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第123話 迷いは大人への一歩

■その123 迷いは大人への一歩■


 ボク、怒っていませんよ。日曜日なのに、ボクを置いて、皆でどこかに行ったなんて、気にもしてませんよ。

 オウメちゃんとモモカちゃんは制服だったから、学校だったんですよね? なら、ご主人様達も学校いですよね?先生ですもん。龍虎りゅうこ君は、お友達と遊んでたんですか? サエキ君は、オウメちゃんパパのお手伝いですよね?


 ボク、怒っていませんよ。… 皆が同じ匂いさせて帰ってきたぐらいで、怒ったりなんかしません。甘い甘い匂い… チョコレートですね? 皆、チョコレートの匂い…


 ハッ! 怒ってませんよ! ヨダレ、垂れてませんからね!


「秋君、いじけないで~」


 いじけてませんてば。トウリュウ君、テレビの前のクッションで丸くなっていたボクを抱っこして、お膝の上でナデナデしてくれます。気持ちいいです。


「秋君、良い子にお留守番していてくれたから、オヤツを奮発です!」


 お夕飯の準備をしていたモモカちゃんが、大きな蒸かしサツマイモを持って来てくれました! もちろん、おりこうさんなボクは、ちゃんとお座り!! ですよ。お手だって、言われる前にしちゃうんですから。


「落ち着いて、秋君。お芋は逃げないわよ」


 モモカちゃんに笑われてます。でも、大好きなんですもん!



 さつま芋でご機嫌を直した犬の秋君は、皆の夕食の準備が整う頃にはお腹を丸出しにして、テレビの前のクッションで爆睡していました。プカプカ出ていた鼻ちょうちんが、ポン! と割れた頃には食事が終わっていて、梅吉さんと佐伯君はお風呂、双子君達はローテーブルで宿題です。

僕の主の桜雨おうめちゃんと桃華ももかちゃんは、左右のキッチンに分かれて夕飯のお片付け。もちろん、三鷹みたかさんは主の、笠原先生は桃華ちゃんのお手伝いで、綺麗になったお皿を拭いています。

 お父さんやお母さん達は、東条家のキッチンテーブルで食後のお酒をまったり堪能中です。


「今日は、どうだった?」


 三鷹さん、拭いている食器を見たまま、主に聞きます。けれど、主はゴシゴシゴシゴシ、食器を洗い続けます。ゴシゴシゴシゴシ… 主、学校から帰ってから、ずっとこんな調子なんです。珍しく、考え込んでるんですよね。

それは本当に珍しくて、お料理も調味料の分量や、お砂糖とお塩を間違えたり、焦がしちゃったり… けれど、ちゃんと食べれるモノが出来上がるのは流石です。


「… 桜雨おうめ


 三鷹さんが、泡だらけのスポンジを持った主の手に触れると、主の全身がビクッ! としました。


「あ、ごめんなさい。ちょっと…」


「疲れたか? 後は、俺がやろう」


 三鷹さんを見つめて、主は言い淀んでしまいました。そんな主の手から、三鷹さんは優しくスポンジとお皿を取りました。三鷹さん、そんな主が心配で心配で、しょうがないんですよね。


「三鷹さんも、テストの採点で疲れているでしょう?」


「… まぁ、大丈夫だ」


 主の言葉に、三鷹さんは今日一日の行動を思い出しました。三鷹さん、チョコレート菓子作りしかやっていません。


 三鷹さんは一旦、スポンジとお皿をシンクに置いて、泡だらけの主の手を取って、自分の手と一緒に洗い流しました。濡れた手をタオルで拭いて、そばに置いてある丸椅子を横に手繰り寄せて、主を座らせました。


「お腹は?」


 冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す三鷹さんの質問に、主は戸惑いながら答えます。


「8分目かな?」


 小さく頷いて、三鷹さんは牛乳を入れた小さなマグカップを、レンジで軽く温めました。


「これを飲んでいる間に、終わる」


「… ありがとう。頂きます」


 程よく温まったカップを受け取って、主は大人しく三鷹さんがお皿を洗うのを見ていました。


「三鷹さん、あのね、今日…」


 カップで両手を温めながら、主がポツリと零しました。


「今日ね、嬉しい事があったの。とっても嬉しくて、まだ半分信じられないんだけれど… 嬉しい分ね…」


 主の視線は、カップの中の温かな牛乳。三鷹さんの視線は、次々と洗われていく食器。すぐ横に居てくれるだけが、今は一番いい距離でした。


「迷っちゃった。どうすればいいのかなぁ…」


主がここまで迷うのは本当に珍しくて… 三鷹さんはチラッと主の横顔を見ました。

 主は相変わらず、ジッとカップの中の牛乳を見つめています。薄く入れた紅茶色の柔らかな髪に縁どられた横顔は、まだ幼さが残りつつも、考え込む瞳は大人に近づいていると、三鷹さんは感じていました。


「もう少し、深く聞いても?」


「… もう少し、自分だけで考えてみます」


「分かった」


 もう、子どもじゃない。けれど、大人でもない。そんな狭間で、何に迷っているのか… 三鷹さんにはだいたいの予想がついていました。それが、主に必要なことも分かっているから、それ以上は聞きませんでした。主から話してくれるのを、待つつもりなんです。けれど…


「… 差し支えなければ、『嬉しい事』は、聞きたい」


 それだけは、気になるようでした。


「あ、はい。皆にも、報告しなきゃって、思ってて…」


 食器を洗い終わった三鷹さんは、手を綺麗にして、主に向き直おりました。聞かれた主はパッと顔を上げて、三鷹さんの視線がとっても優しく暖かく、自分を見てくれていることに気が付きました。


 いつも、こんなに想いのこもった瞳で見つめてくれているんだった。


 と思い出した主は、ニッコリ微笑んで報告しました。


「三鷹さんを描いた『剣士』と、桃華ちゃんを描いた『私の歌姫』… 文化祭にも出したあの2枚の絵が、コンクールで入賞したの」


「えっ!!」


「ぷっ!!」


 あまりの驚きに、三鷹さんの口から出た声は剣道の稽古の倍以上で、リビングでまったりしていた皆が、驚いて飛び上がるぐらいでした。秋君は、ビックリしたついでに大きなオナラが出ました。


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