■その133 春が来ます… 『い・や・だ』■
白い制服のスカートの裾がめくれるのも気にせずに、主と
3学期の終わりが見え始めた、明日から3月。登校日も授業も変則になっていて、今日は午前授業でした。午後は部活に
教室を飛び出て、廊下、階段、中庭… そして、武道場。1階の玄関に入る少し前から、激しく打ち合う竹刀の音と、怒鳴り声とも思える気合が、館内から漏れ聞こえていました。
息を整える暇もなく、2階へと階段を駆け上がり… 生徒たちが群がる剣道場の入り口できちんと一礼。顔を上げて、主と桃華ちゃんは呆然としました。
剣道場に、多くの生徒。その大半は剣道部員らしく袴姿ですが、野次馬の制服姿も少なくありません。上のキャットウォーク部分にも、多くの生徒が居ます。その生徒達の視線を集めているのは…
「うおおおおおおお!!」
「せいっ!!」
ワイシャツ、スラックス姿の
「… デジャブ?」
桃華ちゃん、思わず呟きました。
「佐伯君の時より、激しいね」
主は呼吸を整えつつ、手にしていたクロッキー帳を開いて、鉛筆を走らせ始めました。
「いい加減に… しろっ!!」
「い・や・だ!!」
どっちが押しているという訳でもなく、二人の一撃一撃は早く、しかも重そうです。二人とも体も大きいので、迫力は物凄くて、周りの生徒達は言葉もなく見守っている感じです。ただ、梅吉さんが何かを要求して、三鷹さんが拒否している事だけは分かりました。
「子どもじゃないんだ、たまには…」
梅吉さんの剣先が、三鷹さんの左胴に伸びます。
「いやだ」
三鷹さんはその剣先を一歩下がって避けると、ひと呼吸おかずに梅吉さんの喉を狙って大きく踏み込みます。
「我儘を言うな!!」
「いやだ!!」
竹刀が激しく打ち合う音の中に、二人の会話が混ざっているんですが…
「水島先生、何がそんなに嫌なのかしら?」
桃華ちゃんは、こそっとクロッキーしている主に話しかけました。
「お仕事かな?」
言いながら、主は鉛筆の芯が無くなったので、ペンケースから新しい鉛筆を出しました。
「出張ですよ、出張。日本の最北端に、10日間」
グループLINEにメッセージを上げて、主と桃華ちゃんをここに呼んだ張本人が来ました。
今日のパーカーは、ショッキングピンクです。ショッキングピンクのパーカーの上から、真っ白な白衣を着た笠原先生が、桃華ちゃんの隣に立ちました。
「出張ぐらい…」
行けばいいじゃない。の言葉を、桃華ちゃんは飲み込みました。
「10日間は、長いわね」
「まぁ、2年の教員なら、誰でもいいんですがね。それでも、10日間のスケジュール調整は、皆さん難しいようで。行けそうなのが、あの二人なんですよ」
北海道へ、出長10日間…
「誰でもいいなら、梅吉がいけばいい」
「俺だって、行きたくない!」
あんなにも激しく… 佐伯君との互角稽古より激しい打ち合いなのに、よく会話ができますね。
互角技術は実力に差がない者同士で、一定時間に技を出し合う練習方法ですけれど、このスピードだと、呼吸が少しずれただけで勝負がつきますね。
そんな二人を静観しながら、桃華ちゃんは笠原先生に聞きます。
「いつから?」
「明日です」
あらら、明日からなんて、随分急ですね。
「あー… それは、二人とも行きたがらないはずだわ」
「ですよね。しかし、仕事ですし、良い大人ですからね」
困るんですよ、それじゃぁ… そう呟いて、笠原先生は後ろ手に持っていたライフルを構えました。昔の兵隊さんが使っていた、木製のライフルです。
「ちょっ、笠原先生!」
「あ、ご心配なく。屋台の射的の小銃と同じです。出て来るのは、コルク栓です。まぁ、1回引き金を引けば、3発出るように改造してありますけれどね」
周りの生徒達も気が付いたようで、疲れを見せずに打ち合う梅吉さんと三鷹さんと、そんな二人をライフルで狙う笠原先生を、息を飲んで交互に見ています。主を覗いて…
