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第119話 春よ来い来い、福よこい

■その119 春よ来い来い、福よこい■


 シィン… と耳鳴りがするぐらい、暗く静まり返った美術室です。下校時間はとっくに過ぎていて、主のお気に入りの窓からは白い月明かりが差し込んでいます。ドアや窓という窓は開けられていて、2月の冷たい風が通り抜けます。

 ここに居るのは、塩風呂に入って身を清めた僕の主、桜雨おうめちゃんだけです。薄く入れた紅茶色の髪をキュッとポニーテールに纏めて、鬼灯ほおずきの飾りがついたかんざしを挿しています。制服は、この日のためにクリーニングに出してピッカピカ。手には、大きめの升を持っています。そこにタップリ入っているのは、さっきまで学校の理事長室の神棚にお供えされていた『豆』です。


チッ… チッ… チッ… チッ…


 美術室の壁時計が時を刻んでいます。


チッ… チッ… チッ…

タタタタタタタタタタ…


 時計の秒針に、微かに足音がまざったと気が付くと、その足音は直ぐに大きくなって、後ろのドアから入ってきました。それは全身真っ黒で、顔に難しい文字が描かれた布を下げた者でした。


「鬼は外!」


 黒い者は、主のお気に入りの窓の前に立ちました。主は、その黒い者に向かって、窓から外へ、升の中の豆を投げます。黒い者は、サッと、次の窓に移ります。主は、豆を投げた窓を直ぐに閉めました。


「鬼は外!」


 黒い者は豆を投げられたら、次の窓へ。主は黒い者に向かって、窓の外へ豆を投げたら閉める。閉めたら、次の窓へ… それを繰り返し、窓が終わると、後ろのドアから廊下に向かって


「鬼は外!」


 ぴしゃん!と直ぐに閉めて、最後に美術室の前のドアです。黒い者が投げられた豆と一緒に美術室を出ると、しっかりドアを閉めます。


「副は内~!副は内~!」


 そして、室内に豆をすべてまきました。最後に、升に自分の年の数プラス1粒を拾っておきます。


 今日は節分。鬼を追い払って新年を迎える日です。去年、怖い思いを何度もした主は、『鬼』を払って、清々しく新年を迎えます。


 主の学校は毎年、各部の部員1名と各クラスの生徒1名を選んで、部室や教室の豆まきをします。部室と教室以外は、教師がやります。生徒が来れない場合も、教師がやります。今年は、美術部は主、合唱部は桃華ちゃん、剣道部は佐伯君、柔道部は近藤先輩、手芸部兼2年B組は松橋さんです。

三鷹みたかさん、梅吉さん、笠原先生も、参加です。もちろん、お家の豆まきを終わらせてから、来ました。双子君達、毎年張り切っていますもんね。


 黒い者が学校の一番上、奥の教室から昇降口に向かって、豆まきは進んでいきます。終わった教室のドアには、焼いたイワシの頭を刺した柊を飾ります。豆で清めた部屋に、悪いモノが戻ってこない様に…


 豆まきの声が、だんだん下から聞こえるようになり、主は集合場所の理事長室へと向かいました。



 質素な理事長室には、中央の会議用テーブルには、『節分そば』と『副茶』が人数分用意されていました。それを、皆で頂きます。

 黒い者『鬼』役の梅吉さんと三鷹みたかさんは、校舎内の見回中です。他にも、『鬼』役の先生は4人居ました。建物1棟に付き、鬼は1匹のようです。


「なぁなぁ、豆、まきっ放しでいいのかよ?」


 佐伯君、そばを啜りながら聞きました。立ち食いです。


「豆まきには『鬼を打ち払う』という意味と、『豆を投げ与えて恵み、静まってもらう』という意味があります。

なので、明日の朝まではそのままでいいんですよ。

毎年、豆まきの翌日は、全校生徒1時間目から大掃除なんですよ、うちの学校は」


 笠原先生、副茶を啜りながら説明します。こちらは、立ち飲みです。


「今年は雪が積もっているから、大変だわ。綺麗にしたつもりでも、雪が解けると出て来るのよね~」


 桃華ちゃんの言葉に、他の生徒さん達がそばを食べながら頷きました。桃華ちゃん、フカフカの理事長の椅子に座って、そばを啜っています。


「水分含んで、芽が出たりしないのか?」


 佐伯君の、素朴な質問です。食べながら、桃華ちゃんの隣まで来ました。


「芽が出たら不吉なんですって。だから、芽が出ないように、炒った豆を使うのよ」


「最近の悪い事は、溜まった『悪い気』のせいだったのよ。

 ほとんど毎日、たくさんの人が生活しているんですもの、悪いモノも溜まっちゃうわよね」


 主は桃華ちゃんの横に座って、升の中の豆をポリポリ食べています。理事長の椅子、大きいから二人で座れちゃうんですよね。


「じゃぁ、明日からは『良い事』しか起こらないわね」


 桃華ちゃんが少し嫌味っぽいのは、まだあたる先輩の件を、完全に消化できていないんですよね。


「当分は、大丈夫でしょうね。また1年という長い時間で、蓄積されますけれどね。さ、食べ終わったら帰りましょう」


 笠原先生が言いながら、自分の腕時計をトントンと指さしました。ゆっくり食べていた生徒達は、慌てて残りのそばや豆を食べました。

 生徒達は、教師が責任をもって送っていきます。時間が時間ですからね。


 主達は、梅吉さんの運転で帰ります。その梅吉さんは、戸締りの責任者です。なので、主達も最後まで残っています。寒い、校門の前で。


 月の光は溶け残っている雪に反射して、キラキラと校舎を照らしています。その光に見え隠れする、小さな動物? いえ、小さな小さな人がいっぱい見えました。頭に角があります。1本だったり、2本だったり… 5本ある鬼も居ます。よく見ると、大きさもユラユラと揺れながら変わっています。

とても大きくなったり、さらに小さくなったり… ビックリした主は、目をコシコシ擦りましたが、やっぱりよく見えました。その鬼たちは、校舎の壁をぺたぺたと手足を使って、上手に移動しています。窓から中に入ろうとしているみたいですけど、ビリビリするんでしょうか? 手を振って諦めています。そして、壁の凸凹に落ちた豆や、雪の上や校庭に散らばった豆を、嬉しそうに食べ始めました。場所によっては、体の大きさは関係なく、ちょっとした取り合いをしている鬼たちも居ます。そんな鬼たちが可愛くて、主はニコニコとその光景に見入っていました。


「春だな」


 そんな主の手を、いつの間にか校舎から出てきた三鷹さんが握りました。

ちゃんと、お着替え済みですね。いつものスーツスタイルの三鷹さんに、主はニッコリと微笑みました。


「春ですね」


 日付が変わりました。春の始まりです。


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