。今思えば、父さんも修二さんも、店と家の事と、手が何本あっても足りないぐらい忙しかったのに、俺は友達と遊びまくってたんだ。まぁ、小学一年だったから、出来るお手伝いもたかが知れてたけどね。本当に、赤ちゃんには興味なかったんだよ」
梅吉さんの空いたグラスに、笠原先生がお酒を3分の1程注ぎました。
「… 桃華が産まれる予定日間近にさ、俺、誘拐されそうになったんだわ。
母さんと一緒に買い物に出て、トイレで放れた時だったかな? 誘拐されそうになった俺を取り戻そうとして、母さんが強くお腹を打って出血した時、
目の前が真っ暗になったよ。救急車で病院に運ばれて、直ぐに帝王切開で産まれたんだけれどさ、その時間がすっごく長く感じてさ… 目の前が真っ暗だった。父さんも修二さんもまだだったから、手術室の前で待ってたんだけれど、廊下の時計の音が異様に大きく感じてた。自分の心臓と時計の音で、母さんの心臓の音を想像した。
婦警さんが一人ついててくれたのに気が付いたのはさ、看護婦さんが無事生まれたことを教えてくれた時だった。呆然としてた俺の手を取って、新生児室前まで連れて行ってくれて…『お兄ちゃん、おめでとう』そう、優しい声で婦警さんが言ってくれて、生まれたばかりの桃華を見た瞬間、大泣きしたのを覚えてるよ。ようやく、呼吸をした感じだった」
梅吉さんはスマートフォンの画面をいじって、一枚の写真を表示しました。色褪せた、産まれたばかりの赤ちゃんの写真。
「駆け付けた父さんはさ、看護婦さんに抱っこを進められても『命がけで産んだ美世が先だ』そう言って、桃華を抱っこしなかったんだ。
たぶん、父さんも怖かったんだと思う。麻酔が切れて目を覚ました母さんを、あの父さんが泣きながら抱きしめてるのを見て、そう思った。
でさ、母さんに抱っこされた桃華のほっぺがあんまりにも丸かったから、思わず突っついちゃったんだよね。そしたら、俺の指を桃華が小さな小さな手で握りしめたんだよ。… もう、弟だとか妹だとかどうでもよくって、ただただ可愛くって、俺が経験したような怖い事は絶対させない、俺が護るんだ! って、思ったわけだよ」
梅吉さんは懐かしそうに話しながら、スマートフォンの画面の赤ちゃんの顔を、ゆっくり撫でていました。
「シスコン梅吉の誕生ですね」
「そうそう」
ヘラヘラ笑いながら、梅吉さんはスマートフォンの写真を変えました。また、色褪せた赤ちゃんの写真です。さっきの赤ちゃんより、ちょっと顔のお肉が少ないようです。
「
「ああ、それで、真ん中バースディ…。名前は、どなたが?」
笠原先生、梅吉さんのスマートフォンをいじって、さっきの赤ちゃんの写真をLINEで、自分のスマートフォンに送りました。
「美和さん。
桃の花は、3月3日の誕生花なんだってさ。で、桃の木は、中国だと病魔や厄災をよせつけない不老長寿の仙木なんだって」
梅吉さん、これ見よがしにスマートフォンの『桃華』ファイルを開きました。
「ああ、日本では神話で『オオカムヅミ』、古事記では『
笠原先生、『桃華』ファイルを見始めました。赤ちゃんから、だんだんと成長していく桃華ちゃんが沢山入っています。
「笠原先生、古文教師もいけんじゃない?」
「これぐらいは、きちんと授業を受けていれば覚えている事ですよ、東条先生」
言いながら、笠原先生の視線は、スマートフォンの画面に釘付けです。
「興味ない事は、頭の箪笥のどこかにしまい込んだままです。でさ、桃の花の花言葉、知ってる?」
「『チャーミング』・『気立ての良さ』・『私はあなたのとりこ』・『天下無敵』
俺が一番気に入っているのは、『天下無敵』ですね」
「なんだ、知ってるのか」
「調べました。興味のある事なので。
このフォルダー、白川のもあるのですか?」
「もちろん!
梅吉さんが『お気に入り』のフォルダーを開けると、二人の赤ちゃんが写った写真が出て来ました。ようやく、お座りが出来るようになった赤ちゃん達。大きな口を開けて泣いている子を、隣に座っている子が頭を撫でて慰めているようです。
「… 美和さんも
梅吉さんの視線が、スマートフォンの写真から、双子君達の方へと移りました。
「… 母は強し、だよね。だからさ、笠原…」
梅吉さんは視線を、隣でスマートフォンの写真に見入っている笠原先生に向けました。
「はい?」
笠原先生、名前を呼ばれて顔を上げると、お酒の入ったグラスを片手に、気持ち悪い程ニコニコしている梅吉さんと目があいました。
「桃華を泣かしたら…」
「
笠原先生は、鼻で笑ってグラスに残っていたお酒を呑みました。
「ああ、そうであって欲しいよ。そうであるように、頼むよ、笠原先生。でも、万が一があったら…」
梅吉さん、目が笑っていません。これっぽっちも、笑っていません。口元はニコニコしているのに… 怖いです。
「いたぶってから… 殺すからな」
殺気が籠った一言は、お酒と一緒に飲み込まれず、静かに部屋に漂いました。