■その132 愛情は最高のスパイス・笠原先生は恋のキューピット?2■
小柄な体にエプロンを付けて、三つ編みにした黒髪を三角巾で覆って… 顔は、こちらにお邪魔した時から今の今まで、終始うつむいたままなので、よく見えないんですよね。
「彼女、俺の教え子でね」
「では、うちの高校の卒業生ですか?」
箸休めのお新香が、サッパリしていて美味しいですね。
「そうそう。在学中も、あんな感じでね。卒業後は短大に進んで、OLになって… まぁ、会社の水が合わなかったんだろうな。早々に辞めて、それからは家業の定食屋の手伝いだよ。
ああ、佳代ちゃん、ありがとう。佳代ちゃん、お昼は食べたのかい? まだなら、一緒に食べよう。ああ、この人は気にしなくて大丈夫。俺の職場の後輩でね、まぁ、後輩って言っても俺なんかより数十倍は仕事が出来て、生徒達からの人気もあるんだよ。ああ、ほら、自分の分も運んでおいで。皆で食べる方が美味しいから」
お代わりを持って来てもらうと、今度はお昼を一緒に食べる事を強要ですか。
「あの子、内向的なんだが、とても家庭的なんだよ。俺の休日のお昼な、いつも佳代ちゃんが作ってくれて、この店のカウンターで一緒に食べるんだよ。もちろん、営業日は親父さんが料理してるから、佳代ちゃんが店の厨房で料理を作るのは定休日だけなんだ。まぁ、
ん? ちょっと、待ってくださいよ…
「あ、あの…」
「ああ、来た来た」
自分の分の定食を運んで来た佳代さんを、宮内先生は自分の隣の席に呼びました。
「水島先生、佳代ちゃんはね、本当に家庭的なんだ。料理はもちろん、裁縫だって掃除だって完璧なんだよ」
確かに、お店は外観も内装も、年代は感じますがそれは
「俺が着るセーターなんかはね、佳代ちゃんが編んでくれるのがほとんどなんだ。腕前は、先生のクラスの松橋さんにも負けないよ」
「せ、先生、その、あまり…」
恥ずかしいのか、佳代さんはワタワタと宮内先生の口を止めようとしていますが… 佳代さん、そんな小声では気づかれませんよ。
「佳代ちゃん、この笠原先生はね、生徒想いのいい先生でね…」
「宮内先生、彼女が落ち着いて食事をとれませんよ」
「ああ、これは悪かった」
宮内先生は、器用なんですよね。あれだけ一口が大きいのに、口に頬張っても上手に話すんですよね。いや、食事中のマナーとしては、口の中が見えないからギリギリ… 人によってはアウトでしょう。けれど、仲間内で楽しくお食事を、というなら許容範囲ですね。
そんななので、宮内先生の食事はどんどん減っていきますが、佳代さんは依然箸を付けられず… 俺の一言で、宮内先生は本当に申し訳なさそうに頭を下げて、席を立ちました。
「いやいや、話しすぎだな。今、お茶を持ってくるから、食べているといい」
休日はここで昼食をとると言ったぐらいだから、お茶ぐらいは自分で煎れられるんですね。
慣れた足取りで厨房へ向かう宮内先生の後ろ姿を、佳代さんはジッと見ています。
下唇の割には上唇が薄く、小ぶりながらモツンと上を向いた鼻、ちょっと重そうな瞼の下の瞳は、確りと宮内先生の背中を追っていますね。ああ、その瞳の熱量には、身に覚えがありますよ。しかし、ようやくお顔が見れましたね、横顔ですが。
「初対面で馴れ馴れしくすみませんが、佳代さん、定休日に俺の昼食まで用意して頂いて、ありがとうございます。とても、美味しいです」
「… あ、いえ… お口に合って、良かったです」
ようやくお礼が言えたと思いましたが、次の瞬間には佳代さんの顔はまた俯き、その言葉尻は殆ど聞こえませんでした。
「佳代さん、宮内先生の好物は生姜焼きですか?」
「… はい」
蚊の鳴くような声。初対面の俺に緊張して、小刻みに震えてしまっている肩。
「はい、お待たせ。熱いからな」
宮内先生がお盆で、三人分のお茶と急須を運んでくると、佳代さんはホッとしたように肩の震えが止まって、そっと見つめて…
これは双方、自覚があるのか無いのか… 年の差を気にしているからか、教師と元教え子だからか…まぁ、内向的という性格もあるんでしょうが、恋愛対象にしてなんら問題ないでしょうに。真相は計りかねますが、宮内先生の性格上、俺を当て馬に… という訳ではなさそうですから、サッサと退散しても問題はなさそうですね。
「宮内先生、先程、俺がいつも美味しそうにお弁当を食べているとおっしゃっていましたよね」
席について、お茶をすする宮内先生に、俺は切り出しました。
「ああ。とても美味しそうに、良い顔で食べているよ。俺はね、そんな風に食事をする人に、この子と…」
「俺が、美味しそうにお弁当を食べていると見えるのでしたら、それは作ってくれている人の気持ちも頂いているからですよ」
宮内先生の言葉に被せて、話し始めた。
ああ、そうだ。この定食が美味しいと感じるのに、物足りなさを覚えたのは、『作る人』が違っているからですね。
「ほぼ毎日、俺たちの健康を考えて、味や色どりも工夫して… 好きな子が一生懸命作ってくれたお弁当です」
気が付けば、俺の食事の大半は、あの子が作ってくれるようになっていたのですね。これが、『胃袋を掴まれた』という事ですかね。
「弁当に、好きな子の笑顔が重なるんです。自然と頬が綻ぶのは、先生もお判りでしょう?
先生も、佳代さんにお弁当を作ってもらってはいかがですか? こんなに美味しそうに食事をとられる宮内先生は、初めて見ましたよ。先生、いつも職員室で食べている時は、眉間に皺が寄って箸の進みもイマイチですからね」
「笠原先生、それは…」
「もちろん、後1年は教師として大人として我慢しますよ。なので、周りには内緒に願います。
ああ勿論、東条先生と水島先生は知っていますので、ご安心ください」
話を聞いて慌てる宮内先生に、俺が人差し指を口の前で立てて見せました。
「宮内先生、俺が依然読んだ本に『愛情はスパイス』とあったんですが、それは本当の様ですよ。食べる方にも、作る方にも。
佳代さん今日は、御馳走様でした。美味しかったです。けれど、それは普通の『美味しい』なんですよ。俺がこの世で一番美味しいと感じる料理には、『作る人の顔』が見えるんです。
宮内先生ほど、貴女の料理を美味しそうに食べる方は、いらっしゃらないと思いますよ」
定食を完食して、言いたいことを言って、飲み頃になったお茶で喉を潤すと、俺はさっさと店を出た。
「笠原先生!」
慌てて追いかけて来た宮内先生に、言い忘れた一言を。
「これは、お節介ですが… 宮内先生は、生徒の事をよく見ていらっしゃいますよね。いつもの調子で、佳代さんも見てあげてください。では、また学校で」
人の恋路に、不本意ながらも片足を突っ込んでしまった休日。帰宅した俺に、可愛い想い人は冷たい態度でした。従姉妹殿の耳打ちで、寂しい思いをしていたからと分かったので、
そして、どっちがどう頑張ったのか、またはお互いに頑張ったのかは分かりませんが、週明けのお昼、宮内先生は職員室で手作りのお弁当を食べていました。それはそれは、とても美味しそうに。いえ、幸せそうに。