■その121 男子には内緒の、甘い時間■
昨日で学年末テストが終わったので、日曜日の今日、主達は解放感でいっぱいです。昨日の放課後、松橋さん達と、お買い物に行こうか? なんて、楽しそうにお話ししていましたけど…
「笠原先生達、なんかコソコソしていたわね」
「
「上手に作れるかな?」
「兄さんがいるから、大丈夫でしょ? それに笠原先生、前に『料理は化学実験と変わらないんですよ』なんて言っていたから、出来上がりが楽しみだわ。… ちょっと、覗きたいわね」
実は梅吉さん達、朝から妙にソワソワしていたんですよね。その理由、梅吉さん達は隠しきっているつもりみたいですが、主と桃華ちゃんにはバッチリばれています。
「『実験料理?』」
「そう、『実験料理』」
2人は顔を見合わせてクスクス笑いました。すると、後ろから2人を呼ぶ声が聞こえました。
「先輩、すみません。この、オーブンシートが、上手く型に入らなくって…」
1年生ですね。遠慮気味に、オーブンシートを持ち上げました。
「遠慮しなくていいのよ。そのために、私達は来ているんだから」
ニッコリ微笑んで、桃華ちゃんが丁寧に説明しました。
このお菓子作り、『家庭科部』さん達の部活動なんですけれど、毎年この1日だけは『特別参加』で部員以外も参加が出来るんです。
2月13日・バレンタイン前日
何年か前から始まった、この『特別参加』は、毎年希望人数が増えているようです。今年は、とうとう家庭科部員20人の3倍程になり、『教える側』の手が足りなくなりました。ので、料理が得意な生徒数人にお手伝いの声がかかりました。
主と桃華ちゃんは、お手伝いの声がかかった内の一人です。あちらこちらから聞こえる弾んだ会話の中に、梅吉さんや
「ありがとうございます」
1年生はペコっと頭を下げて、自分の調理台へと戻りました。
「クルミはあまり細かく刻まなくて大丈夫ですよー。粗く刻んだ方が、食べた時の食感がいいんです」
桃華ちゃんの横で、主もチョコレートを湯せんしながら、アドバイスをしています。
「先生、忙しい?」
そんな主と桃華ちゃんの前に、大森さんがブロックチョコレートを持って登場しました。
「ここの調理スペース、人が少ないと思っていたのよね。来ないかと思ったわ」
桃華ちゃんが「おはよー」と、片手をヒラヒラさせながら、大森さん、松橋さん、田中さんを迎え入れました。
「湯せんは、泡立てるのとは違うから… こんな風に、ゆっくり優しくね」
主は、後ろの女子に自分の手元を見せながら説明です。
「テスト勉強疲れ。良く寝れたわー」
「それは、私が言うから現実味がある言葉よ」
大森さんの遅刻の言い訳に、田中さんはチクリと一言。
「き、昨日の夜、編み物を仕上げてしまいたくって… よ、夜更かしの、し、しすぎです」
松橋さんはバツが悪そうです。
「あのセーター、仕上がったんだ!」
「ああ、はい、何とか… 喜んでくれると、良いんですが…」
桃華ちゃんが嬉しそうに聞くと、松橋さんは自信なく項垂れてしまいました。
「大丈夫! 絶対、喜んでくれるわよ。あのセーター、売り物みたいだもの。あ、バターは室温」
話をしながらも、手は動いています。それとなく、桃華ちゃんや主がサポートしています。
あちらこちらから、クルミを刻む音が響いてきました。
「さすがに、この人数でやると、煩いね」
あはははーと笑いながら、主はボウルにバターを入れて、泡だて器で混ぜ始めました。
「白川さん、これって…」
「あ、まずはバターだけを柔らかくなるまで混ぜてください。
柔らかくなってから、グラニュー糖です」
今度はボウルを抱えた3年生です。主に手順を確認すると頷き、ボウルの中のバターを混ぜながら、戻って行きました。ついでに、大森さんも、なるほど! と確認していたようです。大森さん、まだチョコレートを湯せん中です。
「東条さーん!」
「うわっ」
バタバタバタバターっと、ボウルを抱えた三島先生がやってきました。桃華ちゃん、思わず顔と声に心情が出てしまいました。
「今年は教師の参加枠もあったんですか?」
「ないわよー。ねぇねぇねぇ、東条先生は今夜お暇かしら?」
三島先生、ボウルの中のバターを練り練りしながら、桃華ちゃんに聞きました。瞬間、周りの女子の空気が変わりました。皆、桃華ちゃんの答えを待って、作業する手が止りました。
「先生、今日、この料理教室に参加するにあたっての注意事項が書かれた手紙、読まれました?最後にちゃんと、書かれていたと思いますよ。『個人情報に関する質問はしない事』って」
桃華ちゃんんはニッコリ微笑んで、柔らかくなったバターに、グラニュー糖っを加えました。そして、また混ぜ混ぜ混ぜ… 目が、笑っていません。
「今夜の予定ぐらい、良いじゃない。恋人の有無を、聞いたわけじゃないんだから」
唇を尖らせて、三島先生は目の前にあった卵を手に取りました。
「せ、先生、グラニュー糖が先ですよ」
「あら、ヤダ。ありがとう… 松橋さんは良いわよね。受け取ってくれる彼氏が居るんだから」
三島先生、松橋さんに教えてもらって、あわてて卵を置いて、目の前の小分けにされていたグラニュー糖を、ボウルに入れました。
「い、いえ、彼氏はいません… その、まだ…」
「「「「「えっ!!」」」」」
慌てて否定する松橋さんに、主達が驚きの声を上げました。いえ、僕もビックリです。
「近藤先輩と、付き合ってたんじゃないの?」
「あんなに、いい雰囲気なのに?」
大森さんと桃華ちゃんが、グイグイ聞いてきます。
「あ、卵が良く混ざったら、最初に湯せんしたチョコレートを入れてください」
「チョコレートは冷えた状態で、加えてくださいね」
松橋さんの発言にビックリしても、桃華ちゃんと主は役目を忘れていません。ちゃんと、周囲の皆さんの手元を見ています。
「あ、卵は1つづつですよー。で、何で、さっさと付き合わないの?」
桃華ちゃんは少し先の女子に声をかけて、その子が大きく頷くと、松橋さんに向き直りました。
「タ、タイミング?」
松橋さんが小さな声で答えると、勢いよく家庭科室のドアが開きました。
「2年B組の白川さん、いますか?! あ、白川さん、大変大変!!」
入って来たのは、美術部の顧問の芳賀先生でした。キョロキョロと室内を見渡して主の姿を見つけると、一目散に駆け寄ってきました。
「あのね、白川さん、落ち着いて聞いてね」
芳賀先生、泡立て器を握っている主の右手をがっしりと掴み、これでもか! っていうぐらい、顔を近づけました。
「… 先生、ケーキをオーブンに入れるまで、待ってて欲しいです」
ニッコリ笑った主に、
なぜ、今、聞かないの!!
って、周りの皆は内心思っていました。