「やっぱ、白川の絵は迫力あるな」
緊迫した空気の中、ただ一人、機嫌よくクロッキーしている主の手もとを、いつの間にか来た佐伯君が覗き込みました。
「ナイスタイミングです、佐伯君。あの二人が怯んだ一瞬を見逃さず、真ん中に飛びこめますか?」
「楽勝!」
いつもは猫背気味に曲がっているんです、笠原先生の肩と背中。それが、今はピシ!! っと伸びています。
佐伯君は、近くに立っていた剣道部の生徒から竹刀を2本奪うと、左右に持ってびゅっ!と一振りして、悪い顔をしました。二刀流ですか。
「頼みましたよ」
言った瞬間、笠原先生が引き金を引きました。銃口から飛び出した3つのコルク栓は、瞬きもしない
「ストップ!!」
それは、本当に一瞬でした。コルク栓が当たった衝撃で二人が瞬きした瞬間、佐伯君は一気に二人の胴を打ち抜き、開いた隙間に入り込みました。佐伯君の左右に構えた竹刀は、確りと三鷹さんと梅吉さんの喉元に狙いが付いています。
「… さすが、佐伯君」
その剣先を見て、梅吉さんは苦笑いしながら、大人しく竹刀を下ろしました。
「水島先生、終わりですよ」
呼吸を整え始めた三鷹さんには、笠原先生が声をかけました。まだ、やる気だったようですね、三鷹さん。
「はいはいはいはい、皆さん、演習はこれにて終了です。各自、帰宅するなり、部活に出るなりしてください。はい、解散」
笠原先生がパンパンパンと手を叩いて、ギャラリーを解散させました。同時に、笠原先生は三鷹さんの、生徒に呼ばれた高浜先生は梅吉さんの、それぞれの首元をガシッ!っと掴んで、剣道場の外の廊下まで引っ張り出しました。
梅吉さんと三鷹さん、正座でお説教です。二人とも、びしっと背筋を伸ばして、汗だくで聞いています。高浜先生は声を張り上げない分、怖いです。
笠原先生タイプですね。
お説教はこってり、20分でした。静かな怒りを引きずったまま、高浜先生は職員室に戻って行きました。代わりに、二人の前に桃華ちゃんと主が正座しました。お説教の第2弾開始です。
「兄さん、大人なんだから、ちゃんとお仕事しなきゃ。出張費、出るんでしょ?」
今になって疲労が出始めたんでしょうか、正座はしていますが、全身の力は抜けていますね。
「… 明日から、10日間だぞ。明日から…」
桃華ちゃんに言われて、梅吉さんは半べそです。
「俺は、絶対に行かないからね。明後日には桃華ちゃん、その5日後には桜雨ちゃんの誕生日だろ? 誕生日当日に祝えないなんて、兄さん悲しいし寂しいし…」
行きたくない理由は、主と桃華ちゃんの誕生日が来るからでした。日付を聞いて、予測がついていた主と桃華ちゃんは
やっぱり…
と、ため息をつきました。
「水島先生、お仕事はちゃんとしてください」
梅吉さんの横で、やっぱり
「俺だって…」
「せ・ん・せ・い? やることは、きちんとやないと、生徒に示しがつきませんよ。東条先生も」
珍しく、主にキツく言われて、三鷹さんと梅吉さんは更に項垂れました。
「なんかさ、垂れたシッポと耳が見えるのは、幻覚だよな? ってか、白川の双子も、怒られる時あんな感じだよな? レベル一緒?」
そんな二人を見て、佐伯君は笠原先生に小さな声で聞きました。笠原先生、答えずに押し殺したように笑っています。
主はキョロキョロと辺りを見渡して、生徒が居ないのを確認しました。そして、三鷹さんの両手を取って、耳元でコソッと呟きます。
「いつか、北海道に連れて行って欲しいな…」
顔の位置を戻して、小首を傾げながらニコッと微笑む主。
「確り、下見をしてくる」
そんな主の両手をギュッと握りしめて、三鷹さんはキリッと言い切りました。
「お仕事も、してね」
主のダメ押しの笑顔に、三鷹さんは確りと頷きました。そんな主を見て、皆が飲み込んだ言葉がありました。
『小悪魔』
って。